パラノーマンズ・ブギー『フォーシャドウズ@』
『正壊』
作者:ススキドミノ



セオドア・ウィルソン:31歳。男。警察庁公安特務警部。『公安の熊』の異名で呼ばれる超能力者。女好き。

酒井 ロレイン:31歳。女。警察庁公安特務巡査長。素行が悪くて昇進できない超能力者。

酒井 ニコル:21歳。女。家出中の天才ハッカー。甘いもの中毒。

探偵ムーン:18歳。男。謎の探偵。甘いもの中毒。

ライク・ライク:年齢不詳、男。超能力者原理主義組織『ハイドラ』の幹部。マスクを被っている。

鳳 宗次:25歳。男。超能力者原理主義組織『ハイドラ』の構成員。真っ直ぐな性格で学生時代は友人も多かった。


研究員:政府研究員。ナレーションと被り役。

クイル:ニコルが開発した完全自律型情報処理AI。子供っぽいけど優秀。ナレーションと被り。

店員:ファミレスの店員。キッチンを担当したいと思ってる。ナレーションと被り。


※パラノーマンズ・ブギーEの世界から、8年前のストーリー。



※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)




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 ◆◇◆


N:正義を正義だと割り切らなければ、そこに正義はない。
  正しさとは主張するものではなく、証明するもの。
  だからこそ正義はぶつかり合う。

鳳:……時間がないぞ。早くしないと――

ライク:急かさない急かさない……焦りは毒です。
    時間は砂糖のように甘く、舌先で味合わないと――

N:死屍累々。地獄絵図。
  電気の明滅する広々とした研究室には、研究員達の死体がそこかしこに転がっていた。
  血溜まりの上に立つのは二人の男。
  一人はまだ若く、少し幼い顔をした日本人。
  もう一人――長身の男は、細い身体を黒いコートに包み、フードの下にはガスマスクをつけていた。

鳳:……ライク聞いてもいいか――

ライク:鳳。君は急げという割によく喋りますね。

N:ガスマスクの男が高速でキーボードをタイプすると、モニターに様々な情報が現れては消えていく。 

ライク:ですが、そうですねえ。
    複数のタスクの処理は、時に脳の効率を上げるものです。
    話してみなさい。

N:若い男――鳳 宗次は、周囲の死体を見渡して、顔を歪める

鳳:……殺す必要は、あったのか。

N:ガスマスクの男――ライク・ライクは、モニターから顔を外さずに鳳に意識を向ける。

ライク:人は人である限り、人は殺せない――これは定説。
    史上最も人を殺しているのは人である――これは真実。
    モラルと法の縛りがなければ、人は人を殺すものです。

鳳:モラルと、法?

ライク:裏を返せば、人間はその縛りを砕くだけの理由があれば簡単に人を殺します。
    人間とは、殺す生き物であり、殺すことをデザインされた動物なのですから。
    君が殺人に罪を感じるのは、作られた枷に引きずられているだけにすぎないのです。

N:ライクは片手を鳳の眼前に突き出す。

ライク:君には――殺す理由があった。

鳳:人を殺す理由……?

ライク:考えてみなさい。ほら、考えて。
    例えば今回の作戦はどうですか? 彼らを生かしておくと、我々の目的の邪魔になりませんでしたか?
    そして彼らは我々にとってどんな相手でしょうか?
    わからないのなら、少しヒントをあげましょう。

N:鳳の隣のモニターが光ると、そこにはいくつかの動画ファイルが表示されていた。

鳳:これは……なんの動画だ。

N:鳳がファイルを開く。そこには、カメラで取られた研究の映像が映されていた。

鳳:超常空間力場――P値検知テスト……?

研究員『(動画内の音声)――回目のテストに入る。
    今回の被験者は、13歳、中国人、性別は女。
    能力に目醒めたのは半年前。能力タイプは”超人(スーパー)”にカテゴライズされている。

鳳:被験者……ここに映っている少女は、超能力者なのか……?

ライク:イエス。我々と同じ、超能力者です。

鳳:彼女に一体何を――

研究員:『これより超常空間力場の測定を行う。
     今回は前回よりもより強い刺激を継続的に与え、力場が感情によってどのように変化していくのかを――

鳳:おい……! 彼らは何をするつもりだ!

ライク:高圧の電流を少女の身体に流し続ける。
    実に原始的で、安易な実験ですよ。

鳳:そんな……! こんな小さな女の子に……!?

ライク:ですが、彼らからすれば当然の権利、ということなのでしょう。
    記録によると、彼女の身体は正式に検体として提供されたようですから。

鳳:正式に提供……?

ライク:それを行っているのは――この国の政府。

N:鳳は驚愕に目を見開く。
  ライクはなんでもないと言ったふうに続ける。

ライク:正確には政府の一部に入り込んでいる――”第三の目(サザンアイズ)”と呼ばれる世界機関です。
    この研究所は末端でしょうが、繋がりがあるのには違いは無い。

研究員:『出力を上げてストレスを与える。

鳳:おい、まさか本当に――

研究員:『測定開始。

鳳:あ――

N:画面の中。がんじがらめに縛られた少女が悲鳴をあげながら身体を痙攣させる。
  通常の人間ならば死は避けられないほどの電圧が、少女に襲いかかると、数秒の悲鳴の後、少女の瞳が漆黒に染まった。
  それは、超能力者が能力を使用したサインだった。

鳳:ふざけるな……!

N:その映像を見つめる鳳の瞳もまた、漆黒を宿していた。
  鳳が拳を握りしめると、映像を映していたモニターが奇妙な音をたてる。

鳳:ふざけるなあああ!

N:鳳の怒号に呼応するように、モニターは突如として炎に包まれた。
  鳳の超能力――『発火能力(パイロキネシス)』によって、モニターは超高温の炎に包まれ、一瞬にして黒い塊へと姿を変えた。

ライク:気分は、どうですか?

鳳:……最低だ。

ライク:では、罪悪感は、どうですか。

 間

鳳:……そう簡単に割り切れることじゃない。

ライク:ああそうだ。言い忘れていました。
    人は人を殺せない、というのはモラルと法に縛られているからと言いましたね。

N:ライクは鳳に向き直って、両腕を広げた。

ライク:人は、『人以外は』殺します。
    人は、この世界の森羅万象生きとし生けるものを須らくその知能を持ってして殺し続けてきました。
    これなんですよ。鳳。人の本質とは、これです。
    彼らはあの少女を傷つけることにも……ひいては殺すことにさえも縛られない。
    何故なら――

N:ライクは燃え尽きたモニターを指差して言う。

ライク:彼らは、超能力者を人間だとは思っていないからです。

N:鳳は、唇を噛み締めた。
  何度も自問自答したはずだった。
  しかし、自分はここに立つことを決めて尚、迷っていたのだと悟ったのだ。

鳳:……俺は、超能力者になってから、俺達がどう扱われているのかを知った。

ライク:ええ。

鳳:だから俺は! あんた達に協力することにしたんだ……!
  あんた達は、『超能力者が正当に生きられる世界を作る』そういったよな!

ライク:イエス。それこそが我々の目的です。

鳳:わかったよ……。わかった。その道が険しいということも。
  今までの俺の認識を変えなくてはいけないということも……!

ライク:だからこそ。新入りのあなたが今回の任務に選ばれたのでしょう。
    鳳の能力は戦闘に特化しています。
    我々にとっては大きな力になると確信していました。
    ですが、鳳には大きく足りていないところがあったのですよ。

鳳:足りない、ところ?

ライク:覚悟です。鳳。
    正義とは。正しさとは。ぶつかり合うものです。
    そしていつも結論は変わりません――勝ったものが正しいのです。
    誰かには誰かの正義がある。それらはきっと正しい。
    ですが、それを踏みにじり、壊し、喰らい、燃やし尽くしてはじめて――
    それが正義です。

 間

鳳:……わかった。俺は……証明する。

ライク:期待していますよ。鳳。

N:ライクは指を鳴らした。
  巨大なモニターに一人の少女の姿が映し出される。

鳳:この女の子は?

ライク:次の検体として、こちらに提供される予定だった少女ですよ。

鳳:本当に……物としか見ていないんだな。

ライク:ですが、間に合った。

N:ライクと鳳は、モニターに映る少女を見つめた。
  赤い髪と幼さの残る整った顔が映る写真の横に、『ニコル・サカイ』と書いてあった。

ライク:迎えに行きますよ。鳳。

鳳:……ああ。必ず、守ってみせるさ。

ライク:では、挨拶を。

N:ライクが手を叩くと、少女の情報がデリートされていく。
  そして画面には、書きなぐったかのような赤い文字だけが表示されていた。

ライク:我々『ハイドラ』が、変えてみせましょう。
    二度と我々を、『パラノーマンズ』などとは呼ばせません。

N:二人は研究室を後にする。
  直後、血溜まりに沈む地面から炎が立ち上った。
  赤い炎に飲まれていく室内で、画面に映る『ハイドラ』の文字だけが怪しげに揺れていた。


 ◆


N:曰くそこは――警察署内に存在だけは周知されているものの、どこに本部が有り、誰が所属しているのかはわからない。
  曰くそこは――超自然的事象を取り締まるために存在する。
  曰くそこは――どんな豪傑でも恐れるほどの、怪物達が集まっている。
  そんな噂だけが聞こえてくる幻の特務課――それが、公安特務超課である。
  一般の公安組織とは異なり、配属された時点で警察官ひとりひとりが特殊な権限を有し、他の課にその権利を侵されることはない。
  秘密裏に制定された非公開の法によって活動する彼らは、管理者以外はすべての人間が”超能力者”で構成されている。

酒井:(目を開ける)ん……。

N:そんな公安特務所属の超能力者であり、巡査部長の任につく女性――酒井ロレインはゆっくりと目を覚ました。
  ソファにうつ伏せで寝転がったまま、通話の呼び出し音の出どころを探す。
  置きっぱなしの空き缶と、吸い殻の積み上がった灰皿を避けながら、携帯端末に手を伸ばす。

酒井:ったく……うるせえなぁ……。
   こっちは二日酔いだってのに――

N:端末のボタンを押すと、数十件にも及ぶ通知がモニターに点滅していた。

酒井:うげ。何だよ、何があった……?

