パラノーマンズ・ブギーC
『あるいは 後編』
作者:ススキドミノ
速水 朔(はやみ さく):25歳。男性。速水探偵事務所、所長。ライト・ノア社、社長。
田中 新一郎(たなか しんいちろう):25歳。男性。速水探偵事務所、職員。
酒井 ロレイン(さかい ろれいん):38歳。女性。警察庁公安部特務超課、警部。
花宮 春日(はなみや はるひ):26歳。女性。速見興信所所属の超能力者。
七原 裕介(ななはら ゆうすけ):25歳。男性。『記憶泥棒』と呼ばれる超能力者。
滑川 保(なめりかわ たもつ):29歳。男性。青の教団、青の使徒の一人。
ラブ:青の教団、教主。海豚の姿をした怪物。
信徒:ナレーションと被り。
※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)
【あらすじ】
ついに姿を現した青の教団の教祖、ラブ。
それぞれの思惑が交錯し、舞台は関東へ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◆◇◆
N:繁華街の隅にある喫茶店で、七原はコーヒーを飲んでいた。
七原:……これも、だめだな。
間
七原:……これも、これも、違う。
N:サングラスの内側の、色を失ったビー玉のような瞳が左右に揺れていた。
七原:(ため息)……一般人向けの礼拝でも幹部一人に会えるかと思ったけど、甘かったかな……。
どいつもこいつも浅い記憶しか……いやーー
N:記憶の中に埋没してく中、鮮明な青色が映る。
七原:……これは……そうか、この男……。
入信前にしては熱心に聞き入っているとは思ったが……まさか、こいつが幹部だったとはね。
N:記憶の中で、その人物は、青い光に包まれた部屋に立っていた。
青の正体は巨大な水槽であった。
七原:(呟く)『ラブ様。お目通りいただけて光栄です……。
なんだ……こいつ……誰に話しかけている?
N:どこまでも続く、途方もなく大きいであろう水槽の奥から、1匹の海豚が現れる。
七原:……イルカ……いや、違う……!
まさか……!
N:七原は記憶の中で行われる会話を呟きながら、手帳にペンを走らせていた。
ラブ:『やあ、滑川くん。
滑川:『あの、すみません……ぼくーー
ラブ:『いや、別にいいんだ。君のことはちゃあんとわかっているから。
滑川:『ありがとうございます!
ラブ:『いいねえ……。どこまでも私に依存してる。依存することは悪いことじゃあない。
滑川:『幸せに、ございます、です。
ラブ:『今から君には、やってもらいたいことがあるんだ。
滑川:『えー……そうだ! なんなりと、お申し付けください。
ラブ:『(笑って)とある人間を追って欲しいのさ、彼は数日中に君に接触してくるだろうから。
滑川:『わかりました。えっと……殺せばいいんですか?
ラブ:『君の判断に任せるよ。君も、そういう「お使い」を覚えなきゃいけない頃だ。
滑川:『はい、ラブ様。えー、それで、僕は誰を追えばいいんですか?
ラブ:『ふひひ……それはね。ふひひひひ! そうだ。
今、この記憶を観ているんだろう? すぐにお使いが行くからね。
偉大なる怪盗さんーー
N:七原は能力を解除した。
七原:(息が切れる)ッハアッ! ……クソ……!
(間)
……俺があの男の記憶を盗むと読んでいた……冗談だろ?
N:七原は喫茶店の窓から外を眺めた。
人々は、何事もなく日常の中を歩いて行く。
そんな中ーー七原は、観た。
歩く人々の中で、こちらを観ながら笑っている男の姿を。
七原:やあ、滑川くん……。
N:男、滑川保は、喫茶店へと歩みを進めていく。
◆◇◆
酒井:……計画9(プランナイン)、ブルーノート、希望の橋……。
2年前から計画してやがったのか……。
間
酒井:実際、この辺にはなんかありそうだわね。
ーーそれで。
N:『青の教団』銀座支部、応接室には数人の信徒達が倒れ伏していた。
酒井は、部屋の椅子に縛りつけられている青の信徒に歩み寄った。
酒井:あんたらの親玉は何考えてるわけぇ?
信徒:このようなことをして一体何をーー
酒井:無駄口叩くな。
信徒:ヒッ……!
