パラノーマンズ・ブギーE
『大馬鹿者』
作者:ススキドミノ
妖紅(ようこう):外見年齢12歳。女。数百年を生きる妖怪。産まれたばかりのころは”お紅(こう)”と呼ばれていた。
田中 新一郎(たなか しんいちろう):26歳。男。各地で暴れまわっている“巨人(ジャイアント)”の二つ名で恐れられる災害級超能力者。
栄 友美(さかえ ゆみ):24歳。女。戦時特務機関『速見興信所』所属。階級は特務。悩める乙女。
李 楓(り かえで):26歳。女。警察庁公安特務超課所属、階級は警部補。真面目っ子超能力者。
浜渦 景(はまうず けい):23歳。男。警察庁公安特務超課所属、階級は巡査。不真面目っ子超能力者。
速見 賢一(はやみ けんいち):43歳。戦時特務機関『速見興信所』所長。無精髭の陰陽師。
首引童子(しゅいんどうじ):性別・年齢不詳。数百年前、国を荒らしていた大鬼。見た目は美しく、鬼らしく下衆。
酒井 ニコル(さかい にこる):29歳。女。警察庁公安特務・情報課主任。チョコレート中毒。
芙蓉(ふよう):16歳。男。数百年の前の人物。兵として戦に出るも逃亡。逃げた先でお紅と出会う。田中と被り役。
清平(きよひら):27歳。男。数百年前の人物。陰陽師。速見と被り役。
軍曹:防衛軍の軍曹。ナレーションの人と被り役。
※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)
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◆◇◆
N:秋の風は吹きすさぶ。
乾いた土の匂いに混じって、虫のさざめきが降り注ぐ。
しかし、そんな情緒や感傷を振り払うように、少女は立っていた。
田中:随分探したぜ。
N:男は少女に声をかけた。
少女は月明かりに照らされた紅の髪を揺らしながら、同じく紅の輝きを映す瞳で男を見つめていた。
田中:人間ってのはどうしようもない生き物でさ。
特に俺はその中でもとびっきりたちが悪いで評判だ。
イかれた怪物だって噂すらたってる。
全くもって否定できない話なのが、我ながら情けないんだけどな。
N:男は漆黒に染まった瞳で少女を捉えながら、ゆっくりと歩みを進める。
田中:……お前も、怪物なんだって?
間
田中:なあ……シぬってのは、どんな気分なんだろうな。
N:少女は、自分の周囲に転がった無数の怪異の死体を眺めた。
田中:死人に口無し。死をもって何を語らうこともなく、ただ風に吹かれ、土に還るのみ……ってか。
N:男は、絞り出すように呟いた。
田中:……お前なら、俺を殺せるのか。
妖紅:若造……あまり期待させるな。
N:少女は、柔らかく微笑んだ。
妖紅:まるで、“お主なら我を殺せる”と言っているようにきこえてしまう。
N:木々の隙間から夕焼けが顔を覗かせ、茜色が二人を包む頃ーー揺れる木々の葉は紅に染まる。
◆◇◆
軍曹:報告は以上になります。
栄:そうですか。ご苦労さまです。
軍曹:次はどうなさいますか、栄特尉。
栄:え? そうですね……。
N:東北地方の某市近く、国防軍の駐屯地にて。
戦時特務機構(せんじとくむきこう)『速見興信所(はやみこうしんじょ)』所属、栄 友美特尉(とくい)は手元の資料に目を落とした。
栄:現状維持、といきたいところですが、国道の北側、黒森(くろもり)の方から反応があったとの報告もあります。
湖の北側が落ち着いたようなら、そのまま部隊を国道を使って東側に展開しておきたいところですね。
戦力の分散は悪手かもしれませんが……警戒を怠って市内まで侵入を許すわけにもいきません。
軍曹:かしこまりました。こちらの方から司令官に連絡をーー
栄:それと、私の方からも人員を派遣します。
軍曹:人員ですか?
栄:こちらのお二人です。
N:栄の隣に控えていた女が、一歩前に歩み出る。
李:警察庁公安特務超課所属、李楓警部補。こちらは浜渦景巡査です。
栄特尉直属にて勤務中であります。
栄:と、いうことなので。
軍曹:かしこまりました……では、自分はーー
栄:そうでした。軍曹、西部で”彼”の目撃情報がありました。
遭遇したら交戦はせず、私に連絡をするよう徹底しておいてください。
N:軍曹は敬礼をして、部屋を後にした。
浜渦:……なんっか堅苦しいなぁ。
李:浜渦。軍の管轄内で軽口は控えろといったはずだ。
浜渦:んなもん知らねーって。俺は別に軍人じゃないしね。
N:李の隣に立つ青年ーー浜渦景は大きな欠伸をする。
李:お前というやつは……。
浜渦:なぁんでわざわざ俺たちが山奥まで出向かなきゃなんねえのよ。
李:怪異の反応があった。我々が向かう理由など、それだけで十分だろう。
栄:(苦笑いをする)……怪異の大量発生ーー『百鬼夜行(ひゃっきやこう)』を一度は押し留めたとはいえ、その原因を突き止められたわけじゃありませんから。
一刻も早く『異界の門(いかいのもん)』の場所を突き止めなければ、次はもっと甚大な被害でないとも限りません。
浜渦:見つけたってどうしようもないでしょうに。
怪異が無限に飛び出してくるトンデモゲートをどうすりゃいいってんだよ。
栄:確かに、現状私達に異界の門を閉じる方法はわかりませんが。
所長ーーいえ、速見中将がいますから。
李:中将は、今はどちらに?
栄:機密です。申し訳ありませんが。
N:栄は資料をまとめて椅子から立ち上がった。
栄:さて。色々と準備しなくてはなりませんね。
李:準備、といいますと?
栄:まず間違いなく、”彼”が現れるでしょうから。対策を練らないと。
浜渦:その”彼”ってのは、もしかしなくても『巨人(ジャイアント)』のこと?
李:栄特尉……何故、間違いないといい切れるのですか。
目撃情報があったとおっしゃっていましたが。
栄:とある信用ある方からの情報です。
目撃、というよりも、彼女が『視た』という方が正しいでしょうか。
李:視た……。能力、ですか。
栄:それも、機密です。
浜渦:うへー……よりにもよってあの国家災害級の相手しなきゃなんないのか……。
N:浜渦は口元に笑みを浮かべながら、栄の肩に手を回した。
浜渦:友美ちゃん、”元カレ”なんだし、どうにかなんないの?
李:浜渦……!
栄:いえ。いいんです。
N:栄の顔から笑みが消えた。
栄:……彼の力は良く知っています。
その上で、はっきりと言わせていただきますが、『お二人程度』の力ではどう転んでも彼に殺されるだけでしょう。
浜渦:あ……いや、その……。
栄:死にたくなければ、私の指示に従ってください。
……それと浜渦巡査、『友美ちゃん』と呼ぶのは、金輪際やめてください。
N:栄は、足早に部屋を後にした。
浜渦:あっちゃ〜……地雷踏んだか。
李:大馬鹿者……。
◆◇◆
栄:(ため息)
N:栄はベッドに倒れ込むと、端末を操作する。
しばらくすると、スピーカーが点滅した。
栄:もしもし……ニコル?
ニコル:『はいはーい。どうしたんですか? 疲れた顔しちゃって。
N:警察庁公安特務・情報課主任ーー酒井ニコルは軽い口調で通信に答えた。
栄:……顔? 顔はわからないでしょ?
ニコル:『それだけ声にでてるってことですよぉ。
栄:(ため息)……そっか。そうかも……。
ニコル:『ちょっと前まではごく普通のオフィスレディだった私が……!
ひょんなことから超能力者を扱う参謀に!
戦争まで始まって、え!? 私が特尉だなんて!
どうなっちゃうの〜!?
栄:何それ……。
ニコル:『今のユミのジョ〜キョ〜を簡単に説明するとってオハナシ。
こうやってアレンジするとちょっとワクワクしてこないです?
栄:ふふふ……ありがと。ちょっと少女漫画っぽくなった。
ニコル:『それで? 仕事の話じゃないんですよね?
栄:いや、あー、うあー……どうだろ。仕事っちゃ仕事なんだけど。
ニコル:『あぁ、あの暴れん坊のことですか。
栄:うん……まあ。
ニコル:『別れたのって、ユミからだったんじゃないんですかぁ?
どうしてまだそんな引きずってるんです?
栄:いや! ……別れたっていうのが、そもそも、ちょっと違うし……。
N:栄は枕に顔を埋めた。
栄:……だって……あのままじゃ一緒にいれなかったし……私だって色々いっぱいいっぱいで……。
別に嫌いになったわけじゃないし……本当は助けてあげたいし……。
ニコル:『うじうじ虫発見、ですねぇ。
栄:でもさぁ……! 元カレって言われると……なんかこうクるっていうか……あーん……。
ニコル:『少しだけ正直にいってもいいですかぁ?
N:栄は仰向けに寝返りを打った。
栄:……どうぞ。
ニコル:『じゃあ遠慮なく。
……速水朔が死んだあと、田中新一郎が暴走し始めたのはこちらとしても問題になっているんです。
今じゃ数えきれないほどの殺人の容疑がかかった一級の犯罪者ですからね。
特に、一度確保したにも関わらず逃したことで、『姉さん』の立場はかなり危うくなっています。
栄:……酒井ロレイン警視のことは、私も……。
ニコル:『警視庁だって、あなたが田中と恋人関係にあったことは把握済みです。
本当はね、その立場を利用して罠にかけようって話もあったんですよ。
でも、ユミ。あなたが彼と関係を解消するという選択を優先させたのは、姉さんの優しさです。
栄:……うん。そうだよね……。
ニコル:ええ。そうですよ。
だから、結果的にユミはこうして、戦時特務機構の特尉としてここにいられるわけです。
間
ニコル:捕まえて、くださいね。
姉さんに少しでも恩を感じているのなら、感傷は抑えてください。
そして、捕まえてください……『田中新一郎』を。
N:栄は、見慣れない白い天井を見上げながら、大きく息を吐いた。
栄:はい……約束します。
彼は必ず、私が捕まえます。
ニコル:……少し、きつかったですか?
栄:ううん。はっきり言ってくれてありがとう。
私ってダメね。こんなことばっかり……いつもブレてしまうーー
N:ふと、脳裏に誰かの優しい声が聴こえた気がして、栄はそっとシーツを握った。
ニコル:いいんですよ。それで。
ユミのいいところは、それだと思いますよぉ。
栄:それ、って?
ニコル:かわいいとこ、ですよぉ。
……ごめんなさい、ちょっと仕事が入りました。
栄:あ、うん。ありがとう。
また何かあったら、情報待ってるね。
ニコル:はいはーい。
◆◇◆
N:大量のモニターに囲まれた薄暗い部屋の中で、ニコルは手にはめた電子操作用手袋を動かした。
伸びっぱなしの赤毛の隙間の瞳が、画面を追う。
ニコル:なになにぃ? ”機密文書保管施設”から盗難を確認……犯行は……ひと月前ぇ!?
ったく、すぐにいってくんなきゃ意味がないでしょうに!
隠蔽体質ってやつでしょうけど……ほんっと無能ばっかなんですから。
……ま、今に始まったことじゃないですけどねぇ。
N:電脳世界に張り巡らされたネットワークの中を、ニコルは光の速さで走り回った。
視界に表示される膨大な情報を整理しながら、机の上の三角型のチョコレートを口に放り込む。
ニコル:よりによって私の管轄に手を出すとは、運の尽きですねえ二流。
一瞬のシャットダウンに紛れて侵入とは、なかなか考えたけど、ほうら、足跡がここにーー
N:ニコルは表示された情報に驚愕する。
ニコル:……違う。違う! 足跡がない……!
これは、直接侵入したっての? あのトンデモセキュリティシステムを一分で突破って……!
一体誰がーー
N:ニコルは机の上のチョコレートをわしずかみにした後、まとめて口に放り込んだ。
ニコル:(咀嚼しながら)……ああそう……そういうこと。
急いで賢一に連絡しないと……!
N:ニコルは、チョコレートを咀嚼しながら画面を睨みつけていた。
◆
N:白く曇った空を眺めながら、田中新一郎は気だるげにベンチに座っていた。
怪異の出現情報により地域一帯には退去命令が出ている。
彼のいる公園にも人影はなく、時折風に揺れる木々の音だけがざわめいていた。
田中:……ひと雨くるか……。
N:田中は、ベンチに身を預けたままぼんやりと宙を眺めていた。
妖紅:おい。
N:少女は紅色の髪の隙間から、真紅の瞳を覗かせていた。
妖紅:おい、お主。
N:少女は不満げに鼻をならすと、田中の視界を塞ぐように覗き込んだ。
田中:……どうしたぁ、妖紅。おしっこかぁ?
妖紅:お主は……どうしてそう下品なのだ。
だから女に逃げられる。
田中:カッチーン。
別に逃げられたわけじゃねえし……。
妖紅:そんなことよりもだ。
……お主は我をどこに連れて行こうというのだ。
田中:あん?
N:少女ーー妖紅は田中の隣に座った。
妖紅:お主は我と仕合うつもりなのだと思ったが。
田中:ん? あー、まぁ……そうだな。
妖紅:だとしたらーーおい、何をしている。
田中:お前、草むら通ったろ。
N:田中は妖紅の髪に手をのばすと、髪に絡みついた枯れ葉を指で落としていく。
妖紅は、何かを納得したかのように手を合わせた。
妖紅:なるほど……情がわいたか。
田中:はぁ?
妖紅:なに、特段珍しいことはない。我は見目麗しく、可憐であるからな。
分不相応にも手元に置いておきたいと言ってきた人間も過去にーーいいかげんにやめろ。くすぐったい!
