パラノーマンズ・ブギーC
『あるいは』
作者:ススキドミノ



速水 朔(はやみ さく):25歳。男性。速水探偵事務所、所長。ライト・ノア社、社長。

田中 新一郎(たなか しんいちろう):25歳。男性。速水探偵事務所、職員。

酒井 ロレイン(さかい ろれいん):38歳。女性。警察庁公安部特務超課、警部。

花宮 春日(はなみや はるひ):26歳。女性。速見興信所所属の超能力者。

七原 裕介(ななはら ゆうすけ):25歳。男性。『記憶泥棒』と呼ばれる超能力者。

滑川 保(なめりかわ たもつ):29歳。男性。青の教団、青の使徒の一人。

大藤 一(だいとう はじめ):速見興信所、職員。兼、青の教団、使徒。

ラブ:青の教団、教主。海豚の姿をした怪物。


うずら:警察庁公安特務超課で試験運用されている人口超知能内蔵デバイス。子供っぽいけど優秀。ナレーションの人と被り役

警官:いつも物語ではやられ役になってしまいがちな人。ナレーションの人と被り役。

空港職員:ナレーションと被り。

野次馬:ナレーションと被り。

信徒:ナレーションと被り。




※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)




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 ◆◇◆


N:あるいは一瞬の出来心だった。
  事情の大小などは関係ない。
  それが大きな岩だろうが、小さな小石だろうが、丁寧に並べられたドミノを崩した事実には関係はない。
  そして、それによって失われたものが、どれだけ取り返しの付かないものだったとしても、
  少年たちは流されるしかなかった。

速水:立て! 新一郎!

N:少年は倒れこんだ友人の肩を強く揺すった。
  友人は色を失った瞳で宙を見つめていた。
  少年は強く拳を握りしめ、腕を振り上げた。

速水:いい加減にしろ!

七原:落ち着け朔!

N:そんな少年の腕を掴んだのもまた少年だった。

七原:今、新一郎を殴ってもしかたがないだろう!

速水:離せ……!

七原:落ち着いて、状況をよく見ろ!
   君らしくもーー

速水:離せといっている!

N:崩れた瓦礫と舞い上がる土埃の中で、少年同士の視線が交錯した。
  どうしようもない時間の中で、一瞬とも永遠ともいえる時間の中で、お互いに気づいていたのかもしれない。

速水:……誰だ、お前は。

N:そんな始め方もあるのだということを。


 ◆◇◆


N:七原裕介はゆっくりと瞼を開いた。
  彼が目覚めたのはベッドの上だった。
  並んだ無数のベッドと、キャスターなどをみていると、まるで病院のようであったが、窓などは一切ない。
  壁には異国の言葉で書かれた無数の書類が貼り付けられ、戸棚には用途のわからない奇妙な物品ばかりが並んでいる。
  あまりにも見慣れない光景に、あっけに取られていたせいだろう。
  七原が、自らの身体がベッドに拘束されていることに気づいたのは、数秒経ってからのことだった。

七原:(ため息をついて)……やあ。

N:七原は目の前に座る男に声をかけた。
  男ーー速水探偵事務所所長、速水朔は、読んでいた本から目線をあげた。

速水:……随分と気持ちよさそうに寝るもんだね。

七原:懐かしくはあったけど……そう、いい夢でもない。

速水:(鼻で笑う)そう。

七原:超能力者でも、夢くらいはみるよ。

 間

七原:……朔、そこの彼は?

N:七原は速水の背後に立っている少年に目を向けた。
  少年は、七原の視線に驚いたのか、速水の背に隠れる。

速水:説明する必要はない。

七原:でも、隠すほど重要でもない。だろ?
   教えてくれよ。

速水:考えない人間は、進歩しないぞ。

七原:(苦笑して)相変わらずだな。

速水:……ユージーン、もういいだろう。
   出て行け。

N:少年ーーユージーンは少し考えた後、首を縦に振った。
  速水が頭を軽く撫でると、ユージーンは小走りで部屋を出て行った。

七原:もしかして……俺の心配を?
   良い子だな。君の駒になるのは気の毒なほどに。

速水:……理由が必要な人間もいる。

七原:悲しいことにね。

 間

七原:……1ヶ月半前かな。俺が捕まったのは知ってるよね。
   一つところに留まりすぎたせいもあるけどーー
   まあ、君の仲間に足止め食らったのもあってさ。

速水:知ってるよ。捕まってすぐに脱走したのもね。

七原:だろうと思った。
   ……それで? どうして一ヶ月以上も泳がせた上で、俺を拉致したんだ?
   あいつにーー『死の商人』に俺を売るつもり?

速水:君と対面するのに一月半かかったのは、諸々の準備を済ませる必要があったからだ。
   ”記憶泥棒”を捕まえるのは容易じゃないことは、レディ・ガブリイルから5年間逃げ仰せていることが証明しているしね。

七原:ふうん、この程度で俺を捕まえたって思ってるわけだ。

速水:ああそうだ……忘れないうちに言っておくけどーー君は自由の身になった。

七原:……え?

速水:レディにはちょっとした貸しができてね。
   取引の上で、買ったよ。

七原:買ったって……俺の身柄を?

速水:君がやつの元から盗んだものに比べれば、どうってことはない金額で、だけどね。
   やつもわざわざ遠い異国から君を捕まえる労力を割くのはバカバカしくなったんだろう。

 間

七原:……何が目的だ?

速水:目的は、対話、だよ。

七原:……は?

速水:……手始めに……そうだな。
   やつから逃げた後も、君が躍起になって探していた情報……。
   安藤麗奈の行方について話そうか。

七原:……本当に意地が悪いな。

N:速水はベッドに近づくと、七原の拘束器具を外した。

七原:なんのつもり……?

速水:これは君が暴れることを想定してつけたものだからね。
   冷静なら、必要はない。

七原:へえ……冷静ね。

N:七原の瞳が色を失っていく。
  視界に速水を収めると、七原は不機嫌そうに口元を歪めた。

七原:これでも俺、結構怒ってんだけどね。

速水:そう? そうは見えないけど。

七原:……麗奈は、どうした。

速水:奪われた。

七原:(舌打ち)やっぱり……!

速水:今は、どこにいるのか絞りきれていないな。

七原:お前はッ!

N:七原は速水に掴みかかった。

七原:俺は! お前になら任せられると思ったんだ!
   だから新一郎に記憶を渡してまでーー

速水:くだらない。

七原:なんだと!

速水:守りきれないものを何故守ろうとしたんだ。

七原:何も知らないくせに……! 彼女は俺にとってーー

速水:勘違いするなよ、記憶泥棒。
   僕は慈善事業家じゃない。それに、君なんかにたやすく信頼されるほど、安くはない。

七原:お前は他人の感情なんて二の次だからな!
   合理性に囚われた哀れな男だ!

速水:そうやって感情に流されれ、正常な判断能力を失う。
   一時の快楽に身をまかせる。
   僕が哀れな男ならーーお前はなんだ。動物か?

七原:お前のそういうところが昔から気に食わなかった!

速水:『昔から』とは妙な言葉を使う。
   僕は、君なんて『知らない』

七原:なら思い出させてやるーー

N:突如、七原の身体に異変が起こった。
  視界が歪み、奇妙な高音と共に、頭が割れるような痛みが七原を襲う。

七原:うがああああああああ!!!!

N:速水は冷たい瞳で七原を見下ろした。

速水:動物みたいに喚かないでくれる?

七原:朔ぅうう! 何をしたぁ!!

速水:力を抑えろ。

七原:う、ぐ……。

N:七原は胸を押さえながらゆっくりと瞼を閉じた。
  やがて、痛みが治まってくると、ベッドに倒れこんだ。

七原:(荒い呼吸)

速水:今度こそ、冷静に話をしようか。

七原:朔……! お前……頭に、『ナニ』を入れた……!

速水:七原裕介。
   お前の能力では僕の頭はいじれない。

七原:質問に答えろッ!!
   俺の頭に! ナニを入れたんだ!

速水:……変わったのは君の頭の中じゃない。
   ーー僕の頭の中だよ。

N:速水は、怪しげな笑みを浮かべていた。


 ◆◇◆


N:とあるマンションの一室。
  『速水探偵事務所』という表札が貼られたドアの前で、頭を抱えている男がいた。

滑川:あのー、ですね。ですからですね。あのーそれがですね。
   あのー、いや、なんていいますかですね……。

N:男はためらいながら、何度も何度もドアノブに手をかけようとする。

滑川:でもですね。あのーだめなんですー。
   いやー、違うんですけどねー。やっぱりそうかなって。
   でもあれー、あれなんですよー。

N:男は、扉から数歩下がると、ゆっくり拳を振りかぶった。
  その瞳から光が失われ、男の持つ”超能力”が発動した。

滑川:おじゃましまーす、っていってね。あのーおじゃましますー。

N:男が拳を叩きつけると、扉は轟音を立ててひしゃげ、そのまま部屋の中へ消えていった。

滑川:あのー、あれなんですけど。あれー、あのー、あれです。
   あのー、殺せって、そのー言われまして。

N:男は呟きながら部屋に入る。
  速水探偵事務所の室内はーーもぬけの殻だった。

滑川:あのー、あれー、これあれですねー、あのー。
   逃げられたってやつですよねーあのー。

 間

滑川:じゃあ、あれですね……怒られますかね。

酒井:んー? 一体誰にかなぁ?

滑川:……あれ?

N:男が振り向くと、そこには見知らぬ女が立っていた。
  女は口にくわえたタバコを投げ捨てる。

滑川:貴女、あのー、誰、ですか?

酒井:私は警察庁公安部特務超課(けいさつちょう・こうあんぶ・とくむ・ちょうか)
   酒井ロレイン警部。

N:酒井は首元のネクタイを軽く緩めると、笑みを浮かべた。

酒井:つーわけで、ちゃきちゃき地面に伏せて、サクッと私の質問に答えてもらっていいかな?

滑川:あー、えっと。警察が、あのー、何故ここにーー

N:酒井は男の眼前に踏み込むと、容赦なく首を蹴りつけた。
  男は息をする暇も無く、地面に這いつくばる。

酒井:(滑川を踏みつけ)質問していいってダレが言った? ああ?
   テメエ……国家権力舐めんじゃねえよ。

滑川:ず、びばぜん……。

酒井:謝れるってのは美徳だねえ……お姉さん、嫌いじゃないよ。
   大サービス! 無駄口叩かずに名前と所属を言ったら、少しだけ私の機嫌が直るかもよ……?

滑川:『速水探偵事務所職員』……滑川……保……。

酒井:そーかそーか。それで滑川くん。君は、どうしてここに現れた?

滑川:あのー……所長に一度……クビだと言われて……そのー。
   あのー、それで……そのー、でもやっぱり納得いかなくてーー

N:酒井は滑川の首筋を思い切り踏みつけた。
  固いものが地面と擦れる音が、室内に響き渡る。

酒井:何、能力使ってんだ。殺すぞ?

N:滑川の首筋は、彼の超能力によって、硬く変質していた。

滑川:あのー、使わないと、死んでいたっぽくて。

酒井:(ため息)あのさあ……お母さんに教わらなかった?
   私に嘘ついちゃダメだって。

滑川:お母さんは、あのー、あれですね。小さいときに蒸発しちゃったので。

酒井:うんうん、その調子。その調子で正直に頼みますよぉ。
   『ハヤミ』の関係者だなんてクソくだらない嘘つく余裕があるなら、
   ギリギリ喋れるところまで潰しちゃうよ? いいの?

滑川:あ、あのー、勘弁してください。それは。

酒井:さぁて、次は能力使ってもイっちゃうくらいのパワーでいくかんね?
   ……それではお答えいただきましょう!
   滑川くんの『本当の所属先』は……ズバリどこ!?

 間

滑川:あのー、知ってますかね?『青の教団』っていうんですけど。

酒井:(舌打ち)今の聴こえたか?

N:酒井が首元のマイクに呟くと、イヤーモニターに声が帰ってくる。

酒井:『うずら』どうだ。

うずら:『聴こえたー。

酒井:本部に連絡。

うずら:『うぃー。

酒井:……ってーわけで。

N:酒井はため息をつくと、滑川の頭から足をどけた。
  滑川は困ったように頭を掻きながら、ゆっくりと立ち上がる。

酒井:……行っていいよ、滑川くん。

滑川:あのー、えっと……すみません。

酒井:勘違いしないように! 『今は』ってだけだからねー。
   テメエら全員残らず裁かれる準備しといてちょ。

滑川:……あのー、あれです。

酒井:あ?

滑川:色、歪んでいるのでー、そのー。
   青に、なったほうが、そのー。

酒井:うるせえ! 気が変わらないうちに、失せやがれ。

滑川:あは、そう、ですね。

N:滑川はゆっくりと部屋を後にする。
  酒井はそれを見送ると、壁にもたれかかってタバコを咥えた。

酒井:(煙を吐いて)……うずら。監視はつけた?

うずら:『つけましたぁー。

酒井:ったく……ただでさえ余裕がないってのに。

うずら:『ねえ、ロレイン。なんで捕まえなかったのー?

酒井:んー? それはねえーうずらちゃん。大人の事情ってやつ。

うずら:『青の教団って、あれだよねー。
     データベースの隅っこのとこにちょこちょこあるやつー。
     ここ1月で18件くらいー?

酒井:(煙を吐いて)そーそー、そのわるーいやつらね。

うずら:『わるーいやつら。把握したー。

酒井:で、私らの上司にも多分そんなわるーいやつらが紛れ込んでるってこと。

うずら:『ねえロレイン、この会話も漏れちゃうけどいいのー?

酒井:中指立ててたって追加しといてくれてオッケーよん。

うずら:『把握したー。

酒井:(煙を吐いて)ったく……なんで人口知能に愚痴ってんだか。私は……。

うずら:『うずらはぁー、ただの人口知能じゃないぜー。

酒井:あーはいはい。難しい説明は勘弁。

うずら:『ただの人口知能じゃないから、勝手に喋ってもいいー?

酒井:んー? どーぞお好きに。

うずら:『多分、そろそろだよー。

 間

酒井:そろそろって、何が?

うずら:『そろそろ、動くよ。おっきいのが、ドーンって。

酒井:はぁ? ……そのドーンって、何かな?

うずら:『わかんないー。でも、ロレインも動くなら今だよってー。
     でないと、身動き取れなくなっちゃうかもって言ってたー。

酒井:ちょっと待て。うずら、それ、誰が言ってた……?