酒井:大体はわかるよぉ。これだけ見れば、私ちゃんにはさ。
ここにある資料もブラフだろうね。
ただ、何かを隠そうとしたとき……ポッカリ開くわけ、隠れた部分が。
N:酒井は机を拳で殴りつけた。
酒井:ここだけなのよ。
一年間の行動計画書の変更が年2回も行われてる。
あんたらの親玉は、突発的に何かをしようとするときは、
必ずこの支部を使ってるってわけ。
……さて、それを加味した上で……最近、変わったことはなかったかにゃあ?
信徒:あ、あの……!
酒井:んー?
信徒:別に、その、直接指示を受けたりとか……そういうのじゃないです、けど。
今日のセミナーに……その……使徒の方が……。
酒井:へえ……どうして?
信徒:いえ! その方は、よくいらっしゃいますので……。
酒井:ああそう。で、名前は。
信徒:滑川ーー
酒井:(椅子を蹴る)ああ!?
信徒:ヒッ!
酒井:……ああ、いや。ごめんねぇ。
うん。せっかく、正直に話してくれたんだもん……。
あ。そうだぁ。そいつの電話番号、知ってたりしないかなぁ。
信徒:い、いえ! 個人的な連絡のやり取りはーー
酒井:ああそう。じゃあ……いらないね。あんた。
信徒:ちょっと! 待ってください……!
し、使徒のかたの連絡先は……奥の事務局の電話に……!
間
酒井:ありがとう。
信徒:い、いえ……。
酒井:(耳元で)顔は覚えたからな。
これに懲りたら世俗に戻れ。
N:酒井はタバコを咥えると、部屋を後にした。
廊下に出ると、倒れ込んでいる青服達のまたぎながら、イヤーモニターのスイッチを入れる。
コールを待たずして、男ーー速水の声が聴こえた。
速水:『酒井さん。
酒井:速水ィ。あんた、いくら払う?
速水:『随分と即物的だね。洗脳でもされた?
酒井:(鼻で笑う)……ついでに見つけといた。
あんたが言った通り、群馬県の山奥にあったよーー
あー。今、『うずら』経由でデータを転送する。
間
速水:『……群馬ディスティニープレイス。
酒井:20年前に事業の開始してから、15年目に突如として親元が財政破綻。
以後、買い手もいないまま手付かずで放置されてるって話だったけど。
速水:『もともと民間のベンチャー事業だったようだな。
酒井:しっかしまあ、なんというか……。
山奥の廃遊園地を丸々買っていたとは、恐れ入るわ。
速水:『……それで、これからどうするつもり?
酒井:んー? 自由にやっちまっていいんでしょ?
私は、借りを返さないといけないやつがいるんでね……。
速水:『そうか。
酒井:それじゃあ、これで貸し借りはなしね。
速水:『ああ、検討を祈る。
酒井:ほざいてろ。
N:酒井はイヤーモニターの電源を切ると、腕を軽く回した。
酒井:うずら。携帯端末の逆探知をお願い。
さあて……ケツ洗って待ってろ……滑川保。
◆◇◆
N:七原は商店街を走る。
すれ違う人々の隙間を縫って、時折誰かとぶつかりながらそれでも足を止めない。
しかし、アーケードの中心にたどり着くと、ついに足を止めた。
七原:(息切れ)……クソッ。
滑川:あのー……すみません。
N:滑川は、軽薄な笑みを浮かべたまま、七原に歩み寄った。
滑川:いえ、あの。先ほどぶりですね。
七原:そんなにかしこまるなよ……同じ信徒じゃないか。
滑川:あ、入信してくれたんですか!?
七原:嘘だよバーカ。誰がするか。
間
滑川:あの……結構傷つきました。今の。
七原:そうか。そんなことは俺には関係ないけどね。
滑川:……濁ってますね。
七原:はあ?
滑川:あのー、知ってるんですよ。
本当は、そのー……救われたいんでしょ?
七原:君達なら僕を救えるって……?
……舐めるなよ。
滑川:舐めてるつもりはないです。
でもですね……人間であることの難しさって……そのー、あるじゃないですか。
七原:君が小さい頃のこと?
滑川:え?
七原:例えば、鋭い定規の先で切りつけられたり、
ビールの瓶でも殴られたね。
洗濯物の汚れが落ちきってないと、また殴られた。
なにもしていなくても殴られた。
そうだ。君のーーお父さんだ。
可哀想に。人間扱いされず、いつも決まって彼はこういう。
「お前はゴミだ」ってね。
間
滑川:あのー……ああ、そうか……記憶、盗めるんでした。
七原:そうだよ。ご存知の通り、僕は”記憶泥棒”こと、七原裕介だ。
よろしく。滑川保くん。
滑川:(吹き出す)なんだか……嬉しいです。
七原:ん?