田中:で、何が言いたいわけ。
妖紅:ふん……つまりだ、お主が一体何を考えているにしろーー
N:妖紅はベンチから立ち上がる。
そして右手を持ち上げると、指先を田中の顔に突きつけた。
妖紅:我とともにいるかぎり、望もうと望むまいと、お主には約束されている。
N:妖紅の瞳が赤黒く輝く。
妖紅:お主が進む道の先は、行き止まりだ。
間
田中:はいはい。すごいすごい。
妖紅:この……! 冗談ではないぞ!
田中:わかってる。別に疑っているわけじゃないって。
妖紅:ふんっ! 強がりおって! どうせお主も死の瞬間は泣き叫び、命を惜しむことだろうよ。
間
田中:うし……行こうぜ、妖紅。
妖紅:お主は……! まったく……。
N:二人は、連れ立って森の中へと歩いていった。
◆◇◆
N:十九時間後。夕刻、東北・某県中部、山間地帯。
国防軍は数十体に及ぶ怪異と遭遇。劣勢を強いられていた。
彼らにとっての吉報は、超能力者である警官二人の参戦であった。
李:浜渦! 二時方向から回り込む!
浜渦:あいよぉ!
N:李は怪異の集団に向かって疾走しながら、自身の内に眠る超能力を発動した。
その瞳が色を失っていき、深淵のような黒を宿す。
李は超能力者が使う超常空間力場(ちょうじょうくうかんりきば)を全身に行き渡らせると、その身体を加速させた。
浜渦:ハイハイ、痛くしないからねぇ。
N:浜渦もまた、超能力を使うと、自身の腕にペットボトルの水をかける。
そして超能力を使い、力場(りきば)ごと水分を硬質化すると、水の刃で怪異を切り捨てていく。
李:ハァッ!
N:李は、鋭い体術で怪異を蹴りつけ、殴り、殲滅していく。
瞬く間に怪異を殲滅した2人の耳に、栄から通信が入った。
栄:『次は2時の方向から来ます。
一度、国防軍の背後についたあと、まとめて正面で相手しましょう。
李:了解!
浜渦:はいはい!
◆◇◆
栄:国防軍は撤退完了しました。
この後は森の北側に入り、門の場所を割り出します。
李:了解です。
浜渦:能力者使い荒いねえ。
栄:すみません。お願いします。
李:気にすることはありません。
我々は、特尉のご指示通りに動くだけです。
栄:……では、いきましょう。日が暮れると、怪異の動きが活発になりますから。
N:栄たちは、森の中を歩いていた。
栄は手元のデバイスから立体地図を投影しながら、歩みを進める。
李:それにしても……門、ですか。
栄:ええ。怪異が現れると言われている異界に通じる門だそうです。
浜渦:ふぅん……。
N:浜渦は栄に視線を向けた。
浜渦:っていうかさぁ。友美ちゃーーあー、ダメなんだっけ。
栄ちゃんさあ。
栄:なんですか?
浜渦:あんたらーー速見興信所って、何者なわけ。
李:浜渦……!
浜渦:あのさぁ、姐(あね)さんってばマジで脳筋すぎだって。
李:(浜渦の頭を叩いて)殴るぞ。貴様。
浜渦:いっつ! ……殴ってからいうかね。
(間)
……そりゃあ俺らは公安に雇われてる身だけどさぁ。
実際問題、警察って立場上いろいろ考えるべきだと思うぜ。
青の教団とやらが暴れ出したのに併せて、異界の門だって? 明らかにおかしいでしょ。
そっからのタイミングを図ったかのような速見賢一の宣言……なんなのよ。この戦争って。
李:確かに……我々には知らないことが多すぎる
私たちは転戦して戦ってばかりだが、一体敵がなんなのかもわかっていないからな。
間
李:す、すみません! 現状に不満があるわけではーー
栄:いえ。確かに、そうですよね。
李:特尉……。
栄:正直なところ、私にもわからないことは多いです。
ーーですが、おふたりよりは少し事実に近いところにいるのは確かです。
N:栄は困ったように頬を掻いた。
栄:怪異のことについては正直詳しくはないんです。
所長が陰陽師であることは知っていましたが、私が興信所時代に行っていたのは超能力者関連の仕事ばかりで。
……ただ、青の教団については以前から追っていました。
というのもーー
浜渦:ストップ。
N:浜渦は栄の前に手を突き出した。
浜渦:姐さん。この先、誰かいる。
李:間違いないか。
浜渦:一応力場を拡散しておいて正解だったぜ。
……あっちも気づいてるだろうが、こっちにくるつもりはないみたいだ。
李:超能力者か。と、なるとーー
浜渦:ああ。
N:浜渦は腰に下げたボトルを握りしめた。
浜渦:あの力場の強度……ゾッとするねえ……。
李:くるか……”巨人(ジャイアント)”。
◆◇◆
N:田中は、歩みを止めた。
田中:……久しぶりだな。
N:田中の背後には、栄友美が立っていた。
栄:新一郎くん……。
田中:嬉しいねえ。まだそうやって、名前で呼んでくれるんだな。
……それとも、そうやって俺の隙を伺ってるのか? 栄友美。
栄:違います! 私はーー
N:栄は喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んだ。
栄:……どうして、ここにいるんですか?
田中:おいおい、そんなことをわざわざ聞きにきたのかよ。
少し前は俺の言うことなんて、聞きゃしなかったくせに。
N:栄は視線を伏せると、身を震わせた。
栄:聞かなかった、ですって?
……ききましたよ!
何度もなんども! きこうとしました! なのにあなたは……!
聞かなかったのはあなたでしょう!?
田中:ああそうだっけ。
N:栄は、心を落ち着けるように深呼吸をした。
栄:田中新一郎……あなたには、複数の犯罪に関する容疑がかかっています。
よって私は、その権限によりーー
田中:甘えなぁ。
N:田中の声はーー背後から聞こえた。
栄が振り向くよりも早く、田中の手刀が栄の喉元に突きつけられていた。
栄:ひっ……!
田中:相手の口車に乗ってスキ作るって、素人どころの話じゃねえだろ。
栄:わ、たしーー
田中:お前みたいな弱い人間が、戦場に出てくんじゃねえよ。
それとも……死にたいのか?
……あと、そうだな。
N:田中は素早く栄の身体を引き寄せると、その場から飛び退いた。
二人のいた地面に、水が降りかかった。
浜渦:避けるかァ、やるねえ!
田中:警備員は雇ってるみたいだがーー
N:浜渦は能力を発動しながら田中に走り寄る。
地面から跳ねた水が力場によってうごめくとーー田中の足に突き刺さる。
栄:浜渦さーー
田中:こいつじゃダメだなァ!
守れる器じゃねえよ!
N:田中は栄を抱えたまま足を振り上げた。
浜渦の手に握られた水の刃が、田中の強靭な力場によって弾き返される。
しかし、田中の足に水の刃がわずかに食い込み、血液が飛び散る。
浜渦:チィッ! なんつーでたらめな……!
田中:感動の再会中なんだ。邪魔すんな。
浜渦:はぁ? 元カレと会うのを『今カレ』が見過ごせるかって。
N:田中は苛立たしげに拳を握りしめる。
田中:……あ”あ”? てめえで釣り合うかよ。
N:田中の超念動力(サイコキネシス)によって、周囲の土がめくれ上がる。
そして、土が浜渦を包み込んだ。
浜渦:やばッ……!
栄:浜渦さんッ!
田中:ッ! 新手かッ……!
N:田中は栄を突き飛ばすと、身を投げだした。
田中と栄の間に、李が飛び込んでくる。
李:ハァァッ!
N:李は特殊警棒を田中の胸に突き出した。
田中:だから甘いんだよ!
N:田中は警棒片手で掴むと、力任せに捻じ曲げた。
李:今だッ! 浜渦!
浜渦:ナイスだぜ姐さんッ!
N:李の影から浜渦が飛び込んでくる。
浜渦は、田中の足に手を近づけた。
傷ついた足に触れられたらーー浜渦の超能力が田中の血液を操り、足を切断することができる。
浜渦は、勝利を確信した。
浜渦:俺達の勝ちだッ! 巨人野郎!
N:刹那ーー人智を超えた反応速度を持つ超能力者同士のせめぎ合いの最中。
李は見た。
二人を見つめる田中の瞳がーー昏く光っていた。
李:違う。
N:李は言いようのない恐怖を感じ、とっさに浜渦の肩を掴んだ。
李:違うッ! 罠だ!
浜渦:いったぁッ!?
李:退けッ! 浜渦ーー
N:次の瞬間、二人の眼前に”巨大なナニカ”が突き刺さった。
浜渦:なんだおい!?
李:逃げろ! まだ来るぞ!
N:二人は必死で走る。
逃げ道を潰すように、巨大なナニカが地面に突き刺さっていく。
なんとか逃れた二人が、息をきらしながら顔を上げるとーー周囲には土煙に包まれていた。
浜渦:……はぁ……? デタラメすぎるだろ……!
李:……冗談じゃない……!
N:土煙が晴れていく。
周囲には、“無数の巨木”が杭となって突き刺さっていた。
李:なんだ、これは。
N:その異様な光景を作り出した男は、つまらなそうに二人を見つめていた。
李:なんなんだこれは! ”巨人(ジャイアント)”!
N:李は気づいた。田中が自分たちと戦う以前から、これだけの数の巨木を空に浮かせていたことに。
それも、自分たちが力場で感知できないほどに高い位置でーーそれだけでもでたらめだが、その状態で自分たち二人を相手にして退けてみせた。
眼の前の男は、”そういう男”なのだと気づいてしまった。
李の足は、恐怖で震えていた。
からからに乾いた喉が、ようやく絞り出した言葉はーー
李:あり得ない……!
N:呆然と立ち尽くす二人の肩に、栄の手が触れた。
栄:退きます。
浜渦:あ、ああ……。
N:栄は田中を睨みつけた。
栄:本当に……あなたは変わってしまったみたいですね。
N:するとーー田中の背後から、赤い色が差し込んだ。
妖紅:その言い分は、随分と勝手ではないか。
N:赤い妖紅は田中の隣に立ち、栄を見つめる。
妖紅:なるほど。お主に原因があるものとばかり思っていたが、そうでもないらしい。
当然といえば当然の話だが……女の方にも問題があったようだ。
栄:少女……? 一体あなたは何者ーー
妖紅:執着する気持ちもわからんでもないが、小娘。
N:妖紅は紅い瞳で栄を睨みつけた。
妖紅:もう、”我ら”にかまうな。
栄:ッ!
妖紅:行くぞ……”新一郎”。
栄:待ちなさい! あなたはーー
N:栄は地面の土を握ると、思い切り放り投げた。
栄:また逃げるんですか! そうやって!
また! 私を一人にするんですか! 何も言わずに!
N:田中は立ち止まった。
田中:友美ちゃん。
N:そして、悲しげに笑った。
田中:もう帰りなよ。
この戦争にーーもう、君の居場所はない。
N:田中と妖紅は、連れ立って森の奥へと消えていく。
二人の姿が完全に見えなくなると、栄は顔を伏せて歩き出した。
李:特尉……あのーー
浜渦:姐さん。今はやめようぜ。
N:李と浜渦は、傷だらけの身体を引きずりながら、栄の後ろに付いていく。
栄:……必ず、捕まえてみせます。必ず。
N:栄の呟きは、森の中に溶けていった。
◆◇◆
N:妖紅はまどろみの中で声を聞いた。
妖紅:誰だ……。
芙蓉:……俺だよ。
妖紅:……違う。そんなわけ……。
芙蓉:俺だ、お紅……。
妖紅:嘘……私に近づいてはダメです……!
芙蓉:……俺はいつまでだってずっと、お前のことを――
妖紅:いやあああああ!
N:地を這い出るような低い叫び声が聴こえーー妖紅は、飛び起きた。
妖紅:あ……我は……一体ーー
田中:よう。起きたか。
妖紅:新一郎……。
N:人気のない旅館の一室。妖紅は目を覚ました。
田中は、足に巻いた包帯をはがしている。
妖紅:その着物は……。
N:妖紅は、田中が黒地の浴衣を着ているのに気づいた。
その姿を見ていると、胸の奥の方がざわつくようで居心地が悪く感じていた。
妖紅:我もか……。
田中:子供用がなくてさ。
ちょっとでかいけど、まあ、我慢しろよな。
妖紅:と、いうことは。お主は、我の……その……。
田中:あん? どうしたよ。
妖紅:いや……なんでもない。
それより、ここは……宿か?
田中:避難済みの地域だよ。雨もきつくなってきたから使わせてもらってる。
出るときに金を置いていこうとは思ってるーーつっても、この世の中……金がどれだけ役に経つかはわからないけどな。
妖紅:そうか……。
N:妖紅は、ふと雨に濡れる窓ごしに、外を見る。
すると、近くの道路脇に大穴があいているのがみえた。
妖紅:あれはーー
N:否。それは大穴に見えたが、そうではなかった。
それは積み上がった無数のーー怪異の死体の山であった。
雨がしとしとと降り注ぐ中、ただ静かにそこにあり続ける死ーー妖紅は、その光景を呆然と見つめていた。
田中はカップ麺を机の上に置きながら、静かに呟いた。
田中:……雨が止んだら。
妖紅:え?
田中:ちゃんと土に埋めてやるつもりだよ。
妖紅:……そうか。我はまた……。
田中:ああ。そうだな。
あいつらは、『お前から』出てきた。
妖紅:ああ……。だがお前はーー
田中:あの程度じゃ、俺は死なねえよ。
間
妖紅:……まあ、いまさら驚きはせぬがな。
田中:カップラーメン、先に食っていいぞ。
N:妖紅は、カップ麺からのぼる白い湯気を見つめた。
妖紅:……いらぬ。
田中:なんだよ。確かにちょっと伸びてるかもしんねえけど、味は美味いぜ。
妖紅:阿呆。あれを見たあとでは、食う気にはなれん。
それにどのみち……いくら空腹になったとて、我は死ねぬ身よ。
N:田中は、じっと妖紅を見つめた後、カップ麺に手を伸ばした。
田中:じゃあ、食っちまうからな。
妖紅:かまわぬ。
田中:(麺をすする)
間
妖紅:……よかったのか。
田中:ん……?