N:ロレインは緩慢な動きで起き上がるとモニターをスクロールしていく。
  下着姿で髪はボサボサといった体たらくではあったが、情報に目を通すうち、真剣な表情になっていく。

酒井:……三鷹市の研究施設への襲撃。建物は全焼。職員五二名が死亡。犯人は超能力者の恐れアリ……。

N:ロレインは床に散らばったパンツとシャツを掴んだ。

酒井:だー、クソダリィ……! あのカスに先越されてる……よなぁ……。

N:その時、ロレインの脳裏には一人の男の顔が浮かんでいた。


 ◇


セオドア:重役出勤だな、ローラ。

酒井:……うぜえ……。

N:ロレインを出迎えたのは、まさにロレインが想像した男だった。
  ブロンドの髪とくたびれたような目元、引き締まった身体と伸びた背筋。
  セオドア・ウィルソン警部――ロレインと同じく公安特務の所属であり彼女の上司であった。

酒井:ローラって呼ぶんじゃねえ……! 何回言えばわかるんだゴミカス。

セオドア:なんだその顔……まさか、呑んでたのか?

酒井:6時間前だっての、うるせえな。

セオドア:下品なのは口だけにしとけよ。その潰れかけのタイヤみたいにむくんだ顔はなんだ。

酒井:人のこといえた面(ツラ)してると思ってんのか?
   それにな……お行儀のいいテディベア君とは違って、大人には色々あんだよ。

セオドア:お前が俺のことをテディと呼ぶのを辞めない限り、俺からの宛名はトゥ・ローラだ。
     ……仕事だ。切り替えろ。

N:セオドアは真剣な表情で促す。
  そこは燃え崩れ落ちた廃墟。既に大きな瓦礫はどかされてはいるが、周囲には警察や消防、救急の隊員達が忙しなく働いている。
  二人はまだダメージの少ない建物裏の階段を見下ろしていた。

セオドア:火元は奥の研究オフィスとみられている。

酒井:放火か?

セオドア:研究員やスタッフ、その場に居た全員が殺されてる。
     その上で火がつけられたってことだ。

酒井:死体の多くは刺殺体だったんだろ?
   殺してから証拠隠滅のために火を放つ……よくあるチンピラ共の手口じゃねえか。
   うちが出張る必要がどこにあんだ。

セオドア:発火現場に、力場の残留があったと報告があった。

酒井:あん? あの『力場検知装置』とかいうやつか……?
   あんなもんが証拠になんのかよ。

セオドア:被害者の数からして、不自然な点も多い。
     それに、ただの犯罪組織で片付けるには計画的で、規模がデカすぎる。
     内部の損傷がかなりひどいせいで消防からは止められてるが――まぁ、俺達なら問題ないしな。
     崩れる前に調査だけ終わらせるぞ。
     防護マスクを忘れるなよ。

N:マスクをつけた二人は、今にも崩れ落ちそうな研究所内を歩いていく。
  時折、黒ずんだ瓦礫に混じって人間の遺体などが目に入り、ロレインは不快そうに眉をひそめた。

酒井:で、何なんだ。

セオドア:質問は具体的に。

酒井:……ここは、何の研究施設だったんだ。

セオドア:政府所有の研究施設だと。

酒井:で、本当のところは?

セオドア:俺もそれ以上知らされちゃいない。

酒井:どうせ禄でもねえことだろうな……。

セオドア:碌でもないこと以外で、俺たちが呼ばれたことあったか?

酒井:……ここにある遺体はどうなる。

セオドア:一度建物を崩してから掘り出すことになるだろうな。
     何日もかけて。

酒井:(舌打ち)そうかよ……。

セオドア:ああ……俺も認める。ここは、本当に碌でもない現場だ。

N:二人は奥へと歩みを進める。
  幾つかのドアをくぐり抜けると、溶け落ちた看板が地面に転がっていた。

酒井:……こいつは……。

セオドア:まるで悪魔の胃袋だな……こりゃあ……。

N:オフィスの中は漆黒に包まれていた。
  床も、天井も、そしてぞこにあった筈のありとあらゆるものが黒く燃やし尽くされている。

セオドア;火元で間違いなさそうだ。

酒井:火元つーより、超能力者が居たってことだろうよ。

セオドア:力場の影響を感じる。
     『発火能力(パイロキネシス)』だな。それも……とんでもない強度だ。

酒井:力場の匂いが濃いのは奥の大型モニター前……こんだけ離れた距離から、一室まるごと炭化させる――か。

セオドア:時間がない。悠長に現場検証なんてしている時間はなさそうだ。
     拾える情報だけ拾いたいが……。

酒井:……動機は?

セオドア:組織的な犯行であれば、何らかの記録だろう。

酒井:カモフラージュのために能力は使わず全員刺し殺した……。
   周到だぜ。

N:二人は素早くオフィスの奥に駆け寄る――幾つもの人間の骨を踏みしめながら。

酒井:(舌打ち)……反吐が出るな。

セオドア:……聞こえたか。

酒井:骨を踏みしめる音ならきこえてる。

セオドア:そうじゃない。建物自体が軋み始めてる。

N:セオドアが周囲に視線を走らせる。
  オフィス全体が微かに震えており、天井の端が崩れ始める。

セオドア:ローラ。

酒井:ああ、わかってる。

N:セオドアは腕を広げると、宙を見つめた。
  その瞳が光を失っていく。
  深淵のような漆黒の瞳こそ、超能力者が能力を使う合図――超常空間力場を感知し、制御する、超能力者の瞳だった。

セオドア:俺が抑えてる間に、引きずり出せ。

酒井:指図すんな……!

N:セオドアが能力を発動すると、強靭に固められた力場に押し上げられ、建物の崩壊が抑え込まれていく。
  ロレインもまた、能力を発動する。
  力場によって強化された身体は、通常ではあり得ないほどの膂力(りょりょく)を発揮する。
  ロレインは腕を振り上げると、黒く焦げたコンピューターの中に腕を付きこんだ。

セオドア:おいおいローラ……!

酒井:うっせえ……! こんな丸焦げ状態じゃ、普通に情報引き出せるわけねえだろ。

セオドア:だからってメモリー引きずり出せとは言ってねえんだけどなぁ俺は……! 脳筋すぎんだよお前は……!

酒井:黙ってろ! 手元が狂う!
   ……このタイプのコンピューターなら大体この辺に――

N:ロレインが腕を引き抜くと、その手にはメインコンピューターのメモリーボックスが握られていた。

酒井:うっし、正解。

セオドア:ったく……言っとくが、後でデータが読めなかったら俺は暴れるぞ……!

酒井:ごちゃごちゃうるせえな……! 女々しいんだよ、テディベア!

N:瞬間――黒焦げのモニターに砂嵐が奔る。

酒井:なんだ……モニターなんて完全に――

セオドア:……注意しろ。

N:モニターに焼け付くように広がり、表示された文字は――

酒井:ッ! ……ハイドラだと……?

セオドア:ハイドラ……聞いたことあるな。
     超能力者原理主義のテロ組織、だったか。
 
酒井:……新人の頃、若い能力者候補の監視任務で、こいつらとぶつかった。

セオドア:その時の狙いは。

酒井:その能力者候補だ。
   実際、やつらの狙い通り監視対象は能力者として覚醒し、ハイドラの構成員はそいつを手に入れようとした。

セオドア:それで?

酒井:その第二世代が衝動を起こして、ハイドラの構成員を殺した。

セオドア:それはそれは……なんつーか、胸糞の悪い話だな。

酒井:名前くらいは知ってんじゃねえのか?
   今は九州で研修してる岩政悟(いわまささとる)巡査が、その時に保護した能力者だよ。

セオドア:残念。俺、男の名前は覚えらんないんだ。

酒井:いい加減その碌でもない脳みそ、俺が撃ち抜いてやろうか?

セオドア:……ローラが他人の名前を覚えろとはな。
     そんなに優秀なのか、そいつは。

酒井:……は?

セオドア:もしくは……自分が間に合わなかったせいで、その第二世代がハイドラの構成員を殺すことになったことに、責任を感じているとか。

酒井:……随分詳しく知ってんじゃねえか。

セオドア:お前と違ってチームの報告書は読むようにしてるんだよ。
     それにお前、あの時はしばらく落ち込んでたしな。

酒井:落ち込んでねえよ……! ぶん殴るぞ!
   別に、そういうんじゃねえ。そのうちお前の部下になるかもしれねえだろって話だ。

セオドア:いい加減真面目にやって出世しろよ。
     そんでお前の部下にすりゃいい。

酒井:つーか……んな話どうでもいいんだよ……!
   ハイドラが関わってるってことは、のんびりしちゃいられねえぞ。

セオドア:ああ。わざわざ能力使ってまで名前を残してるってことは、相当こっちのことをナメてくれてるか――もしくは表立って動く必要があるからだ。

酒井:後者だろうな。狙いはこのメモリーを探れば見えてくるかもしれねえ。

N:セオドアは片腕を上げると、指を鉄砲の形に構える。

セオドア:事情が事情だ。すぐに出るぞ。

酒井:は? お、おい、まさか――

セオドア:ちびるなよ。ローラ。

N:セオドアは能力を発動すると、指先に力場を集中させる。
  強靭に固められ、放たれた力場は、周辺の瓦礫を吹き飛ばし、地上に向かって大きな通路を穿った。

酒井:相変わらず出鱈目だな……!
   つーかお前、これが人のこと脳筋っていえた口かよ!?

セオドア:はいはい。俺がイケてるって話はベッドでしてくれりゃいい――

酒井:しね……!

N:セオドアはロレインの回し蹴りを片手で受け止めると、崩れ始めた通路を指差す。

セオドア:レディファースト。

酒井:マジでいつか顔面ぶっ潰すからな……!

セオドア:そのメモリー、すぐに中身を取り出すぞ。
     ……俺の予想が正しければ、しばらく酒はお預けだ。


 ◆


N:都内でも有数の高層オフィス街に中心に、公園があった。
  周囲を巨大なビルに取り囲まれた憩いの場では、スーツを着た会社員が昼休みを過ごしている。
  パーカーを目深に被った女性が、公園にベンチに座った。
  フードの隙間からは鮮やかな金色の髪が覗いており、形の良い唇からはキャンディの棒がちらちらと揺れている。

ニコル:それでぇ……のんびりしてていんですかぁ?

N:女性はキャンディを舐めながら言う。
  彼女の隣のベンチには、スーツ姿の男がじっと黙ったまま座っていた。

ニコル:このデータ、確かにいつでも相手の会社に打撃は与えられるだろうけど……即効性が高いんですよねぇ。
    すぐにでも使いたいはず、でしょう?