うずら:『えっとねー、ダディのお友達。

酒井:ダディの……友達?

うずら:『その人の名前はねー、言えないのー。

酒井:じゃあ! お前のパパは!? パパの名前はなんだ?

うずら:『ダディはねー、ユージーンっていうー。

酒井:綴りは?

うずら:『いー、ゆー、じー、いー、えぬ、いー。

酒井:……うずら。サポートモード終了。シャットダウンしろ。

うずら:『はーい。キーを音声入力でお願いしまーす。

酒井:「おやすみなさい。いい夢をみるんだよ」

うずら:『入力完了。おやすみなさーい。

酒井:(舌打ち)ったく……!

N:酒井は携帯電話を取り出すと素早くコールする。

酒井:ニコル。黙って調べて欲しいことがある。すぐに。
   いい? ……一年前に政府が提携した企業を洗い出して欲しい。
   ……その中で、ウチで使ってる『うずら』と、『アンチ』関連の新技術を開発したのはどこだ。
   ……スケープゴートだと判断できるところは弾いて。……ああ。
   ……間違いない? わかった。なら、そこの技術者にユージーンって名前のやつはいる?
   ……そんなには待てないの! すぐに! 綴りはオレゴンのユージーンと一緒!

 間

酒井:……本社の住所も合わせて、すぐにメールで送って。
   ……お礼は今度……わかったって。

N:通話を切り、酒井がタバコを口に咥えるとすぐに、メールの受信が入った。
  酒井はタバコを投げ捨てると、メールの受信画面を開く。

酒井:……ライト・ノア社。技術開発部主任、ユージーン・ブレンストレーム、ね。
   あーあ、これじゃ、岩政の馬鹿に説教できないじゃないか。

 間

酒井:なんにしたってーーどいつもこいつも、私を舐めんじゃねえっての。


 ◆◇◆


N:廊下を歩いて行く速水の背中を見ながら、七原は周囲を観察していた。
  白を基調とした清潔な廊下には埃一つなく、通りすぎていくドアの中からも物音一つない。
  今ここにあるのは、速水と七原の足音だけだった。

七原:……ここは……。

速水:ここは、企業ビルだよ。

七原:すんなり答えてもらえて助かるけど、なんだか気味が悪いな。

速水:僕がすんなり説明することが? それとも、今いる場所のこと?

七原:……どっちも、かもね。

速水:(ため息)……後者から答えよう。ここは特別フロアになっている。
   今使っているのは、僕とユージーンだけ。

七原:ユージーン……さっきの男の子か。

速水:君の能力を防いだ技術も、彼が開発したものだよ。

七原:あの少年が……? いや、待ってくれ……!
   そもそも彼は、能力を無効化する技術を開発したっていうのか!

速水:呼称は『アンチ』
   能力の無効化だけじゃなく、能力そのものを解剖するプロジェクトの総称。
   既に『アンチ技術』を取り入れた商品は、日本政府や傭兵の連中が正しく運用している。

七原:考えが追いつかない……。
   ……いくらあの少年はとてつもない天才だったとしてもーー

速水:そんなチープな言葉で装飾するな。
   向こう数百年内にユージーンに匹敵する頭脳が現れたとしたら、そいつは悪魔の類で間違いない。

七原:……今もうすでに、朔のように精神感応を防ぐ人間がいるってことか?

速水:僕の頭に埋め込んだナノマシンはまだ試作品だからね。
   チューニングも君に合わせているから、他の能力者には使えない。

 間

七原:……速水朔。お前は……一体何者なんだ。

速水:君がそれを言うのか? 記憶泥棒。

 間

速水:僕は、『速水探偵事務所・所長』に変わりはない。
   ただし、今この場に限り、肩書きはーー
   『ライト・ノア社・社長』速水朔だ。

N:速水が立ち止まり、部屋に入ると、七原も後に続く。
  2人が室内に入ると同時に、部屋の片面を覆っていた日よけが、自動的に開いていく。
  数秒もすると、室内の隅から隅まで、日光が差し込んでいた。
  七原は興味深そうに部屋の奥へと歩みをすすめる。

七原:……なんてところに連れてきてくれたんだ。

N:七原は日よけの取り払われた窓に歩み寄った。
  地上から何十メートルもの高い位置から見えるのは、どこまでも果てしなく続く海。
  そして、周囲には森林と、簡単な道路のみが見える。

七原:ここは……島、なのか。

速水:観ればわかることをいちいち……。

N:速水は数人がけのソファに腰掛けながら、どこから取り出したのか、数個のケーキを大型テーブルの上に並べていた。

七原:朔……一体、何をしようとしてるんだ?

速水:何って、ケーキを食べるんだけど。
   ……やらないからな。

七原:そうじゃなくて!
   ……いや、今はいい。
   どうせ一気に聞いたって理解できる気がしないからね。

速水:懸命だな。どちらにせよ、順を追って説明させてもらうし。

七原:(ため息)……相変わらず甘いものが好きなんだな。
   そのケーキ、ひょっとして『彼女』の店の?

N:七原の言葉に、速水はフォークを持つ手を止めた。

速水:……違う。

七原:えっと……。冗談のつもりだったんだけど……まさか、わざわざ……?

速水:うるさいぞ。とっとと座れ……!

七原:(苦笑)はいはい。

 間

七原:いいかな……。

速水:質問ばかりだな……。

七原:そうはいうけど……なぜそうも簡単に僕の疑問に答える。
   はっきり言って、何かを企んでいるようにしか見えないな。

速水:随分な言い草だな。

七原:らしくないね。速水朔ともあろう男が、強引すぎやしないか。

 間

速水 :僕にはーー

N:速水はつまらなそうにケーキを口に運んだ。

速水:時間がない。

七原:時間……?

速水:(ケーキを食べながら)はっきりいって、君に何か頼みごとをするつもりはない。

七原:へえ……本当に? 俺の身柄を買った癖に。

速水:ああ。別に恩を感じてくれる分にはありがたいけどね。

七原:じゃあ、どうして僕にここまで拘る。

速水:(紅茶を飲む)……言うのは簡単だ。だが、それでは意味がない。

 間

速水:今ここで言えることは、今後の展開しだいでは君の意思で動いてもらう必要がある……ということくらいかな。
   
七原:僕の意思で……?

速水:ああ。……そんな不確かなものにも頼らないといけないんだ。
   (ケーキを食べながら)僕自身少し焦っているよ。
   ……相手が相手だからね。


 ◆◇◆


滑川:マズイなあ……あれー? これじゃ、すごく大変なんだよな。

N:滑川は路地裏にいた。
  周囲の建物には、所々に鉄柱でも叩きつけたような穴が空いており、
  瓦礫の影にはーー数人の警官達が倒れていた。

滑川:ちょっとこれ。あれー。ですね。
   上手くいかないっていうか。あのー。はい。
   そういった次第で。なんていっちゃってね。

警官:き……聴こえますか……。

滑川:(下の警官の台詞と同時に)
   あのー。いや、それはちょっと。あのー。
   いやー。やめてほしかったなー。それだけはちょっと。
   あれなんですよねー。いやなんですけど。

警官:(上の滑川の台詞と同時に)
   監視対象、超能力者、が、暴れ……応援を……早く。
   もう4人……が……。助けて……ください……。

滑川:あのー。

警官:ひっ、あ、早くッ! 応援を!

滑川:あのー。だめです。それ。

警官:嫌だッ! 殺さないでッ!

滑川:えっと、あのー。駄目なんで。それは。
   あのー。とりあえずなんですけど。あのー。
   終わりで。お願いしますー。

N:滑川は拳を振り下ろした。
  何かが潰れるような音がした後、静寂だけが遅れてやってきた。

滑川:あのー。あー。あれー。どうしましょうね。
   あー! あのー! すみません! わざわざ!
   えっと! この後、そのー! あると思うので!
   後始末はあのー! ごめんなさい!

N:滑川は路地の入り口に立っているスーツ姿の男に、何度も頭を下げた。
  男ーー大藤一(だいとうはじめ)は笑顔を浮かべながら、路地裏の惨状を見つめていた。


 ◆◇◆


N:空港内は喧騒に包まれていた。
  行き交う人の並を眺めながら、酒井は不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていた。

酒井:……ったく、どこいっても禁煙禁煙って……!
   あー……イラつくわぁー。
   こっちだって税金収めてんだからーーあ、すみません。

N:酒井は、足元に置いたボストンバッグを自分の元へと寄せると、
  ため息混じりにコートの内ポケットからメモ帳を取り出した。

酒井:……ライト・ノア社……本社、東京都島嶼部(とうきょうととうしょぶ)ーー
   まさか離島に本社があるとは思わなかったけど……。
   如何にも何かありますっていってるようなもんだわね。

N:酒井は上唇を舐めると、メモ帳をしまう。

酒井:……しっかし! 遅いわぁ……!
   確認にどんだけかかるってのよ!

空港職員:ですから、ええと、お客様ーー

酒井:はぁ……!? 他の客の対応……!?
   私の方が先だったじゃん!
   クッソ……割り込まれてたまるかっての……!

 間

空港職員:あのですね……その島というのが。

酒井:あのぉーすみませぇん。

空港職員:あ、はい!

酒井:えっとぉ、私が乗りたい便の確認?
   まだなんですよねぇー。

空港職員:あ、あの。そうなんですが……。

酒井:ちょっと急いでるのでぇ、早くして欲しいっていうかぁ。

春日:ず、ずびばぜーん……!(訳:すみませーん)

 間

酒井:……は?

花宮:あのぉ……私がぁ……その、困らせちゃったみたいでぇ……!

N:酒井が見下ろすと、そこには瞳に涙を溜めて蹲っている女がいた。
  女のワンピースはところどころ破れていて、身体は泥だらけ。
  手荷物は特に見当たらず、手の中に白縁の眼鏡を握っているだけだった。
  女は腕で涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。

花宮:あの……えと……! ゆ、ゆうしてくらしゃい……。(訳:許してください)

酒井:……ちょっと状況が飲み込めないんだけど……この女性は?

空港職員:あの……それが、お客様と同じ住所をお持ちになっていらっしゃったので、
     ご一緒にご案内をと思ったのですが……。

花宮:(鼻をすする)私が泣いちゃって……すみません……。

酒井:貴女が……? 私と同じってことは……。

N:酒井は目の前の女を改めて観察する。
  女はキョトンとした表情で酒井を見返した。

酒井:……いや、なんで貴女みたいな人が。

花宮:へ……? なんですか……。

 間

酒井:(首を振る)……いや、なんでもありません。
   それより、次の便はいつなの?
   離島だからそんなに本数はないと思うけどーー

空港職員:それがなんですけど、お客様ーー

 間

酒井:はぁ!? そんな島は存在しないぃ!?


 ◆◇◆


N:その部屋には青い光が広がっていた。
  光は、時折揺らぎ、混ざり合い、生き物のように部屋を動き回る。
  部屋に深い青を刻んでいるのは、巨大な水槽だった。

大藤:失礼いたします。

N:男は、部屋に入るなり水槽に向かって深々と頭を下げた。

大藤:お目通り頂きまして感謝します。
   ”青の使徒”が一人、大藤一です。

N:青の使徒、大藤一はスーツの胸元に手を当てながら、ゆっくりと立ち上がった。

ラブ:……ハジメくんじゃないか。
   久しぶりだね。

N:その声は水槽からーーいや、直接頭に響いているように感じた。
  しかし、たしかにその声は水槽の主が発したものだった。

大藤:お久しぶりです。ラブ様。
   変わらずお元気そうでなによりですね。

ラブ:ふふ。君に私の調子がわかるっていうの?

大藤:いつもより、血色が良いように見えますから。

ラブ:そうか。先週水が変わったんだけど、すごく身体に馴染むんだよね。

N:それはーー海豚(いるか)の姿をしていた。
  しかし、水の中をゆっくりと泳ぐ様は、決して水族館で観るような愛らしいものではなかった。
  異常、異質、シュール、コミカル、人によって様々な見方がされるであろう。
  しかし、少しでも異端を知る者であれば直ぐにでも気づくはずだーー
  目の前にいるのが”怪物(モンスター)”であることに。

ラブ:それでーーわざわざ会いに来たのはどういう要件かな?

大藤:経過報告を、と思いまして。

ラブ:なるほどね。まあ、せっかくだ。聞こう。

大藤:僕がかねてより潜入しておりました『速見興信所』ですが。
   ご指示通り、興信所の人間は”ほぼ”始末いたしました。

ラブ:”ほぼ”?

大藤:ええ、ほぼ。

ラブ:面白いね、ハジメくん。
   それを私に直接報告しにくるってのが面白い。

大藤:流石にあの事務所を潰すのは容易ではないので。
   それにーー僕が潰しきれないのも、既にご承知かと思いまして。

ラブ:なんていうか、君は話が早くて助かるな。
   それで、殺せたのは、誰かな。

大藤:ええ。順番にアルバイト勤務、西川ーー

ラブ:ああ、その辺りは省いてくれて構わない。
   私が聞きたいのは、上の方だけだから。

大藤:……超能力者、ジョナサン・ランド。
   超能力者、フランシス・グリーン・
   超能力者、木元 佳祐(きもとけいすけ)
   ーーそして、”狂王(ベルセルク)”、ムハンマド・”キング”・ラーマーヤナ。

ラブ:ふひ、ふひひひひ。

N:ラブは奇妙な笑い声をあげて身体を一回転させた。

ラブ:ハジメくぅん。
   国内最強の”超人(スーパー)”を殺したって言うのに、嬉しそうじゃないねえ。

大藤:いえ、嬉しくないわけじゃありませんが……。

ラブ:少なくない時を過ごした同僚だからって、悲しんでいるのかい?
   そうなのかな? どうなのかな?

大藤:(苦笑して)僕にそんな感傷なんてありませんよ。
   それにーーどこまでいっても彼らは、”超能力者(パラノーマンズ)”ですから。

ラブ:……ふひひ。
   それで……逃したのは、誰だい?