妖紅:お主にとって、あの娘は特別なのだろう。
あのような別れ方は、本意ではなかろう。
田中:ああ、いいんだ。それは。
この戦争はもう、普通の人間にはどうしようもないところまできちまった。
友美ちゃんには、帰って欲しいんだよ。少しでも安全な場所に。
妖紅:ふむ……勝手だが、相手を思うからこそか。
本人が納得していないのなら、それはただの押しつけに見える。
それとも、試しているのか? あの娘の強さを。
田中:いいや……友美ちゃんは強いよ。俺なんかよりもずっと。
妖紅:女々しいことをいう。
田中:(微笑んで)男ってそういうもんでしょ。
間
田中:妖紅……。結局さ、『強さ』ってなんだと思う。
間
田中:……なんだっていいんだ。俺は、この力に目覚めてからずっと……胸の中にあるそいつと戦ってきた。
”何よりも強く在れ”
いつだってそいつが俺にそう語りかける。
そして、俺はそいつに抗いながらーーそれでもそいつを通じて世界を見てんのさ。
妖紅:……衝動、か。
田中:知ってるのか?
妖紅:お主ら、異能を操る者と会ったのは始めてではない。
……衝動とは即ち、檻のようなものだと思っておったが。
しばらくしてから考えが変わった。
田中:どう考える。
妖紅:呪い。
N:その言葉は、田中自身が思いもよらなかったほど胸に重くのしかかった。
妖紅は、そんな田中の心境を知ってか知らずか、憐れむような視線を田中にむけた。
妖紅:……新一郎よ。お主は我をどうしようというのだ。
……我を殺せば、強さの証明になると思ったか。
田中:いいや。
妖紅:ではなんだ。我から出(いで)る怪異を殺していれば、衝動を抑えられると思うたか。
田中:違う。
妖紅:はっきり申せ。はぐらかされるのもいい加減に飽きた。
N:田中は立ち上がった。
田中:衝動は、もう飼いならした。
妖紅:なんだと?
田中:怪異は『北海道の大目玉(ほっかいどうのおおめだま)』から『大分の牛魔(おおいたのぎゅうま)』まで。
超能力者を十九人、二つ名持ちを八人。
妙な技を使う刀使いを四人。
N:田中は自らの拳を見つめた。
田中:全員、殺した。
N:その手は、田中自身には赤黒く染まっているように見えていた。
妖紅:なぜだ。
田中:強そうだったからな。
妖紅:ほう……それだけか。
田中:もちろん相手は選んださ。
今は戦時中だ。敵だなんだと……言い訳ならいくらでも思いつく。
だが、命を奪うのに理由もクソもあるもんじゃないしな。
間
田中:衝動の赴くままってやつだ。
俺は衝動に身体を貸しながら、ただ強いやつを求めては、戦いを貪った。
そして、そいつらと戦ううちに俺はーー衝動を超えた。
妖紅:『超越者(ちょうえつしゃ)』か……。なるほど、お主の強さの理由がわかった。
田中:(苦笑して)マジかよ……それまで知ってんのか。
妖紅:永く生きていれば、かような者と出会うこともあろうよ。
N:妖紅は、田中が超越者であることの意味を知るが故に理解した。
規格外に強い能力を持ちながら、この男がどこかーー自分と同じような目をしている理由を。
妖紅:……お主が我の知る意味での超越者へと到達したのだとしたら、お主はもうーー
田中:いや。それはいい。
N:田中は視線を伏せたまま呟いた。
田中:っていうか……こんな話するつもりじゃなかったんだけどな。
間
田中:なにが言いたいかっていうとな。
過去を洗うことはできないし、俺はどこまでいってもクズ野郎なんだよ。
妖紅:ああ、そうだろうな。
お主のような男には、地獄すら生ぬるいであろうよ。
田中:いってくれんじゃねえか……。
ーーで、そうだ。俺がお前をどうするか。だったよな。
N:田中は立ち上がると、妖紅の頭を乱暴に撫で付ける。
田中:俺がーーお前を殺してやる。
間
田中:お前を孤独から救ってやる。
妖紅:……お主になら、できるかもしれぬな。
して、我に何を望む。
田中:代わりにーー
◆◇◆
栄:え?
N:国防軍駐屯地。
栄が作戦室に入ると、そこにはよく知る男が立っていた。
栄:所長!
速見:おう。久しぶりだな、友美。
N:戦時特務機関”速見興信所”の長であり、戦時国防軍の重要人物ーー
速見賢一中将(はやみけんいち・ちゅうじょう)は、無精髭を撫で付けながら栄を出迎えた。
速見:話は彼らから聞いた。すまなかったなァ、しんどい役回りばっかまかせちまってよ。
栄:いえ……私は……。
速見:体の調子はどうだ。
栄:体調に、問題はないです。
速見:そうか。
N:速見は栄の肩を叩いた。
速見:おいおい。顔を見るに、身体は大丈夫でも心はそうでもねえみたいだなァ。
栄:それは……。
速見:いいンだぜ。文句の一つや二つ。ぶん殴ってもらったってかまわねえ。
って……お前はそういうタイプじゃねえもンなァ。
栄:ふふふ、ええ。まあ、そうですね。
私はそういうタイプじゃないです。
速見:おう。お前らも、崩せ。
N:背筋を伸ばして立っていた李と浜渦は、顔を見合わせる。
李:い、いえ! 自分たちはーー
速見:なんだァ、軍人じゃねえだろ。
別に気にすることはねえよ。
浜渦:お、話がわかるぅ。
李:浜渦! 失礼だぞ!
浜渦:本人がいいっていうんだから、むしろ崩さないほうが失礼っしょ。
ねえ? 中将さん。
速見:ああそう、お前はそんな感じね……。こういうタイプが下にいると大変なんだよなァ。
そうだろ、カエデちゃん。
李:か……! 下の名前で……。
浜渦:お。照れてる。姐さん可愛いとこあんじゃーん。
李:うるさいぞ!
N:速見は栄に向き直った。
速見:で……あの馬鹿はどうだった。
栄:……逃しました。
と、いうよりも。彼を捕らえるには準備が足りなくて……。
速見:そうかァ……友美の話ならもしかしてーーと、思ったんだがなァ。
栄:……それで、中将はどうしてこちらに?
速見:ン? そりゃあーー
栄:あの……!
間
栄:私は! 帰りません!
N:栄は速見に詰め寄った。
栄:確かに、一度は失敗しました!
ですが、そもそも昨日は怪異の掃討作戦の際に偶然遭遇しただけで……!
しっかりと準備を整えて作戦行動を行えたら、必ず彼を捕らえることができる!
自信が、あります……! だから、私を作戦から外すのはーー
速見:まあ待てよ。
栄:所長……!
速見:ンなことの前に、一つ確認したいことがある。
田中新一郎と一緒に……『紅い眼の少女』が居たってのは、本当か。
栄:え?
N:栄は思い出す。
妖紅:『もう、”我ら”にかまうな』
栄:ッ……!
速見:どうだ。
栄:いました……紅い瞳をした、少女が。
N:速見は数秒考え込んだ後、真剣な顔で3人に告げる。
速見:今この瞬間をもって、お前達の指揮は俺がとる。
同時にお前達には特別任務に就いてもらう。
栄:……え? ですが私はーー
速見:命令だ。拒否権はねえ。
栄:……承知しました。
浜渦:あのー……お前らってことは、俺達も? っすよねえ、これ。
李:当然だろう。
我々も中尉のご命令に従い、我々も特別任務に就かせて頂きます。
速見:十五分後にキャンプ場の前に集合。
悪いが時間がねェんでな。詳しいことは移動中に説明する。
……戦闘準備は整えておけ。死にたくなきゃあな。
◆◇◆
田中:……起きたか。
妖紅:ん……。
田中:もう少し寝てていいぞ。
妖紅:……何を勝手におぶっておる。
N:深夜。田中は夜の山道を、妖紅をおぶったまま歩いていた。
明かりと呼べるものは木々の隙間から覗く月明かりだけであったが、
力場によって周囲の状況を感知できる田中にとって、暗闇は気にならなかった。
田中:少し計算が狂った。
妖紅:……紅い月か。
N:妖紅は、もはや皆見慣れてしまったであろうケチャップ色の月をじっと見た。
妖紅:確かに……我も意識を失うことが増えてきた。
だいぶ近づいているのを感じる。
田中:もう少し、進んでおきたくてな。
妖紅:いったいどこに行くというのだ。
我を殺すというのなら、どこでも構わぬであろう。
田中:ダメなんだよ。
間
田中:そこじゃなきゃ、ダメなんだ。
……なんとなくだけどな。
妖紅:……そうか。
田中:ああ。できるだけ揺れなくするから、休んでていい。
N:妖紅は、田中の背に頭を預けた。
妖紅:いや……居心地は、悪くない。
田中:へえ。全部終わったら、山道で人力タクシーすんのも悪くないな。
N:しばらくそのまま、二人は山道を進んでいく。
妖紅はふと口を開いた。
妖紅:昔……。
田中:ん?
妖紅:こうして、山道をおぶられていたことがある……。
N:妖紅は目を閉じた。
そうしているうちに、意識は夢へと落ちていった。
◇
<数百年前>
N:今は昔。
この地には多くの妖怪(ようかい)が住んでいた。
彼女もまた、産まれたばかりの妖怪であった。
妖紅:……私は、一体……。
N:妖怪となる前、少女は山奥の地主に奉公をしていた。
主の命で山菜を取りにでかけた日の夕刻。雨でぬかるむ山道で足を滑らせ、少女は命を落とした。
それを哀れに思った通りがかりの地霊(ちれい)が、少女を妖怪としたのだった。
妖紅:……紅。私の髪と瞳は……紅だったでしょうか。
N:川を覗き込むと、自らの姿がよく見えた。
紅の瞳といくら見つめ合っても、自分が一体何者なのかはわからなかった。
ただ彼女は、産まれたばかりの妖怪であるだけだった。
妖紅:世界は、こんなにもーー
N:鋭敏になった感覚が周囲の様子を鮮明に映し出し、揺れる草木のさざめきが心地よく感じる。
少女は思い切り息を吸い込んだ。
妖紅:なんだか、とても……心地が良い……。
N:それからどれくらい経つだろうか、少女は森の中で自由気ままに暮らしていた。
どれだけ歩いても不思議と腹は減らず、時折思い出したかのように水を飲んだり、木の実を摘んでみる。
ひもじさも、煩わしさもなく、自由を謳歌していた。
妖紅:……あれは。
N:ある日のことだった。
背の高い木の上から、少女が森を見下ろしていると、山道にふと見慣れない色を見た。
少女が歩み寄ると、そこにはーー青年が倒れていた。
◆
<現在>
N:速見と栄、李と浜渦の四人は、揺れる護送車の中で顔を突き合わせていた。
速見:怪異とは即ち、異界の門を使ってこの世界に顕現しているーー或らざるものだ。
栄:つまり怪異は異世界から来ていて、異界の門というのはその名の通りーーというわけですか。
速見:異世界というと、どこか遠くの場所からきたような気がするが、実際はそうでもないンだ。
どちらかといえば、そこはこの世界と二枚ロールのトイレ紙みたいにピッタリくっついてる。
そいつはつまり“この星そのものが持つ力場”が作り出したーー
N:速見は手のひらを眼前で合わせた。
速見:黄泉國(よもつくに)ーー死者の世界だ。
李:では怪異とは、死者の世界の住人だと……そういうことでしょうか。
速見:あいつらは死の世界に生きる精霊だ。
こっちが攻撃すりゃあ血みたいなもんもでるが、ありゃあ俺らのモンとは質が違う。
浜渦:確かに、あいつらの血ーー水分を操ろうとしても力場に反応しなかったんだよなぁ……。
機関の研究によると、限りなく異質な疑似生命体だと聞いたし……精霊ねえ。
李:お言葉ですが……中将。どうしてそれらの情報は我々現場には降りてこないのでしょうか。
速見:好きで黙ってたンじゃねえよ。
理由が知りたいンだったら後で話してやる。
……それよりも、ここからが本題だ。
オマエら、妖怪って知ってるか?
N:李と浜渦は顔を見合わせた。
李:妖怪……この国に古くから伝わる伝説の存在、という認識です。
浜渦:河童とか天狗とかね。怪異と一緒の認識っつーか……まんま鬼じゃん、あいつら。
速見:見た目は似ちゃあいるが、そこには大きな違いがある。
怪異は、この世界に或らざるもの。
妖怪は、俺たちと同じくこの世界に或るものだ。
N:術を使ったのだろうーー速見が人差し指を立てると、締め切った空間の中を風が吹き抜けた。
速見:風土。天候。念。事象。魂。
妖怪は、ありとあらゆる場所から生まれる。
そしてそいつらは、俺たちと同じくこの世界に生きてきた。
N:速見が指を鳴らすと、今度は宙に火の玉が浮かんだ。
速見:これから話すのは、俺の先祖代々から伝わる、とある妖怪の話だ。
俺の先祖である陰陽師ーー名を『清平(きよひら)』という。
清平はその昔……首引童子(しゅいんどうじ)という大鬼の討伐を命じられ、旅をしていた。
◇
<数百年前>
芙蓉:お紅(こう)! みろ! 随分と歩けるようになった!
N:妖怪の少女ーーお紅は、顔を上げた。
妖紅:芙蓉様。大丈夫なのですか、そんなに勢いよく歩いてしまって。
芙蓉:ああ。お前が煎じてくれた薬湯の効き目はすごいな!
あれだけ傷んでいた傷が、ひと月もしないうちにこれだ!
ほれ!