滑川:そのー……わかってもらえてるみたいで……。
七原:記憶を盗むだけじゃ、本当にその人のことをわかったとはいえないけどね。
間
滑川:僕は、そのー、なんていいますか……あのー……。
そう、超能力者としてはそのー、あまり強くないんですよ。
でも、そのー。僕っていうのは、ちょっとだけですけどーー
僕そのー、ゴミ、なんですよ。
16人殺しちゃって、そのー、超能力者になる前に……。
N:滑川の瞳が光を失っていく。
滑川のもつ超能力が発動すると、その腕が硬質化していく。
滑川:あの……ラブ様に出会ってから、あのー。
変われたんです、だから……。
……あのー、本当に、入りませんか……僕たちの教団に。
七原:シリアル・キラーにしては甘いことをいうね。
それにしてもーー
(吹き出して)……クククッ……。
滑川:何か……面白いですか?
七原:いや……ごめん。なるほどね。
……君と俺は、少しだけ似ているものだから。
◆◇◆
N:速水は木々に囲まれた山道を歩く。花宮は、速水の少し後ろについて歩いていた。
花宮:ええと……それで……酒井さんはなんて?
速水:大体の場所は間違いなかったけど、酒井さんのくれたコレで、はっきりしたよ。
N:速水は、手元のデバイス端末から、酒井から送られた情報を整理していく。
そして速水が軽く画面を撫でると、群馬ディスティニープレイス跡地の地図が宙に浮き上がっていった。
速水:ここが入り口……ここは違うな……ここも……ここも違う……。
N:速水が空中の地図に触れると、青い色をしていた建物が、灰色に染まっていく。
道路を指でなぞりながら、ある一点を指先でなぞる。
花宮:ここは基地としての役割が強いね。
入口が三箇所あるし、何よりコンテナの数も尋常じゃないみたい。
速水:本部ではないにしろ、補給基地という位置づけだろう。
棗はこの施設のどこかに監禁されているのは間違いない。
花宮:どうして棗さんがここにいるってわかったの?
速水:捕虜としてならば、自分の目の届くところではなくてもいい。
加えてここは見ての通り補給基地として、最低限の防衛機能は備えている。
花宮:うってつけってこと?
速水:結果的にはそうだ。しかし……真意は違うだろうな。
N:速水は忌々しげに地図をなぞった。
速水:ここならーー絞りやすいからな。
花宮:絞りやすいなら、どうしてわざわざそんなところに。
速水:今のは推理でもなんでもない……気にしないでくれ。
それに、酒井さんからもらった資料に決定的なヒントがある。
花宮:……『鬼子(おにご)の輸送中につき』ーーこの鬼子っていうのがーー
速水:棗のことだろう。
花宮:そっか……。
間
花宮:きっと、棗さん……寂しがってるよ。
速水:ああ……。
N:2人はそれきり話すこともなく、山道を歩いていく。
時刻は夕暮れ。2人を夕日が照らし、長い影を道路に映していく。
花宮:ねえ、朔ちゃん。
速水:何。
花宮:高校生のとき、こうして歩いたよね。
山道を、こうやって。
速水:……いつ?
花宮:ほら。私が能力を暴走させて。
速水:ああ……。
花宮:本当に覚えてる?
速水:うん。
花宮:本当に?
速水:……僕をなんだと思ってるわけ?
花宮:ううん。そうじゃなくてさ。
なんていうのかな……わからなくなるときがあるんだ。
速水:何が。
花宮:みんなが、何を考えているのか。
N:花宮は立ち止まると、青々としげった木々の葉をじっと眺めた。
花宮:いや、ほら、私って頭悪いし……泣き虫だし……。
だからかも知れないんだけどね。
速水:……大藤一のこと?
花宮:ううん……。大藤さんのことはきっと、私じゃなくてもわからなかったもん。
それとも……朔ちゃんは、わかってたの?
速水:いや……どうかな。
間
花宮:今の朔ちゃんだって、私にはよく、わからないよ。
速水:……僕はーー
花宮:ごめんね。変なこと言って。
……でも、人って変わっていくものなんだよね。
それとも、みんなずっとそういうものを抱えているのかな。
間
速水:真実は……。
花宮:ん?