大藤:既に興信所から離反していた、戦略担当、栄 友美(さかえ ゆみ)。
   ”泣き虫(クライベイビー)”、花宮 春日(はなみや はるひ)。
   興信所所長、速見 堅一(はやみ けんいち)の三名です。

ラブ:ふうん……。まあ、十二分に予想の範囲内だ。

大藤:併せて、三の使徒が『速水探偵事務所』に押し入った件でーー

ラブ:誰も居なかったんでしょう。知ってる知ってる。

大藤:それは失礼をーー

ラブ:いいんだよ。

 間

ラブ:ふひ……”ハヤミ”は素敵だ。

大藤:……素敵、ですか。

ラブ:きっと彼らは策を巡らしてる。
   特に息子の方は今頃……いや、いい。いいよ、口にしてしまったらつまらない。

 間

ラブ:ハジメくん。
   君はいつ私を裏切る?

大藤:……え?
   それはいったいーー

ラブ:前から思ってたんだぁ。
   君、色がね……濁ってるなぁって。

N:ラブはクルクルと身体を回転させた。

ラブ:私の言葉に揺れ動かされない、その強靭な精神は多いに気に入っているよ。
   でも、勘違いしてはいけない。
   私が君をこうしてここに置いているのは、君が私をーー裏切るつもりだから。
   それだけさ。

大藤:何故そんなことを仰るのかーー

ラブ:ふひ、いいかい。必ず、致命的なところを狙うんだ。
   最も私が絶望を感じるタイミングで、私を裏切れ。
   そして、楽しませておくれ。君はそれでいい。
   君はどこまでいってもただの……駒でしかないのだから。

 間

大藤:(ため息)……期待に応えられるように頑張らないといけないな。

ラブ:期待しているよ。

 間

大藤:では……失礼いたします。

ラブ:ああそうだ。これから君は自由に動いてくれ。

大藤:自由に……?

ラブ:純粋な作戦行動には、綿密な計画が有効だ。
   だがーー相手を大きく凌駕するにはそれだけではいけない。
   彼らはね……ハジメくん。
   信じられないことに、私たちを大きく凌駕しようとしている。
   この教団がどれだけ大きな力を持っているか知っていて尚、
   一筋の絶望もなく、ハッピーエンドをつかもうとしているのさ。

大藤:……彼らなら、そうしようとするでしょう。

ラブ:人間とは、そうでなくてはいけない。
   そしてそれこそが、人間のもつ大きな力だ。
   ……今の君は、駒だ。
   だが、いつかはそれ以上に強くなってもらわなくてはならない。

大藤:……私の思う通りに、彼らと戦えと。

ラブ:ハヤミの息子なら、こういう言い方をするかな。
   『君には、君の意思で動いてもらう必要がある』とね。

大藤:(苦笑して)速水朔、か。確かに彼ならそう言いそうだ。

ラブ:彼らは近々間違いなく動く。
   恐らくはーーそう、港町の”夏祭り”かな。

大藤:祭り……”Label(レーベル)”の回収任務、のほうですか。
   そういえば、あの木偶人形も帯同させたとか。

ラブ:彼の故郷だからね、あの街は。
   もし、任務に失敗して彼らに壊されるのなら、故郷がいいはずだ。

大藤:任務の失敗を……考えられているのですか。

ラブ:ふひひ……だから君は弱いんだ。
   失敗を恐れるのは実に人間らしいけど。

 間

大藤:何故、そこまで……人間に固執するのですか。

ラブ:好きだから。
   ……好きで、好きで好きで好きでたまらないから。
   私はーーラブなんだよ。

 間

大藤:ではーー超能力者も、人間ですか?

ラブ:君は、どう思う?

大藤:僕に聞くのは野暮ってものじゃないですかね。

ラブ:そんなことはないさ。
   言葉を口にすることには、とても大きな意味がある。
   正直な言葉は、とても強く、そして美しい。
   だがーー嘘はいけない。色を濁らせるからね。
   超能力者に向ける君の憎愛……それだけは純粋であることを祈るよ。

 間

ラブ:行きたまえ。

大藤:はい。それでは今度こそーーそうでした。
   ”狂王(ベルセルク)”の遺体をお土産にお持ちしましたので、後ほどお受け取りを。

ラブ:ありがとう。

N:ラブは口を開けて、牙を光らせた。

ラブ:美味しくいただくよ。


 ◆◇◆


N:空港からほど近いホテルの一室。
  酒井は煙草に火をつけた。

酒井:(煙を吐く)……ったく、どうなってんのよ。
   それにーー

N:酒井は部屋のシャワールームに目を向ける。

花宮:(シャワールームから)『ひゃあああ! 冷たいぃ!

酒井:あー、そのシャワー! 少し出さないとお湯にならないみたいよ!

花宮:(シャワールームから)『わ、わかりましたぁー!

酒井:……あの女……何者……?
   あの島に用があるってのもそうだし……。

N:酒井は立ち上がると脱ぎ捨てられたワンピースを手にとった。

酒井:身分証明になるようなモンも無し……それに、この切り口……。
   刃物、か? ……だー! わからん!

N:酒井はワンピースを選択入れに入れると、机のバスローブとタオルをシャワールームの前に置いた。

酒井:本社の場所は間違いない……でも、そこには存在しないってのは……。
   『うずら』聴こえる? 

 間

酒井:って……使えるわけないでしょうが……。
   これだから便利グッズに頼ってるとヤキが回る……。

 間

酒井:速水探偵事務所……ライト・ノア社……青の教団……。

花宮:(シャワールームから)『きゃああああ!

酒井:ッ! どうした!?

花宮:(シャワールームから)『ふえええん! シャンプーが目にぃー!

 間

酒井:(ため息)私……何やってんだろう。

N:その瞬間、部屋をノックする音が聴こえた。

酒井:(舌打ち)はーい! 今開けますぅ!

N:酒井はボストンバッグから大型のナイフを取り出した。
  ゆっくりとドアに近寄りながら、腰だめにナイフを構える。

酒井:えっとぉ、どちら様ですかぁ?

速水:ルームサービスでーす。

酒井:(呟く)……んなわけねえだろ……ふざけやがって。
   はあい! 今開けますぅ!

N:酒井はドアを開けるとの同時に、ドアの前に立っていた男の襟首を掴んだ。
  そのまま足をかけて引き倒そうとするがーー

速水:随分だな……!

N:男は地面に手をついて受け身を取る。
  男が態勢を立て直そうとしたところで、酒井が肩を蹴りつけた。
  男は部屋の奥へ転がっていく。

速水:いっつ……!

酒井:動くんじゃねえコラァ!

速水:待てッ! 僕は!

花宮:あのー、シャワーありがとうございました!

酒井:なっ!? 今は出てくるんじゃねえ!

花宮:へ?

 間

N:風呂から全裸で出てきた女は、ナイフを構える酒井と、地面に座り込んでいる男とを交互に見つめた。

花宮:ぴ。

速水:……どうして、お前がここに……!

酒井:あん……?

花宮:ぴ。

速水:いや、それよりも、マズイ……!

酒井:何がだーー

速水:いいから耳を塞げーー

N:座り込んだ女は大きく息を吸った。
  そしてーー

花宮:ーーぴぎゃああああああああ!!!


 ◆◇◆


N:酒井は煙草を咥えながら頭をかいた。
  目の前には後ろ手に手を縛られている男。
  その隣には、バスローブ姿の女が涙目で座っていた。

速水:……痛いんだがーー

酒井:名前、所属、目的。

速水:(ため息)速水朔……速水探偵事務所・所長……用があったのは……まあ、あなたにだね。

酒井:速水……お前が……?

速水:そうだよ。酒井ロレイン警部。

酒井:(煙を吐く)……どこで私の事を。いや、それが目的だっつったか……。
   本当にお前が速水朔だっていうなら証拠をーー

花宮:あの……!

酒井:あん?

花宮:ひっ……! あの……。顔、怖い。

酒井:なッ……こわッ……!

速水:おい、暴力警官をむやみに刺激するな。

酒井:テメエ……! 骨でも折ってやろうかぁ!?

花宮:す、すみませんッ! それはダメです……!

酒井:だあああ! もう! わけがわからん!
   なんだってんだよ……!

花宮:あの……彼は、本当に、朔ちゃん……です……。

酒井:(ため息)朔『ちゃん』だあ……?
   ……そういやあんたたち、知り合いみたいだったね。

花宮:はい。とっても知り合いです。

酒井:偶然にしちゃできすぎてるけど……で、貴女の名前は?

速水:お前、ひょっとして自分の名前も名乗ってなかったのか?

花宮:うん。空港で……朔ちゃんのところに行こうとしたけど、行けなくて……。
   そしたら、とりあえずシャワーでも浴びるかって、言ってくれて……。

速水:……そうか。

酒井:(イラついて)なーまーえー。

花宮:あ、はい……!
   ……あ。そういえば、シャワー! ありがとうございました……!

酒井:あー、うん……わかったから……名前。

速水:もういい、僕がいう……。
   彼女の名前は、花宮 春日。

酒井:花宮……春日? どっかで……。

速水:こっちの名前は良く知ってるはずだよ。
   ーー”泣き虫(クライベイビー)”

 間

酒井:……マジかよ。

速水:マジだ。

花宮:その名前……ちょっと、恥ずかしいんですけど……。

 間

酒井:……だとしたら、花宮さんは私らからしたら大恩人だ。

花宮:え?

酒井:そこの速水が軽く言ったが、改めて名乗るよ。
   私は警察庁公安特務超課の酒井ロレイン。

花宮:公安の、酒井さんですね。

酒井:何度もウチと提携して仕事してくれてるでしょ。
   私はこっちに配属されたのが最近だから顔は知らなかったけど……。
   十年近く前からよく助けてもらってるって話は、よーく聞いてる。

花宮:いえ……! 私は、自分にできることをしただけなので……そんな。

速水:身分は知れたんだ、酒井さん……とりあえず、これ、外してくれないかな。
   痛いんだけど……。

 間

酒井:わかった。

N:酒井は速水の拘束を解いた。
  速水は腕を軽く撫で付けながら椅子に座った。

酒井:それで、速水朔……何故ここがわかった。

速水:探偵を名乗っている以上、人の居場所くらいつかめなければ失業ものだろう。

酒井:(鼻で笑う)その探偵事務所は無くなったみたいだがな。

 間

酒井:まずこれだけはハッキリさせておこうか。
   ……ウチの岩政ーー岩政悟(いわまささとる)巡査長はどこにいる。

 間

速水:さあね。

酒井:……んだとコラ。

速水:あなたも見ただろう。

酒井:何をーー

速水:速水探偵事務所は、一時解散している。

酒井:……そうくるか。

速水:俺達は行動を別にしているから居場所まではわからない。
   もちろん、目的は同じだけどね。

酒井:”幸運少女(エンジェル)”の奪還、か?

 間

酒井:……いや、そうじゃないな。
   お前の目的は、『青の教団』の完全なる壊滅。そうだろ。

速水:……それは推測か?

酒井:ようやく繋がったよ。
   ユージーン・ブレンストレームの友達ってのは、お前だな。速水朔。
   わざと私をここに呼び出すように仕向けたから、当然この場所も知っているというわけだ。

 間

酒井:沈黙も答え……か。いいだろう。
   花宮さん、君は『ライト・ノア社』という社名には聞き覚えがあるかな?

花宮:え? あの……いえ、ないです。

酒井:だが、何かあれば速水がそこにいるということは聞かされていた。
   ということはだ、お前は随分と前からあの会社と関係があった。
   そもそも、技術開発主任と懇意の仲で、『うずら』の中に自分の情報を紛れ込ませるだけの地位にある。
   お前はあの会社における重要な役職……違うな。
   ライト・ノア社はーー速水朔が作った会社、だろう?

 間

速水:……頭の回転が早いな。

酒井:推理はなにもお前の専売特許じゃない。
   ……それで、ライト・ノア社の社長様が、私に何かをさせようって?

速水:いや、そうじゃない。

酒井:なるほど。じゃあ情報だけ与えて、私が好きに動けるようにしようってことね。

 間

速水:そのとおりだ。

酒井:そうやって同じ目的を持つ同士達を集めて、
   彼らは各々に各地で暴れまわってくれてるってわけだ。

速水:……そのとおりだ。

酒井:ったく……。

N:酒井はゆっくりと速水に近づいた。
  そしてーー

酒井:(速水を蹴りつける)このクソガキがッ!

速水:くッ……!

花宮:ちょ、ちょっと……!

酒井:ふざけんじゃねえぞ……テメエ……自分が何してんのかわかってんのか……? ああ?
   『仲間が勝手にやったことだ』っつってなぁ、しらばっくれてんじゃねえぞ!

花宮:やめてください!

酒井:いいか! テメエらが何やってっか、わからねえわけじゃねえだろ……。
   テロリストだよ……。 速見朔。お前らはテロリストだ。
   手前勝手な正義を掲げて、手前勝手な大義名分を振りかざしてるだけのなッ!

速水:……また死んだぞ……警官が。
   お前の見逃した男が殺した!

酒井:知ってるっつーんだよボケッ!
   そいつらはなあ……! ……そいつらは……私が監視につけたやつらだ!

速水:酒井ロレインなら捕まえられた!

N:酒井は速水の胸ぐらを掴んで持ち上げた。

酒井:……そうだ……! だがあんときは、命令のせいで動けなかった!
   警察の上には、青の教団が入り込んでるからなッ!

速水:結局それだ……! あんたは誰かに責任を押し付けている!
   自分自身すらも不明瞭になりかけていたときに、僕のヒントで救われただけじゃないか……!

酒井:そうやって人を操ってるつもりになってるからクソガキだって言ってるんだよッ!

速水:ぐっ……!

N:酒井は速水を壁に放り投げる。
  静寂が室内包む。
  口火を切ったのは、速水だった。

速水:……なら僕を……捕まえてみるか?

酒井:なんだと……?

速水:今、僕を止めたら……すべて、終わりだ。

酒井:そういう問題じゃねえだろうが……。
   上に立つもんってのは、それだけの責任を持てってことだ。

N:酒井はナイフを手に取ると、自分の着ているシャツを引き裂いた。

速水:何を……。

酒井:見ろ、速水。

N:酒井の胸の上部には、痛ましい手術の跡があった。
  不自然に盛り上がった皮膚からは、機械らしき物が透けていた。

花宮:……それ……なんですか……?

酒井:”幸運少女保護作戦(エンジェル・フォール)”で岩政がウチから離反したあと、
   部下から指名手配犯を出した責任を取るために、この装置を埋め込まれた。
   ……遠隔操作でいつでも私を殺せるようにってな。

花宮:そんな……!