妖紅:それはよかったですけれど……無理をなさらないでくださいね。
N:この島では細かく国が分かれており、それぞれの国がお互いの土地を奪い合っていた。
芙蓉は、遠く離れた戦場から落ち延びた兵であった。
少女に助けられた芙蓉は、少女の看病のかいもあって動き回れるほどに快復していた。
芙蓉:お前は不思議な女だな。
妖紅:そうでしょうか。
芙蓉:その髪や瞳も不思議だ。それに子のような見た目でありながら、森の中を狼よりも早く動く。
初めてみたときは、あやかしの類であるかと思ったものだ。
妖紅:あやかし……。
N:視線を伏せた妖紅に、芙蓉は慌てて歩み寄る。
芙蓉:す、すまん、お紅! そういう意味で言ったわけではないのだ。
誰が恐れるものか、お前は命の恩人だ。
それに……俺はその、お前の髪も……。
妖紅:芙蓉様……。
芙蓉:俺はその……成人してすぐに戦場に出された。
正直にいって、剣術にも自身がないし、身体だって大きくならず、こんなものだ。
戦場から逃げたとき、体力も底をつきて、生きている気力さえ失って……。
そんな俺に生きる希望をくれたのはお前だ。
紅の美しい髪と、瞳と、お前だよ。
N:妖紅は恥ずかしげに口に手を当てた。
妖紅:美しい……。そう思ってくださるのですか。
芙蓉:あ、ああ……。
N:照れくさそうに視線をそらす芙蓉。妖紅は芙蓉の手に、そっと自らの手を重ねた。
妖紅:(微笑んで)……芙蓉様。今日は、お魚をとりましょう。
芙蓉:そうか。
おう! 任せてくれ! 魚とりは得意なんだ!
◇
N:お紅と芙蓉が出会ってからしばらくが経ち、季節は秋を迎えていた。
運命とばかりに結ばれた二人は、仲睦まじく山奥で暮らしていた。
周囲は紅葉。これから迎える厳しい冬を前に、それでもお紅は満たされた表情で自分の瞳と同じ色をした木々を見つめていた。
妖紅:……よし……。
N:お紅は、川から古びた水瓶(みずびん)を引っ張り出すと、大事そうに胸に抱える。
清平:そこの娘。
妖紅:……え?
N:声をかけてきたのは、旅装の男だった。
傘の隙間から、人の良さそうな笑顔が覗いていた。
清平:この辺りの村の娘かな。
話を聞かせてはくれまいかーー
N:お紅は水瓶を置くと、森の中へと走った。
茂みをかき分けて、獣道を奥へ奥へと走っていき、やがて見えてきた山間にある小さな廃寺に駆け込んだ。
妖紅:はぁっ! はぁっ!
芙蓉:どうした、お紅。
妖紅:あの……! 人が、来ました。
芙蓉:人? 本当か!
妖紅:はい……! ですから早く、芙蓉様は山の上に隠れないと!
芙蓉:お、おい! ちょっと待て!
妖紅:早く! 来てしまいます!
芙蓉:どうしたってんだ、落ち着いて話してみろ。
N:芙蓉に肩を掴まれて、ようやくお紅は息をついた。
妖紅:……芙蓉様は戦場を逃げて来られたのでしょう。
戦場から逃げた兵は、打首に合うと聞いたことがあります。
芙蓉:そいつは俺を探していたのか?
妖紅:そうは言ってませんでしたが……。
芙蓉:ただの旅人なんじゃないのか。
妖紅:わかりません、でもどこか雰囲気がーー
N:その時だった。
廃寺の入り口から物音が聞こえる。
清平:……もし! 誰かいらっしゃるか!
妖紅:さっきの人です……! 芙蓉様!
芙蓉:大丈夫だ。俺にまかせて、奥に隠れていろ。
いいか。絶対に出てくるんじゃねえぞ……。
N:芙蓉は入り口の戸を開けた。
芙蓉:ああ、いるとも。
清平:呼びつけてしまい、かたじけない。
芙蓉:旅の人かな。こんな山奥にとは、珍しい。
清平:申し遅れた。拙僧(せっそう)は清平と申す者。
N:芙蓉は、清平の腰に下がった刀を見た。
芙蓉:そうか……俺はこの土地の者で、芙蓉という。
して、清平殿。立ち話もなんだ、上がってお茶でも如何か。
◇
N:清平は、峠を越えた先にある村へ行きたいと相談した。
芙蓉は、目の前の男が只者ではないとわかってはいたが、下手に勘ぐられるのを嫌い、村へと案内することにした。
2人はその日のうちに、山を歩くことをしばらく、峠へと差し掛かっていた。
芙蓉:……清平殿は随分と山歩きが得意とみえる。
清平:何。旅生活が長いですからな。
芙蓉:へえ。そうかい。
俺は、山くらいしか知らないからなあ。
それがどういう旅なのか想像もつかんよ。
清平:いやはや。落ち着けぬことは確かですな。
良いこともありますがね。
芙蓉:……ええと……この国ではそこかしこで戦ばかりと聞いているが。
いや! 俺は、話に聞いただけなんだが……。
清平殿も、その、戦にでるのか?
間
清平:そうですなぁ。戦については芙蓉殿の方が詳しいのではないでしょうか。
間
芙蓉:……それはどういう意味で?
清平:隠しなさるな。戦に行ったことがお有りだろう。
N:芙蓉は立ち止まった。
清平は微笑んで振り返る。
清平:刀を握っていたのはその手を見ればわかるというもの。
どうやら足にも傷を受けているようだ。戦傷(いくさきず)だと見るが。
芙蓉:……俺はーー
清平:安心しなさい。拙僧は国に仕えてはいるが、お主を引っ立てるつもりはない。
N:清平は、興味がなさそうにあるき出す。
芙蓉その背中について歩きながら、肩を落とした。
芙蓉:……別に、逃げるつもりはなかったんだ。
清平:拙僧は武士ではない故。武士の誇りというものが如何ようなものかはわからぬ。
芙蓉:俺にだって、誇りはあったさ。
それでも……生きたいと思っちまったんだよ。
N:芙蓉は拳を握りしめた。
芙蓉:だけどよぉ……! 目の前で何人も、何人もあっけなく死んでいって……。
俺の血なのかなんなのかわからなくなっちまって……。
間
芙蓉:俺はーー
清平:黙られよ。
N:清平は鋭い声色で制した。
清平:芙蓉殿。峠の村とは、ここのことであるな。
芙蓉:……え?
◇
N:峠の村には、村人の死体が山と転がされていた。
戦の痕ではなかった。
そこは既にーー大鬼、首引童子によって襲われていたのだ。
芙蓉:な、なんだァ……これは……!
清平:どうやら遅かったようで……。
芙蓉:お、おい! 早く逃げねえと!
清平:そういうわけには。
N:二人の視界の先に、無数の首ーー否、無数の怪異が姿を現した。
芙蓉:お、鬼……!?
清平:否……鬼には非ず。どうやら親方様の考えは正しかったようだ。
芙蓉:あんたは一体……。
清平:拙僧の後ろに隠れていなさい。
N:奇声を上げて遅いくる怪異の群れを見て、芙蓉はその場に蹲った。
清平は一歩前に歩みを進めると、腰の脇差を引き抜き、眼前で振るった。
清平:青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女。
(せいりゅう・びゃっこ・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ)
N:清平は、九字(くじ)を切る。
怪異の群れが清平に飛びかからんとした次の瞬間、怪異たちは無数の見えない刃に四肢を引き裂かれた。
芙蓉:い、いったい何が……! あんた、妖術使いか!?
清平:拙僧は陰陽道に通じる者。妖術などとはいってくれるな。
芙蓉:陰陽……。
清平:それよりも、お主……妖怪に憑かれていると思ったが。
首引(しゅいん)に憑かれているのではなかったか。
芙蓉:妖怪……? 何の話だよ。
清平:お主の身体に、べったりと妖気がまとわりついている故。
首引童子の手に落ちているかと思うて連れてまいったのだ。
N:芙蓉は自らの身体を見回した。
芙蓉:お、俺は妖怪になんて憑かれちゃいねえよ。
清平:そうか……あの娘。
芙蓉:娘……?
清平:あの娘が……そうか。地霊(ちれい)の類だと思っておったが、あやかしであったか。
芙蓉:それってまさか……お紅のことか……?
お紅が……妖怪だって? そんなこと……。
清平:娘はどこにいる。
芙蓉:え? だ、ダメだ! お紅は、妖怪でも、いい妖怪なんだ!
絶対にお前には殺させないからな! このぉ!
N:芙蓉は立ち上がって清平に殴りかかった。
清平は半身で交わすと、足を蹴りつける。
芙蓉は地面に転がった。
芙蓉:いってぇ……!
清平:憑かれた上に魅入られたとは、軟弱な。
芙蓉:俺は……俺は憑かれてなんかいねえ!
清平:ならなんだというのだ。愛したとでもいうのか。
芙蓉:……そうだ!
清平:世迷い言を……アレは見た目をいくら真似ていたとてあやかしよ。
お主がいくら望んだとて、同じ時を生きることは叶わぬ。
間
清平:立ち去るが良い。
芙蓉:嫌だ。
清平:では、ここで怪異に喰われるか。
芙蓉:嫌だ! 俺はーー
清平:逃げるがいい。お主はそうして生きるのだ。
自らの生き方は自らで決めるもの。
逃げる様が、お主には相応しい。
N:呆然と座り込む芙蓉に背を向け、清平は踵を返した。
清平:アレも相当に疲弊している筈……。
となると、あの妖怪の娘の妖気を喰らいにいくか。
◇
N:神社の中に、お紅は座っていた。
妖紅:……お引き取りください。
N:お紅の後ろには、鎧を着たものが立っていた。
そのものの容姿は、男とも女ともいえないほど整っており、まるでこの世のものとは思えなかった。
首引童子:おうおう、おかしなことをいう娘だ。
この首引童子を前に、この場を去れという。
妖紅:お引取りを……。
首引童子:そうしてやりたいのはやまやまなのだ。
己(おれ)としても、人を喰いたくてやまないのだ。
……だが、そうもいかなくてな。
N:首引童子は微笑みながら座った。
首引童子:妙な力を持った人間に追われているうちに、随分と力を吐いてしまった。
いますぐにでも新鮮な霊気を喰わねば、いくら己といえど立ち消えてしまうやもしれぬ。
妖紅:でしたら……村がございます。
この峠を越えた先にーー
首引童子:それならもう、喰った。
N:首引童子は、お紅の耳元に口を寄せた。
首引童子:躊躇なく村を差し出すとは、妖怪らしくて気に入ったがね。
……だがどうだろう。お前からは人の匂いがする。
それも酷く匂う。これはーーなかなかに若い雄のようだ。
間
首引童子:どこにいる。
N:お紅は首を振った。
首引童子:どうした。早く言え。
そいつを喰ったら、お前は見逃してもいい。
妖紅:言いません。
首引童子:どうしてだ。さっきはあっさりと差し出したではないか。
んん?
妖紅:どうぞ、私をお食べください。
間
首引童子:……気に入らないなァ。
己は恐れが好みだ。絶望が好みだ。
嫌悪が好みだ。悪性が好みだ。
お前からは、それが香らん。
気に入らないなァ。気に入らないがーー
N:首引童子の口が、開いた。
全身が破けるように開くと、深淵のような口内が広がった。
首引童子:デモ、マアイイ。クウカ。
N:お紅が覚悟を決めた瞬間ーー首引童子の口内に白い護符が飛び込んだ。
首引童子:ゴヒャア! イタイイイ!
清平:大人しく滅されよ。鬼め。
首引童子:貴様カァ! 貴様ダ! 貴様ハイラナイ! 忌々シイ!
◇
N:廃寺にて、清平は首引童子を追い詰めた。
しかし、清平の全力をもってしても首引童子は滅せなかった。
首引童子の口は異界と繋がっており、中から無数の怪異が這い出ては襲いかかり、清平は徐々に疲弊していった。
絶体絶命の折、清平はーーある術を使うことを決めた。
清平:このままでは……!
首引童子:ケハハハ! オマエモ喰ッテヤル!
N:清平は、自らの指の先を噛みちぎると、袖から引き出した巻物に祝詞(のりと)を書き記す。
清平:おとなしくしていろ!
N:清平が巻物を放ると、巻物は白いしめ縄に姿を変え、首引童子に巻き付いた。
首引童子:貴様ァ! ナニヲスル!
清平:……貴様の身体を封印する!
首引童子:ソンナコトガーー
N:清平が手刀を切ると、神社の隅で震えていたお紅の首に、同じく白い縄が巻き付いた。
妖紅:え?
清平:あやかしの少女よ。許されよ。
首引童子:マサカ、ソイツノ身体二ィ!?
N:清平は刀を足元に突き立てると、印を組んだ。
清平:そのまさかよ!
貴様の霊力をそのまま少女に流し込むッ!
そして貴様ごと滅するのだ!
首引童子:ヤ、ヤメロォォ!
妖紅:いやあああ! 芙蓉さまぁぁ!
◇
N:術は、成された。
そしてーー首引童子はお紅の中に封じられた。
清平:はぁ……! はぁ……!
N:清平は、息も絶え絶えに立ち上がると、床から刀を引き抜いた。
そして、気を失っているお紅の元へと歩み寄った。
清平:これも……太平のため……。
しかし恨むならば国ではなく拙僧にーー
N:お紅の身体ごと大鬼に止めを刺そうと、清平は刀を振り上げた。
振り下ろそうとした次の瞬間ーー清平の身体が揺れ、ゆっくりその場に崩れ落ちる。
清平の背後には、木の棒を握った芙蓉が立っていた。
芙蓉:お紅……お紅!
◆◇◆
速見:こうして首引童子の封印は成された。
だが、清平はこう書き残している。
『赤き争乱の月が瞬く時、紅に染まる』
N:速見は髭を撫で付けた。
速見:東北の異界の門があちらこちらを移動していると聞いて、俺は伝承を思い出した。
おそらくはその紅い眼の少女こそ、首切童子をその身に封じられた妖怪に違いない。
李:では……太古の妖怪が相手、ということですね。
浜渦:こりゃまた……荒唐無稽な話ですこと。
栄:……新一郎くんはーー彼は、どうしてそんな少女と一緒にいるっていうんですか。
速見:新一郎は、清平の手記を盗んだンだ。
栄:盗んだ?