 間

ニコル:まぁ、いいんですけどねぇ。私としては、貴方がどうなろうと。
    実際、ハッキングの過程で知ってしまっていますからぁ。
    株主総会で上手いこと主題を反らして生き長らえたけれど、三件の工場がボイコットにより生産作業が止まっていますよね。
    新主軸派を抑えて、従来のやり方を突き通した結果、振興ライバル企業にシェアを奪われかけている。
    このまま下半期に入れば、完全に業界からの撤退を余儀なくされ、旧体制派はまとめてクビを飛ばされる。

N:男は、両手でゆっくりと顔を覆った。

ニコル:私は言ったはずですよぉ。別に私に支払う報酬は、個人資産からでも構わないって。
    法外の値段ってこともないでしょうし、資金の流れはこちらで処理しますから。
    ……さぁ、どうしますか? 旧体制派の役員さん。

N:男は携帯デバイスを取り出すと、いくつかの操作をする。
  次の瞬間、女性のデバイスが音を立てる。
  女性はデバイスの画面を見つめると、キャンディを噛み砕いた。

ニコル:コーショーセーリツ。
    入金の確認が出来たので、貴方が持ってるブラックサーバーに暗号化された情報をアップロードしておきました。
    機密性は保証しますので、後はお好きに使ってください。
    ……ああそうだ。私との連絡は今後一切できなくなります。アフターケアはなしってやつで。

N:女性はフードを上げて、横目で男を睨みつける。

ニコル:もし、私を消そうとしたら――すべての情報が明るみに出ますよ。
    会社だけではなく、貴方や親族……友人に至るまですべてを破壊しつくしてやりますから、そのつもりで。
    魔女と契約するってことは、そういうことですからね。

N:男はベンチを立ち上がると、足早にベンチを後にする。
  女性はベンチに座り直すと、青く広い空を眺めた。
  ポケットの中から個包装のチョコレートを取り出し、口に放り込む。
  しばらくして、携帯デバイスから通知音が鳴った。
  女性は空を見つめたまま呟く。

ニコル:……クイル。

N:イヤーモニターが、女性の声に反応する。

ニコル:通信、誰からぁ?

クイル:んーとねぇ、ロレインだよ。

ニコル:……は? それ、マジ?

クイル:クイルは嘘つかないぜぇ。

ニコル:……わかった、繋いで。

クイル:オーケー!

 間

ニコル:……もしもし。

酒井:『あー……もしもし。ニコル?

ニコル:……何なの。姉さん。

N:女性――酒井ニコルは、姉である酒井ロレインに不機嫌そうに返した。

酒井:『いや、その……何ていうかな……。

 間

酒井:『げ、元気か……?

ニコル:……もう切るよ。

酒井:『あー! ダメだ、ダメ……!
    なんつーか……今、どこにいる?

ニコル:別に、言う必要ないと思うけど。

酒井:『いや……だから、なんだ……。
    今日! メシでも食べにいかないか、っていうか……行くぞ。

N:ニコルは不機嫌そうにため息をつく。

ニコル:(ため息)何なの……? 姉さん、自分のことしか興味ないでしょう。
    これまでさんざんこっちのこと無視してきたくせに、今更なんなの。

酒井:『そ、それは、そんなことねえよ……。

ニコル:もしかして、仕事関係だったりする?

酒井:『はぁ!? べべべべ別に! そ、そんなことないぞ! 絶対!

 間

ニコル:じゃあ、切るね。

酒井:『あ、いや! 実はだな――

ニコル:番号、変えるから。もう掛けて来ないで。

N:ニコルは通信を切ると、立ち上がる。

ニコル:クイル。番号、変更しておいて。

クイル:了解ー。でもいいの?

ニコル:何がぁ?

クイル:また警察に保管されてるIDから番号を突き止められちゃうかもー。

ニコル:そのときはそのとき。
    ……誰も、私を捕まえることなんてできないんだから。

クイル:ニコルは『電脳の魔女(メーティス)』だもんねぇ。

ニコル:……そう、誰も私を見つけられ――

ムーン:なるほど。

ニコル:……え?

N:ニコルが声の方に視線を落とす。
  ニコルが座っていたベンチの隣に、黒いコートを着た少年が座っていた。
  少年はまっすぐにニコルの顔を見つめている。
  すべてを見透かすような瞳を見つめ返し、ニコルは背筋に悪寒を覚える。

ムーン:完全自律型、情報処理AI。
    そんなものを使っているというなら、足がつかないのも納得がいく。

ニコル:……子供?

ムーン:別に、君とそう歳は変わらないよ。
    ――酒井ニコル。

ニコル:ッ!

N:ニコルは反射的に少年から距離を置く。
  しかし少年は気にした様子もなく悠々と立ち上がり、ニコルに歩み寄る。

ムーン:それとも、こういった方がいいかな。
    正体不明の凄腕のハッカー……『電脳の魔女(メーティス)』

ニコル:君……何者……!

ムーン:僕? 僕は――探偵だよ。

N:少年は微笑みを浮かべて言った


 ◆


N:警視庁公安特務、特別会議室。
  ロレインは上半身を投げ出す形で机に突っ伏していた。
  向かいの席では、セオドアが資料を手に足を組んでいる。

セオドア:ほんっと……お前って脳筋だよな。

酒井:……うるせえ……。

セオドア:久しぶりに連絡した妹に呆れて電話切られるって……。
     流石に俺もなんも言えないわ。

酒井:……なんも言うな……。

セオドア:とはいっても……お前の妹が候補に入ってるもんは、そうもいかねえんだよな……。

N:セオドアは壁のモニターに資料を表示する。

セオドア:現場から抜き出されていた情報には、野良超能力者の情報が含まれていた。
     こちらのデータベースと照らし合わせた中に、お前の妹も混ざってるのは事実だ。

酒井:妹は……ニコルは能力者じゃねえよ。

セオドア:だが、超能力者になる可能性があると、学生時代のプロファイリングには記されている。

酒井:……ニコルは私とは違って、小さい頃から普通じゃなかった。
   勉強から何から、あいつにとっては息をするくらいの感覚だったんだ。
   特に、工学に関しては誰一人理解できないことをあっさりとやってのけた。

セオドア:つまり、人として優れているだけで、超能力者ではないと。

酒井:ああ。そうだ。

セオドア:……残念だが、姉であるお前が超能力者である以上、彼女にはそういった目はつきまとうぞ。

酒井:……わかってる。

N:ロレインは自分の腕に顎を乗せながら呟いた。

酒井:だから……あいつは自由にさせてやりたかったんだ。

N:セオドアは優しげな笑みを浮かべて酒井を見つめる。

セオドア:……本当。不器用だな、お前。

酒井:うるせえ……。

セオドア:『公的機関に妹を監視させない』、か。だが……今はそれが裏目に出てる。
     今まで好き勝手やらせちまった分、お前の妹は自由に逃げ回れるだけの環境を整えちまってるわけで……。
     しっかし……ここまで所在がつかめないもんかねぇ。優秀すぎる監視対象ってのは骨が折れるぜ。

酒井:……逆探知は?

セオドア:はぁ? 出来ると思うか? あれだけ早く電話が切られてよ。

酒井:うぐ……!

N:セオドアは資料を置いて立ち上がる。

セオドア:こうなると、足で見つけるしか無さそうだな。

酒井:……ハイドラは、また超能力者になりたての人間を探してやがる。
   こちらが保護する前に、自分たちの方に引き込むのが狙いだ。
   目覚めたての能力者は強い感情を持っている。
   人間への悪感情を仕込むには、もってこいだろうからな……。

セオドア:仮にローラの妹が超能力者じゃなかったとしても、やつらは強引に超能力者を目覚めさせた過去がある。
     酒井ニコルを探すのが先決だ。

酒井:……ニコルは超能力者じゃねえって言ってんだろ。
   他の候補に当たったほうがいい。

セオドア:お前なぁ……自分が会うのが気まずいだけだろ、それ。

酒井:ちげえよ!

セオドア:じゃあ、妹がハイドラに奪われてもいいのか?

酒井:良いわけ――

セオドア:そもそも他の候補者には、既に提携会社が当たってんだ。
     俺らが動く必要はない。

酒井:……提携会社?

セオドア:お前も以前に資料をもらったろ。
     目覚めたばかりの超能力者を保護し、それぞれの会社で超能力者を一般社会に溶け込ませる事業計画だ。
     不適格な能力者は政府へ引き渡すまで面倒を見てるし、人手が必要な場合、こちらに人材を回してくれることもある――まあ、外の便利屋ってやつだ。
     こと能力者の保護に関しては、こっちより専門性が高い。

N:一般に超能力者の処遇は政府によって決められる。
  ロレインやセオドアといった公安に所属する超能力者は、条件と引き換えにその身柄を政府によって管理されている。
  しかし年々増加傾向にある超能力者の新しい管理法として導入されているのが、外部企業にて超能力者を雇うというシステムだった。
  超能力者を自発的かつ、人間的に管理する方法として、人格的に問題のない超能力者に関しては、それぞれの場所である程度自由に生活を保証している。

酒井:あんなもん信用できんのかよ。
   能力者を外で飼うなんぞ、危険極まりないだろうが。

セオドア:手放しで信用できるほど俺は人を信じちゃいないが……
     何しろ、そっちのトップがあの人だ。

酒井:……あの人って誰だよ。

セオドア:速見賢一(はやみけんいち)。

N:ロレインはその名前を聞いた瞬間、脳裏にある男の顔が思い浮かぶ。
  そして、その男が考えたことならば――と、一瞬にして納得してしまうのだった。

酒井:……そうか。ならいい。

セオドア:うし。とっとと行くぞ。ダメ姉貴。

酒井:次言ったら殺す。

セオドア:図星つかれたからってキレんな。
     ……妹を守れんのは、ローラだけなんだろ。
     だったら、やれることをやれ。

酒井:ああ……言われなくてもわかってる。

N:ロレインは机の端に置かれたコーヒーを一気に飲み干すと、腰を上げた。


 ◆


N:高層ビルの屋上に、彼らは立っていた。
  超能力者原理主義組織『ハイドラ』の構成員二人は、吹き付ける風を意にも介することなく眼科の街を見下ろしている。

鳳:反応は?

ライク:ええ。この半径400メートルに固まっています。

鳳:始めてだな……。

ライク:何が、ですか? 鳳。

鳳:いや……ライクがここまで居場所を特定できない相手というのは、始めて見る。

ライク:お恥ずかしい話ですが、この酒井ニコルという女性はかなりのやり手でしてね。
    私の蜘蛛をすり抜けていくのですよ。
    こう――スルスルと。

鳳:信じられないな……それも彼女の能力なのか?