酒井:別にこれをつけられたことに関しては何も言うことはない。
   そもそも、岩政が安藤麗奈を殺そうとしていことすら見抜けなかったからな、私は。
   ーーだが、わかるだろう? 速水。
   私は今、こうして命令以外で動いていることがバレれば、直ぐにでも殺される。

N:酒井はコートを羽織った。

酒井:お前は、背負えるのか。
   私の正義を踏みにじっていく覚悟があるのか。
   罪なき人を傷つけながらも、それでも進んでいく覚悟があるのか。

N:酒井はナイフを自らの喉元に当てた。

酒井:卑劣なテロリストとしてーー私を殺せるか?

 間

速水:……ああ。

N:速水は立ち上がると、酒井の持ったナイフを手にとった。
  酒井は小さく笑うと、煙草を咥えて火をつけた。

花宮:え……? 朔ちゃん!?

酒井:(煙を吐く)いい目をしてるな……悪人らしい面構えだ。

速水:話してみて思ったよ。あんたは、思っていたよりも優秀だ。
   少し、優秀すぎるほどにね。

酒井:そうだ。私はとびきり優秀だよ。
   だから、ここで殺さなきゃ確実にお前の目的の邪魔になる。

速水:そうだな……そのとおりだ。
   ……何か言い残すことはあるか。

酒井:(煙を吐く)岩政に伝えろ。『クソッタレ、地獄で説教かましてやる。
   お前の母親は遠くに逃したから、安心してクタバレ』ってね。

速水:伝えよう。

N:速水は酒井の胸にナイフの刃を近づけた。

花宮:朔ちゃん……! ダメだよそんなの!

酒井:やれ! この犯罪者がァ!

花宮:いやあッ!

N:バキッ、と、音が鳴った。

酒井:何……やってやがる。

速水:何って、胸に埋まったこいつを外しただけだけど。

N:速水の手には血に濡れた機械が握られていた。

酒井:いや……でも、なんで……。

速水:なんてことはない。
   この機械を開発したのも、手術をしたのも、僕の会社だ。
   そもそも……内部に入り込んでるのは青の教団だけだと思ったら大間違いだよ。

N:速水は機械は弄びながら、笑った。

速水:さて、あなたの命は、僕がもらったってことでいいかな。

 間

酒井:は、ははは……ははははは!
   なんだお前……元から、悪党なんじゃないか……!

速水:喜んでもらえて光栄だ。

N:速水がベランダのドアを開けると、強風が吹き込んできた。
  ベランダの外には、『ライト・ノア社』とペイントがされた乗り物が飛んでいた。

酒井:……おいおい。どういう原理で飛んでんだ? ありゃあ……。

速水:酒井ロレイン。

酒井:んだよ……。

速水:あなたは、どうしたい。

 間

速水:僕は、やつらを倒す。

酒井:……お前は、どうしてそこまでする。

速水:……さあね。

酒井:ハァ?

速水:僕もどうしてやつらをこんなに潰したいのかわからないんだ。
   ……そして、知らないということは、僕にとって許しがたいことなんだよ。

酒井:(吹き出す)ククク……結局お前、ムカついてるだけなのかよ。

速水:そうかもしれないな……。
   酒井ロレイン。君はどうだ。

 間

酒井:……ああ、ムカつくね。腸が煮えくり返るほどに。

速水:なら、殴りにいかないか。

酒井:言われなくても、そうするさ。
   ……クソが……コレに乗っちまったら、私も仲間入りかよ……。

 間

酒井:いいか、すべてが終わったら、絶対にお前を捕まえる。
   覚悟しておくんだな。

速水:そうだな……僕も、捕まるとしたら貴女がいい。


 ◆◇◆


N:なんとなくーー理由はその程度だった。
  大藤は車から降りると、その公園に立ち寄った。
  公園の周囲には無数のパトカーが止まっており、立ち入り禁止を示す黄色いテープが張り巡らされていた。

大藤:……そうか……いや、当然そうなんだけどね。

 間

野次馬:あの、知ってます?

大藤:え? 僕、ですか?

野次馬:殺人事件なんですって。

大藤:殺人……そうですか。

野次馬:怖いですよね。犯人捕まってないのが余計に。
    刃物で一刀両断って聞いたけどーー

大藤:ええ。知ってます。

 間

大藤:僕の、知り合いだったので。

野次馬:え?

大藤:殺された、人……。

野次馬:えー!? 本当ですか?

大藤:ええ。

 間

野次馬:でも……仲良かったんですね。

大藤:え?

野次馬:いや……あなた、泣いていらっしゃるので……。

大藤:いや、そんなまさかーー

N:大藤は自分の頬を手で触る。
  確かに、そこには涙のあとがあった。
  いったいそれが何を意味するのかーー少しだけ考えたあと、大藤はゆっくりと目を閉じた。

大藤:……なるほどね。

野次馬:それじゃ、いきますね。
    あの……ご愁傷様です。

大藤:いえ……ありがとうございます。

 間

大藤:ふふふ、ははははは!
   ……そうか……僕は……!

 間

大藤:皆さん……許してくれとは言いませんーー

N:大藤は、足元にひっそりと生えていた花を一輪摘み取ると、それを額に当てた。

大藤:これっきりです……! これっきりにしますから!
   だから……!

N:大藤は花を握って目を瞑った。
  数分、そうしてじっと、微動だにせず、大藤はただ目を瞑っていた。

大藤:……これで僕はーー人間を辞めます。

N:そしてーー瞼を開いた先にある彼の瞳は、どこまでも暗く、淀んでいた。

大藤:……さようなら。

N:大藤は花を投げ捨てる。
  花はさみしげに、コンクリートの上で横たわっていた。


 ◆◇◆


N:酒井の乗ったヘリコプターが飛び去るの見届けると、速水は呆然と立ち尽くす花宮に歩み寄った。

速水:……驚いたよ。お前がいるとは思わなかった……。

花宮:へ? ああ、うん……。

速水:服、ないのか?

花宮:うん。その……ボロボロで。
   部屋に戻る暇もなかったから……。

速水:何か、用意する。

花宮:うん……ありがと。

 間

速水:……怪我は、ないのか。

花宮:……え?

速水:いや、だから……怪我は……まあ、身体を見た限りはなかったか。

花宮:はうっ! ……ぴ、ぴぴぴーー

速水:叫ぶな……! 僕が悪かったから!

N:散らかった部屋の中、2人は自然とソファに並んで座った。
  しばらくの沈黙の後、速水は口を開く。

速水:……相変わらずだな。

花宮:……何が?

速水:泣き虫のくせに、本当に辛いときには泣かないんだ、お前は。

 間

花宮:よく知っていたつもりだったけど。
   ……強かったよ……すごく。力、隠してたみたいに。

速水:そうか。

花宮:最初はね、おやすみだったんだけど、忘れてる書類があって、事務所に寄ったの。
   それで、事務所に入る前にすぐ、おかしいなって思った。
   血の匂いが、すごくて。
   ……急いで入ったら、もう、みんな……。
   心臓に力を打ち込んだけど、もう、間に合わなくて。
   救急車を呼んで……それで、メールが来たの。
   キングさんから……『逃げろ』って、それだけ。

 間

花宮:逆探知、したんだ。
   どうしても、気になったから。
   それで、公園に行ったら。キングさんが、戦ってたんだ。
   ーー大藤さんと。

速水:大藤、ハジメ……。

花宮:直ぐにわかった。ううん……本当はみんなの傷を見た瞬間に気づいてたよ。
   あんなわかりやすい切断面、ないもんね。
   いつだって、なんだって斬っちゃうんだから。
   ずっと見てきたもん、側で。仲間だったもんね。
   ずっと昔から。仲間だった、もんね……。
   仲間……ッ……! ながま……だったんだもん……!

N:花宮の瞳から、涙が溢れ出してくる。
  とめどなく流れては、零れ落ちて、膝を濡らしていく。

花宮:仲間なのにさぁ……! どうしてかなぁ……!
   おかしいよ! そんなの……!
   こんなのってないよ……!
   ……私……! 勝てなかった!
   大藤さんがあまりにも早すぎて!
   そしたら、キングさんがやっぱり言うんだ、『逃げろ』って!
   仲間だから……! 逃げろっていうんだよ!
   だから、逃げたんだ! 仲間が逃げろって言うから!
   でも! でもね……! でもね! 朔ちゃん……!
   そしたら……みんな……死んじゃった……!

速水:ハル……!

N:速水は花宮を抱きしめた。

花宮:朔ちゃん……死んじゃったんだよ……みんな……。
   大藤さんに……殺されちゃった……。
   私……何もできなかった……。

速水:すまない、ハル……。

花宮:仲間だったのに! 仲間だったんだよ!
   みんな! ずっと! ずっと!

速水:すまない……!

花宮:朔ちゃんにはどうしようもなかったんだよ!
   だって大藤さんは! ずっと仲間だったんだもん!
   なのに裏切られたんだもん! ちゃんとわかってるもん!
   朔ちゃんは関係ないもん! なのに……! 関係ないのに謝らないでよ!

速水:すまない! ハル! すまない!

花宮:バカアアアア! 朔ちゃんのバカアアア!
   ひええええん! ひえええええええん!

N:花宮の泣き声を聞きながら、速水はひたすらに願っていた。
  今だけは、泣いてくれと。


 ◆◇◆


N:繁華街の隅にある喫茶店で、七原はコーヒーを飲んでいた。

七原:……これも、だめだな。

 間

七原:……これも、これも、違う。

N:サングラスの内側の、色を失ったビー玉のような瞳が左右に揺れていた。

七原:(ため息)……一般人向けの礼拝でも幹部一人に会えるかと思ったけど、甘かったかな……。
   どいつもこいつも浅い記憶しか……いやーー

N:記憶の中に埋没してく中、鮮明な青色が映る。

七原:……これは……そうか、この男……。
   入信前にしては熱心に聞き入っているとは思ったが……まさか、こいつが幹部だったとはね。

N:記憶の中で、その人物は、青い光に包まれた部屋に立っていた。
  青の正体は巨大な水槽であった。

七原:(呟く)『ラブ様。お目通りいただけて光栄です……。
   なんだ……こいつ……誰に話しかけている?

N:どこまでも続く、途方もなく大きいであろう水槽の奥から、1匹の海豚が現れる。

七原:……イルカ……いや、違う……!
   まさか……!

N:七原は記憶の中で行われる会話を呟きながら、手帳にペンを走らせていた。

ラブ:『やあ、滑川くん。

滑川:『あの、すみません……ぼくーー

ラブ:『いや、別にいいんだ。君のことはちゃあんとわかっているから。

滑川:『ありがとうございます!

ラブ:『いいねえ……。どこまでも私に依存してる。依存することは悪いことじゃあない。

滑川:『幸せに、ございます、です。

ラブ:『今から君には、やってもらいたいことがあるんだ。

滑川:『えー……そうだ! なんなりと、お申し付けください。

ラブ:『(笑って)とある人間を追って欲しいのさ、彼は数日中に君に接触してくるだろうから。

滑川:『わかりました。えっと……殺せばいいんですか?

ラブ:『君の判断に任せるよ。君も、そういう「お使い」を覚えなきゃいけない頃だ。

滑川:『はい、ラブ様。えー、それで、僕は誰を追えばいいんですか?

ラブ:『ふひひ……それはね。ふひひひひ! そうだ。
    今、この記憶を観ているんだろう? すぐにお使いが行くからね。
    偉大なる怪盗さんーー

N:七原は能力を解除した。

七原:(息が切れる)ッハアッ! ……クソ……!
   (間)
   ……俺があの男の記憶を盗むと読んでいた……冗談だろ?

N:七原は喫茶店の窓から外を眺めた。
  人々は、何事もなく日常の中を歩いて行く。
  そんな中ーー七原は、観た。
  歩く人々の中で、こちらを観ながら笑っている男の姿を。

七原:やあ、滑川くん……。

N:男、滑川保は、喫茶店へと歩みを進めていく。


 ◆◇◆


酒井:……計画9(プランナイン)、ブルーノート、希望の橋……。
   2年前から計画してやがったのか……。

 間

酒井:実際、この辺にはなんかありそうだわね。
   ーーそれで。

N:『青の教団』銀座支部、応接室には数人の信徒達が倒れ伏していた。
  酒井は、部屋の椅子に縛りつけられている青の信徒に歩み寄った。

酒井:あんたらの親玉は何考えてるわけぇ?

信徒:このようなことをして一体何をーー

酒井:無駄口叩くな。

信徒:ヒッ……!

酒井:大体はわかるよぉ。これだけ見れば、私ちゃんにはさ。
   ここにある資料もブラフだろうね。
   ただ、何かを隠そうとしたとき……ポッカリ開くわけ、隠れた部分が。

N:酒井は机を拳で殴りつけた。

酒井:ここだけなのよ。
   一年間の行動計画書の変更が年2回も行われてる。
   あんたらの親玉は、突発的に何かをしようとするときは、
   必ずこの支部を使ってるってわけ。
   ……さて、それを加味した上で……最近、変わったことはなかったかにゃあ?

信徒:あ、あの……!

酒井:んー?

信徒:別に、その、直接指示を受けたりとか……そういうのじゃないです、けど。
   今日のセミナーに……その……使徒の方が……。

酒井:へえ……どうして?

信徒:いえ! その方は、よくいらっしゃいますので……。

酒井:ああそう。で、名前は。

信徒:滑川ーー

酒井:(椅子を蹴る)ああ!?

信徒:ヒッ!

酒井:……ああ、いや。ごめんねぇ。
   うん。せっかく、正直に話してくれたんだもん……。
   あ。そうだぁ。そいつの電話番号、知ってたりしないかなぁ。

信徒:い、いえ! 個人的な連絡のやり取りはーー

酒井:ああそう。じゃあ……いらないね。あんた。

信徒:ちょっと! 待ってください……!
   し、使徒のかたの連絡先は……奥の事務局の電話に……!

 間

酒井:ありがとう。

信徒:い、いえ……。

酒井:(耳元で)顔は覚えたからな。
   これに懲りたら世俗に戻れ。

N:酒井はタバコを咥えると、部屋を後にした。
  廊下に出ると、倒れ込んでいる青服達のまたぎながら、イヤーモニターのスイッチを入れる。
  コールを待たずして、男ーー速水の声が聴こえた。

速水:『酒井さん。

酒井:速水ィ。あんた、いくら払う?

速水:『随分と即物的だね。洗脳でもされた?