速水:自分の中にしかない。
花宮:……そっか。
間
速水:ハル……僕は、変わったのか。
N:速水は、少しだけ目を伏せて立ち止まった。
花宮は、そんな速水を見て、困ったように微笑んだ。
花宮:ううん。変わってないよ。
変わらず、とっても悲しい人。
速水:……そう。
花宮:……ひとつ。
間
花宮:ひとつだけ、はっきりさせておきたいことが……あります。
速水:……うん。
花宮:私は……この力をどうすればいいのか、わからない。
いつだって自分の信じる目的のために力を使ってきただけ。
……卑怯だってわかってるもん。
貴方が必要としている人達みたいに、自分でどうすればいいのか考えることもできないし、
仲間だって、守れなかった……。
(間)
だから、お願い朔ちゃん。
私は簡単に騙されるような、馬鹿だからーー
だからこそ、騙さないで。
言葉でごまかさないで。
行動で、示してください。
間
花宮:私は、どうしたら、いいのかな。
速水:君は……。
N:速水は花宮を見つめながら、口元に力を込めた。
普段の冷静な彼からは想像もできないような沈痛な面持ちで、
自分の中の何かを押し殺すように、瞼を閉じた。
速水:……ここから先は、僕の背中を見ていればいい。
花宮:(微笑む)うん、わかった。
N:しばらくそうして、2人は眼下の街並みに沈んでいく夕日を眺めていた。
沈黙を破ったのは、速水の頭を襲った猛烈な痛みだった。
速水:な、にーー
花宮:朔ちゃん……?
N:速水は、地面に崩れ落ちるようにして倒れた。
花宮:朔ちゃん!? ねえ!
・◆◇◆・
<速水・田中・七原が17歳の頃の回想>
N:速水が目を開けると、窓ガラスに映った自分の姿が見えた。
その顔はどこか幼く、どこかで見たことのある高校の制服を着ている。
七原:朔、大丈夫?
田中:放っとけ裕介。
どうせ大したことないだろうから。
N:隣に、見知った顔の同級生2人の顔が見えて、速水はだんだんと思い出してくる。
高校生活最後の卒業旅行で、極南の島を訪れ、今バスに乗っている自分。
田中:車酔いするようなタマかよ、こいつが。
七原:そういえばさ。朔がこの間、タクシーで小説読んでいるのを見てゾッとしたよ。
田中:おえ……聞いてるだけで吐き気がする。
速水:うるさい……! 少し考え事してただけだ。
七原:それはそうと。荷物忘れるなよ、二人とも。
次、降りるぞ。
速水:裕介。
七原:何?
速水:この馬鹿と一緒にするな。
田中:んだと……! 朔コラ、表出ろ。
速水:次降りるっていったろ馬鹿。
七原:あー! ほら! いいから降りろって……!
N:バスから降りると、そこは県外でも有名な水族館ーーではなく。
七原:……ここか。
N:島の隅にある小さな水族園であった。
七原:なんでわざわざ小さい方に来ることになったんだっけ……?
田中:そりゃあ……駅前で優待券配ってたからーー
速水:そこの馬鹿が、クラスの女子に嫌われてるから。
田中:はぁ!? ちげえよ! 初日に2人に告られてーー
七原:「ごめん。俺面食いだから」だっけ?
田中:捏造すんなッ! ちゃんと丁寧に断ったっての!
でも、みんなが行くほうだと鉢合わせるだろうし、気まずいだろ……?
七原:(ため息)ま……今更だけど。
俺も面倒なのはごめんだし。
速水:僕はうるさくなければどこでもいい。
田中:じゃあ、もう文句は無しな!
うっし! せっかく来たんだし、楽しもうぜ!
七原:待てって!
田中:おい! ここってイルカいるんだって! 大水槽!
七原:わかったって! ガキか、あいつは……。
速水:ここには変わり種アイスがあるらしいね。
七原:え……あー! 本当、頼むから、集団行動を覚えろよ!
二人共!
N:あまりにも地味な水族館だった。
従業員といっても、それこそ死んだ魚のように生気のない瞳をしたチケットのもぎりの女と、
いかにもアルバイトであるいったような、やる気のない地元の高校生が売店に立っているくらい。
施設内はというと、寂れた小汚い通路には、申し訳程度にライトアップされた小さな水槽がいくつか並んでいるだけだった。
速水は、アイスを食べながら、前を歩く田中と七原の背中をついて行く。
七原:……藻(も)だな。
田中:ああ……藻だ。
七原:一応……魚は居るみたいだけど。
田中:……見えないな。
速水:(アイスを食べている)……悪くないね。
田中: 何が……?
