パラノーマンズ・ブギーA
『幸運少女』
作者:ススキドミノ


速水 朔(はやみ さく):24歳。男性。頭良すぎて気持ち悪いですよ、しかも性格は壊滅的。

田中 新一郎(たなか しんいちろう):25歳。男性。ナルシストですけど強いから良し。

速水 棗(はやみ なつめ):16歳。女性。速水探偵事務所、所員。属性過多ですよ、プリティーガール。

荒人(あらひと):21歳。男性。速水探偵事務所、所員。強くなってきましたよ。真っ直ぐボーイ。

安東 麗奈(あんどう れな):16歳。女性。天使と人間は見分けがつきません。

栄 友美(さかえ ゆみ):23歳。女性。速見興信所、所員。巻き込まれた女性は、少し変わったみたい。

岩政 悟(いわまさ さとる):31歳。男性。若ハゲ塾講師件超能力者。私、ハゲてますよ。ええ。


七原 裕介(ななはら ゆうすけ):25歳。「記憶泥棒を知っていますか?」


塾長:学術ゼミナール塾長。ナレーションと被り役。

管理人:スタジオの職員。ナレーションと被り役。





※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)




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 ◆◇◆


N:彼女は人を傷つける理由を考えてみる。
  例えば、自分が他の子供達数人からいじめられていたとして。
  沢山のものを投げつけられていたとして。
  彼女には苛めている彼らの顔を見ることはできないけれど、どんな顔をしているのかはいくらでも想像できた。
  この人は気持ちがいいのだろうとか、この人は本当に自分が嫌いなのだろうとか、
  この人は迷っている、この人は泣きそうだとか。
  そんな想像で彼らと近づいた気になるのだ。
  彼女には、人に傷つけられる理由は沢山思いつく。
  だが、彼女を傷つける理由は一つだけだ。

麗奈:はい、安東です。

N:『もしもし麗奈か』
  電話口から漏れる父の声に、彼女は悲しげな表情を浮かべた。
  制服の首もとに手を伸ばし、軽くリボンを引く。
  まるで自分の声が出るのかどうか確かめているようであった。

麗奈:……お父さん。急にどうしたの?
   何かあったの。
   ふふ、何それ。
   予定……ないよ。大丈夫。
   そういうの、誘ったほうが考えるんだよ。母さんとのデートのときはどうしてたの。
   わかったよ、行きたいとこ、どこか考えとく。
   うん……。……ううん、なんでもない。おやすみ。連休、楽しみにしてるね。

N:受話器を置くと、急に室内に静寂が訪れる。
  彼女は大きく深呼吸をすると、近くの椅子を自分の方にたぐり寄せた。

麗奈:今度は、大丈夫だよ。今度は……ね……。

N:彼女は椅子に脚をかけると、そのまま机の上に立った。
  明かりのない、真っ暗な室内。
  開け放たれた窓の外から聴こえる車の走る音と、どこかの家から漏れるバラエティ番組の笑い声。
  風にたなびいたレースのカーテンが窓際の観葉植物の葉を軽く撫ぜた。

麗奈:(「シャボン玉」野口雨情作詞・中山晋平作曲)
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた

N:彼女は電灯の根本に、しっかりと括り付けられた紐を手にとった。
  丈夫そうな紐を何本も束ねて作られている輪っか。
  その円を見つめる彼女は、地上を見つめる天使のような表情を浮かべていた。

麗奈:シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた
   風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ

N:彼女は紐の輪の中へ、頭を通していく。
  口ずさむ歌の音色がだんだんとはっきりとした音となって空間に染み込んでいく。
  その足が一歩、椅子の外へと出ようとしていた。
  まるで空を歩こうとしているように。
  まるで飛び立とうとしているように。
  それもそのはずだ。
  彼女の背には白く大きな、美しい羽根が生えているのだから。


 ◆◇◆


N:とあるマンションの一室。
  成人男性が1人は入るであろう大きな壷を前にして、少女、棗は頭を抱えていた。
  少し離れたソファの上で速水探偵事務所・所長、速水朔はつまらなそうに英字新聞を読んでいた。

棗:嫌だ!