酒井:(鼻で笑う)……ついでに見つけといた。
   あんたが言った通り、群馬県の山奥にあったよーー
   あー。今、『うずら』経由でデータを転送する。

 間

速水:『……群馬ディスティニープレイス。

酒井:20年前に事業の開始してから、15年目に突如として親元が財政破綻。
   以後、買い手もいないまま手付かずで放置されてるって話だったけど。

速水:『もともと民間のベンチャー事業だったようだな。

酒井:しっかしまあ、なんというか……。
   山奥の廃遊園地を丸々買っていたとは、恐れ入るわ。

速水:『……それで、これからどうするつもり?

酒井:んー? 自由にやっちまっていいんでしょ?
   私は、借りを返さないといけないやつがいるんでね……。

速水:『そうか。

酒井:それじゃあ、これで貸し借りはなしね。

速水:『ああ、検討を祈る。

酒井:ほざいてろ。

N:酒井はイヤーモニターの電源を切ると、腕を軽く回した。

酒井:うずら。携帯端末の逆探知をお願い。
   さあて……ケツ洗って待ってろ……滑川保。


 ◆◇◆


N:七原は商店街を走る。
  すれ違う人々の隙間を縫って、時折誰かとぶつかりながらそれでも足を止めない。
  しかし、アーケードの中心にたどり着くと、ついに足を止めた。

七原:(息切れ)……クソッ。

滑川:あのー……すみません。

N:滑川は、軽薄な笑みを浮かべたまま、七原に歩み寄った。

滑川:いえ、あの。先ほどぶりですね。

七原:そんなにかしこまるなよ……同じ信徒じゃないか。

滑川:あ、入信してくれたんですか!?

七原:嘘だよバーカ。誰がするか。

 間

滑川:あの……結構傷つきました。今の。

七原:そうか。そんなことは俺には関係ないけどね。

滑川:……濁ってますね。

七原:はあ?

滑川:あのー、知ってるんですよ。
   本当は、そのー……救われたいんでしょ?

七原:君達なら僕を救えるって……?
   ……舐めるなよ。

滑川:舐めてるつもりはないです。
   でもですね……人間であることの難しさって……そのー、あるじゃないですか。

七原:君が小さい頃のこと?

滑川:え?

七原:例えば、鋭い定規の先で切りつけられたり、
   ビールの瓶でも殴られたね。
   洗濯物の汚れが落ちきってないと、また殴られた。
   なにもしていなくても殴られた。
   そうだ。君のーーお父さんだ。
   可哀想に。人間扱いされず、いつも決まって彼はこういう。
   「お前はゴミだ」ってね。

 間

滑川:あのー……ああ、そうか……記憶、盗めるんでした。

七原:そうだよ。ご存知の通り、僕は”記憶泥棒”こと、七原裕介だ。
   よろしく。滑川保くん。

滑川:(吹き出す)なんだか……嬉しいです。

七原:ん?

滑川:そのー……わかってもらえてるみたいで……。

七原:記憶を盗むだけじゃ、本当にその人のことをわかったとはいえないけどね。

 間

滑川:僕は、そのー、なんていいますか……あのー……。
   そう、超能力者としてはそのー、あまり強くないんですよ。
   でも、そのー。僕っていうのは、ちょっとだけですけどーー
   僕そのー、ゴミ、なんですよ。
   16人殺しちゃって、そのー、超能力者になる前に……。

N:滑川の瞳が光を失っていく。
  滑川のもつ超能力が発動すると、その腕が硬質化していく。 

滑川:あの……ラブ様に出会ってから、あのー。
   変われたんです、だから……。
   ……あのー、本当に、入りませんか……僕たちの教団に。

七原:シリアル・キラーにしては甘いことをいうね。
   それにしてもーー
   (吹き出して)……クククッ……。

滑川:何か……面白いですか?

七原:いや……ごめん。なるほどね。
   ……君と俺は、少しだけ似ているものだから。


 ◆◇◆


N:速水は木々に囲まれた山道を歩く。花宮は、速水の少し後ろについて歩いていた。

花宮:ええと……それで……酒井さんはなんて?

速水:大体の場所は間違いなかったけど、酒井さんのくれたコレで、はっきりしたよ。

N:速水は、手元のデバイス端末から、酒井から送られた情報を整理していく。
  そして速水が軽く画面を撫でると、群馬ディスティニープレイス跡地の地図が宙に浮き上がっていった。

速水:ここが入り口……ここは違うな……ここも……ここも違う……。

N:速水が空中の地図に触れると、青い色をしていた建物が、灰色に染まっていく。
  道路を指でなぞりながら、ある一点を指先でなぞる。

花宮:ここは基地としての役割が強いね。
   入口が三箇所あるし、何よりコンテナの数も尋常じゃないみたい。

速水:本部ではないにしろ、補給基地という位置づけだろう。
   棗はこの施設のどこかに監禁されているのは間違いない。

花宮:どうして棗さんがここにいるってわかったの?

速水:捕虜としてならば、自分の目の届くところではなくてもいい。
   加えてここは見ての通り補給基地として、最低限の防衛機能は備えている。

花宮:うってつけってこと?

速水:結果的にはそうだ。しかし……真意は違うだろうな。

N:速水は忌々しげに地図をなぞった。

速水:ここならーー絞りやすいからな。

花宮:絞りやすいなら、どうしてわざわざそんなところに。

速水:今のは推理でもなんでもない……気にしないでくれ。
   それに、酒井さんからもらった資料に決定的なヒントがある。

花宮:……『鬼子(おにご)の輸送中につき』ーーこの鬼子っていうのがーー

速水:棗のことだろう。

花宮:そっか……。

 間

花宮:きっと、棗さん……寂しがってるよ。

速水:ああ……。

N:2人はそれきり話すこともなく、山道を歩いていく。
  時刻は夕暮れ。2人を夕日が照らし、長い影を道路に映していく。

花宮:ねえ、朔ちゃん。

速水:何。

花宮:高校生のとき、こうして歩いたよね。
   山道を、こうやって。

速水:……いつ?

花宮:ほら。私が能力を暴走させて。

速水:ああ……。

花宮:本当に覚えてる?

速水:うん。

花宮:本当に?

速水:……僕をなんだと思ってるわけ?

花宮:ううん。そうじゃなくてさ。
   なんていうのかな……わからなくなるときがあるんだ。

速水:何が。

花宮:みんなが、何を考えているのか。

N:花宮は立ち止まると、青々としげった木々の葉をじっと眺めた。

花宮:いや、ほら、私って頭悪いし……泣き虫だし……。
   だからかも知れないんだけどね。

速水:……大藤一のこと?

花宮:ううん……。大藤さんのことはきっと、私じゃなくてもわからなかったもん。
   それとも……朔ちゃんは、わかってたの?

速水:いや……どうかな。

 間

花宮:今の朔ちゃんだって、私にはよく、わからないよ。

速水:……僕はーー

花宮:ごめんね。変なこと言って。
   ……でも、人って変わっていくものなんだよね。
   それとも、みんなずっとそういうものを抱えているのかな。

 間

速水:真実は……。

花宮:ん?

速水:自分の中にしかない。

花宮:……そっか。

 間

速水:ハル……僕は、変わったのか。

N:速水は、少しだけ目を伏せて立ち止まった。
  花宮は、そんな速水を見て、困ったように微笑んだ。

花宮:ううん。変わってないよ。
   変わらず、とっても悲しい人。

速水:……そう。

花宮:……ひとつ。

 間

花宮:ひとつだけ、はっきりさせておきたいことが……あります。

速水:……うん。

花宮:私は……この力をどうすればいいのか、わからない。
   いつだって自分の信じる目的のために力を使ってきただけ。
   ……卑怯だってわかってるもん。
   貴方が必要としている人達みたいに、自分でどうすればいいのか考えることもできないし、
   仲間だって、守れなかった……。
   (間)
   だから、お願い朔ちゃん。
   私は簡単に騙されるような、馬鹿だからーー
   だからこそ、騙さないで。
   言葉でごまかさないで。
   行動で、示してください。

 間

花宮:私は、どうしたら、いいのかな。

速水:君は……。

N:速水は花宮を見つめながら、口元に力を込めた。
  普段の冷静な彼からは想像もできないような沈痛な面持ちで、
  自分の中の何かを押し殺すように、瞼を閉じた。

速水:……ここから先は、僕の背中を見ていればいい。

花宮:(微笑む)うん、わかった。

N:しばらくそうして、2人は眼下の街並みに沈んでいく夕日を眺めていた。
  沈黙を破ったのは、速水の頭を襲った猛烈な痛みだった。

速水:な、にーー

花宮:朔ちゃん……?

N:速水は、地面に崩れ落ちるようにして倒れた。

花宮:朔ちゃん!? ねえ!


 ・◆◇◆・


  <速水・田中・七原が17歳の頃の回想>

N:速水が目を開けると、窓ガラスに映った自分の姿が見えた。
  その顔はどこか幼く、どこかで見たことのある高校の制服を着ている。

七原:朔、大丈夫?

田中:放っとけ裕介。
   どうせ大したことないだろうから。

N:隣に、見知った顔の同級生2人の顔が見えて、速水はだんだんと思い出してくる。
  高校生活最後の卒業旅行で、極南の島を訪れ、今バスに乗っている自分。

田中:車酔いするようなタマかよ、こいつが。

七原:そういえばさ。朔がこの間、タクシーで小説読んでいるのを見てゾッとしたよ。

田中:おえ……聞いてるだけで吐き気がする。

速水:うるさい……! 少し考え事してただけだ。

七原:それはそうと。荷物忘れるなよ、二人とも。
   次、降りるぞ。

速水:裕介。

七原:何?

速水:この馬鹿と一緒にするな。

田中:んだと……! 朔コラ、表出ろ。

速水:次降りるっていったろ馬鹿。

七原:あー! ほら! いいから降りろって……!

N:バスから降りると、そこは県外でも有名な水族館ーーではなく。

七原:……ここか。

N:島の隅にある小さな水族園であった。

七原:なんでわざわざ小さい方に来ることになったんだっけ……?

田中:そりゃあ……駅前で優待券配ってたからーー

速水:そこの馬鹿が、クラスの女子に嫌われてるから。

田中:はぁ!? ちげえよ! 初日に2人に告られてーー

七原:「ごめん。俺面食いだから」だっけ?

田中:捏造すんなッ! ちゃんと丁寧に断ったっての!
   でも、みんなが行くほうだと鉢合わせるだろうし、気まずいだろ……?

七原:(ため息)ま……今更だけど。
   俺も面倒なのはごめんだし。

速水:僕はうるさくなければどこでもいい。

田中:じゃあ、もう文句は無しな!
   うっし! せっかく来たんだし、楽しもうぜ!

七原:待てって!

田中:おい! ここってイルカいるんだって! 大水槽!

七原:わかったって! ガキか、あいつは……。

速水:ここには変わり種アイスがあるらしいね。

七原:え……あー! 本当、頼むから、集団行動を覚えろよ!
   二人共!

N:あまりにも地味な水族館だった。
  従業員といっても、それこそ死んだ魚のように生気のない瞳をしたチケットのもぎりの女と、
  いかにもアルバイトであるいったような、やる気のない地元の高校生が売店に立っているくらい。
  施設内はというと、寂れた小汚い通路には、申し訳程度にライトアップされた小さな水槽がいくつか並んでいるだけだった。
  速水は、アイスを食べながら、前を歩く田中と七原の背中をついて行く。


七原:……藻(も)だな。

田中:ああ……藻だ。

七原:一応……魚は居るみたいだけど。

田中:……見えないな。

速水:(アイスを食べている)……悪くないね。

田中: 何が……?

七原:どうせ『アイスが』だろ。

速水:それ以外に何があるんだよ。
   ……だって、藻だよ?

田中:だぁーもう! 俺が悪かったって!
   メジャーどころのほうが良かったですー!

速水:グッピーの1匹も居ないとは……お前の頭の中と一緒だな。
   覗いてみても面白みのない。

N:3人は連れ立って奥へと歩みを進める。
  薄暗い通路を抜けた先に、青い光が満ちていた。

田中:おおー!

七原:結構デカイな!

田中:ん……? でも、何の動物も居なくないか?

七原:いや、ほら、左の奥の方に集まってるだけだよ。

田中:飯の時間とか?

N:速水は、背筋に寒気のようなものを感じて水槽に駆け寄る。
  すると、大水槽の上にある従業員通路に、一人の女性が無表情で立っているのが見えた。

速水:あの女……。

七原:朔? どうした?

速水:駅前で、僕たちにここの優待券を渡してきたやつだ。

田中:あん? ……ああ。そうだな。いや、それがどうしたよ。

速水:どうしてここにいる。
   僕らに優待券を渡したタイミングで、すぐにでも戻らないと、この時間にここには入れないはずだろう。

田中:だったら……そうしたんじゃないのか?

速水:だとしたら、あの女は俺たちだけを待ち伏せしていたことになる。

田中:いや、考えすぎだろ。いくらなんでもーー

N:そのときだった。大水槽の奥から、1匹の小さな海豚が3人の方へと泳いできた。

田中:お。海豚だ。

速水:ッ! 新一郎、そいつなにかおかしい……!

田中:え?

ラブ:ふひひ。

N:3人の耳に、無邪気な笑い声が聴こえた。


 <回想場面終了>


 ・◆◇◆・


N:関東某所にあるビジネスホテルの屋上にて、田中新一郎は頭を押さえながら立ち上がった。

田中:……どういうこった、こりゃあ。

N:足元には取り落とした缶コーヒーが、中身をぶちまけながら転がっている。
  苦々しげに缶を拾い上げると、田中は力任せに缶を握りつぶした。

田中:クソッ!

N:田中は携帯電話を取り出すと、1番をコールした。


 ◆◇◆


花宮:朔ちゃん! 大丈夫!?

速水:……あ。

N:花宮に支えられていた速水は、ゆっくりと起き上がった。
  霧がかかったような思考を最大限回転させながら、時計に目をやる。

速水:……ああ。

花宮:(泣いている)らいじょーぶなの……!?(訳:大丈夫なの?)

速水:僕は、大丈夫だ……それよりも……。

花宮:……どうしたの……?

N:速水は携帯電話が震えているのに気付き、手を伸ばした。
  着信相手に気づいて、少し躊躇したあと、通話ボタンを押す。

速水:……ああ。

田中:『(電話口から)お前もか、朔。

速水:そうだな。

田中:『どういうことだ! 記憶ドロボーーあいつが!
    どうして今更俺たちに記憶を返す必要がある!