ライク:いいえ。我々の扱う『超常空間力場(ちょうじょうくうかんりきば)』は、世界における法則を歪めはしますが、それはあくまでも力場の範囲内のこと。
    通信プロトコルそのものにアクセスすることは出来ません。
    つまり、これは私と彼女の純然たる情報処理能力のぶつかり合い。
    追うものと追われるものでは、追う方が圧倒的有利であるのは自明の理――であるからして、彼女は私よりも遥かに優れた情報処理能力を有していることは疑いようもありません。

鳳:ライクよりも優れている……。

N:鳳は眼科の街並みを見下ろして拳を握りしめる。

鳳:そんな優秀な人でも、利用される……。超能力者である以上、人間としては認められない。

ライク:はい。全くもってふざけた話です。

鳳:もし、彼女が協力してくれたら……もっとたくさんの超能力者を救うことができるってことだよな。

ライク:それは、あなた次第ですよ。鳳。

鳳:俺次第……?

ライク:ええ。今回、彼女を説得する役は貴方に任せます。

鳳:俺が? どうしてだ?

ライク:どうして、とは?

鳳:俺は戦闘要員で、ライクは参謀だろう。ライクは俺にだって組織のことを教えてくれた。
  もし彼女を説得するのなら、ライクのほうが適切なんじゃないのか。

ライク:確かに、貴方を迎えるに当たっては私が適任でした。
    その事実だけを見れば、私が彼女の説得に当たるのが合理的です。
    ですが――ケースというものは常に変化し続けます。

N:ライクは屋上のギリギリまで立つと、両手を広げて振り向いた。

ライク:彼女は現状、いくつもの組織に身柄を狙われています。
    その事実は彼女の心に負荷をかけることになるでしょう。
    人は余裕が無くなると周囲に対して不信感を抱くものです。

鳳:不信感……それを俺なら取り払えるということか。

ライク:イエス。その通りです鳳。
    あなたは先日能力に目覚めたばかり。彼女にとっては今の自分のと近しい境遇だと言えます。
    何より、貴女が私よりも彼女の説得に向いている最大の理由は――純粋であることです。

鳳:俺が、純粋?

ライク:人間とは一見、合理性を求めているようで、極めて感情的な生き物です。
    最終局面においては頭で理屈を理解することなどは、あり得ない。
    結局のところ人間を動かすのは、感情でしかないのです。

鳳:それは……俺達が一番知っていることだよ。ライク。

ライク:と、いうと?

鳳:超能力者のもつ『衝動』こそ、本当の人間性なんだ。

N:鳳はライクの隣に立ち、街を見下ろす。

鳳:俺達は……この景色のどこを歩いている人間よりも、人間なんだよ。

ライク:詩人ですね。鳳。
    嫌いじゃありませんよ。そういう考え方は。

鳳:……俺が彼女を説得する。
  彼女が本当の自分として生きられるように。

ライク:ええ。出来ると信じていますよ。心から。

N:ハイドラの両目が、赤い瞳で街を見下ろしていた。


 ◆


N:喫茶店の店内。
  憮然とした表情のニコルの正面に、表情の変わらない少年が座っていた。

ニコル:……で、話ってなんですかぁ? 少年探偵君。

ムーン:歳はそう変わらないと言ったろ。

ニコル:どうして私の名前を知ってるんです。

ムーン:調べた。

ニコル:不可能。私の情報を手に入れることなんて出来るはずありません。

ムーン:では、どうして僕は知っている?

ニコル:それを聞いてるんですよぉ。どういう裏技を使ったんですかぁ?
    それとも……どこかの組織の差し金? 例えば――警察とか。

ムーン:その程度の話術で僕がボロを出すと思っているのか?
    電脳世界では凄腕でも、現実でのコミュニケーション能力は足りていないようだ。

ニコル:……めちゃめちゃムカつくんですけど……!
    なんなの君はぁ……!

店員:お客様。ご注文はお決まりでしょうか?

ニコル:あ、はい! すみません……えっと――

ムーン:季節の果実パフェ。飲み物は温かい紅茶、ミルクと砂糖付きで。

店員:はい。季節の果実パフェ。お飲み物が紅茶のホットで。

ニコル:え。あ。えっと……。
    じゃあ……同じでぇ。

店員:はい。かしこまりました。お飲み物、先にお持ちしますか?

ムーン:パフェと一緒に持ってきてもらって構わない。

ニコル:……同じくで。

店員:かしこまりました。ただいまお持ちいたしますので、ごゆっくりお過ごしください。

 間

ムーン:……なんだ。人の顔をじろじろと。

ニコル:……いや。なんか趣味が一緒で驚いただけですけど……。

N:ニコルは背筋を正すと、じっと少年の顔を見つめる。

ニコル:確かに私は喋るのは苦手だから、はっきり聞くことにします。
    貴方の名前は? 貴方の目的は? 私をどうする気ですか?

ムーン:確かに、その方が話が早い。
    ただ――君の話術もそう捨てたものでもない。
    こうして素直に聞いている傍ら、机の下のデバイスで僕のことを調べているね。
    いい時間の使い方だ。

ニコル:……ええ。隠しても無駄みたいですね。
    でも、どうして貴方の情報が引っかからないんですか?

ムーン:僕が探偵だから。

ニコル:それはもういいですって……。

ムーン:僕のことは……そうだな。
    ムーンとでも呼ぶといい。

ニコル:は? なんですかそれ……ハンドルネームにしてはセンス無さすぎ……。

N:ニコルはつまらなそうに水の入ったグラスを弄ぶ。

ニコル:というか……君みたいな若い人間でも、働いているってわけですか。

ムーン:あんたとそう変わらないと思うが。

ニコル:そうじゃなくてぇ……君って、超能力者なんですよね。

 間

ムーン:いいや。僕は超能力者じゃない。

ニコル:でも、超能力者の存在は知っている。

ムーン:ようやく脳みそが回ってきたか。
    続けて、推理してみせるといい。

ニコル:わーお……本当生意気だぁ……!

 <ニコルは顎に手を当てながら考える>

ニコル:私達に共通するキーワードは超能力者……。

ムーン:……先程、僕が君に話しかける前。
    君が電話で連絡を取ってきた人物は誰だ?

ニコル:それは――

ムーン:僕も誰だかわかっているわけではない。
    もちろん、予想はついているが……確定ではないし、僕は個人的に動いているだけだ。
    どこかの組織と繋がりがあるというわけではないしね。

ニコル:それを信じろって……?

ムーン:信じろとは言っていない。
    ただ……僕は探偵だ。
    情報の取捨選択はするが、言葉を駆け引きに使うのは好みじゃない。

店員:お待たせいたしました。季節のパフェになります。

ムーン:どうも。

 間

ムーン:(パフェを食べながら)……どうした。食べないのか。

ニコル:……食べますよぉ。

N:二人は黙々とパフェを口に運ぶ。
  ニコルは、無表情でパフェを食べる少年を見て、少しだけ肩の力を抜いた。

ニコル:……甘いもの、好きなんですね。

ムーン:……見ればわかることだろ。

ニコル:あれー? さっきまではあんなに堂々としてたのに、パーソナルなことは触れられたくないとかぁ?

ムーン:うるさい……。
    ……それで、考えてるのか。

ニコル:……私の姉は、超能力者なんです。
    そして、その力を生かして警察で働いている。
    今まで姉からは連絡なんて来なかったのに、さっきは急にご飯に行こうなんて連絡が来て……そしてあなたが現れた。
    多分だけど、私は狙われてるんでしょう。超能力者に。

ムーン:……何故、警察の世話にならない。

ニコル:……それは……。

ムーン:パーソナルなことには触れられたくない、か?

ニコル:……あなたは、誰かが自分を狙ってるって状況になったことは?

ムーン:……僕は探偵だからね、いつだって探す側だ。

ニコル:そう……。まあ、そっか。こんな訳の分からない状況に生身で飛び込むんですもんねぇ。
    あなた、強いんだ。

ムーン:強いかどうかは関係ない。

ニコル:関係ありますよぉ。強ければ、逃げなくたっていい。でしょ?

N:ニコルは紅茶を飲んで、悲しげに笑う。

ニコル:私には……力なんてないですもん。選択肢なんて『逃げる』しかない。
    その力だって大したことはないんですけどねぇ。
    ほら……君みたいなよくわからない子にも見つかっちゃったし。

ムーン:……人間ひとりが持つ力なんて、そう大したものじゃない。

ニコル:ふぅん……。超能力者を知ってるのに、そんな事言えるんですね。

ムーン:超能力なんてただの呼称の問題だ。

ニコル:口でならなんとでもいえますよぉ! 実際に彼らの力を見たら、そんなこと――

ムーン:同じさ。

N:少年は鋭い眼でニコルを見つめていた。

ムーン:君の姉も、そうじゃないのか?

ニコル:……え?

ムーン:超能力に目覚めて、別人になったと思うか?

ニコル:そ、そうじゃないけど……でも……昔と同じじゃないです。
    変わった……私達の関係も……それに、生活だって……。

ムーン:それは超能力のせいじゃないだろう。

ニコル:偉そうに……! 君が何を知ってるっていうんですか……!

ムーン:環境が変わるのは生きていれば、当たり前のことだ。
    大きな力は大きな変化を産むが、それはあくまで原因でしかない。

ニコル:だからそれは――

ムーン:もう一度言うぞ。ひとりの人間の持つ力なんて、大したことはない。
    だから、ひとりで戦っても、負ける。

 間

ニコル:……私には、一緒に戦ってくれる人なんていないですから。

ムーン:姉は頼りたくない、か。

ニコル:そういうわけじゃ、ない、けど……。

N:少年は何かを考える素振りをした後、財布から5千円を取り出し、机に置く。

ムーン:あー、こんな時間だ……!

ニコル:……は?

ムーン:ごめんね、ニコルさん。
    僕、この後用事があって……。

ニコル:え、え?

ムーン:これ。この間のデートの時は払ってもらっちゃったから……。
    今回は、僕に出させて。

ニコル:は!? で、デートって――

ムーン:(笑顔で)ニコルさんの飼っている鳥、僕とても好きだったよ。

ニコル:な、ななな何を――

ムーン:また、鳥を見せてほしいな。
    そうしたら……僕は飛んでいくから。ニコルさんの側まで。

ニコル:……君……それ……。

ムーン:それじゃ。

N:動揺するニコルを横目に、少年は席から立った。
  そして、出口へ向かう途中、コート姿の男と軽くぶつかる。

ムーン:あ、すみません……!

鳳:いや、大丈夫だよ。

N:少年と入れ替わりで、男はニコルの正面に座った。

鳳:……今の彼は恋人、かな。

ニコル:……え?

鳳:邪魔をして申し訳ない。
  俺は、鳳……。君と、話がしたいんだ。

ニコル:……話? 何のですか……?