七原:どうせ『アイスが』だろ。
速水:それ以外に何があるんだよ。
……だって、藻だよ?
田中:だぁーもう! 俺が悪かったって!
メジャーどころのほうが良かったですー!
速水:グッピーの1匹も居ないとは……お前の頭の中と一緒だな。
覗いてみても面白みのない。
N:3人は連れ立って奥へと歩みを進める。
薄暗い通路を抜けた先に、青い光が満ちていた。
田中:おおー!
七原:結構デカイな!
田中:ん……? でも、何の動物も居なくないか?
七原:いや、ほら、左の奥の方に集まってるだけだよ。
田中:飯の時間とか?
N:速水は、背筋に寒気のようなものを感じて水槽に駆け寄る。
すると、大水槽の上にある従業員通路に、一人の女性が無表情で立っているのが見えた。
速水:あの女……。
七原:朔? どうした?
速水:駅前で、僕たちにここの優待券を渡してきたやつだ。
田中:あん? ……ああ。そうだな。いや、それがどうしたよ。
速水:どうしてここにいる。
僕らに優待券を渡したタイミングで、すぐにでも戻らないと、この時間にここには入れないはずだろう。
田中:だったら……そうしたんじゃないのか?
速水:だとしたら、あの女は俺たちだけを待ち伏せしていたことになる。
田中:いや、考えすぎだろ。いくらなんでもーー
N:そのときだった。大水槽の奥から、1匹の小さな海豚が3人の方へと泳いできた。
田中:お。海豚だ。
速水:ッ! 新一郎、そいつなにかおかしい……!
田中:え?
ラブ:ふひひ。
N:3人の耳に、無邪気な笑い声が聴こえた。
<回想場面終了>
・◆◇◆・
N:関東某所にあるビジネスホテルの屋上にて、田中新一郎は頭を押さえながら立ち上がった。
田中:……どういうこった、こりゃあ。
N:足元には取り落とした缶コーヒーが、中身をぶちまけながら転がっている。
苦々しげに缶を拾い上げると、田中は力任せに缶を握りつぶした。
田中:クソッ!
N:田中は携帯電話を取り出すと、1番をコールした。
◆◇◆
花宮:朔ちゃん! 大丈夫!?
速水:……あ。
N:花宮に支えられていた速水は、ゆっくりと起き上がった。
霧がかかったような思考を最大限回転させながら、時計に目をやる。
速水:……ああ。
花宮:(泣いている)らいじょーぶなの……!?(訳:大丈夫なの?)
速水:僕は、大丈夫だ……それよりも……。
花宮:……どうしたの……?
N:速水は携帯電話が震えているのに気付き、手を伸ばした。
着信相手に気づいて、少し躊躇したあと、通話ボタンを押す。
速水:……ああ。
田中:『(電話口から)お前もか、朔。
速水:そうだな。
田中:『どういうことだ! 記憶ドロボーーあいつが!
どうして今更俺たちに記憶を返す必要がある!
間
速水:……理由はそうないだろう。
田中:『なんだってんだ!
速水:七原裕介は、死にかけている。
間
田中:『んだと?
速水:もしくは、それに近いほどの敵と相対している。
ゆえに僕らの記憶を解放しないといけないほど、追い詰められているということだ。
田中:『お前……何をどこまで知ってる。
速水:そうなるように仕向けたのはーー僕だ。
田中:『おまッ……!
速水:彼の中には僕らに対する確かな友情が存在した。
もちろん、僕には記憶はなかったわけだが、だが想像はできる。
僕はそれを利用した。そしてーー彼を囮に使ったんだ。
間
田中:『わかってたんだな……。
速水:ああ。
田中:『こうなることも……!
速水:ああ。
田中:『あいつが……裕介が! お前に黙って利用されることも!
わかってたんだな! わかった上でお前は! あいつを!
速水:そうだといっている!
僕には、手段を選んでいる時間はーー
田中:『これっきりだ。
間
速水:……そうか。
田中:『ああ。これっきりだ。お前とは金輪際縁を切る。
速水探偵事務所も抜ける。契約だなんだはそっちで勝手にやってくれ。
速水:わかった。
田中:『そうだ……ダチのよしみだ。最後に一つだけいっとくぞ。
速水:なんだ?