速水:……何が。

棗:あのな……能力ってのはそんな簡単につかうもんじゃねえんだよ!
  なんで俺がこんな壷の記憶をミなきゃなんねえんだ!

速水:こんな壷? 失礼な、東海に沈んでいた古代の大妖怪を封じ込めた壷だぞ。

棗:なんで妖怪入りの壷がこんなとこにあんだよ!

速水:「仕事を教わる代わりに、僕の言う事をきく」

棗:ぐ……!

速水:お前は自分の言った事も忘れたのか。

棗:うぐぐぐぐ……!

速水:(ため息)いいか……その小さな頭で良く考えろ。僕は暇じゃない。
   ただの酔狂で能力を使わせると本気で思っているなら、教えるのは終わりだ。

棗:……うるせえな、わかったよ。
  本当に、考えがあるんだな。

N:棗は壷にそっと手を触れる。
  宙を見つめる瞳が色を失ったかと思うと、棗の身体は糸が切れたパペットのようにその場に崩れ落ちる。
  棗はその能力を使い、人や物の思念のみならずその場で何があったのかすらも“見る”ことができる『超能力者』であった。

棗:う、あああ!!
  な、なんだ、なんだこりゃ! なんでこんなヤバいもんがある!

速水:その反応……なるほど、本物だったか。

棗:あんたまさか鑑定させる気で……! いや、んなことはどうでもいい!
  その中に入ってるもんが『一つ』でもでてみろ……終わりだぜ!
  何もかも、抗うことも許されず終わるんだ!

速水:……さて、そろそろ本題に入ろう。

棗:おい! きいてんのかよ! その壷、どうする気だ! こんなところに置いとけねえだろ!

速水:いいか、僕が物事の順序を間違えることはない。絶対に。

棗:……なんだよ、それ。

N:棗は自らの身体を抱いて地面へとへたり込む。
  直後だった。応接室の中心で考えられないほどのプレッシャーを放っていた壷が軽くぶれたようにみえた。
  かと思えば、次の瞬間には壷は影も形もなく消え去り、つい先程まで壷があったはずの空間には天井に届くほどの紙の束が積み上がっていた。

棗:は。

速水:君の間抜けな顔はもう見飽きた。その紙を僕の言う通りにまとめろ。

棗:あの壷、どこへ?

速水:君のその「答えを人に委ねる」のは癖か?

棗:ああ……はいはい……。

N:棗はため息をついて足元の紙を手にとった。

棗:推理します。

速水:聞こう。

棗:まずは壷が消えた理由だが、間違いなく超能力者が関わっている。
  そうだな……空間系の能力、座標を指定して離れた場所からものを移動できるほどの超能力者だが、
  その分能力にも制約はある、恐らくは……送る物質の量に対応した量の紙を媒体とする必要がある。

速水:それが回答?

棗:いや、違うな……だとすれば等価とは考え難い……この紙は媒体じゃなく……ひょっとして契約書か。
  あんた、あの壷を売ったな。相手は収集家……違う、あんたがあれを収集家に手放すとは思えない。
  考えられるのは……安全にあれを取り扱える相手に渡す。
  相手は、国か?

速水:……いいだろう。

N:速水は机からファイルを取り出して棗に放り投げた。

速水:とはいっても、赤点ギリギリだけどね。

棗:取引相手……貿易商?

速水:そういうことだ。

棗:は? 納得いかねえ! 最終的にはどこぞの国の研究機関に転売されるんだろ?
  だったら俺の推理に間違いはないだろうが!