鳳:……君は、狙われてるんだ。酒井ニコルさん。

 間

ニコル:ああそう……いやんなりますよぉ……。

N:ニコルはため息をついてパフェにスプーンを突っ込む。

ニコル:……今日はその台詞を何回聞けばいいんですかねぇ……?


 ◆


N:高層ビルの屋上――街は宵闇に抱かれている。
  ライクは耳元の通信端末に手を伸ばす。

ライク:聞こえますか、鳳。
    ……そうですか。無事にお会いできたようで何よりです。
    ですが、少々面倒なことになりましてね。

N:ライクはゆっくりと身を翻す。

ライク:ええ。そういうことです。
    あなたは彼女を安全な場所へ。
    もちろん、こういうこともあろうかと予め場所は用意してあります。
    詳しくは端末に地図を送りました。

N:ライクの視線の先には、黒いスーツを着込んだ人影が歩いて来ようとしているところだった。

ライク:……私は、追っ手の足止めを。
    心配はいりません。これはあくまで計画上必要な――露払いですから。

N:腕を広げるライクに、公安特務の2名が歩み寄る。

セオドア:少しお話よろしいかな、ミスター。

酒井:いいや、女かもしんねえぞ。

セオドア:にしては大柄だ。

酒井:大柄な女もいる。

セオドア:賭けるか?

酒井:くだらねえ。

ライク:おやおや……随分と賑やかですが……。
    一体どちらさまでしょう?

セオドア:俺達は――

酒井:おいおい、馬鹿丁寧にやり取りする必要ねえだろ。
   黒コートにガスマスクだぜ?

セオドア:確かに……力場を垂れ流して、俺達を誘き出してるわけだし?

ライク:残念です。私としてはもう少しお話を楽しみたいのですが……。

酒井:時間稼ぎだ。

セオドア:わかってる。

ライク:いえいえそんな意図はありませんよ。
    なぜなら――

N:ライクがコートを広げる。
  コートの内側には大量の刃物がぶら下がっていた。

ライク:私の役割は最初から! あなた達を排除することですから!

酒井:来るぞ!

ライク:ようこそ公安特務――いえ、超能力者でありながら人間に従う飼い犬のお二人!
    私はライク・ライクと申します!

N:ライクが刃物を構えると同時に、二人も超能力を発動する。

セオドア:あー、詳しいことは後でたっぷり聞くよ。
     ……お前を逮捕してからな。

酒井:覚悟しろよ……『ハイドラ』……!
   私の妹に手を出したこと、後悔させてやるッ!

N:夕闇を見下ろすビルの屋上にて、超能力者達はぶつかる。


 ◆


N:ニコルは鳳に連れられ、町外れの運動場を歩いていた。

鳳:……すまない。こんなところまで連れ出してしまって。

ニコル:……何いってるんですか……。

鳳:何、って?

ニコル:あなた、超能力者でしょう。

N:ニコルは立ち止まると鳳を睨みつける。

ニコル:逃げたら殺されるってわかってるんだから、着いていくに決まってるじゃないですか。

鳳:殺す……? 俺が君を? そんなわけ――

ニコル:嘘つかなくていいです……! 何ですか!?
    私をどうする気なんですか……!

鳳:違う! 俺は――

ニコル:ヒッ……!

N:鳳はニコルに一瞬手を伸ばした後、その手を下ろした。

鳳:すまない……。その……君を、怯えさせるつもりはなかったんだ。

ニコル:いいから! ……早く要件を言ってください……!

 間

鳳:……君は――いや、君も……超能力者なんだろう。
  酒井ニコルさん。

N:二人の間を風が吹き抜ける。

ニコル:……だったら、何ですか……。

鳳:目覚めたのはいつだい。

ニコル:知りません……! そんなの……!

鳳:君も感じたんじゃないか。確かな『衝動』を。

ニコル:私は……!

N:ニコルは自分の目元に軽く手を振れる。

ニコル:……私の能力は、大したものじゃない……!
    戦ったり、誰かを害したりなんてできない!
    だから! 黙ってれば問題ない! そうでしょう!?

鳳:……そうか。

ニコル:ねえ、お願いします……! 放っておいてください!
    私は誰の邪魔もしない!

鳳:駄目だ。

N:鳳は漆黒の瞳でニコルを見つめる。

鳳:俺だってそうしたい……!
  君が恋人と居る姿を見ていたんだ……。
  ファミレスで、二人で楽しそうに……。
  そうやって変わらず生きていてくれたらって、そう思った……!
  でも、駄目なんだ……! この世界は――腐ってる。

N:鳳は手のひらに炎を作り出す。

鳳:俺は見てきたんだ……。
  政府が裏で何をしてきたか。
  やつらは超能力者を実験の道具として利用していた!
  その身体に電流を流し! 反応を測定し!
  まるで……! 道具みたいに……!

ニコル:……何、それ……。まさか――

鳳:そうだ。君は政府の実験の次の獲物としてリストされてたんだ。
  君はただ能力に目覚めただけだ。俺だってそうだからわかってる。
  俺達は何も変わっていないのに、超能力が俺達の人生を変えてしまった……!

ニコル:……超能力が……。

鳳:だからごめん。君を今のままで居させることはできない。
  でも、俺はそんな日常を取り戻したいんだ……!
  超能力者だからとゴミのように扱われることなく!
  自分のまま生きていられる世界を作りたい……!

ニコル:……あなたは……何者……?

N:鳳は、悲しげな表情でニコルを見つめる。

鳳:俺は――俺達は、『ハイドラ』

ニコル:ハイドラ……。

鳳:俺達は、超能力者が正しく生きれる世界を作るために戦ってる。

N:鳳は、ニコルの前に右手を差し出す。

鳳:酒井ニコル。俺は、君のことを守りたい。
  変わってしまった世界で迷う君を、一人になんてしたくない。
  俺達を人とも思ってないやつらに、君を渡したりしたくない……!

N:それは――真っ直ぐな想いだった。


鳳:俺達と――一緒に来てくれないか。


N:ニコルは、差し出された手をじっと見つめていた。


 ◆


N:暴風が吹き荒れる。
  それは強靭な力場のぶつかり合い。

セオドア:ローラ! 俺が先に出る!

酒井:偉そうに抜かすな!

ライク:素晴らしい! これほどの能力者とは!

N:セオドアは一瞬にしてライクに接近すると、ライクに拳銃を打ち込む。

ライク:それに、戦い慣れている!

セオドア:お前もなァ!

N:ライクはナイフで銃弾を弾くと、セオドアに斬りかかる。

酒井:スイッチィ!

セオドア:はいよッ!

N:ライクのナイフを、ロレインの特殊警棒が受け止める。

ライク:なるほど! こちらの女性もですか!

酒井:ああ!? 俺がか弱いガールに見えたかよッ!
   ――噛みしめろッ!

N:数度に渡って打ち合った後、ロレインは身を屈める。

酒井:バーン。

セオドア:Take this.(テイク ディス 訳:喰らいな)

N:身を屈めたロレインの背後――ライクの正面から暴風が飛び込んでくる。
  指鉄砲を構えたセオドアの指先から、力場が収束し、撃ち出される。

ライク:素敵な連携だ!

N:ライクが眼前に手を翳すと、マスクの中の瞳が薄昏く光る。

ライク:――ですが、それではいけません、

セオドア:……おいおい。

酒井:マジかよ……!

N:セオドアの超能力の弾丸は、ライクの掌の中でかき消えていた。

酒井:こいつ、一体どんな能力を――

セオドア:ローラッ! 逃げろ!

N:次の瞬間――ロレインの肩から鮮血が舞った。

酒井:いッ――

セオドア:走れッ! 止まるなァ!

N:ロレインを射抜いたのは、宙の至る所から撃ち出される不可視の衝撃。
  それはロレインの身体を目掛けて縦横無尽に襲いかかってくる。
  ロレインは地面を這うように何とか攻撃をかいくぐる。
  ようやく攻撃が収まった瞬間――ロレインの眼前には黒い影が現れていた。

酒井:速え……!

ライク:死になさい。

N:ロレインに向かって振り下ろされるナイフを、セオドアは銃身で受け止める。

酒井:くそッ!

セオドア:立てるか!

N:セオドアは銃でライクを殴りつける。
  ライクのナイフと銃身がぶつかり合い、甲高い音を立てる。

セオドア:……てめぇ。言うだけはあるじゃねえか。

N:セオドアはもう一丁の銃を腰から引き抜くと、ライクの腰に銃口を当て、容赦なく引き金を引いた。
  ライクは素早く身を引いてそれを交わすと、二人から距離を取る。

セオドア:どこでそんな力を――いやなんだ……調子が狂うな。
     何でかお決まりの台詞を言いたくなっちまう。

ライク:私のようなマスクを付けた人物を前にしているからでは?
    あなた方にとっては、明らかにヒーローコミックのような展開でしょうから。
    もちろん私は――スーパーヴィランということで。

セオドア:ハッ。敵にジョークで返される始末かよ。
     マジでイカれた世界観だな……。

酒井:おい……どうする……!

N:傷口を手早く簡易的に止血すると、ロレインは荒い呼吸混じりに呟いた。
  その言葉に応える代わりに、セオドアは酒井にひらひらと片手を振った。

セオドア:行け。

酒井:……あ? 何いってんだ……!

セオドア:こいつとは俺が戦(や)る。
     先に保護対象の元へ行け。手遅れになる前に。

酒井:お前……! セオドアッ!

セオドア:状況を冷静に分析しろ。酒井ロレイン巡査部長。

N:ロレインは考える。
  酒井ニコルの発信履歴を辿り導き出した範囲内を捜査中、垂れ流された強大な力場反応。
  そしてそれは、目の前の超能力者が意図的に自分達を誘き出すために行っていた。
  敵は政府のリストに載った候補者の中で、酒井ニコルに標的にしているのだろう。
  今この瞬間も酒井ニコルに――自らの妹に他の超能力者が接触している。

酒井:クソッタレ……!

N:加えて相手は超能力者は想像以上の手練。
  負傷した自分では足手まといになるだけだ。
  二人で短時間で制圧し、居所を聞き出すというプランはもうとっくに崩れている。
  だとしたら、今自分のするべきことは――ロレインは深く呼吸をして、セオドアの背中を見つめる。

酒井:……了解。

N:踵を返すロレインに、ライクはナイフを無数に投げつける。
  しかし――それらすべてが銃弾に撃ち落とされていた。

セオドア:こういう展開もお約束だな……。

ライク:ええ、ええ……。
    創作物では、私が去りゆく敵を黙って見逃し、残った貴方と熱い一対一のバトル――となったりするのでしょうが……。
    私はそういうストーリーは好みません。
    ですから――

N:ライクは地面に手をつく。

ライク:殺しますよ。しっかりと。

N:ライクが能力を発動しようとした瞬間――

セオドア:……ああ。そうはならねえよ。

N:今までとは比べ物にならないほど大きな力場の渦に、ライクは思わず飛び退いた。

ライク:……一体なんですか? それは……!