田中:『情を捨てたな? ……テメエ、人間じゃねェよ。
N:通信が切れると、速水は力なくその場に立ち尽くした。
花宮は、そんな速水の傍で、寂しげにうつむいていた。
どれくらい経ってからだろうか、速水は携帯電話を胸にしまい瞳を閉じた。
花宮:朔ちゃん……。
速水:僕には、力場が見えない。
感じることはできない。
花宮:……うん。
速水:だが、理解することはできる。そうーー思ってきた。
N:速水は自らの前髪を乱暴に握りしめた。
花宮:言っても、いいんだよ。
速水:でも、僕にはその権利がーー
花宮:私はちゃんと、朔ちゃんの背中、見てるから。
速水:ハル……。
花宮:今だけは、嘘だってことにして。
ね? 今から言うことは、嘘だってことにするから。
……口にするんだよ。
N:速水は深く頭を垂れると、小さく呟いた。
速水:ごめん……裕介。
◆◇◆
N:七原は必死に裏路地を走り抜ける。
背後から、轟音をあげて標識が飛んでくる。
七原:クッソッ……!
N:七原は、身体を投げ出してなんとか避けるも、背中から壁に叩きつけられ、口からは苦悶の声が漏れる。
N:滑川は能力で硬質化した腕を軽く振るいながら、ゆっくりと七原に歩み寄っていく。
七原は、指を軽く動かすと、ゆっくりと瞳を閉じた。
七原:そろそろ……行けるか……?
滑川:何をーー
七原:”返す”よ。この汚えやつ。
N:七原は目を見開いた。その瞳に映る世界は深淵。
総てを見透かすような、絶対強者の瞳。
”記憶泥棒”、七原裕介の超能力が発動し、力場を伝って滑川の脳に作用する。
滑川:がああああああああああああ!!
N:滑川は脳を襲う余りの痛みに地面を転げ回った。
七原は、そんな滑川を見下ろしながら、血で濁った唾を吐き出した。
七原:ゆっくりゆっくり盗んでいたのさ。君の記憶。
それを一気に戻されて……頭も痛いだろうけど、どうだろう。
心のほうが耐えられるかどうか。
滑川:ああああああ!! 父さん……! どおざああん! やめでよおおお!
七原:助けてあげたいよ。
でも、無理だ。まさか、自分の父親まで殺しているとはね……。
君はもう、人間じゃーー
滑川:なあんて。
N:次の瞬間、七原の脇腹にナイフが突き刺さっていた。
七原:な、に。
滑川:あのぉ……。
N:滑川は、ナイフを投げた態勢からゆっくりと立ち上がる。
滑川:えっと、ですね……。僕、感じないんです。こういうの、なんにも。
心も、身体も……痛いとか、そういうの、ないんです。ごめんなさい。
七原:(痛みに耐えながら)……謝るなよ……滑川くん……。
可哀想なのは、君だ。
N:七原はナイフを引き抜くと、小さく息を吐いた。
滑川:そろそろ、死にましょうか。
七原:イカれてるな。
滑川:えっと……まあ、はい。
N:滑川は硬質化した腕を振り上げると、七原に向けて叩きつけようとした。
その時だったーー銃声が鳴り響くと、滑川の身体は地面に倒れ込んだ。
酒井:フリーズ! 警察だぁ!
なーんつって。
N:滑川を銃で打った酒井ロレインは、素早い動きで滑川の身体に数発弾丸を打ち込む。
そしてそのまま滑川の頭を踏みつけた。
酒井:まだ死んでねえだろ……ええ!?
滑川:まあ……はい。
N:滑川は酒井の足首を掴む。
反射的に酒井は滑川の顔面を蹴りつけて距離をとった。
酒井:ッ! なんだよ、オイ。
七原:彼には効かないよ……。
痛覚がないみたいでね……!