速見:ああ、そうだ。
あの馬鹿……機密書庫に侵入して、例の手記だけをピンポイントで盗ンで行きやがったんだよ。
栄:どうしてそんなこと……。
浜渦:はいはーい。俺、ちょっと推理できたかも。
李:……お前はどうして……!
浜渦:ジャイアントって、強い能力者や怪異ばっかりを片っ端から倒してたわけでしょ。
それってつまり、自分より強いやつを探してるってことじゃん。
その妖怪ってのが、動く異界の門だとしたらさ、めちゃくちゃに強いわけで。
結局バトルジャンキーってオチだと思うわけ。
間
李:確かに……一理あるな。
栄:違います。
浜渦:うへ……だるいわー、その否定。
N:栄は、モニターに資料を投影する。
栄:彼が表立って活動をしていたのは、ひと月前が最後です。
それからは目立った活動はなく、そして先日ーーここに姿を現しました。
おそらく、彼は明確な行動理由を見つけたということです。
浜渦:それってマジ? 俺たちが戦った限り、あいつってかなりイカれてるぜ。
N:浜渦は、自分の腕に巻かれた包帯を指差した。
浜渦:ていうかさぁ……ジャイアントが何考えてるとか、今関係ある?
栄:どういう意味ですか。
浜渦:目下俺たちの目的ってさぁ、その妖怪とやらをぶっ殺すことなんでしょ?
それつだけでもヤバイってんだからさーー
栄:だからこそです。だからこそ、田中新一郎と戦うのは避けたいんです。
目的がわかれば、まだ話もできるかもーー
浜渦:おいおい。話、したよねぇ!
N:李は何かを言いたげに、速見は腕を組んだまま、黙って二人のやり取りを見つめていた。
浜渦:なぁんか痴話喧嘩みたいなことぺちゃくちゃ喋ってたけどさぁ。
アレがあんたのいう交渉なわけ?
栄:それはーー
浜渦:そんであいつに人質にとられてんじゃん。
おかげさまで俺も姐さんも痛い目にあってんだよね。
N:浜渦はへらへらと笑った。
浜渦:俺たちはさぁ! 別に駒でいいんだけどねぇ!
どうせ俺らは能力の代わりに頭がぶっ壊れちまってるし。
おたくら人間からしたら身体使うしか能がないと思ってんだろ。
栄:そんなこと!
N:栄は立ち上がった。
栄:そんなこと思ってません!
浜渦:でもそれが現実ってやつなの。
俺たちにはおたくらみたいに行動理由なんてないの!
誰かの言うこと聞くか、“衝動”に身を任せるかしかないんだからさぁ。
ジャイアントだってそうでしょ。
あいつらが潰し合ってくれんなら構わないじゃん。
わざわざ理由探ったり、あげく交渉なんてありえないって。
栄:違います! 私は……私達は、同じ未来に向かって歩いているんです。
能力者も人間も関係なく……誰も傷つかない世界のために!
そのために今までも、これからも一緒に戦ってーー
浜渦:だぁかぁらさぁ、それってそう思いたいだけじゃないの!?
N:浜渦は、イラつきを隠そうともせず、床を蹴りつけた。
浜渦:ってかさぁ、自分の価値観だけでモノ語るなって。
俺、あんたみたいなオンナ……すげえ嫌いなんだよなァ!
N:浜渦は、凶暴な笑みを浮かべて栄を睨みつけた。
浜渦:一緒に戦うだぁ……?
あんたさぁ、超能力者がなんなのか本当わかってないよねぇ!
まともな人間の思考で、マジで俺たちのことが理解できると思ってたりしちゃうわけ!?
栄:私は……。
浜渦:超能力者はさ、あんたみたいな人間とは違うわけ!
戦う理由も、生きる理由も、なんもかんも!
李:浜渦!
いい加減……言葉がすぎるぞ。
浜渦:あー、姐さんは正規採用だもんな。
真面目に警察官なんてやってられるわけだ。
……俺は、更生採用だからね。
知ってる? 俺はもともと二つ名持ちの犯罪者なのよ。
栄:うそ……資料にはそんなことどこにも……!
浜渦:犯罪を犯して捕まった超能力者は、国の更生施設に保護されるんだよ。
そして、更生したと判断されたらーーま、こうしてお国のために働いたりできるわけ。
知らないわけないよなぁ、犯罪能力者を捕まえて施設送りにすることにかけちゃあ……あんたら、”速見興信所”の右に出るものはいないだろ。
あんた自身が、何人もの能力者をそうやって……俺たちみたいな戦闘人形にしてきたんだ。
N:浜渦は腕を組んで栄を睨みつけた。
浜渦:見たいように世界を見てるだけなんだろ、要するに。
超能力者を捕まえて……「わかってるよ」なんて甘い言葉かけて……!
本当はなんもわかってねえ癖に、パラノーマンズを支配してさぁ!
それで俺らのこと、わかってるつもりになってんだろ!
栄:ーーわかんないわよ!
N:栄は震えながら叫んだ。
栄:その通りよ! わかんない!
意味分かんないわよ! 衝動って何!?
なんで考え方がころころ変わるの……!? 力場を通じた世界はどう見えてるの!?
わからないわよ……わからないから!
たくさん調べて……! それで!
それで……!
N:栄は、両手で顔を覆った。
栄:私……力が欲しいわよ!
超能力が欲しい……! 棗ちゃんみたいにいろんなことを知りたい……!
荒人くんみたいに戦いたい! 春日さんみたいに誰かを助けたい!
岩政さんみたいに! 木本さんみたいに! キングさんみたいに……!
浜渦さんや、李さんみたいに!
……みんなみたいに……!
(間)
一緒にいたって! 理解しようとしたって!
わからないわよ! じゃあ、あなた達は私の何をわかってるっていうのよ!
N:栄はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
栄:居場所がないのは知ってるわよ……!
でも、帰る場所なんてもうここ以外にないのよ……!
じゃあ私は……どこにいけばいいっていうの……?
N:栄の肩に、李はそっと手を触れた。
李:ここにいてください。
栄:……私なんて……!
李:いてください。栄友美さん。
間
李:……私は、大学在学中に能力に目覚めました。
それまでは今のような自分ではなかった。
普通の女として、人並みの生活をしていました。
衝動に目覚めてから、その時のことはまるで別人の人生のように感じています。
だからこそ、超能力はまるで病のように私達を蝕んでいるように思えます。
N:李は栄の頭を撫でた。
李:私達は……自ら、超能力者という存在を否定します。
それは衝動を持つ者の呪いです。
ですが、そんな私達を、変わらず人として見てくれる人が、私達には必要なのです。
それがーー貴女です。
そんな人間を、私は他には知りません。
兵器として、道具として扱われる私達を、どこまでも対等にみようとしてくれている。
それは貴女のもつ、立派な超能力です。
そうだろう、浜渦。
間
李:浜渦。
浜渦:……知らねえよ。
李:ほら、栄さん。
彼は偉そうに言っていましたが、結局拗ねているだけなんです。
浜渦:はぁ!? 拗ねてねえって!
李:足りないんです。私達は、子供のようにわがままだったり……例えば私のように、従うだけのものもいる。
間
李:彼ーージャイアントのような超能力者は、おそらく私などよりも激しい衝動を抱えている。
規格外に不安定である彼のそばに入れたのは、あなただからだと……そう、思います。
今回は少し、混乱してしまっているのかもしれません。
でも貴女なら、もっと彼を理解できているはず。
N:李は、栄の手にハンカチを握らせると、微笑んだ。
李:私の知る貴女の力は、こんなものではないはずですよ。
栄友美さん。
間
栄:……ええ。もう大丈夫です。
N:栄はハンカチで目元を拭うと、立ち上がった。
速見:ったく……俺も年食ったねえ。
……柄にもなく、響いちまってらぁ。
N:速見は困ったように微笑んだ。
速見:友美、お前はどうしたい。
栄:私は……諦めません。
弱音は十分に吐きました。ですからここからは、私の衝動に従います。
N:栄は、立ち上がって全員の顔を見回した。
栄:甘っちょろい理想論を掲げるのが、私の超能力です。
この力は、どんな力場に押しつぶされたって負けはしません。
ですから私は、絶対に引きません。
何もかもを、押し付けてみせます。
N:栄は、満面の笑みで速見に近づいた。
栄:所長。私、速見興信所の職員、ですよね。
N:栄は、モニターに契約書を映し出した。
栄:実はですね……。職場で嫌なことがあって……私、泣かされちゃったんです。
速見:……は?
栄:だから。訴えられたくなければーーこの作戦の指揮権を、私にください。
N:速見はあまりのことに口を開けたまま固まった。
浜渦:(吹き出して)っくくく……! なにそれ……! ウケる……!
李:……確かに、中将の階級からすれば我々は従わざるを得ませんがーー
私達は、軍人ではありませんからね。
N:速見は、観念したかのように笑みを浮かべると、頭を掻いた。
速見:仕方ねェなあ……。
これで、お前の……泣き顔見た分は、チャラにしてくれや。
栄:(深呼吸)……はい。もう、泣くのは飽きましたから。
N:その声色は、自信にみち溢れていた。
◆◇◆
N:妖紅は眼を覚ました。
妖紅:新一郎……。
田中:……ああ。
妖紅:着いたか。
田中:……ああ。
N:妖紅は周囲を見渡した。
そこははるか昔。妖紅が暮らしていた廃寺の跡地だった。
妖紅:神木はまだ残っていたか。
N:様々な時経て、社はすでに跡形もなかったが、社に沿うように生えていた御神木だけはそこに力強く立っていた。
妖紅:お主は本当に、我のことを識っておったのだな。
田中:……識ってるのは、今のお前だけだよ。
それに昔のことは……こいつを読んだだけだ。
N:田中の手には、古びた本が握られていた。
それは陰陽師ーー清平の書いた手記であった。
代々受け継がれてきた妖怪の記録のひとつであり、それは首引童子とーー妖怪、お紅について書かれていた。
妖紅:そうか……。
N:妖紅は自分の身体を見下ろした。
身体は雁字搦めに縛られており、膝を着いた格好のまま身じろぎひとつできない。
田中:拘束……苦しくないか。
妖紅:何を世迷い言を。これからすることを考えれば、この程度では足らんであろう。
田中:そういうことじゃねえだろ。
妖紅:わかっておる。意地悪を言った。
N:妖紅は微笑むと、瞳を閉じた。
妖紅:新一郎よ。ひとつ頼まれてくれるか。
田中:……なんだ。
妖紅:その忌々しいものを燃やしてくれるか。
……あの人を……我らの過ごした時を……もう放っておいて欲しいのだ。
間
妖紅:頼む。
N:田中は、ポケットからライターを取り出すと、躊躇なく手記に火をつけた。
手記は瞬く間に燃えて、田中の足元で灰になっていく。
妖紅:……ありがとう。
N:妖紅は灰になっていく手記を見つめながら、顔を歪めた。
妖紅:……芙蓉様……。
N:その瞳から涙が溢れる。
妖紅:芙蓉さまぁ……! 私はッ……!
N:田中は、妖紅に手を伸ばしそうになるのをぐっと堪えた。
強く唇を噛み締め、それでもしっかりと目の前の少女の涙を眼に焼き付けた。
妖紅:……私は、会いとうございます……!
芙蓉さまぁ……!
◆◇◆
N:護送車を降りると、栄はぼーっと宙を眺めていた。
李:特射……? 大丈夫ですか。
栄:……はい。
李:そうですか。
N:栄は考えていた。
怪異と、妖怪の少女のことを。
そして、田中新一郎のことを。
浜渦:姐さん。装備の確認しろってさ。
李:あ、ああ。
N:栄の隣に、速見が歩み寄った。
速見:友美。
栄:……所長。
速見:何かわかったンなら、ここで共有してくれ。
ここから先、もうあとは戦うしかないからな。
N:栄は少し俯いた後、宙にモニターを表示した。
栄:まず私と田中新一郎のことについて整理したいんです。
そもそもの発端ですがーー
N:栄は速見に視線を向けた。
栄:所長……私達は皆、口に出すのをためらっています。
まだ、受け入れられなくて……その……。
速見:……ああーー朔のことか。
N:速見は困ったように笑った。
速見:昔っから俺の言うことなんぞ聞きやしなかったが。
まさか、勝手に死んじまうとはなァ。
栄:……すみません。
速見:何言ってンだ。気にすンじゃねえ。
間
速見:ほら。続けてくれ。
栄:……速水さんがいなくなった後、新一郎くんは激情状態にありました。
最初はまだ悲しみを隠しているように見えました。
それを誤魔化すように戦いに身を投じていくうち、どんどんと不安定になっていきました。
やがて、私の言葉を聞くこともなくなり、ただひたすらに戦いのみを求めていきました。
おそらく超能力の過使用によって、衝動に支配されていたのだと思います。
……それでも私は、彼のそばにい続けました。
ですがーー
N:栄は、腕を抑えた。
栄:ふとした口論の末に、激高した彼の力場の影響を受けてーー私は負傷しました。
そして、私は彼と離れることにしたのです。
間
栄:それからしばらく、報告書以上のことは知りませんでした。
……ですが、今回会ったときの彼には、以前のような衝動は見られませんでした。
妙になんというか……落ち着いていたんです。
その様子が何か引っかかって、思い出したんですーー
N:栄はモニターに資料を表示した。
栄:以前、逮捕された“青の教団”の超能力者。並びに、二つ名能力者"記憶泥棒”。
滑川 保(なめりかわ たもつ)と七原 裕介(ななはら ゆうすけ)の資料について改めて確認しました。
七原裕介は未だ入院中ですが、滑川については調書が残っています。
内容自体は、幼い頃から彼が行ってきた殺人の記録についての照合などが主でしたがーー違和感があったんです。
N:栄は宙に文字を書き込んでいく。
栄:それは、滑川保の人格についてです。
酒井ロレイン警視の報告書によると、ある一瞬から“衝動を超えた”とあります。
そこから能力の爆発的向上と、高揚していた精神が鎮静化した。
これは衝動を超えるほど能力を使用した際に、“超越者”と呼ばれるある種のトランス状態に至った際の症状と考えられています。
浜渦:何々? なんかの授業?