セオドア:何、コミック風のちょっとした演出ってやつだ。

N:セオドアは自分の指先に尋常ならざるほどの力場を集めていた。

セオドア:思うにお前の超能力は空間に作用する。
     空間制御で俺の能力を分散させ、方向を変えて反撃するとは――クソ優秀な、クソイカれた戦闘員であることは認めてやる。

N:セオドアの持つ拳銃が赤く光を放つ。

ライク:膨大な力場を放つだけの超能力かと思っていましたが……!
    その銃、『超常的物品(アンノウン)』ですかッ!

N:セオドアが銃弾を放つと、赤い光が拡散。
  それぞれの光が超高速と必殺の威力をもってライクに襲いかかった。

ライク:くぅぅッ!

N:ライクは身のこなしと自らの空間操作を駆使し、光から逃れる。
  しかし逃れきれない幾つかの光線がライクの身体に命中し、ライクは苦悶の声を上げる。

ライク:ッ! お返ししますッ!

セオドア:クソカス能力がッ!

N:ライクはセオドアの銃撃を反射させる。
  セオドアは自らの攻撃の奔流を掻い潜りながら、ライクに肉薄する。

セオドア:イかせてやるッ!

ライク:懐にィ! 入ったつもりですかッ!

N:突如ナイフが空中から現れ、セオドアに襲いかかる。
  セオドアはナイフを腕で受け止めると、地面を転がった。

セオドア:だああああ! いってえなクソ! クソが!

ライク:あなたッ! 何者ですかッ!
    これほどの力を持つものが、何故ッ!

セオドア:ああ!? クソうるせえよ!

N:セオドアは腕のナイフを引き抜くと、獰猛な笑みを浮かべる。

セオドア:やるんだろ……なあ!

ライク:……あなたはとても危険だ。
    ここで、排除させていただきます!

セオドア:オーケイ、オーケイ……。
     Bring it on.(ブリング イット オン 訳:かかってこいよ)

N:二人は戦闘態勢で向かい合う。

セオドア:Let’s rock, baby...(レッツロック ベイビー)


 ◆


N:ニコルは鳳の顔をじっと見つめて言う。

ニコル:私は知っています。この世界がどんなに腐っているか。
    真面目に生きているふりをして……優しいふりをして……いつだって誰もが誰かを裏切っている。
    私はそんな人間から情報を抜き出して、商売をしていたから……人間ってそういうものなんだって、嫌ってほど知ってる。

鳳:……そうか。

ニコル:だからわかります。
    ……あなたが、嘘を言ってないってことも。

鳳:……ああ。俺だって、信じたくなかったさ。

ニコル:超能力者ってだけで……本当にそんな扱いになると……?

鳳:見たよ。昨日、眼の前でね。

N:鳳は思い出すように、目を閉じる。

鳳:……三鷹市に政府の研究施設があったんだ。
  表向きは難解な事件について調査研究するための場所だった。
  だが……内部のコンピューターには――そこからは、さっきも言ったか……。
  拷問のような酷い実験の記録が山ほど出てきた。

ニコル:……そんな恐ろしいこと……。本当に、政府が……?

鳳:ああ……。その超能力者達は、政府から検体として提供されたんだ……!
  ”第三の目(サザンアイズ)”と呼ばれる世界機関が、その研究を主導してるんだ……。

ニコル:サザン、アイズ……。

N:ニコルはゆっくりと目を閉じると、大きく息を吐く。

ニコル:……最後にひとつ教えてください。

鳳:……何だ。

ニコル:あなた達はそこで――人を、殺しましたか?

N:鳳は目を見開く。
  そして、悔しそうに拳を握り込んだ。

鳳:……ああ。殺した。

ニコル:嘘、つかないんですね。

鳳:ああ……。俺は嘘は言ってない。

ニコル:そっか……。うん……。

N:ニコルは両手を叩く。
  しんとした運動場に、その音は大きく響いた。

ニコル:よーし!

鳳:……え?

ニコル:鳳さん……私のことを心配してくれたのは素直に嬉しいです。
    でも、私は――あなた達の仲間にはなりません。

 間

鳳:どうしてか……聞いても?

ニコル:理由は……あなたがその力で、人を殺したからです。

鳳:それは……! でも! 君だってわかるだろう!?
  あいつらが何をしていたのか!

ニコル:はい。私はわかってます。

鳳:じゃあ――

ニコル:でも、あなたはわかっていないみたいですねぇ……。

鳳:何、を……!

N:ニコルは腕を振るう。
  すると、ニコルの周囲にホログラムの画面が次々と浮かび上がった。

鳳:これは……!?

ニコル:あなたは正直だった……それは称賛に値します。
    でも……だからといって、私は誰も信用なんてしません。
    私は、あらゆる情報を握る電脳世界の咎人だから……。
    あなたの話を聞いている間も、ずっと触手を伸ばしていました。

N:ニコルは両腕を広げて鳳を見つめる。

ニコル:私は逃げ回る者――『電脳の魔女(メーティス)』

鳳:……なるほど……! ライクが手こずるわけだ……!

ニコル:あなたは正直な人間に見える。
    でも、正直な人間が須らく良い人間かと言われれば……そうじゃない。
    正義、正論、正当性……正しさは人を酔わせる。
    あなたが人を殺したと、簡単に口に出したようにね。

鳳:俺は……正当化してなんていない……!
  ただ、あのままにしておくわけにはいかなかったんだ!

ニコル:ほらやっぱり、裏がある。
    裏がない人間なんていないもんですねぇ……。
    ……正直者なら言うはずですよ。
    『許せないから。ムカついたから殺した』って。

鳳:違う! そんな簡単な感情じゃない!

ニコル:あなたは自分が抱える正しさの正体を知らない……。
    いいですか? よぉく覚えておいてくださいね。
    『頭の悪い人間の正義は、もはや悪なんだ』ってことを。

N:ニコルが手を叩くと、二人を取り囲む画面に様々な資料が映されていく。

ニコル:確かに、”第三の目(サザンアイズ)”と呼ばれる機関は存在しました。
    彼らは超能力者を集め、非人道的な実験を繰り返していたと、記録が残っていた。

鳳:いつの間に……こんな……!

ニコル:だけどね、鳳さん。
    ”第三の目(サザンアイズ)”は既に解体されているんです――今から4年前にね。

N:資料が、鳳の前で踊った。

鳳:そ、そんな……! じゃあ! 昨日の研究所はなんだっていうんだ!

ニコル:三鷹市に建設されていたのは、超能力者事件を専門にした解析チームの研究室ですよ。
    あなたが見た資料は、”第三の目(サザンアイズ)”事件を研究するためのもの。

鳳:違う……!

ニコル:そこで超能力者事件の研究をしていたわけではなく、当時の資料を保管していただけ。

鳳:やめろ……!

ニコル:あなたが殺したのは――何の罪もない、事件の解析員だったんです。

鳳:嘘だあああああああ!

N:鳳の全身から炎が立ち昇った。

ニコル:(呟く)……やばいなぁ、これ……。

鳳:……君はッ! 君はなんとも思わないのか!
  俺はッ! 確かに知らなかった! でも!
  人間は変わらない! いつまたあんな実験を始めるかもしれないッ!

ニコル:あ、あのですねぇ……それって正当化してるだけでしょう……!?

鳳:実験をしてきたのも事実だ! そこに嘘はない!
  俺達が戦わなければ! 俺達の正義を貫かなければ!
  変わらないんだ! そうだろッ!?

ニコル:だから……! これだから最悪だって言ってんです!
    正義なんて言葉! 大っ嫌いなんですよ!

N:ニコルは熱風に押されるように後ずさりながら、それでも鳳を睨んでいた。

ニコル:正しいなんてその程度のことじゃないですか!
    自分勝手に解釈して! 相手のことを知ろうともしないで!
    それを相手に押し付けるなってんですよ!

N:鳳は漆黒の瞳でニコルを見つめる。

鳳:俺の間違いを正してくれてありがとう……。
  やはり君は……俺達の仲間になるべきだ。

ニコル:イカれてる……! マジでイカれてますよ、あなた!

鳳:俺達は同じだ! 俺も! 君も! 知ってるはずだろ!?
  この胸の中に渦巻く『衝動』を!

ニコル:私はッ! あなたなんかについていかない!

鳳:君が超能力者である限り! 人間の世界では生きられない!
  それを教えてやる……!

N:鳳はニコルに手のひらを向ける。

ニコル:ひっ……! 何を――

鳳:見せろ! 君の超能力を!

N:鳳の超能力によって産み出されて炎が、真っ直ぐにニコルへと向かっていく。
  ニコルは眼前に迫る炎の塊を、ただただ怯えて見つめていた。

ニコル:いや……! こんな終わり……!

N:ニコルが顔を伏せると同時に、身体に衝撃を受けた。
  彼女の身体を抱え、炎からその身を守ったものは――

ムーン:……いい推理だった。

ニコル:……え、あ……。

ムーン:啖呵も……まあ、思ったよりは嫌いじゃなかったよ。

ニコル:君……! 遅いよ……! 飛んでくるって言ったくせに……!

ムーン:君のその自立型AIの挙動が思ったよりも遅くてね。
    もう少しアップデートしたほうがいい。

ニコル:ほんっと生意気……!

N:二人のやり取りを見ながら、鳳は再び全身に炎を立ち昇らせた。

鳳:……お前は……何だ……?

ムーン:……『衝動』に呑まれたか。

鳳:誰だと言ってるんだ!

ムーン:勘違いしているようだけど……彼女は超能力者ではないよ。
    超能力者のふりをして、君から情報を引き出していただけだ。

鳳:何だと……!

ニコル:そ、そんなの……! わざわざ言わなくても……!