 間

速水:……理由はそうないだろう。

田中:『なんだってんだ!

速水:七原裕介は、死にかけている。

 間

田中:『んだと?

速水:もしくは、それに近いほどの敵と相対している。
   ゆえに僕らの記憶を解放しないといけないほど、追い詰められているということだ。

田中:『お前……何をどこまで知ってる。

速水:そうなるように仕向けたのはーー僕だ。

田中:『おまッ……!

速水:彼の中には僕らに対する確かな友情が存在した。
   もちろん、僕には記憶はなかったわけだが、だが想像はできる。
   僕はそれを利用した。そしてーー彼を囮に使ったんだ。

 間

田中:『わかってたんだな……。

速水:ああ。

田中:『こうなることも……!

速水:ああ。

田中:『あいつが……裕介が! お前に黙って利用されることも!
    わかってたんだな! わかった上でお前は! あいつを!

速水:そうだといっている!
   僕には、手段を選んでいる時間はーー

田中:『これっきりだ。

 間

速水:……そうか。

田中:『ああ。これっきりだ。お前とは金輪際縁を切る。
    速水探偵事務所も抜ける。契約だなんだはそっちで勝手にやってくれ。

速水:わかった。

田中:『そうだ……ダチのよしみだ。最後に一つだけいっとくぞ。

速水:なんだ?

田中:『情を捨てたな? ……テメエ、人間じゃねェよ。

N:通信が切れると、速水は力なくその場に立ち尽くした。
  花宮は、そんな速水の傍で、寂しげにうつむいていた。
  どれくらい経ってからだろうか、速水は携帯電話を胸にしまい瞳を閉じた。

花宮:朔ちゃん……。

速水:僕には、力場が見えない。
   感じることはできない。

花宮:……うん。

速水:だが、理解することはできる。そうーー思ってきた。

N:速水は自らの前髪を乱暴に握りしめた。

花宮:言っても、いいんだよ。

速水:でも、僕にはその権利がーー

花宮:私はちゃんと、朔ちゃんの背中、見てるから。

速水:ハル……。

花宮:今だけは、嘘だってことにして。
   ね? 今から言うことは、嘘だってことにするから。
   ……口にするんだよ。

N:速水は深く頭を垂れると、小さく呟いた。

速水:ごめん……裕介。


 ◆◇◆


N:七原は必死に裏路地を走り抜ける。
  背後から、轟音をあげて標識が飛んでくる。

七原:クッソッ……!

N:七原は、身体を投げ出してなんとか避けるも、背中から壁に叩きつけられ、口からは苦悶の声が漏れる。

N:滑川は能力で硬質化した腕を軽く振るいながら、ゆっくりと七原に歩み寄っていく。
  七原は、指を軽く動かすと、ゆっくりと瞳を閉じた。

七原:そろそろ……行けるか……?

滑川:何をーー

七原:”返す”よ。この汚えやつ。

N:七原は目を見開いた。その瞳に映る世界は深淵。
  総てを見透かすような、絶対強者の瞳。
  ”記憶泥棒”、七原裕介の超能力が発動し、力場を伝って滑川の脳に作用する。

滑川:がああああああああああああ!!

N:滑川は脳を襲う余りの痛みに地面を転げ回った。
  七原は、そんな滑川を見下ろしながら、血で濁った唾を吐き出した。

七原:ゆっくりゆっくり盗んでいたのさ。君の記憶。
   それを一気に戻されて……頭も痛いだろうけど、どうだろう。
   心のほうが耐えられるかどうか。

滑川:ああああああ!! 父さん……! どおざああん! やめでよおおお!

七原:助けてあげたいよ。
   でも、無理だ。まさか、自分の父親まで殺しているとはね……。
   君はもう、人間じゃーー

滑川:なあんて。

N:次の瞬間、七原の脇腹にナイフが突き刺さっていた。

七原:な、に。

滑川:あのぉ……。

N:滑川は、ナイフを投げた態勢からゆっくりと立ち上がる。

滑川:えっと、ですね……。僕、感じないんです。こういうの、なんにも。
   心も、身体も……痛いとか、そういうの、ないんです。ごめんなさい。

七原:(痛みに耐えながら)……謝るなよ……滑川くん……。
   可哀想なのは、君だ。

N:七原はナイフを引き抜くと、小さく息を吐いた。

滑川:そろそろ、死にましょうか。

七原:イカれてるな。

滑川:えっと……まあ、はい。

N:滑川は硬質化した腕を振り上げると、七原に向けて叩きつけようとした。
  その時だったーー銃声が鳴り響くと、滑川の身体は地面に倒れ込んだ。

酒井:フリーズ! 警察だぁ!
   なーんつって。

N:滑川を銃で打った酒井ロレインは、素早い動きで滑川の身体に数発弾丸を打ち込む。
  そしてそのまま滑川の頭を踏みつけた。

酒井:まだ死んでねえだろ……ええ!?

滑川:まあ……はい。

N:滑川は酒井の足首を掴む。
  反射的に酒井は滑川の顔面を蹴りつけて距離をとった。

酒井:ッ! なんだよ、オイ。

七原:彼には効かないよ……。
   痛覚がないみたいでね……!

酒井:ハッ……! 冗談じゃねえんだよな。
   『記憶泥棒』七原裕介。

七原:俺のことをご存知で? 光栄だな。

酒井:国家指名手配犯の悪党どもがノコノコと……私もなめられたもんだな。

N:酒井の瞳が光を失っていく。
  彼女の持つ超能力が発現し、周囲に力場が形成されていく。

七原:……そっちこそ、冗談じゃないんだよな。

酒井:ああ? んだ、コラ。

七原:公安特務の警部クラスが『その程度の力場』しか持ってないってのはさ……。

N:酒井は、立ち上がる滑川から視線だけは外さず、胸元から銃のカートリッジを取り出すと、左手に握りしめた。

酒井:……黙って見てろ、犯罪者。

N:滑川は地面を踏み砕きながら酒井に肉薄した。
  酒井は迷いなく銃のトリガーを引く。弾丸はまっすぐに滑川の瞳に向かっていった。
  しかし、弾丸は硬質化した滑川の眼球に触れると、潰れて弾けとぶ。
  滑川は勢いをそのままに腕を振るったーー

滑川:ばあああ! ……あれ?

N:しかしそこに酒井の姿はなく。
  代わりに、滑川の首には手榴弾が括り付けられていた。

滑川:あばっーー

N:爆裂音、滑川は衝撃のままに路地を転がっていく。
  転がった先で酒井は仁王立ちしたまま滑川に銃弾を撃ち込み続ける。

滑川:あがッ、あボッーー

酒井:あのさぁ、『力場が強いやつが勝つ』ってのは、
   あんたらみたいな頭の足りない野良犬どもが、喧嘩してるときの話なわけ。

N:酒井はマガジンを装填しながら踵で滑川の頭を何度も踏みつける。

酒井:力場も弱い、固有能力も発現しない私みたいな『か弱い超能力者』がどうして警部なんてやってるのー?

N:酒井は手榴弾のピンを抜くと、しゃがみ込んで滑川の口に咥えさせた。

酒井:私にあってお前らに足りないもの……それはなぁ……。

N:酒井が距離をとると、再び爆裂音が響いた。
  巻き上がる土煙の中、滑川はゆっくりと立ちあがった。
  しかし、そのいでたちは異様。
  すでに髪の毛や衣服は燃え尽き、全身を『ナニカ』が力場と共に蠢いている。
  そして、彼の真っ黒な瞳は、まっすぐに酒井を捉えていた。

酒井:……てめえらに足りないものは『理性』だよ。

滑川:あ、はひ。ふひひぃ。

酒井:衝動に飲み込まれろ、『超能力者(パラノーマンズ)』
   私が去勢してやる。


 ◆◇◆


N:花宮春日は、泣き虫だった。

花宮:……怖いよ。

N:自らの内にある感情のコントロールができず、幼いころからよく泣いていた。
  大きな音が鳴るたび、誰かが痛い思いをするたび、自分以外みんな笑っていることに気付くたび、
  静かな怒りを誰かが抱えているのを感じるたびーー花宮春日は涙を流してしまうのだった。
  人はいう。それはわがままだと。自分の思う通りにいかないのが気にくわないだけなのだと。
  
花宮:……怖いから。

N:涙を流すことが感情を押し付けることだとしたらーーなぜ誰もそうしないのか。
  真っ暗な押入れの中で、ただただそう思った花宮は、その瞬間から超能力者であった。

花宮:早く、終わらせようね。

N:群馬ディスティニープレイス跡地はさながら軍事施設というような様子だった。
  森の隙間からは、高く建設された人工の壁の先に、いくつもの監視塔が見える。
  そして、なぜかそこにあり続ける巨大観覧車が顔を覗かせていた。
  花宮は、重厚な門を深淵のような瞳で見つめていた。

花宮:朔ちゃん。

速水:ああ。

N:速水は白いコートを翻すと、無骨な大型拳銃を眼前に構えた。

速水:作戦、開始だ。

花宮:いきます!

N:花宮は目を見開いた。
  施設内に閃光が瞬くと、巨大な力場内にある総ての光が、花宮の瞳に吸い込まれていった。

花宮:眩しいなぁ……。

N:次の瞬間、花宮の姿がかき消えた。
  薄暗い施設内に閃光が瞬く度、信徒たちの悲鳴が響き渡った。
  速水はそれを確認すると同時に、門を蹴り上がって施設内に侵入する。

速水:遅い……!

N:甲高い警報が鳴り響く中、建物から飛び出してきた青服の信徒を拳銃で正確に撃ち抜いていく。
  強化ゴム製の弾丸が、信徒たちを戦闘不能にしていった。

速水:ハル、こっちだ。

N:速水はイヤーモニターに向かってつぶやくと、花宮が速水の傍に立っていた。

花宮:朔ちゃん、大丈夫?

速水:ああ。このままB地点に入るぞ。

花宮:うん!

N:コンビは闇を駆け抜ける。


 ◆◇◆


N:滑川が身体ごと突っ込んでくるのを、酒井は地面に転がって避けた。

酒井:(舌打ち)

滑川:きひ……ひひひひゃはは!
   僕に……生きてるをくださぁい。

酒井:うるせえ! お前は、黙れ……!

N:酒井は蹴りを入れるも、滑川はその足を掴んで酒井の身体を壁に叩きつけた。

酒井:ッグ、ハ……!

滑川:痛い? 痛い痛いって、痛いってどんな感じですかあ?

酒井:ざけやがってぇ!

N:酒井は、地面に落ちている砂を滑川の顔に放り投げる。

滑川:は、はぃ?

酒井:……生きてるが、欲しいだぁ……?

滑川:ふ、ひひ、はひぃ。
   生きてるを、生きてるをくれ、ください。
   だからね、見たいんですぅ。

酒井:ふざけんじゃねええええ!!

N:酒井は、胸元に指を突き入れると、突き刺さっていた瓦礫を引き抜いた。

滑川:あーー! 血だぁ!

酒井:なんのためのルールだ……なんのための信念だ……!
   何が、何をもってして正義と呼ぶ!

N:酒井は腰のベルトから引き抜いたトンファーで、滑川の顔面を殴りつける。

滑川:ぶべッ!

酒井:しったこっちゃねえ!! そんなもんは!!
   だがな! ぐちゃぐちゃ御託並べんのも、主張すんのも、全部! 全部!
   それを放棄したてめえらに、口にする資格はねえんだよ!

N:何度も頭を揺らされた滑川の身体がふらつく。

酒井:諦めたのはてめえだ! 僕には無理ですって!
   世界はお前らの思ってるもんと違ったか!?
   なぜなら自分たちは超能力者だから!? 違うなぁ! お前らはーー
   負けただけだろうが!!

N:酒井は鋭い蹴りで滑川を吹き飛ばした。
  巻き上がる土煙の中、滑川はゆっくりと身体を持ち上げた。
  しかし、滑川の瞳には、先ほどまでありありと浮かんでいた狂気の色はなかった。

滑川:あのー……。

酒井:……てめえ……。

滑川:……だったら、ですね。
   僕は、一体、なんだというんですかね。

酒井:衝動を……”超えた”ってのか……!

滑川:同じ色が見たいって、同じ風がいいって、思ったんです。
   わかるかもしれない、感じられるかもしれないって、そうーー
   誰もが口にしている、その、罪悪感とかいう、ものだとか。
   あの、そういうの全部、僕は、知りたくて……。

N:滑川はふらふらと身体を揺らしながら、酒井に背を向けた。
  そして、力強く一歩を踏み出す。

滑川:……あのー、考えろって、言われたんです。
   七原という男を殺すかどうか、そして、あなたを殺すかどうか。
   でもどうでしょう……僕は、あなたの言葉から少しだけ、何かを感じました。
   もっともっと、感じられる気がするんですーー

N:滑川は地面を蹴りつけると、凄まじい速さで大通りに向けて疾走する。
  酒井が、滑川の真意に気づいたのは、ほんの一瞬遅れてからのことだった。

酒井:一般人に手ェ出す気か!? クソッ!

N:酒井は全身の痛みを押さえ込んで地面を蹴った。


 ◆◇◆


N:うねるように入り組んだ施設内を、速水と花宮は疾走する。
  通路には鎮圧された信徒たちが折重なりながら倒れている。
  速水はふいに走りを止めると、壁に背をついて大きく深呼吸をした。

花宮:朔ちゃん、この先。

速水:ああ。

 間

速水:ここからはーー

N:速水は汗に濡れた額を拳で拭いながら、ゆっくりと廊下の先にある扉へ歩み寄った。

速水:いいか……ここから先は僕の後ろに立って、一度も口を開くな。

花宮:……うん。わかった。

N:速水は、ゆっくりと深呼吸して、目の前の扉に手をかける。
  あけると同時に、軽快なメロディが2人を出迎えた。
  扉の先では、メリーゴーランドが回っていた。
  明るいメロディを鳴らしながらゆっくりと、ゆっくりと速水の視界に瞬いている。
  速水は躊躇なくメリーゴーランドへと歩みよった。

速水:……趣味が悪いな。

N:動物や、馬車を模した乗り物が無人で回っていく中、イルカの乗り物にのっている人物がいた。
  全身を黒いスーツに身を包んでおり、顔には白い袋をかぶっている。
  男か女かわからない中性的な体躯が、楽しげに音楽に合わせて揺れていた。

ラブ:久しぶりだね。速水朔。

速水:御託はいいから降りてこい、『ラハブ』

N:人影は軽やかにメリーゴーランドから降りると、入り口の柵に腰をかけた。

ラブ:その呼び方やめてくれないかなぁ。私は、ラブ、なのだから。

速水:いいか、ラハブ。お前を必ず始末する。

ラブ:ずいぶんな挨拶じゃあないか。

N:速水は冷めたような目つきで銃を構えた。

ラブ:それで、そこにいるのは……ああ、『泣き虫(クライベイビー)』の花宮さんだね。

花宮:……。

ラブ:無視とはひどいなあ。

速水:御託はいい。確認といこう。

ラブ:ふひ……本当に、君は可愛いね。速水朔。
   僕の蒔いた餌はちゃあんと食べる癖に、いつだって僕を越えようとしている。

速水:ああ。もう超えているけどね。

ラブ:へえ、本当に?