李:黙って聞け。
栄:現在、超越者となった超能力者が生き残り、かつ収監されているケースは稀です。
調書によると、精神は限りなく安定しており、先天的に殺人衝動を抱えているとのことでした。
能力の過剰仕様による精神崩壊は認められなく、超越者とは一時的な症状であると結論づけられていました。
ですがーー本当は違うと思うんです。
N:栄は、滑川の会話記録を参照した。
栄:普通すぎるんです。
速見:つまり、どういうことだ。
栄:まるで……普通の連続殺人鬼なんですよ。
幼いころに、父親から虐待を受けたことなどを見ても、一般的シリアル・キラーのプロファイリングに一致します。
浜渦:普通の連続殺人鬼って……どんなおもしろワードよ……。
栄:すみません。でもーー
N:それは、後世まで語り継がれる超能力者における重大な真実のひとつであった。
栄:私はーー超能力を使い続け“超越”すると、“衝動”から開放され“人として感情”が戻るのではないかと考えています。
N:超能力者の2人は顔を見合わせた。
浜渦:……それ、マジで?
李:感情が……戻る?
栄:あくまでも仮説です。あまりにもデータが少なすぎますから。
ただ、新一郎くんが絶え間なく戦っていた期間と、その後の潜伏期間から、
彼が既に超越状態へと至っている可能性については何度も考えてきました。
もし新一郎くんにも、滑川保と同じことが起こっていたとしたらーー
N:栄は、瞳を閉じた。
栄:新一郎くんは……今まで衝動のままに行ってきたことを、感情として受けとってしまっているかもしれない。
間
栄:いえ。それは今は確かめようのないこと。
ただ、もしそれが本当だとしたら……今の彼は以前のように戦えなくなっている可能性があります。
もちろん能力の強さに関してはご存知のとおりですけどーーいえ、この話は一旦置いておきましょう。
N:栄はモニターを閉じた。
栄:新一郎くんの狙いについてですが……。
紅い妖怪ーー首引童子についての資料だけを盗みだしたというのが気になります。
彼の性格上、どうしても彼自身が何かの狙いで動いているとは考えられないんです。
おそらくは何者かの指示や助言によって行動しているように思えます。
速見:……指示や、助言ねえ。
栄:ええ。そして所長のお話を聞いて、目的については絞り込んでいます。
◆◇◆
妖紅:楽しかった。
田中:ん?
妖紅:お主との旅路は、短くも楽しかったぞ。
N:田中はバツが悪そうにそっぽを向いた。
田中:……やめろよ、そういうの。
間
妖紅:新一郎。“強い”とは何かと……我に聞いたことがあったな。
田中:ああ。
妖紅:誰にも負けぬ力か。不屈の精神か。
それとも、弱さを知るものか。
はたまた、強さを守り続ける者か。
“強い”とは、かように姿を変える夢うつつのようなものよ。
だがなーー
N:妖紅は子供っぽく笑った。
妖紅:少なくとも新一郎。
おなごの前では格好つけてこそ、男よ!
目の前に我のような美しい娘が座っておるのだ!
何を湿気た面をしておる!
間
田中:ああ。楽しかったよ、俺も。
妖紅:そうであろう。
N:田中は両手を思い切り広げた。
田中:ああ! すっげー楽しかった!
妖紅:そうであろう!
田中:ったく! お前がもうちょいセクシーな女だったらなぁ!
もっと楽しかったかも知れねえけどな!
妖紅:何を言っておる! 我は十分せくしぃだ!
もっとも! お主のように女々しい男には、心はもちろん身体も許さんよ!
田中:はん! 俺も過去の男を引きずってる女はゴメンだね!
妖紅:ほほう! 自らのことをこうも綺麗に切り捨てるとは! 見事よ!
田中:(笑う)はっはっはっは!
妖紅:(笑う)はーっはっはっは!
N:茜色に染まる森の中。
何かを吹き晴らすように二人は笑った。
しばらくすると、二人は、まるで数百年連れ添った友人のように、並んで空を見上げていた。
田中:なあ妖紅。お前の好きなもんってなんだ。
妖紅:食べ物か? そうだな。山菜と、それと、川魚だ。
田中:素朴だねえ。ちなみに俺はラーメンな。
妖紅:ほう。かっぷらぁめんか。
田中:まぁ、アレもめちゃくちゃ美味いんだけどな。
色々あんのよ。
妖紅:ふむ……我も意地を張らずに食べておけばよかった。
……では次は我の番じゃな。
お主の初恋について話せ。
田中:お前……ピンポイントで嫌なところをついてくるよな……。
N:それからしばらく、2人は他愛もない話をし続けた。
何かに導かれるように始まった逃避行。
終わりの決まっていた旅。
はじめて2人は、何を気にすることもなく会話をしていた。
笑い声が途切れたころ、田中はゆっくりと妖紅の前に立つ。
妖紅は、優しげ眼差しで田中の顔を見つめていた。
田中:お前が気を失ったら、例の鬼が出てくる。だよな。
妖紅:紅い月も近い。やつも機会を伺っているであろうからな。
……鬼だけではない。死の精霊達が大挙して押し寄せるぞ。
田中:ああ。
妖紅:死んでくれるなよ……新一郎。
目が覚めてひとりなんてことはーー
N:妖紅はそこで言いよどんだ。
妖紅:いや。もう二度と目を覚ますことはない……そうであろう?
田中:……ああ。
N:田中は妖紅の頬に触れた。
田中:……そろそろ、やるか。
妖紅:そうだな……。お主には、酷なことをさせる。
N:田中は、妖紅の首に手を伸ばす。
妖紅:もう……お前は衝動に身を任せることもできぬ、ただの人間だというのに。
田中:俺は……ただの人殺しの能力者だよ。
妖紅:お主のように超越者に至った者を、殺してやったことがある。
自分がしてきたことを懺悔し、泣きじゃくる姿はーーただの女だった。
N:田中は、優しく微笑んだ。
田中:優しいなぁ、お前は。
妖紅:ああ。覚えておいてくれると助かる。
田中:忘れるもんか。忘れてやるもんかよ……。
N:田中は腕に力を入れる。
妖紅は苦しげな顔に笑みを浮かべた。
妖紅:新一郎。
田中:なんだ。
妖紅:これで、最後にするのだ。
田中:……ああ。
妖紅:お主はもう十分に戦った。
お主の罪は、総て我が冥府へ持ち帰ろう。
だからーーこれはお前の最初で最後にするがよい。
N:田中は、唇を噛み締めた。
喉の奥からは嗚咽が漏れる。
田中:クッ……ソ……!
妖紅……! 俺は……お前を……!
妖紅:だい、じょうぶ……だ。われ、は……。
N:二人の流す涙を、紅い月が照らす。
秋風が吹くと、紅い葉が夜空を舞った。
妖紅は、霞む視界で葉の行方を追った。
妖紅:ふ、よう……さま……。
N:妖紅の脳裏に、芙蓉の最後の声が聴こえた。
◇
N:お紅は眼を覚ました。
荒い呼吸がすぐそばで聞こえる。
芙蓉:はぁっ! はあっ!
妖紅:芙蓉……様?
芙蓉:お紅! 眼が覚めたのか!
妖紅:ここは……?
芙蓉:もう少し待ってくれ!
休める場所まで運んでやるからな……!
N:お紅は朦朧とする意識の中で、その背の暖かさに身を委ねていた。
心地よい揺れの中、流れていく木々のざわめきが、二人だけの世界なのだと囁いている気がした。
芙蓉:ゆっくりおろすぞ。
N:木々の開けた場所で、芙蓉はお紅をゆっくりと地面におろした。
二人は座って向かい合った。
芙蓉:お紅、一人にして悪かった。
妖紅:芙蓉様。
芙蓉:お前は、妖怪なんだな。
間
妖紅:はい。私は、妖怪にございます。
芙蓉:そうか。
間
芙蓉:それでもかまわないさ。
妖紅:芙蓉様……。
芙蓉:逃げてばかりだった俺にとって、お前は何よりも明るい紅い光なんだ。
お前を失うと思ったら、居ても立ってもいられなかった。
どんなに恐ろしくても、どんなに逃げ出したくなっても……お紅。
お前の居ない人生のほうが、俺には何倍も耐えられないんだ。
N:芙蓉はお紅の手を握りしめた。
芙蓉:妖怪だなんて……おっかあが聞いたら何ていうかはわからないけど……。
お前さえよければ……だが。俺はお前を嫁として、村に連れて帰るつもりだ。
お紅、俺の気持ちは何もかわらない。
俺は気づいたーーいや、ずっとそうだったんだよ。
N:芙蓉はお紅を抱きしめた。
芙蓉:愛している。お紅。
妖紅:私も……。私もでございます……!
心からお慕い申し上げております……! 芙蓉様!
芙蓉:もう、片時も離れぬと誓う。
他の人はどうでもよい。お前とだけ二人で生きよう。
妖紅:……幸せです。それがお紅の幸せにございます。
N:紅い月の光の下で、二人は抱き合っていた。
しかしその時ーー紅い月は、邪悪な笑みを浮かべていたに違いない。
首引童子:イタダキマス。
芙蓉:え?
N:妖紅の身体が無数に裂けると、漆黒の口が姿を現す。
次の瞬間、芙蓉の身体は食いちぎられ、口の中へと飲み込まれていた。
◇
妖紅:ア……イヤだ……!
N:妖紅の瞳が紅く光った。
妖紅:芙蓉様! 芙蓉様! フヨウさまアアアアア!
田中:ッ! 妖紅ッ!
N:田中はとっさに飛び退いた。
すると、妖紅の身体が裂け、巨大な口へと変貌した。
田中:……クソッ! ようこぉぉう!
首引童子:ケハハハ……ようやく出たでた。
絶望のあまり意識を渡しおった。
これでもう、己(おれ)の身体だ。
N:首引童子は、現代に蘇った。
◆◇◆
N:速見を先頭に、李と浜渦と一塊に森の中を疾走する。
速見:友美の予想通りだが、もう既に首引童子は目覚めてやがる!
カエデちゃん! ケイ! 作戦その2でいくぞォ!
李・浜渦:了解!
速見:死ぬなよォ!
N:3人は広場に躍り出る。
既にそこは戦場と化していた。
首引童子:げはははは!
押しつぶされろォ! 人間!
N:無数の怪異たちが山となって田中を押しつぶす。
浜渦:なんじゃありゃ……!?
李:ジャイアントが!
速見:お前ら、散開しろォ!
N:田中は腕を軽く振るった。
超越者ーー田中新一郎にとって、怪異の山をどかすのにはそれで十分だった。
田中:ようこう。俺は……。
N:怪異の山はーー吹き飛んだ。
首引童子:……なんだ。何をした、オマエ。
田中:俺はただ、認めて欲しかったんだ。
首引童子:巫山戯(ふざけ)ろッ、人間ッ!
N:首引童子は口を開く。
深淵の中から死を運ぶ黒い腕が伸びる。
田中:何も守れなかった俺自身を……。
弱かった俺自身を……お前に重ねて……!
N:田中は黒い腕を難なく避けると、両手を合わせた。
首引童子:キヒッ。なんだァ!
N:田中の超能力ーー超念動力(サイコキネシス)によって、周囲の巨木が超高速で飛来する。
首引童子は腕を切り離して飛び退いた。
巨木同士がぶつかり合い、轟音を立てて砕け散る。
首引童子:オマエ……人間じゃないな。同類かァ?
田中:……妖紅。お前はずっと戦ってきたんだよな。
俺なんかとは違う、お前は本当に強いやつなんだ。
首引童子:いいや。違うかァ。オマエァ……。
田中……だからこそ、俺はーー
N:田中は宙に浮き上がると、拳を振りかぶった。
田中:お前を、殺す……!
N:そして首引童子に高速で接近すると、強靭な力場を拳に集めた。
妖紅:死にたくない!
田中:え?
N:田中は拳を止めた。
眼前には、赤い瞳に涙を溜めた少女が座り込んでいた。
田中:よう、こう?
首引童子:ばぁか。
田中:ッ!
N:次の瞬間、田中の脇腹を激痛が襲った。
首引童子:デカイでかい。或いは怪物。
だがそうさなァ、目を見ればわかるぜェ。
オマエ……弱っちい餌だァ。
ケハハハハハ!
N:妖紅の姿をした首引童子は、邪悪に笑った。
田中の脇腹には、黒い手が突き刺さっていた。
首引童子:もぉらい。
N:首引童子は田中の身体を放り投げる。
田中は力なく地面に転がっていく
首引童子:デカイちから、もぉらった!
こりゃぁすげえな! こりゃあたまげた!
腹八分目どころか、腹パンパン!
何人喰ってもこうはなるめえ!
N:田中の力場を喰らった首引童子は、邪悪な妖気を漂わせながら嗤った。
首引童子:さァて。何年寝てたかしらねぇが……いろいろ見て回らにゃぁな。
……その前に、お前はちゃぁんと全部喰っとくかァ。
N:首引童子の伸ばす黒の腕が田中に伸びた。
しかしーー
浜渦:はい! チョッキン!
N:水の刃が腕を切り落とす。
浜渦:姐さん! 今のうち!
李:了解!
首引童子:おお。まだいた。
N:黒い腕が無数に飛来する。
浜渦は、ペットボトルの口を切り落とすと、水をまいた。
浜渦:喰らえ。
N:浜渦の能力によって水しぶきは凶器と化す。
迫りくる童子の腕は、弾かれ霧散した。
李:おい! しっかりしろ!