ムーン:そして質問に答えると……僕が何者か、だったか。

N:少年はゆっくりと立ち上がると、鳳に対峙する。


ムーン:あんたの嫌いな、人間だよ――超能力者。


 ◆


セオドア:……おい。聞こえるか、ローラ。

N:セオドアは、傷だらけの身体を壁に預けると、片手で煙草を口に咥えた。

セオドア:本部から連絡だ。
     北側にある改装中の総合運動場で、火の手が上がった。
     ……ああ、急げ。

N:セオドアは携帯電話を放り投げると、煙を吐き出す。

セオドア:……超能力者原理主義組織が、こんな未知の技術を持ってるとはなァ……。

N:セオドアは足元に目を落とす。
  そこには――倒れ伏したライクの姿があった。
  損傷により四肢は千切れ、しかしそこには血溜まりの一つもなく、代わりに黒色の液体が地面を伝っている。
  身体の各所からは火花が上がっており、ライクの人体構造が機械的に作られていることがわかった。

ライク:わ、たし……。え……。人……では……。

セオドア:こんなクソ強い機械人形……量産されたら、俺じゃ勝てねえな。

N:セオドアは壁で煙草を揉み消すと、地面に座り込む。

セオドア:クソが……じいさん様の言う通りかよ……。
     10年以内に戦争が起こるなんて……与太話だと思うだろうが……。

N:セオドアは、近くに転がっていたライクの頭部を掴むと、気だるげに放り投げる。

セオドア:……実際、手のひらの上ってのは癪だが……まあ……。
     やるだけやってやるよ……じいさん。


 ◆


N:深夜の運動場――ニコルは少年に手を引かれ、逃げ回っていた。

ニコル:ぎゃあああああ! あっつー!

ムーン:騒ぐな! 気が散る!

ニコル:何なの! 何だってんですかぁ!
    かっこよく現れたと思ったら! 結局相手怒らして逃げるって!

ムーン:逃げてばかりだったくせによく言う!

ニコル:うるさ――キャー!

ムーン:こっちだ!

N:二人は追いかけてスタンドの係員通路に逃げ込む。
  すると背後から鳳の放った炎が、二人のいたスタンドを焼き尽くした。

ムーン:奥だ! 走れ!

ニコル:逃げるしかないじゃないですか、もうッ!

N:通路の奥までやってくると、少年は通路の入口を見る。
  ゆっくりと煙を立ち昇らせながら、超能力者――鳳宗次は通路をゆっくりと歩いてくる。

ニコル:(息切れ)……それで……。どうするつもりですか……。

ムーン:通路の先に、裏へ出れるルートがある。
    そこまでまっすぐ走れ。

ニコル:走れ――って……君は!?

ムーン:僕はやつを――

N:ニコルはとっさに少年の腕を掴んだ。

ニコル:意味わかんないですよ! こんな状況でカッコつけないでください!
    よく知らない人にそんなことされても嬉しくないですッ!

ムーン:何を勘違いしてるかしらないけど……。
    僕は君を助けるために死ぬつもりはない。

ニコル:え? じゃあ――

ムーン:僕は、あいつを止める。

ニコル:はぁ!? 何いってんですか!?
    君だって人間じゃないの!?
    あんなの……! あんな化け物に勝てるわけないじゃないですか!

ムーン:……化け物なんて言うな。

ニコル:だってそれは!

ムーン:化け物じゃない。

N:少年は、そっとニコルの手に触れた。

ムーン:居るんだろ、身内にも。そんな言葉を向けるな。

ニコル:そ、れは……。

ムーン:……見ろ。あいつを。

N:鳳は、ゆらゆらと定まらない足取りで、壁に手をつきながらゆっくりと通路を進んでいる。

ムーン:あんなガキみたいなやつの、何が怖い。

ニコル:ガキみたいだからですよ……!
    あいつがほんの少し力を使えば、私達は玩具みたいに消し炭になるんです……!

ムーン:そうだ――だから、やつらの身体で実験しようなんて考える。

ニコル:……え?

ムーン:恐怖がやつらを作り出す。
    彼らがただ力を持っただけの人間だと、そう思うことはできなくなる。
    気まぐれで殺されてしまうくらいならと……区別し、正当化し、孤独にしていく。
    そうして歪んだ正義が産まれる。

ニコル:歪んだ……正義……。

ムーン:僕はただの人間だ。
    それでも、やつらにも――君達にも教えてやらなくちゃいけない。

N:少年は、つまらなそうに呟く。


ムーン:超能力者の無能さをね。


N:ニコルは、そんな少年の横顔を、ただ見ているしかなかった。

ムーン:君はよく逃げてきた。
    超能力者を前に立ち向かうこともやってのけた。
    なら、次にするべきことは一つだ。
    ……人を、信じてみろ。

ニコル:……信、じる……。

ムーン:……行け。

ニコル:……君は、本当に――

N:ニコルは少年に背を向ける。

ニコル:……名前、まだ聞いてないから。

ムーン:そうか。なら、推理してみるといい。

ニコル:……バーカ。

N:ニコルは何かを振り切るように通路の奥へと走っていった。

ムーン:さて……。

鳳:あ、あああ……!

ムーン:今まで衝動に呑み込まれたやつは何人も見てきたけど……。
    ここまで一瞬で暴走するのを見るのは初めてだな。

N:少年は、コートの中から無骨な大型拳銃を取り出す。
  それは、彼が超能力者に対抗するために用意した武器だった。

ムーン:まるで、キーワードに反応したようだった……。
    酒井ニコルの明かした真実が引き金となったような。

鳳:……もや、す……! 俺、は! 正しいッ!

ムーン:あんた……何を仕込まれた?

鳳:俺、はあああああ!

N:鳳は全身から炎を放つ。
  少年がコートを振り払うと、炎はコートに弾かれるように周囲に消えていく。

ムーン:推定される力場の総量に対して、産み出す炎の強度は弱いな。
    一般に超能力者は衝動が深くなるにつれて、超能力の出力は強化されていくはず。
    強化催眠の類ではない――記憶を弄られているのか。

鳳:許さない……! 俺の正義をッ! 否定するなァアア!

ムーン:超能力の出力を抑えた上で、トリガーを仕掛けて暴走させる。
    酒井ニコルを取り込むためにしては随分と非効率的だ。

鳳:死ねええ! 人間んんん!

ムーン:こんな手の込んだことをするということは――ああ、そうか。

N:少年は、暴れる鳳に向けて――銃口を向けた。


ムーン:最初から……目的は僕だったか。


N:一瞬にして真実を導くことを信条に、彼は誰の前でも決して怯まない。
  それが彼の思う、探偵なのだ。


 ◆


ニコル:はっ、はっ……!

N:ニコルは、走っていた。

ニコル:はっ……! はっ……!

N:ずっと逃げ続けてきた。
  誰にも捕まらないように――電脳世界を飛び回りながら。
  それだけが、彼女の現実を繋ぎ止めていた。

ニコル:う……くっ……!

N:立ち止まり、痛いほどに鼓動する胸を掴む。
  走り続けることができないことは、弱い。
  そんな風に考えていたのは、いつからだったか。

ニコル:……違う……。そうじゃないよ……。

N:酒井ニコルは、絞り出す。

ニコル:誰も信用しなかったんじゃない!
    誰も……信じようと、しなかった!

N:少年は言った。
  『ひとりの人間の持つ力など、大したことはない。
   ひとりで戦っても、負ける』と。
  誰かの正義が、誰かの正義を正当化するように、
  誰かの孤独は、誰かの孤独を正当化する。

ニコル:……姉さん……!

N:ニコルは呼んだ。
  幼いころ、孤独だった自分を、いつだって助けてくれた手を。

ニコル:助けて……!

N:数年前に超能力者となり、妹の平穏と引き換えに、自由を国に差し出した姉を。

ニコル:助けてぇ! 姉さん!

N:自分がどれだけ傷ついても、誰かのために戦える。
  そんな――

酒井:ニコルッ! 無事かッ!

N:大切な、家族を。

ニコル:姉さん……!

酒井:ニコル!

ニコル:ごめん……! 姉さん……!

N:ロレインはニコルを力強く抱きしめた。

酒井:いいんだ! お前が無事ならそれでいい!

N:ニコルは息も絶え絶えにロレインにしがみ付く。

ニコル:おね……わたし……! あのひと……!

酒井:落ち着け……! 大丈夫だ……ゆっくりでいい……!

ニコル:あの、ひと……! たすけて……!

酒井:あのひと……? 誰かがあそこにいんのか……!

ニコル:うん……! 私を、助けてくれたの……!
    ハイドラ、から……!

酒井:それで、そいつはナニモンだ。

ニコル:男の子……! ただの、人間の……!

酒井:んだと……? 冗談だろ……!

N:爆音――運動場から火の手が上がる。

ニコル:そんな……!

酒井:クソッ! マジかよ!

ニコル:急いで! お願い……! 姉さん!
    彼が……! 彼が死んじゃう!

N:ロレインは、自分の肩口を見やる。
  そこには、止血したとはいえ、深い傷の痛みが広がっている。

酒井:クソッ……クソクソクソ……!
   どうする……!

ニコル:姉さん……?
    ッ! その傷……!

酒井:なんで、私はッ……!

N:弱い――その言葉を、ロレインは飲み込んだ。
  それは、これから自らがすることが許せなくなることへの、逃げ道を塞ぐ決意だった。

酒井:ごめん……! ニコル!

ニコル:キャッ!

N:ロレインは、ニコルの身体を抱えると、運動場に背を向けた。

ニコル:姉さん! どうして! 彼がまだ中にいるのに!

酒井:私は今、万全じゃない!
   戦って勝てる保証はねえ!

ニコル:それは……! でも!

酒井:第一、ハイドラはお前を狙ってるんだ!
   やつらが何人で襲ってきてるかもわからねえ!
   そんな中で、お前を置いていけるか!

N:ニコルは泣きながらロレインの背を叩いた。

ニコル:だったら! だったら私も中に行くからぁ!

酒井:文句なら後で聞くから……!
   だから――

ニコル:彼がッ! 彼が言ったのよ! 信じろって! なのにッ!

酒井:クソッ……! ごめん……!

N:ロレインは、耐えていた。
  肩の傷にでも、ニコルの拳にでもない。
  心の内で暴れる、自らの”衝動”を必死で抑え込んでいた。

ニコル:姉さんのバカァ! 信じたのに! 信じたのにぃ!

酒井:ごめん……! ごめんな……! ごめん……!

N:姉妹は、痛みに耐えながら――逃げていく。


 ◆


N:事件から数日が経つ。
  長い間火の手が燻っていた運動場では、ようやく現場検証が行われたところだった。
  ニコルは、警察庁管轄の特別療養施設にて、数日に渡る取り調べを終えた。

ニコル:……あ……。

N:施設を出たニコルを出迎えたのは、ロレインだった。

酒井:……よお。

ニコル:……うん。

酒井:……どうだった。

ニコル:それよりも。

N:ニコルはロレインに歩み寄ると、じっとその瞳を見つめる。

ニコル:どうだった? 現場検証、あったんでしょ?