N:ラブは、軽やかな身のこなしで柵に飛び乗った。

ラブ:私の計算通りだ。

速水:いいや、”僕の”計算通りだ。

ラブ:ふひ……試してみるかい?

N:ラブはゆっくりと胸元から拳銃を取り出すと、足元に構えた。

ラブ:どうかな。

N:打ち放たれた銃弾は地面を跳ねると、速水の右足に迫る。
  速水は身を引いてそれを躱すと、ラブに向かって銃弾を放つ。
  ラブは身体を屈めて銃弾を躱す。
  次の瞬間、速水の放った弾丸が一つの機械をショートさせ、メリーゴーランドが轟音を立てて止まった。

速水:気味が悪かったからね。止めさせてもらった。

ラブ:ふひ……君は、面白い。

速水:あの薄汚い海豚の姿はどうしたんだ。

ラブ:本体で来たら、私、殺されちゃうからね。
   だいたい6割くらいで、ね。

速水:ときにはギャンブルも悪くない。

ラブ:部が悪い賭けは嫌いでね……君と一緒だよ。

速水:一緒にするなよ。

ラブ:いいや。私たちは、よく似ている。
   あるいはーー兄弟であるかのようにね。
   笑ってもいいよ。喜んでもいい。
   悲しんでも、怒ったっていい。
   でも、そうしない。君は。

速水:光栄だね。本物の悪魔にそう言ってもらえるとは。
   だが、似ているからこそ、違うということだよ。
   僕は人の皮を被った……何かな?

ラブ:見てみたいね……もっと。

 間

速水:対価は、払った。

ラブ:ああ、このままいけば契約は成されるだろうね。
   『七原裕介の命を差し出す』というね。

花宮:けい、やく?

速水:ハル。喋るな。

ラブ:ああ……君にはまだ話してないんだねえ。
   そこの男はねえ、仇敵ともいえるこの私と、契約を交わしたんだ。
   『伝馬(てんま)ヨミ』の身柄と、『七原裕介』という男の命を交換するというね。

花宮:そ、れって。

速水:ハル!

 間

速水:僕の背中だけ見ていろ。

花宮:……うん。

N:ラハブは足元の銃を拾い上げる。

ラブ:君は……素敵だ。
   なんねんぶりだろう、人間と契約をするのは。
   ……そういえば。
   彼の身体は契約に入ってたかなあ?
   記憶泥棒の死体は、さ。

N:その言葉に、背後で立っている花宮がびくりと肩を震わせた。

ラブ:彼のことは気になってたんだぁ……あの弱虫の怪盗くん……ふひひ。
   食べるのが楽しみだなあ……。


 ◆◇◆


N:阿鼻叫喚。地獄絵図。
  倒れる一般市民と、鳴り止まない悲鳴。
  思考の中で幾度となく繰り返されるバッドエンドを振り払いながら、酒井は滑川を追って通りへと飛び出した。

酒井:ッ! なめりかわああああ!

N:しかし、そこにあったのは、静寂。
  人一人いない静寂の空間。白い空間に、滑川が佇んでいた。
  そしてその視線の先にはーー

酒井:きおく、どろぼう?

七原:俺の力場から出てください。刑事さん。

酒井:お、前。何を。

七原:そう時間はありません。早く。
   力場外の一般市民たちの避難を。

N:そこは、七原の作り出した記憶の空間。
  『空白』とも呼べる異常な世界であった。

酒井:どうするつもりだ!

七原:いいから! もう、余裕がないっていってるだろ!

酒井:でもーー

七原:警察、なんだろあんた!

酒井:け、いーー

 間

酒井:ああ……。

N:酒井は振り返ると、一歩外に踏み出して、能力を解除する。
  すると、周囲には喧騒と雑踏が戻ってきた。

酒井:クソが……! 理性が足りないのはどっちだってんだよ!
   そうだよ! 私は、復讐者じゃない……!

N:酒井は胸元のバッヂに手を伸ばした。

酒井:警察です! ここから周囲数100メートルに、避難勧告が出ています!
   慌てずに落ち着いて! このまま駅まで歩いていってください!
   繰り返しますーー


 ◆◇◆


N:白い記憶の『空白』の中で、血みどろに薄汚れた2人は、向かい合って立っていた。

七原:さて……。
N:七原は懐から薬を取り出すと、口に数錠放り込んで、思い切り噛み砕いた。
  両手を開いて、能力を発動する。
  すると、七原が盗んできた容量の大きな記憶達が、力場から切り離されて彼の中から抜け出していく。
  速水朔、田中新一郎、そして無数の者達の元へと、記憶は還っていく。
  それを光の失った瞳で見つめる七原だったが、その瞳にはただ、寂しさが涙となって浮かぶのだった。

七原:……ごめんーー

N:呟きに呼応するように、記憶は白い空間に浮かび上がっていった。
  それは、極南の島の水族園で、海豚の悪魔と対峙している少年たちの姿だった。


 ・◆◇◆・


 <速水・田中・七原が17歳の頃の回想>

ラブ:むかーしむかし、あるところは孤児(みなしご)がおりました。

七原:やめろ……。

ラブ:彼は気味の悪い少年だった。
   愛など知らないくせに、誰よりも愛を欲していた。
   彼はおべっかをつかう。人に擦り寄る。
   故に、彼は里親の見つからないまま大きくなっていく。

七原:やめてくれ……!

ラブ:ある日、仲の良い同い年の男の子が里子に出されることになった。
   名前は、『裕介』。

七原:いやだ! 頼む! やめてくれ!

ラブ:ひひ……彼はその時、あまりの孤独に耐えられなくなって、ある能力に目覚めたのさ。
   自分の中に、手を伸ばせば届く距離にーー記憶を操作するという超能力がね。

N:少年は、壁においてあった消火器を掴むと、水槽に何度も叩きつけた。

七原:クソォ! やめろっつってんだろうが!

ラブ:そしてその能力を使って、そこにいる少年は裕介くんとまるっきりーー
   記憶を入れ替えたのさ。

七原:な、や、め……! やめてくれよおおおお!

N:少年は消火器を取り落とすと、地面に座り込んだ。

ラブ:罪悪感に耐えきれなくなった彼は、ある日行動にでる。
   他人の中にある七原裕介という記憶を盗み始めた。
   紛い物たる自分が、誰かの中で永遠に生き続けることは、許せないことだったんだろう。
   懺悔、いや、罪と罰ってやつかな。でも、そこまで追い詰めなくたっていいのに。
   衝動的だったんだもんねえ。
   仕方ないよ。うん。君のせいじゃない。
   弱くて愛らしい……人間らしさじゃないか。

七原:違う!

 間

七原:……懺悔なんかじゃない! 俺は……許されたくなんかない!

ラブ:へえ? じゃあ、どうして盗むの?

七原:返すんだ!

 間

七原:返すんだ! 俺は! 返すんだよ!
   裕介に……! 裕介が生きるはずだった記憶を全部! 俺はッ!

ラブ:ふひひ。ほうら、やっぱり変態だ。

 <回想終了>


 ・◆◇◆・


N:七原は、自分の頬を流れる涙を拭った。

滑川:そうか……あなたは。

七原:……俺は、自分がどんな人間なのかもわからない。

滑川:……でも、悲しそうだ。
   それが……僕には羨ましい。

七原:羨ましいと思えたなら、君も少しは救われたんじゃないかな。

滑川:そう、なんですかね。
   よくわからないけど、さっきからすごく、胸の辺りが変な感じなんです。

七原:『衝動』を超えた先で、超能力者は死ぬと言われている。

N:七原は悲しげに自分の頭を指差した。

七原:僕らは大きな感情を伴って超能力に目覚める。
   そして、目覚めた後しばらくは感情に蓋がかかり、子供のように欲望に忠実になる。
   能力を使えばつかうほど、『衝動』へと近づいていく。
   (間)
   俺はね、『衝動』の先には、感情があるんじゃないかって思ってる。
   だからこそ、自分たちが能力を使い積み上げてきた『業』に、僕ら自身が焼かれるんじゃないかって……。

滑川:えっと……じゃあ……僕は……。

七原:そうだよ。滑川くん。君は、人間なんだから。

滑川:(微笑んで)……ありがとうございます。
   名もなき貴方。僕は初めて、自分の意思で、感じてみたいと思ってる。
   貴方を殺すという、業を。

七原:そうかーーじゃあ。

N:七原が、指を鳴らす。

七原:これが、僕たちのはじまりで、終わりだ。

N:七原の周囲に、無数の人影が立っていた。

七原:紹介するよ……彼らは僕の記憶の中の超能力者たちだ。
   これから、彼らと一緒にーー君を殺す。

滑川:ええ……是非、お願いします。


 ◆◇◆


速水:『記憶泥棒』は、死なない。

ラブ:ふひ? あのさあ、それってどういうこと?
   君ィ、私に彼を差し出すっていったよねェ。

速水:『僕は契約を履行した』
   が、それが成就するかは別の話だ。

ラブ:……そんな言葉遊びが『悪魔との契約』に通用すると思ってるぅ?
   七原裕介が死ななきゃ、契約は完了しない。
   契約が完了しなきゃ、七原裕介も、伝馬ヨミも、君自身も、呪いによって死ぬ。
   それが『悪魔と契約する』ってことだ。

速水:そう……。悪魔との契約というのは実にファンタジックな代物だよ。
   例えば、悪魔側が提示する『七原裕介』と、僕の思う『七原裕介』が一致していなければ契約すらできない。

N:速水が腕を捲ると、そこには赤い刺青のようなものが刻み込まれていた。

速水:契約が成立しさえすれば、戸籍を変えようが逃れられない。
   一見、逃れようの無い認知による契約。
   だけど……そこが非常に曖昧で、非合理的で、僕につけこまれた要因だよ。

ラブ:……一体何を言っているのかな?

速水:ラハブ。お前は、人間の弱さがお気に入りらしい。
   友人を差し出し、職員を助け出す……そんな取捨選択を僕に迫る辺り見え見えだ……でも。
   『認知』を甘くみすぎたな……。

ラブ:ふひ……まさかだけど。

N:速水は、心底楽しそうな笑顔を浮かべた。

速水:ククク……お前、数年前に七原裕介について調べただろう。
   そして、紐付けしたな。孤児院で育った『裕介』という人間を、『七原裕介』だとね。

ラブ:あれが、それで、そうか……!

速水:窮地に立たされた記憶泥棒は、能力をフルに使用するために記憶を解放する。
   僕らの認知の中で交わされた『裕介』は、どうなる?

ラブ:謀ったな……!? ハヤミィ!

速水:違うな!

N:速水は不敵に笑った。

速水:初めまして。僕が孤児院で産まれ育った『裕介』だ。

 間

ラブ:ふひひひ! ふひゃははははは!

 間

ラブ:オマエ……悪魔かよぉ。

速水:否定はしない。

ラブ:そうか! そうかよ! 速見堅一(はやみけんいち)が子供を産んだ記録なんてないもんねェ!
   最初っから君は自分の記憶目当てで『記憶泥棒』に近づいてたってことかァ!?

速見:ああ。そうでもなければ、『僕が』あの場に居合わせることなんてありえないだろう。

ラブ:ふひ! あのねえ、いまねえ。すっごくすごくすごく! ムカついてるよ!
   でも……そうだな、君わかってるんだよね。
   君の命を差し出すってことなんだけど。

速水:ああ。もっていけ。

ラブ:ふひ……何を?

速水:僕の命。

花宮:ちょーー

N:速水は、声を出そうとした花宮を手で制した。

速水:ハル。僕の言うことを良く聴いておくんだ。

ラブ:ふひ、ふひひひ! ずいぶん素直だが……何を企んでいるのかなあ、ハヤミィ……。

N:速水は、何言か花宮に告げた。


 ◆◇◆


滑川:ひゃは、ひゃははは!
   た、たのしいいいい!

N:滑川は硬質化した自らの体を刃物と化し、七原の記憶の中の超能力者を切り刻んでいく。

七原:次ィ!

N:七原は胸の刺し傷を手で押さえながら、半狂乱で能力を行使する。

滑川:グエッ!

N:二つ名能力者による電磁パルス攻撃が、滑川の右肩をえぐる。

滑川:びっ……くりしただけですよぉ!!

N:しかし滑川はすぐに跳ね起きると、能力者の首を切り裂いた。

七原:ク、ソッ! もう、ストックがーー

滑川:な・な・し、さーーん!

N:滑川は一足飛びに七原へと肉薄すると、腕を振り上げた。

滑川:あのぉ! 本当! 楽しかったっす!

七原:楽しい、か……!

N:その時、七原は初めて、自分の意思とは関係なく、記憶が走馬灯のように駆け巡るのを感じた。


 ・◆◇◆・


 <速水・田中・七原が17歳の頃の回想>

N:それは、少年たちの記憶。
  17歳を共に過ごした、3人の最後の記憶だった。

ラブ:ふひひ! やっぱり! 思った通りだぁ!
   私が成長するのに十分な力場ァ!

田中:う、が、ああああ! 頭がァああああ!

速水:おい! 新一郎! どうした!?

七原:ち、がう! これは……! そうか!
   朔ゥ! これは……強制的に、衝動を起こさせる……!

ラブ:大正解! そうそうそう! この施設の地下に眠っている『超常的物質(アンノウン)』
   ”チューナー”と呼ばれる過去の遺物! 能力者を強制的に目覚めさせるための巨大な魔法陣だ!