田中:……あぁ、お前らか。
李:ッ! なんて腑抜けた……!
もういい! 担ぐからな!
N:李は田中の身体を軽々と持ち上げた。
首引童子:逃すかねェ。そいつは己の餌だぜ。
N:首引童子は巨大な口を広げた。
しかし、その口に白い札が無数にまとわりつく。
首引童子:ムグッ!
速見:嫌だねェ、醜悪な口開くなよ。
N:陰陽師、速見賢一は手刀を構えていた。
首引童子は瞳を見開くと、札を噛み砕いた。
首引童子:その匂い……覚えてるぞォ……!
忌々しい人間のォ!
速見:人違いーーと、いいてえところだが……ご先祖様の尻拭いも俺のお役目ってか。
いや、俺は拭わなきゃならんものが多すぎてな。
N:速見は腰の刀を引き抜いた。
速見:……過去の失敗は腹を斬っても足りやしねえが……。
俺の目が黒いうちは、もう誰にも好き勝手はさせねぇぞ。
首引童子:おマエハアアアアアアアアアア!
◆◇◆
李:……では、私は戻ります。
N:李は地面に田中を下ろすと、踵を返した。
栄:ええ。では、手はず通りに。
李:はい。
N:李が走り去るのを見届けると、栄は横たわる田中を見下ろした。
田中は、呆けたように宙を見つめていた。
栄:……情けないですね。
間
栄:止血、します。
N:栄は田中の脇腹の傷に手をのばすと、絆創スプレーを吹き付けた。
スプレーは傷口を塞ぐと、みるみるうちに固まり、止血した。
栄:……まだ、何も喋れませんか。
間
栄:いい加減にしてください。
私も、暇ではないんですよ。
N:栄は苛立たしげに田中を睨みつけた。
栄:感情が戻りましたか。
N:田中は、ゆっくりと身を起こした。
田中:……知ってたのか。
栄:知ってた? ……ええ、そうですね。
知らなかったから、必死に考えたんですよ。
間
栄:あなたは最初からそうでした。
自分では何も知ろうとせず、肝心なことははぐらかして。
聞けば教えてくれますもんね? 速水さんが。
田中:ッ! お前……!
N:栄は田中の頬を強く叩いた。
田中:ッいってぇな!
栄:なんですか、それ。
間
栄:痛くなんてないでしょう……! あなたは強い力をもった超能力者なんですから!
田中:……友美ちゃんーー
栄:うるさい!
N:栄は怒っていた。
栄:衝動がなんだっていうのよ。
超能力なんてなくってってねぇ! 怒るのも、悲しいのも一緒なのよ!
キングさんが死んでしまって! 速水さんだって死んでしまって! 今はみんな戦争だって戦ってる!
いついなくなってしまうかわからない! 不安に決まってるじゃない!
N:栄は常に感じていた。
超能力者の中にある純粋さとは、研ぎ澄まされた感情の形なのだ。
そしてそれは、自分自身の中にも確実に存在するものなのだ。
だからこそ、許せなかった。
超能力者という存在と、それを理解できない自分自身を恨んでいた。
栄:知ろうとしなきゃって! 理解しなきゃって!
躍起になってたって、あなたがそう思っていないんなら、意味なんてないじゃない!
田中:……わからないんだ。
栄:何がわからないっていうのよ!
田中:俺には。俺が、わからない。
N:田中は、恐れていた。
強さを求める衝動を超えた先あったのは、弱さに怯える自分。
超能力者である自分を受け入れることができず、当て所なくさまよう日々を。
田中:ごめん……俺は。
俺は、君をーー守れなくなってしまった。
栄:そんなの……!
田中:ダメなんだ。俺は……。
何も守れないんだ。ただ、壊してきただけの、怪物なんだ。
N:栄は田中の頬を再び叩いた。
栄:ッ! 誰がそう呼んだんですか……!
間
栄:あなたが怪物だなんて! 誰が呼んだんですか……!
あなたは怪物なんかじゃないでしょう!?
いつだってーー
N:それでも俯く田中を見て、栄は思考を切り替えた。
栄:もう……いいです。
それよりも、あなたには聞きたいことがあります。
N:栄は腕を組んだ。
栄:あなたに、首引童子の情報を教えたのはーーいえ、これはあとでもいいですね。
田中新一郎……あなたの目的はなんですか?
田中:俺の目的……?
栄:わかりやすく言いましょうか。
首引童子の能力は冥界へと繋がっている。
首引童子の身体を使えば、魂を取り戻せるーーつまりは死んだ人間を生き返らせることができる。
N:田中は驚愕に目を見開いた。
栄:やはり……あなたの目的は速水朔を生き返らせることですね。
田中:……ああ、そうだ。
栄:そう吹き込まれて……のこのこと言われた通りに行動してたってことですね。
N:栄はため息をついた。
栄:死んだ人を生き返らせることなんてできないーーだなんて、言い切れないですよね。
ええ、たしかにそんなことを言われて、しかも自分にそれができる力があると思っているなら、私だってそうします。
N:栄は、冷たい眼差しで田中を睨みつけた。
栄:やっぱりそうですか……外れて欲しいと思っていた予想でした。
自分が好いた男が……その程度の考えしかできないとは思いたくなかったので。
間
栄:もし仮に、速水さんを取り戻せるとして……あなた1人でどうにかできるんですか。
あなたにそれを吹き込んだ人物は、信用に値するのですか。
どうです?
N:栄は田中に背を向けた。
栄:……では、あの妖怪はこちらで対処します。
田中:待ってくれ。
N:田中は顔をあげた。
◆◇◆
N:速見は地面に刀を突き刺した。
速見:お前らァ! 引け!
李:了解!
浜渦:ひぃぃ!
首引童子:シネエエエエエエ!
N:首引童子が放った黒い煙が3人を包み込む。
速見の張った結界の中で、李と浜渦は身を屈めた。
李:中将!
浜渦:やっば……! マジでやばかった!
N:煙に触れた地面が黒く染まっていく。
速見:陰気(いんき)だ。吸ったらダルいぞ。
結界を解いたらしばらく息止めとけよ。
浜渦:俺もうやだぁ!
李:まったくもって同感ですね……!
決め手もない上に、作戦もそろそろ……!
速見:確かに。こいつを封じるのは俺でもきついんだよなァ。
浜渦:え!? マジで!?
『時間稼ぎすればいいんだな?』なんてカッコつけてたじゃないかよ!
速見:だから言った通りだろうが!
時間稼ぎしとろうに。
李:と、なると……本当に特射に任せるしかないわけですね……!
N:速見は腕を組んで笑う。
速見:どうだお前らァ。
不安か?
N:浜渦と李は顔を見合わせた。
◆◇◆
田中:あいつと、約束したんだ。
N:田中は立ち上がった。
田中:あいつを……殺してやるって。
N:栄は一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。
栄:……それ、本気でいってるんですか。
田中:ああ。本気だ。
間
栄:……彼女の名前は?
田中:妖紅……今は、妖紅と名乗ってる。
栄:怪異とは、違うんですよ。
田中:すげえ優しいやつだよ。
栄:あなたはもう、衝動に縛られていないんですよ。
そんなこと、できるんですか?
間
栄:ダメです。
N:栄は、拳を握りしめた。
栄:ダメです! あなたには、殺させません!
もう、誰も! 殺させない……!
田中:友美ちゃん。
栄:その娘と約束したんなら! 私とも約束してください!
もう誰も殺さないって!
間
栄:それとも……私の声はもう、あなたには届きませんか……!?
N:2人は黙って立っていた。
ふと、風が吹いた。
秋風は木の葉を撫ぜ、一枚の赤い葉が田中の眼前を舞った。
そしてーーその葉の向こうに、男が立っていた。
田中:……え?
N:やせっぽちで、小汚い着物に身を包んだ男は、困ったように微笑んでいた。
田中:……あんた……もしかして。
あいつの言ってた芙蓉、なのか……?
N:男ーー芙蓉は黙って頷いた。
田中:なんだよ……あんた。ずっと見守ってたのか……。
間
田中:なんでまた俺の前にいるんだよ。
あいつのそばにいてやれよな。
間
田中:ああそうか……あんた、死んでるんだもんな。
そんで、俺になんかいいたいってわけだ。
間
田中:……俺さ。死ぬってどんな気分なんだろうって、考えてたんだ。
なんかすげえ色んなことが解決して、救われる、みたいなさ。
間
田中:死んだら楽になるって思ってたんだけどなぁ……。
なんだよ……死んでからも、誰かのことを想って、しかもわざわざ俺なんかの前に現れるなんてさ……。
間
田中:あいつが惚れるわけだ。めちゃくちゃカッコいいよ、あんた。
間
田中:俺は……まだ生きてるってのにぐちぐちぐちぐち……。
わかってんだよ、俺も。
本当はさ。俺、めちゃくちゃカッコいい予定だったわけ。
悪いやつはぶっとばして、好きな女はしっかり守って、それでいて余裕綽々でさ。
誰にも負けない、どんなシリアス展開でもぶっとばす、最強無敵のヒーローになる予定だったわけよ。
間
田中:ーーああ、そういうことか……。
そういうことなんだろ……つまりは。
間
田中:サンキューな。……芙蓉様。
N:次の瞬間、田中は肩を叩かれて振り向いた。
栄:新一郎くん!
田中:え? あ、ああ。
N:もう一度周囲を見渡すが、芙蓉の姿はどこにもなかった。
栄:とにかく、ダメですから!
絶対に殺させーー
田中:あー! わかんねえなあ!
栄:……は?
N:田中は、思い返す。
自分とは一体何なのか。そしてこの世界が何なのか。
理解不能。解読不可能。
超常的な力を持っている自分と、ただ人間としての感情に振り回されている自分。
田中:田中新一郎ってのは、わかんねえ。
栄:はい?
N:愛する人を傷つけて、その事実を受け入れられなかった。
それでも手を差し伸べてくれる目の前の女性に、それでも傷つけてしまっていることもわかっていた。
しかし、そんなどうしようもない人間こそーー
田中:超能力者も、その他諸々もわかんねえし、何が正解で、何が間違ってるのかもわかんねえ。
……でもさぁ、友美ちゃん。
なんか俺って、ずっとそういうやつだった気がすんのよ。
N:田中は、どこかから視線を感じていた。
それは、自分が超能力者になる前からずっと、変わらない冷めた視線で自分を見続けていた。
速見朔の視線が、どこからかーー「お前は、そういうやつだ。昔から」
そう声をかけてきている気がしていた。
田中:……俺ってやつはさ。無責任で、不遜で、誰よりも好き勝手やる“ジャイアント様”なわけだ。
N:栄は、その言葉を黙って聞いていた。
彼女もまた、そういう女なのだ。
2人は、久しぶりに向かい合った。真っ直ぐに、正直にーー
田中:友美ちゃん。
俺は殺すよ。
栄:新一郎くん……。
田中:でもそれは、俺だ。
弱い俺を、殺さなきゃなんねえ。
田中新一郎を殺さなきゃなんないんだ。
N:田中の眼に、力が宿った。
田中:俺はもう……誰とも約束なんてしねえよ。
もう、誰の言うことも聞かねえ。
俺のやりたいようにやって、あとから文句でもなんでも聞いてやる。
N:田中は、芙蓉の姿を思い出す。
田中:……すげえひ弱っぽくってさぁ……俺みたいな超能力もってないんだ。
あっさり死んじまって……でもさ、百年経ってもずっと愛する女を見守ってんだよ。
俺は今、そんなやつに未来を預けられてんだ……!
そんなやつに、今もどうすんだって見られてんだよ!
そしたらさぁ! 俺が! この俺様が、自分が望む未来を簡単に勝ち取って!
平然と高笑いするところ見せなきゃいけねえだろ!
N:田中は芙蓉のいた場所に向けて拳を差し出した。
田中:……俺は、妖紅に喰わせてやりたいんだ。美味いもんをさ。
だから、わりぃなあ! 芙蓉様!
あんたの望みはわからねえが、あいつはさらっちまうことにした!
そんかわり……あんたの魂も俺様が鬼から取り返してやる。
間
栄:(吹き出す)ぷっ……ふふふふ……!
田中:なんだよ……俺は真剣にーー
N:栄は、心から笑っていた。
栄:本当……カッコ悪い。
田中:……ああ、そうだよ。
結局、かっこ悪いからな、俺は。
N:目の前の男が、決して巨人などではなく、ただの人間だと知っていたから。
栄:でもーーそれでこそ、田中新一郎です。
N:栄は手を叩いた。
栄:実はもう、準備してます。
田中:……は?
栄:あなたなら、絶対にそういうと信じてましたから。
速見所長が首引童子の封印を解いて、あなたが倒す。
そしてーー妖紅さんも、死なせない。
N:栄は笑う。
栄:行きますよ。ヒーローさん。
……ヒロインが私じゃないのは妬けますけどね……。
◆◇◆
首引童子:そろそろ限界カァ。
浜渦:そいつは、どうかな!
N:浜渦は飛び上がると、水の刃で首引童子の口を斬りつけた。
浜渦:俺はまだまだーー
首引童子:キヒ。違う違う。
浜渦:ッ! 姐さん!
N:李は、警棒を投げ出してがむしゃらに腕を振るっていた。
李:お前は、認め、ない!
認めない! 認めない認めないみとめないみとめろおおお!
速見:チィ! “衝動”かッ!
浜渦:姐さん!
N:浜渦は地面を蹴ると、李に飛びついた。
首引童子の攻撃が肩口をかすめるも、なんとか李を抱えて飛び退く。
浜渦:いってえええ!
速見:下がってろ!
首引童子:ふたぁりぃ! イタダキマス!