酒井:あ、ああ。
   ……遺体とか、そういう類のもんは見つからなかった。

N:ニコルは安堵の息を漏らす。

ニコル:……そう。そうだったんだ……。

酒井:お前を助けたって少年だが……。
   本当に超能力者を知ってたんだよな。

ニコル:うん。それも、良く知ってるみたいだった。

酒井:『超能力者の無能さを教える』……ねえ。
   ……なんつーこと抜かすガキだ、そりゃ。

ニコル:ちょっと! 彼のこと悪く言ったら!
    姉さんのこと! 一生! 許さないからね!

酒井:わ、悪かったって……!

N:ニコルは笑顔を浮かべて自分の手を見つめる。

ニコル:でも……うん。そっか。じゃあ、生きてるんだ。

酒井:……自信、あるのか。

ニコル:うん。信じてるもん。

酒井:……そうかよ。
   ま……私なんかよりはよっぽど信用できるわな……。

N:呟くロレインの肩に、ニコルは手を触れる。

ニコル:……姉さん。

酒井:……なんだ。

N:そして、ロレインの肩に額を寄せた。


ニコル:ありがとう。


酒井:……え。

ニコル:今までずっと、守ってくれて……。
    私、ずっと姉さんに甘えてた。
    だから……ありがとう、ございます。

酒井:……いいんだ。そんなの……。

N:ロレインは俯きながら、ニコルの身体を抱き寄せる。

酒井:……いいんだよ。ニコル。

ニコル:……うん。

N:しばらくそうしていた後、ニコルは口元に笑みを浮かべる。

ニコル:あ、そーだぁ。
    私、公安特務に勤務することになったから。

酒井:……え”……?

ニコル:ごめんほらそのー! 私ね? 家出してから色々やりすぎちゃったからね?
    そういうのを見逃して貰う代わりにぃ、取引とか諸々でね?

酒井:は? おまッ! 私が特務に入ったのは――

ニコル:わかってるってぇ! 政府の監視から逃れさせるためだってのは!
    でもね! 私のスーパーな能力を遊ばせるのもどうかなって思うしぃ?
    情報課勤務だから危険はないし? むしろちょうどいいかなーって!

酒井:おい……! 何で相談しなかったお前ェ!

ニコル:そういうわけだからー! これからは公私共によろしくぅ! お姉さま〜!

酒井:待てこら! 話は終わってねえぞ! ニコルゥ!

N:ニコルは笑顔で手を振りながら施設の中に戻って行った。
  ロレインは力なくその場に立ち尽くす。

酒井:何で……そうなんだよ……。

セオドア:それはまあ、ローラが弱いからだろ。

N:セオドアは柱の影から姿を表した。

酒井:……てめえ。いつからいやがった……!

セオドア:顔怖いって……! さっきの今だよ……!

酒井:(ため息)……ったく。まあ、今回の件に関しちゃ、ぐうの音も出ねえよ。

 間

酒井:おいこらカスコラ。どこ見てやがる。

セオドア:ん? いや……ローラの妹ちゃん、可愛いよな――

酒井:殺すぞ。

セオドア:……銃、しまってくんない?

N:セオドアは、手を上げた格好のまま酒井に向き直る。

セオドア:……で、どうだ。昇進した気分は。

酒井:……ふざけんじゃねえよ。
   どいつもこいつも……勝手に決めやがる。

セオドア:そういうタイミングだったんだろうさ。

酒井:まさか、お前が辞めるとはな。
   ……何考えてやがんだ。

セオドア:元々そういう約束だったんだよ。

酒井:次の行き先は。

セオドア:言えないんだなァ、これが。

N:セオドアはロレインの髪に軽く触れる。

セオドア:寂しくなる、か?

酒井:……うるせえ。

セオドア:なんだ、やけに素直じゃないか。

N:ロレインは真剣な様子でセオドアの顔を覗き込む。

酒井:……セオドア。お前、何を見た。

セオドア:……何って?

酒井:お前が去る理由……。あのライクとかいうハイドラの構成員だろ。
   ……書類上はお前が拘束は不能と判断し、殺したとなってる。

セオドア:……まあ、事実だな。

酒井:クソカス野郎。セオドア・ウィルソンがあの程度の能力者に手こずるかよ。

N:セオドアは目を細める。

セオドア:……なあローラ。

酒井:……何だ。

セオドア:お前、強くなれるか。

N:ロレインは顔を上げる。

セオドア:答えてくれ。必要なことなんだ。

N:ロレインは自らの手をじっと見つめたあと――


酒井:当たり前だ。私は強くなる。


N:そう、力強く答えた。
  セオドアは満足そうに微笑むと、ロレインの肩を叩く。

酒井:い”ってぇ!

セオドア:あんま傷は作んなよ。
     まぁ、俺は結構燃えるけどね。ベッドで傷痕に触れんの――

酒井:ぶっ殺す!

N:ロレインの鋭い回し蹴りを片手で受け止めると、セオドアはもう片手をひらひらと振った。

セオドア:強くなるってことは、もっと出世するってことだろ?
     だったら、ローラは必ず俺に連絡することになる。

酒井:するか! 消えろ! 遥か彼方へ!

セオドア:なら、賭けるか?

酒井:うっせえカス……! それより! 質問の答えは……!

セオドア:残念だが、俺の口からは言えない。
     お前が強くなったら、自然と知れるだろうさ。

酒井:お前……本当クソだな……!

セオドア:お前は本当に口が悪いよ。
     出世したいなら、多少は気をつけるんだな。
     ……ああ、これだけは言っとくぞ――

N:セオドアはロレインに背を向け、呟く。

セオドア:……いいか。中は安全じゃない。
     当然、触れようとするのがバレたらタダじゃ済まないこともありそうだ。
     気をつけろよ。ローラ。

酒井:……ああ。こっちは任せろ。
   私が蹴り殺すまで、死ぬなよ。テディベア……。

セオドア:……最後の最後でそのあだ名……マジでやめてくんない?

N:そうして、”相棒(バディ)”は分かたれた。
  再び邂逅する時を信じて。


 ◆


N:ガラス窓に覆われた高層ビルの一室――長身の男は電話に向かって語りかける。

ライク:ええ、とても良く動いてくれましたよ。
    とても良いデータがとれました。期待以上です。

N:男は椅子に座ると、ゆっくりと背もたれに身を預ける。

ライク:もちろんあなたにもお渡ししますよ。
    あの扱い辛い『レーベル』を解析していただいたどころか、試作機の設計までしていただけたのですから。
    "Reich like(ライク ライク 訳:ライクに似た者)"とは、洒落の効いた名前も頂きましたしね。
    彼の犠牲は、これからの我々の活動に大きく貢献することでしょう。
    ……ええ。もちろんです。あなたへの追加報酬でしたね。

N:ライクは机の上の呼び出しボタンを押す。

ライク:彼を誘き出すのは骨が折れました。
    ですがその分、たっぷりと土産話を持って帰ってきましたよ。

N:ドアが開くと――鳳が入ってくる。

ライク:そうでしょう? 鳳。

鳳:はい。

N:鳳はスーツのネクタイを緩めながら、ライクへと近づく。

ライク:異常なほど鋭い相手でしたから……ただ騙すのは困難だと判断し、鳳には一時的に別人の記憶を植え付けて送り出しました。
    今はもう、記憶の復帰を果たしています。
    おやおや……申し訳ございませんが、そちらの技術についてはお話できません。
    研究の賜ですから、ご容赦を。

鳳:ライク様……こちらに戦闘記録、会話音声を含め、総てまとめてあります。

ライク:……ええ。では、直ぐに送らせます。

鳳:おまかせを。

ライク:はい。ではまた、どこかでお仕事できるのを楽しみにしていますよ。
    速見仲也(はやみ ちゅうや)さん。

N:ライクは受話器を置くと、立ち上がった。

鳳:……速見仲也。

ライク:……危険な男ですよ。
    父親のことは言うまでもありませんが、息子は別の意味で手に負えませんね。

鳳:あの御方はとても気に入っているようですが。

ライク:それはそうでしょう。あの御方は、自らを脅かす存在程気に入ります。
    いつかは速見仲也もあの御方を楽しませることになるのやもしれません。

鳳:そして、あの少年も……ですか。

ライク:最も危険なのはあの少年ですよ、鳳。
    記憶を入れ替えたとはいえ、あなたが無力化されたのです。

鳳:恐ろしい兄弟――いえ……一族と言うべきでしょうか。

ライク:ラブ様ならこういうでしょう。
    『ハヤミは面白い』と。

N:ライクが指を鳴らすと、部屋が一瞬にして青い照明に切り替わる。

ライク:青に。

鳳:はい。青に……忠誠を。

N:教団はその瞬間も、世界へ向けて牙を研いでいた。


 ◆


N:公安特務情報課のサーバールームにて、ニコルは楽しそうにモニターを見つめていた。

ニコル:……情報課のサーバーならと思ったけど……。
    思ったよりも早く見つかっちゃったねぇ、探偵さん。

N:モニターには、無精髭を蓄えた男性の隣で、憮然とした表情で映っている少年の写真が映っていた。

ニコル:政府のお偉い様の息子だったわけねぇ……。
    ふふふぅ……もしかして、最初から私を助けようとしてたんですかぁ?

N:ニコルは少し考えたあと、モニターのタッチパネルを操作する。

ニコル:こんなに心配させたんですから……ラブレターくらい送っておかないと気がすまないですよぉ。

N:そして一通のメールを書き上げると、指先で送信ボタンを押した。

ニコル:……ありがとうございます。
    また……会いましょうね、探偵ムーン――いいえ、速見朔くん。


 ◆


N:とあるマンションの一室。
  室内には無数のダンボールが積み上がり、家具が無作為に置かれている。

ムーン:まったく……こんな調子じゃ、いつ片付くかわかったもんじゃないな……。
    新一郎のやつを引っ張ってくるんだった……。

N:少年は気だるげに英字新聞を読みながら、甘いコーヒーを口に運んでいた。

ムーン:……ん?

N:少年のノートパソコンが、メールの着信を伝える。
  少年はメールを開くと、軽く目を通し――少しだけ微笑んだ。

ムーン:まったく……流石だよ。ハッカーさん。
    探されるというのも面白いと思ったけど……すぐ見つかるのはつまらないね。

N:ふと、部屋の奥から声が聞こえる。
  少年は慌ててパソコンを閉じた。

ムーン:いや……サボってたわけじゃ――だから……。
    隠してない……! いや! 私信で、お前には関係ない……!
    おい! やめろハル! 落ち着け!
    能力を使おうとするなッ!

N:人生に正解などなく、そこにはただ――少しの喧騒と、踊るようなプロローグが続いていく。







 パラノーマンズ・ブギー『フォーシャドウズ@』
 「正壊」 了

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