田中:オ、オレは、ふひ、ひはは! 強いのが……! すごいのがくるぞおおお!

ラブ:漏れ出してきたねぇ……! やっぱり私の目に狂いはなかったよォ田中新一郎クゥン!

速水:裕介! 動けるか!?

七原:お、れは、なんとか……! それよりも、新一郎を!

N:田中の周囲にはすでに力場発生による暴風が吹き荒れており、近づけるような状況ではなかった。
  田中は、髪の毛をかきむしりながら天を仰いだ。

田中:朔ゥ! 裕介ェ! に、げろおおおおおお!

速水:なに言ってる……! 逃げるか!

田中:そう、いうんじゃねえんだ……! 俺、ダメだよ! やっちまう!
   使っちまう!

速水:気合いで抑えろ……! 僕が止めてやる!

田中:はひ……! ふざ、けてる場合かあああ! 俺あ! 嫌だぞ!
   友達をぉ! 親友をォ! 殺したくねええええええ! あははははは!

ラブ:いいねえ! いいねええ! どんどん力場がたまっていくヨォ!?

田中:頼むぜェ! 朔ぅうううう! お前に言ってんだぞおおお! 俺はああ!

N:朔は拳を握り締めると水槽に詰め寄った。

速水:……オイ! クソ海豚!

七原:何を……朔!

速水:お前の! 名前は!

ラブ:ふひ!? はじめて聞かれたヨォ、そんなのぉ!
   面白いねえ!? 人間の子供!

速水:答えろ!

ラブ:私ハァ……ラ・ハ・ブゥ!! 海の悪魔ラハブでーす!

速水:覚えたぞ……! 覚えたからな!

ラブ:ふひひ! ふひひひひ!

田中:超えるぅぅぅ! 超えちまうぞ! 全部ゼンブゥ! あはははは!

七原:朔、どうする……! 俺も、その、衝動が!

速水:捕まれ裕介!

N:速水は七原の腕をとって大水槽を飛び出した。
  そして迷わず従業員通路に駆け込むと、食材用の巨大冷蔵庫の中に駆け込んだ。

速水:(息を切らしている)クソッ……! クソックソッ!

七原:(息を切らしている)うあ、や、ばい……このままじゃ……!

速水:いいか! 僕は、絶対にこんな終わりは認めないッ!
   絶対に、絶対にだ!
   (間)
   ……僕はなぁ! 君が誰だって構わない!
   君のことを恨んでなんていない!

七原:え、ハ、何……?

速水:でもそんなことは関係ないんだ!
   僕はお前を知ってる! 名前が誰だろうと、過去がなんだろうと!
   お前はお前であって、それ以外の誰にもなれやしない!
   記憶を返さなくってもいい……! 誰がなんと言おうとーー

 間

七原:き、みは……! 君は! 君なのか!?
   裕介……!

速水:ああ、そうだ……!

N:轟音が鳴り響き、崩壊が始まる。
  冷蔵庫がきしむたびに身を硬くしながら、速水は七原の手を握った。

速水:いいか! これは大事なことだ! 一番大事なことだ!
   忘れるんじゃないぞ! 何があっても、僕はーーお前に言ってるんだ!
   七原裕介は、お前だ。
   だから……僕の記憶を、盗め。

N:七原は色を失った瞳に涙を浮かべていた。
  暴走しつつある能力がゆっくりと首をもたげる。

七原:ど、うして……そんな……。

速水:お前が、お前であるために。
   そして、僕をーー新一郎を守るために。

七原:俺、は、だって、裕介。

速水:違うな……。僕は、速水朔。名探偵だ。
   だから自分の昔の名前程度のこと、自分の力で突き止めてみせる。

七原:俺は、違う、俺の名前はーー

速水:だから、待ってろ。お前はこれから守り続けろ。『裕介』という名前を……!
   『僕たち』が必ず迎えにいく。

七原:お、れは、ああああああ!

N:そして若き超能力者たちは、暴走した。

 <回想終了>


 ・◆◇◆・


七原:なあ、朔ーー裕介……俺は、守れたのかーー

N:無慈悲にも振り下ろされた滑川の腕を、七原は呆然と見つめていた。
  超高速で命をも刈りとるであろうその腕が七原に届くであろうその瞬間、その腕を何者かが受け止めた。

七原:え……?

田中:……よう。

七原:し、んいちろう?

田中:待たせたな。

 間

田中:おいおい……無視すんなよ。お前にいってんだぞ?

滑川:グヒャァ!

N:田中新一郎は、バツが悪そうな笑みを浮かべると、滑川を投げ飛ばした。
  次の瞬間、七原が形成していた記憶の空白が吹き飛び、周囲は街のアーケードに姿を変えた。
  アーケードの周囲には一般人の姿はなく、代わりに酒井が率いる警察庁公安特務の面々が周囲を取り囲んでいた。

酒井:総員! 攻撃準備!

田中:あー! 刑事さん! ちょっとタンマ!
   さっきもいったけど、もうちょい離れてて!

酒井:ああ!? 生意気いってんじゃねえぞ! この犯罪者が!

田中:だからいったじゃーん。こいつ捕まえるの協力したら、事情聴取でもなんでも受けるって。

酒井:(舌打ち)信じていいんだろうなぁ! ”巨人(ジャイアント)”

田中:それより。こいつのこと早く治療してやってくれ!

酒井:そりゃあいいが、お前ら、どういう関係だ?

田中:あん? そりゃーー

N:田中は座り込む七原の頭に手を置くと、笑った。

田中:親友だよ。

七原:(涙を浮かべながら)……は?
   ……お前さ……何言ってんだよ……俺なんて、記憶……。

田中:あー……そういうの、後にしろ。腹に穴空いてんだから。

七原:……ふふ。ははははは!
   なんだよ! そういうのって……!
   すげえ、大問題なんだけど?

田中:ああ? 別に大したことないだろ。
   それより、殴られる覚悟だけしとけ。

七原:へえ、誰に?

田中:……さあな。

七原:新一郎。

田中:……なんだよ。

七原:友達っていってくれて、ありがとう。

田中:ハァ?

七原:助けてくれて、ありがとう……。

田中:……ありがとうじゃねえよ。

七原:ふふ、俺だって……お前に、言ってんだ、ぞーー

N:七原は意識を手放した。
  公安隊員は七原の身体を抱え上げると、その場を後にした。
  田中はそれを見届けると、腕を大きく回した。

田中:……滑川くんっていったっけ。

滑川:ふ、は、あのー……あなたは。

田中:俺はさ、あいつの友達。

N:滑川は満身創痍の身体を持ち上げて、田中を見た。
  そして見てしまった。
  その内にある、強大な力場の渦を。

滑川:と、も? あ、あれ。ダメですね……これ。

田中:んー?

滑川:僕、殺せないじゃないですか。

田中:わりぃな。本当。こういうの、ズルだよな。
   途中から強(きょう)キャラが割り込んで、いままで頑張ったの水の泡で、とかさ。
   俺、強すぎるからわかんねえんだ。

滑川:ここで、僕、終わりですか。

田中:理不尽だって、クソゲーだって思ってくれて構わねえ。
   その分、俺が背負ってやるよ。
   あいつにやられたならしょうがないって思えるくらいにな。
   お前を倒したやつが『世界中で最強無敵の理不尽』だって証明し続けてやる。

滑川:……そう、ですか。
   でも、なんだか、楽しい1日だったなあ……。

田中:おう……そうか。

滑川:はい……。

 間

田中:さて! そんじゃあ、やるかー。
   あ、そうだ。滑川君! 友達殴って、ごめんなさいは?

滑川:お友達を、殴って……ごめんな、さい。

田中:良く言った。

N:田中は微笑むと、拳を握りしめた。

田中:よぉし! 歯ァ食い縛れッ!

N:数秒後、アーケードに空いた大穴の中で、滑川は幸せそうな笑みを浮かべていた。


 ◆◇◆


N:花宮は、建物の影に隠れながら、血に汚れたグローブを投げ捨てる。

花宮:(息切れ)あと、すこし、だ。

N:花宮は周囲を警戒しながら、ゆっくりとその建物へと歩みを進める。
  【G2】と看板の張られたその建物は、まるで古い日本家屋のようだった。
  玄関からゆっくりと歩みを進めると、見事な中庭の先に、襖で仕切られた部屋が見えてきた。

花宮:……ここ、だよね。

N:花宮が襖を開けるとそこにはーー着物を着た美しい女が、身の丈ほどもある大太刀を抱えて立っていた。
  他には、ベッドで眠る少女と、その横に横たわって絶命している青の信徒らしき人物が見える。
  着物の女は、花宮を一瞥すると、ふわりと笑った。

花宮:あ、あなたは……?

N:女は何も言わずに踵を返すと、音も立てずに部屋の奥へと消えていった。

花宮:えっと……! もう、何が何だか……!

N:花宮は、青の信徒の死体に合唱しながら、ベッドで眠る少女へと駆け寄った。
  その顔を確認すると、口元に耳を近づける。

花宮:うん……大丈夫。生きてる……!

N:花宮は、鼻の奥がツンとなるのを感じて、慌てて顔を上げた。
  しかし、検討虚しく、その瞳から涙があふれ出してくる。

花宮:ぐす……棗、さん……!
   生ぎでだぁ! よがっだおー!(訳:生きてた! よかったよう!)

N:花宮は棗の身体を大事そうに抱きかかえた。

花宮:朔ちゃん……! 私、ちゃんと! ちゃんと……!
   ひえええん! ふええええん! 朔ちゃああああん!


 ◆◇◆


N:数日後。警察庁公安特務の特別留置施設。
  机を隔てて、酒井は田中と向き合っていた。

酒井:なるほど、それで速水とは連絡を取ってない、と。

田中:ああ。

酒井:(ため息)ガキの喧嘩じゃねえかよ……。

田中:俺は、あいつを許さねえ。

酒井:だからさぁ……チミ、もうちょっと頭使ったら?

田中:ハァ?

酒井:あのね、あいつが何の策もなしにそういうことすんのかって言ってんの。

田中:知らねえよ、んなもん。
   あのな……一日やそこらであいつのこと知ったふうにすんのやめたほうがーー

酒井:知ったかぶりに見えるかい?

田中:あ?

酒井:私はね。あいつと手を組むって決めたときには、警察に戻れないって腹括ってたわけ……。
   でも、蓋を開けてみれば、私が個人的に速水の会社ーーライトノア社と懇意だってんで、
   裏に入り込んでる不穏分子も私に手出しできなくなってるし、上層部からは今回の滑川逮捕の功績で昇進の話まできてる。
   ま、昇進ってのは派閥への抱き込みって線もあるけど……。
   とにかく、驚くほどこっちは順調にいかされちゃってるわけ。

田中:それがなんだよ。

酒井:逆に問うけどさ。速水朔って男は、そうなんじゃないかってこと。

 間

酒井:君の元上司は、関わった人間にとって最善になるような方法を選ぶ男なんじゃないかってことだよ。

 間

酒井:頭に血登ったのはわかる。きっとそれは近しいが故だろう。
   ただ、意地はったままだと、大切なことを見過ごすぞ。若者。

田中:……俺はさ。

酒井:あん?

田中:恥ずかしい話、最強を目指してるわけで。

酒井:ほんっと恥ずかしい話だな……。

田中:でもあいつは、そんな俺を最弱にしちまうんだよ。
   いつだって、朔の中には朔しかいない。
   あいつの選択の中に、俺の力は必要ない。それが、ムカつくんだ。

酒井:あーあーお熱いお熱い……そういうのは若い女の子の前でどーぞ。
   マジで時間の無駄じゃねえかよ……。

田中:自分できいたくせに……。
   あ、コーヒーおかわり。

酒井:君は本当……! ……まあ、いいけど。タダだしね。

N:酒井は部屋の隅のコーヒーメーカーのスイッチを押した。

田中:……裕介は。

酒井:んー? まあ手術は成功みたいだし、あとは薬飲んでまで行使した力場の影響をどれだけ受けてるかってとこかな。

田中:意識はまだ戻らないのか?

酒井:ああ……そっちはなんとも。

N:一瞬、室内の電気が明滅する。
  そしてそのほんの一瞬のうちに、部屋の隅に現れた人物がいた。

田中:え? うおあ!

花宮:こんばんわ。田中さん。酒井さん。

田中:ハ……ハルちゃんかよ! びっくりさせないでくんない!?

N:花宮は、能力をつかったせいで乱れた髪をなで付けると、神妙な面持ちで2人に向き直った。

酒井:花宮さん……警察署に不法侵入とは歓迎しないね。

花宮:すみません。急に。

田中:……久しぶりだな。

 間

田中:その……きいたよ、興信所の。

花宮:……うん。

田中:心から、お悔やみ申し上げる。

花宮:……うん。大丈夫だよ。
   それに、まだ終わったわけじゃないから。

田中:それも、そうか……。

 間

花宮:今日は、先日の件で。

酒井:ああ……。

花宮:まず、棗ちゃんは無事に確保しました。

田中:(嬉しそうに)そうか……!
   それで、あいつは今どこに。

花宮:今はライトノア社の特別医療施設にいます。
   もう意識も戻ったみたいでーー栄さんが今日中に会いにいけるそうです。

田中:……ひとまずは……だな。

酒井:で。他にも、何かあるんでしょ?
   群馬ディスティニープレイスはもぬけの殻になってるし、実際、あなたも数日現れなかったわけだし。

花宮:……えっと。はい。

N:花宮は、目を伏せると、唇を噛み締めた。

花宮:あの。ですね。

田中:おう、なんだ。

花宮:私……泣かないように、言えるか、わからなくて。
   だから、これ!

N:花宮は、一枚の紙を取り出すと、机の上に置いた。

田中:……おい。なんだ、これ。

花宮:これ、書いたのーー

田中:何の冗談だオイ!?

花宮:(泣きながら)だっで……! 声にだせなくて……!

田中:ふざけんじゃねえぞコラ!

N:田中は部屋の壁を全力で殴りつけた。
  壁が抉れ、大きなヒビが入る。

酒井:……遺言、と、きたか。
   冗談キツイぞ、速水……!

田中:どういうことだ! ハルちゃん!
   あいつはどうしてる!?

花宮:(泣きながら)朔、ちゃん、はぁ……!

 間

花宮:死んじゃった……。

N:あるいはーーそれこそがはじまりだったのだ。







 パラノーマンズ・ブギーC
 『あるいは』 了


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