N:気を失っている李をかばったまま、浜渦は迫りくる深淵を呆然と見つめていた。
田中:遅れてくるんだよなぁ。
N:首引童子の身体が吹き飛んだ。
田中:今回のお話の主人公は……俺なんだよ。
N:田中新一郎は宙に巨石を浮かべ、それを拳に見立てていた。
巨人の腕ーーそれこそ、ジャイアントの象徴であった。
栄:浜渦さん! 李さんをこっちへ!
浜渦:遅いってマジで!
栄:すみません! お馬鹿さんがなかなか言うこと聞いてくれなくて!
田中:シャラーップ! と、言いたいところだけど……。
悪かったな、あんたら。後で埋め合わせはする。
浜渦:……お前を捕らえて昇給。昇進もよろしく。
N:田中は手をあげて歩きだす。
速見:おう、遅かったな。
田中:おっさんも。悪かったな。
N:田中は速見を見ずに呟いた。
田中:朔のこと、死なせちまった。
速見:生意気いうな。ガキが。
そんなもん、全部……親の責任よ。
田中:……でも。俺はまだ諦めてねえんだ。
速見:魂は生きてるってか……まあ、否定はしねえけどな。
田中:ラブは悪魔だ。やつとの契約においては、魂を引き渡すことになっているらしい。
やつは手に入れた魂を黄泉国(よもつくに)に送っている。
魂の器ーーつまり、身体さえ残っている状態で、魂を手に入れれば身体に戻せるかもしれねえ。
N:速見は驚愕に眼を見開いて、田中の横顔を見る。
速見:おめえ……そいつを誰にきいた。
田中:『仲也(ちゅうや)』って男だ。知ってんだろ。詳しくはあいつに聞け。
N:その名前を聞くと、速見は肩を落としてため息をつく。
速見:はぁ……そうか。ったく……どいつもこいつも面倒な。
田中:おっさん。
速見:……ん?
N:田中は、腕を回した。
田中:俺は、こっからしばらく反省しなきゃなんねえんでな。
その前に、俺のやりたいようにやらせてもらうぜ。
速見:おうよ。
……付き合ってやるよ! 大馬鹿モンの花道ィ!
N:田中と速見は駆け出した。
首引童子:クソガアアアア!
N:首引童子はすべての腕を開放する。
漆黒の塊に向かって田中は巨石を打ち込むーーが、漆黒の口が巨石ごと、田中の身体ごと飲み込もうとする。
田中:ガキ大将パーンチ!
N:田中は強靭な力場を固めると、思い切り殴りつけた。
一拍をおいてーー闇が弾けた。
首引童子:なにィ!?
速見:ったく! めちゃくちゃしやがる!
田中:まだまだァ! 理不尽キーック!
首引童子:グアアアア!
N:首引童子は吹き飛んだ。
速見:新一郎! やつの首を抑えろ!
田中:オーケー!
首引童子:許さん! 許さん許さん許されぬううう!
N:田中は首引童子の触肢をはねのけながら、身体へと近づいた。
首引童子:喰ってやるぅ!
田中:甘いぜ! 喰らえ! 暴力!
N:田中は首引童子の口を、文字通り力ずくで閉じていく。
首引童子:ナ。ガガガガ……!
田中:残念だったな。この時代にはーー俺がいんのよ。
N:首引童子が口を閉じるとーー
妖紅:や、やめろ……!
N:首引童子は妖紅の身体へと戻った。
田中:ようこう……!?
妖紅:そうだ……! やめてくれ!
N:紅の瞳に涙を溜める妖紅に、田中はそっと手を伸ばし
田中:ほいっと。
N:ーー首を抑えた。
首引童子:ぐえ……!
田中:うっし! いいぞーおっさん!
N:速見は地面に刀を突き立てると、印を結び始める。
首引童子:オ、オマエら、己を引き離すというのか!
ゲハハハハ! わざわざ封印を解くというのか!
田中:ああ、そうだ。
首引童子:これはおめでたい! この娘の命と引き換えに、己を放つと!
そいつはありがたい! 再び世界を喰らうにはーームグ!
田中:いいから黙ってろよ。
速見:……解(かい)ッ!
N:速見が手刀を切ると、妖紅の首に白い綱が現れ、ゆっくりと解けた。
妖紅の身体から黒い煙が抜け出すと、宙に浮かんだ。
首引童子:永かった! 己よ! 自由よ!
ケハハハハ! これで!
N:煙は美丈夫の姿に変わる。
首引童子は自らの腕を感慨深げに眺めていた。
田中:悪いが、ただでさえ長い尺が伸びちまうんだよな。
お前のセリフはカットだ。
N:田中は、首引童子の前に立って拳を固めた。
田中:お前もお前で生きてたんだ。痛みを知れとはいわねえよ。
ただ、お前が力で奪ってきたってことは、お前よりでかい力で奪われてもしかたないってことだ。
首引童子:でかい力だとォ?
田中:見えないか?
N:首引童子は見た。超常的な存在である自分からみても、異常なほどの力場。
この山など簡単に潰せるであろう暴力。
田中新一郎という、『超能力者』の姿。
首引童子:は?
田中:冥土への土産に教えてやる。
俺の名前は田中新一郎ーー“最強”の男だ。
N:田中が拳を握り込む。
それだけで、首引童子の身体は力場によって小さく圧縮された。
速見:青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女。
(せいりゅう・びゃっこ・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ)
……さぁ、スパッと、逝っちまいなァ。
N:圧縮された身体を切り刻むと、速見は手刀でその妖気の根元を振り払う。
田中の登場から、時間にしてわずか数分。
東の大鬼、大妖怪首引童子は、こうして数百年越しに退治されたのだった。
◆◇◆
N:妖紅は、自分が誰かの膝の上に頭を乗せているのだと気づいた。
妖紅:……どうして。
間
妖紅:さては……お主も、死んだか。
田中:かもな、どう思う。
妖紅:……最後に見た顔よりは、マシな顔しておる。
N:妖紅は眩しそうに眼を細めた。
妖紅:どうして、我を殺さなかった。
間
妖紅:約束したであろう……! この大馬鹿者……。
田中:……悪いな。
間
田中:殺すの、やめたわ。
妖紅:大馬鹿者……!
N:妖紅は、腕を眼に当てたまま涙を流した。
それがいったいどうして流れてくるのか、自分でもわからなかった。
妖紅:我の中から……! あいつが消えておる……!
もう……感じることができないのだ……!
悲鳴の混じった魂の叫びも……! かすかに感じた……あの人も……!
田中:そうか。
妖紅:これほどまでに屈辱的で! これほどまでに苦痛なことがあるか!
田中:……そうか。
妖紅:だが、それよりも、嬉しいと思ってしまっておるのだ……!
N:妖紅は泣きながら、笑顔を浮かべた。
妖紅:芙蓉様は……救われたのだな……!
N:田中は目を細めて微笑んだ。
田中:本人に、聞いてみろよ。
妖紅:何をーー
N:妖紅が身体を起こすと、そこには芙蓉が立っていた。
妖紅:芙蓉、さま。
N:妖紅は芙蓉と向かい合った。
妖紅:芙蓉様……! お紅は……お紅は……! ずっと会いとうございました……!
やっと芙蓉様にーー
N:それからしばらく、2人は見つめ合っていた。
妖紅:芙蓉様。
N:周囲は紅葉。いつかと同じく、美しい風景だった。
妖紅:もう随分と、私はこの山で暮らしてきました。
……芙蓉様は、私と共にいるという約束を、ずっと守ってくださったのですね。
N:紅に染まる木々を眺めながら、妖紅は涙を拭った。
妖紅:私はーーお紅は……この数百年。幸せでございました。
芙蓉様を想う日々に、ひとかけらの不幸もございませんでした。
そして、もう一度お会いしたいという願いも、こうして叶えていただきました。
間
妖紅:本当なら、芙蓉様と共に、あの世へお供するつもりでございました。
ですがひとつ……ひとつ未練ができてしまいましたので、もう少し現世におりたく思います。
N:妖紅は、笑った。
妖紅:かっぷらぁめんを、食べそこねてしまいましたのです。
N:芙蓉は優しく頷いた。
妖紅:次にお会いするときには、ぜひそのお味をお伝え致します。
ですから、どうか……どうか、お心安らかに。
ーーあの世でお待ちください。
N:風が吹き抜け、妖紅は髪を押さえた。
次に目を向けると、芙蓉の姿は消えていた。
田中:……行っちまったか。
妖紅:行っちまったか……ではない大馬鹿者!
N:妖紅は田中の頭を叩いた。
田中:いっ……! 今日はどんだけ馬鹿って言われんだか。
妖紅:それだけ馬鹿だということだ。
まったく……数百年引っ張っておいて、まだ生きているとは……。
どうすればいいというのだ。
田中:んー、さぁな。
妖紅:なんだと!? この……無責任な……!
田中:(笑って)ま、カップラーメン喰ってから考えようぜ。
◆◇◆
浜渦:姐さーん、ほら……もうちゃんと歩いてよ。
俺も怪我してんだし……!
李:浜渦……きもちわるい……。
浜渦:うあ! 吐くのは勘弁! 吐くのはーー
李:うえええ。
浜渦:うぎゃあああああ!
N:国道沿い。一同は支援部隊の到着を待っていた。
速見:だから……背中を見せてみろって。
妖紅:断る。
速見:……いい加減にわかってくれよ。
俺はあくまで陰陽師の末裔で、清平じゃねえんだって。
妖紅:末裔ならば、責任というものがあるはず。
我にあやつを封印したのだからな。
速見:わかったってぇの! ちゃんと責任はとってやるって!
妖紅:ならば、我の身柄は保証してもらおうか。
そうだな、話に聞くとお主は権力者とのこと。
お主の隠し子ということにでもするといい。
速見:(ため息)はいはい……なんでもいいから背中見せろよ。
お前、妖気が抜けて消えかけてンだからよ。
俺の術で固定するーー
N:速見は妖紅の背中をみて驚愕した。
速見:……お前、もしかしてまだーー
妖紅:いや。やつはもうおらんが……長かったせいだろうな。
黄泉国へのつながりが残っておるようだ。
N:速見は頭を掻いた。
速見:こりゃあ……癪だがあいつの理論を試してみるかァ。
◆◇◆
N:速見たちから少し離れ、自然公園のベンチに2人は座っていた。
栄:……あの。
田中:……おう。
N:つかず離れずの距離。
お互いに何かを話そうとしては、どこか息詰まっていた。
栄:……妖紅、さん。
田中:……おう。
栄:好きなんですか……?
間
田中:は?
栄:だから! その……妖紅さんのこと!
好きなんじゃないかって……!
田中:いや、嫌いじゃないけど……。
栄:やっぱり……!
N:栄をうなだれた。
栄:やっぱり……やっぱり……やっぱり……。
そうなんだ……だってそうだもん……ばっちりヒロインだし……。
私なんて口うるさいだけでそんな……。
田中:おーい、友美ちゃん。なんか勘違いしてない?
栄:何をですか……!
田中:俺、ロリコンじゃないから。第一そういう意味で言ったんじゃーー
栄:でも! 妖紅さんって数百歳なんですよね!
田中:い、いや。第一妖怪だしーー
栄:でも人間の男の人と恋に落ちたんですよね!
田中:それは俺じゃないって……!
N:栄はため息をついた。
栄:……ま、でも妖紅さんは好きですよ。新一郎くんのこと。
田中:なんだよそれ。
栄:もういいです。
間
栄:私ね、ひどいもんだったんですよ。
田中:何が?
栄:あなたがいなくなってから。
間
栄:もうね。全然ダメでした。
一生懸命忘れようとするんですけど、まったく離れてくれなくて……。
こんなところまで……来ちゃいました。
N:栄は立ち上がると、田中の前に立った。
栄:私は、こんな大馬鹿者のこと愛しちゃってる、超大馬鹿者なんだなって。
ほんと、落ち込んじゃいますよね。
田中:……それ、笑うとこ?
栄:笑ったら、許しません。
N:栄は、手錠を取り出した。
栄:でもね、そういうのは一旦あと……。
あなたを逮捕しなくてはなりません。
田中:ああ……。
N:栄は田中に手錠をかける寸前ーー手錠を投げ捨てた。
田中:おい、何をーー
N:そして、田中を抱きしめる。
栄:……捕まえた……。
N:田中はされるがまま、瞳を閉じて笑みを浮かべた。
田中:ああ、捕まった……。
N:超能力者でも人間でも、それが妖怪であったとしても。
愛は紅く、人々を照らす。
◆◇◆
N:独房の中に、男は座っていた。
男は椅子に拘束され、その口も拘束具に封じられている。
男は、ゆっくりと瞳を開くと、紫色の髪の隙間から目の前の男を見つめた。
速見:新一郎は馬鹿だが……お前に吹き込まれたってんだから納得したぜ。
あれでいて人には操れないが……お前には術があるからなァ。
N:”青の教団”の構成員にして戦争犯罪者ーー仲也(ちゅうや)は、速見賢一の顔を憎々しげに睨んでいた。
速見:……お前の資料やなんやかんやは、全部提出しておいた。
もうしばらくしたらここからでてもらうぞ。
N:仲也は目を細めた。
速見:良かったなァ。
お前の禄でもない脳みそをーー俺が使ってやるってンだよ。
N:仲也は瞳に怒りを浮かべると、足を鳴らして唸った。
速見は頭を掻くと、踵を返した。
速見:俺を恨むのは構わねえし、朔に固執するのも構わねえけどな。
……人の命を弄ぶやつは、俺ァ人とは扱わねえからな。
好き勝手はここまでだ。覚悟しとけ、愚息よォ。
N:速見賢一は、自らの息子ーー速見仲也の独房を後にする。
速見:あと、新しく妹ができたから。今度紹介すらァ。
N:戦争は収束し、やがて総ての駒が盤上にあがる。
その中心では、天使が羽を広げ、慈愛に満ちた表情で地上を見つめている。
やがて世界には、“パラノーマンズ・ブギー”が鳴り響く。
パラノーマンズ・ブギーE
「大馬鹿者」 了
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