酒井:ハッ……! 冗談じゃねえんだよな。
『記憶泥棒』七原裕介。
七原:俺のことをご存知で? 光栄だな。
酒井:国家指名手配犯の悪党どもがノコノコと……私もなめられたもんだな。
N:酒井の瞳が光を失っていく。
彼女の持つ超能力が発現し、周囲に力場が形成されていく。
七原:……そっちこそ、冗談じゃないんだよな。
酒井:ああ? んだ、コラ。
七原:公安特務の警部クラスが『その程度の力場』しか持ってないってのはさ……。
N:酒井は、立ち上がる滑川から視線だけは外さず、胸元から銃のカートリッジを取り出すと、左手に握りしめた。
酒井:……黙って見てろ、犯罪者。
N:滑川は地面を踏み砕きながら酒井に肉薄した。
酒井は迷いなく銃のトリガーを引く。弾丸はまっすぐに滑川の瞳に向かっていった。
しかし、弾丸は硬質化した滑川の眼球に触れると、潰れて弾けとぶ。
滑川は勢いをそのままに腕を振るったーー
滑川:ばあああ! ……あれ?
N:しかしそこに酒井の姿はなく。
代わりに、滑川の首には手榴弾が括り付けられていた。
滑川:あばっーー
N:爆裂音、滑川は衝撃のままに路地を転がっていく。
転がった先で酒井は仁王立ちしたまま滑川に銃弾を撃ち込み続ける。
滑川:あがッ、あボッーー
酒井:あのさぁ、『力場が強いやつが勝つ』ってのは、
あんたらみたいな頭の足りない野良犬どもが、喧嘩してるときの話なわけ。
N:酒井はマガジンを装填しながら踵で滑川の頭を何度も踏みつける。
酒井:力場も弱い、固有能力も発現しない私みたいな『か弱い超能力者』がどうして警部なんてやってるのー?
N:酒井は手榴弾のピンを抜くと、しゃがみ込んで滑川の口に咥えさせた。
酒井:私にあってお前らに足りないもの……それはなぁ……。
N:酒井が距離をとると、再び爆裂音が響いた。
巻き上がる土煙の中、滑川はゆっくりと立ちあがった。
しかし、そのいでたちは異様。
すでに髪の毛や衣服は燃え尽き、全身を『ナニカ』が力場と共に蠢いている。
そして、彼の真っ黒な瞳は、まっすぐに酒井を捉えていた。
酒井:……てめえらに足りないものは『理性』だよ。
滑川:あ、はひ。ふひひぃ。
酒井:衝動に飲み込まれろ、『超能力者(パラノーマンズ)』
私が去勢してやる。
◆◇◆
N:花宮春日は、泣き虫だった。
花宮:……怖いよ。
N:自らの内にある感情のコントロールができず、幼いころからよく泣いていた。
大きな音が鳴るたび、誰かが痛い思いをするたび、自分以外みんな笑っていることに気付くたび、
静かな怒りを誰かが抱えているのを感じるたびーー花宮春日は涙を流してしまうのだった。
人はいう。それはわがままだと。自分の思う通りにいかないのが気にくわないだけなのだと。
花宮:……怖いから。
N:涙を流すことが感情を押し付けることだとしたらーーなぜ誰もそうしないのか。
真っ暗な押入れの中で、ただただそう思った花宮は、その瞬間から超能力者であった。
花宮:早く、終わらせようね。
N:群馬ディスティニープレイス跡地はさながら軍事施設というような様子だった。
森の隙間からは、高く建設された人工の壁の先に、いくつもの監視塔が見える。
そして、なぜかそこにあり続ける巨大観覧車が顔を覗かせていた。
花宮は、重厚な門を深淵のような瞳で見つめていた。
花宮:朔ちゃん。
速水:ああ。
N:速水は白いコートを翻すと、無骨な大型拳銃を眼前に構えた。
速水:作戦、開始だ。
花宮:いきます!
N:花宮は目を見開いた。
施設内に閃光が瞬くと、巨大な力場内にある総ての光が、花宮の瞳に吸い込まれていった。
花宮:眩しいなぁ……。
N:次の瞬間、花宮の姿がかき消えた。
薄暗い施設内に閃光が瞬く度、信徒たちの悲鳴が響き渡った。
速水はそれを確認すると同時に、門を蹴り上がって施設内に侵入する。
速水:遅い……!
N:甲高い警報が鳴り響く中、建物から飛び出してきた青服の信徒を拳銃で正確に撃ち抜いていく。
強化ゴム製の弾丸が、信徒たちを戦闘不能にしていった。
速水:ハル、こっちだ。
N:速水はイヤーモニターに向かってつぶやくと、花宮が速水の傍に立っていた。
花宮:朔ちゃん、大丈夫?
速水:ああ。このままB地点に入るぞ。
花宮:うん!
N:コンビは闇を駆け抜ける。
<前編>
<中編>
<終編>
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