速水:いいか。確定していない情報など、僕は答えとは認めない。
   ……大体、僕が国を相手に商売をするわけがないだろう。
   ライセンスを持たない『超常的物品(アンノウン)』の所有は違法にあたる。

棗:それは、そうだけどさ。

速水:そして、お前が今、最も考えるべきだったことは、この貿易商が何者かということだ。
   僕があの壷を売りわたしたことはもちろん、壷を一瞬で、知覚させることなく転送する能力者を飼っているほどの人物。

棗:それくらいわかってるっての。

速水:いいや、わかってない。なぜなら『そんなやつには関わってはいけない』からさ。

 間

速水:お前……今、そのファイルを観たな?
   そんなヤバイやつの情報が書いてあるファイルを。

棗:っ!

N:棗は急いでファイルを手放す。速水はファイルを空中で掴むと、棗の頭を軽く叩いた。

速水:まずもってお前のようなやつには興味がないだろうがーー
   浅慮が自らを殺すんだ。忘れるなよ。

棗:……わかったよ。

速水:最後にクイズだ。

棗:なんだよ……。

速水:この貿易商は、男か、女か。

棗:あ? ……あー……そうだな、女じゃねえの?

速水:理由は?

棗:相手の署名、レディって書いてあった。サインの横の口紅と、趣味の悪い香水の匂いも。

速水:(ため息)なんでそう短絡的なんだ……。

棗:ん……あー!

N:棗はデスクに置かれた時計を手にとって大声をあげると、奥の部屋に飛び込んでいった。

棗:もうこんな時間じゃねえか! なんで言ってくれないんだよ!

速水:自己管理。

棗:ただでさえ塾長にいびられてるんだからな!

N:リュックサックを掴んで部屋を飛び出してきた棗を、速水はつまらなそうに手で制した。

速水:棗。

棗:なんだよ!

速水:今日、辞めて良い。

棗:……は?

速水:そもそも塾に通わす程度で君の世間知らずを矯正できるとも思ってなかったしね。
   悪目立ちも続けば面倒になる。

棗:……なんだよ、急に。

速水:……どうした? 行けといった時は嫌がってたろう。

棗:(バツが悪そうに)いや……だけどさ。3ヶ月も通ってるんだぜ?
  それに、まだまだホラ……全然点数も取れねえしさ……。

速水:友達でもできた?

N:棗は拳を固めて目を伏せた。

速水:……あのなーー

棗:わかってるよ! 超能力者に友達なんてできない、だろ!
  そういうのじゃねえっての! うぜえな! 辞めてくりゃいいんだろ!

速水:(ため息)

棗:うっぜえ……。

 間

速水:1週間。

棗:あ?

速水:1週間、やる。その間に見極めろ。

棗:何をだよ。

速水:その友達とやらが『お前のために失える』のかどうか。

棗:……なんだよ、それ。

N:棗はリュックサックを背負うと、何かを考えるように俯きながらドアへと向かった。

速水:おい。帰りにプリン。コンビニの。窯焼きの。

棗:うるせえ!

速水:言葉遣い。

棗:わかってる……(舌打ち)わかっていますことよ!
  いってきますわ! お兄様!


 ◆◇◆


N:学習塾、学術ゼミナールでは、子どもたちが机に向かっていた。
  区切られたスペースの一角で、麗奈はテストの採点結果を待っていた。
  塾講師は自らの禿げた額を軽く叩くと、答案用紙に大きく丸を書いた。

岩政:いい、ですね。96点! お疲れ様です。

麗奈:どうも。

 間

麗奈:あの……岩政先生?

岩政:あ、はい。ハゲてますよ?

麗奈:いや、別にそれは聞いてないんですけど……。

岩政:眩しくてごめんなさいね。

麗奈:いや、だからーー

岩政:なんですか?

麗奈:……えっと。

岩政:ふむ……悩み相談ですか? 私も結構相談するタイプですよ。
   特に髪が抜け落ち初めてからというもの、片っ端から相談してはいるんですが……。
   あ、育毛剤ってあれ効きませんからね。

麗奈:もう、いいです。すみません。

岩政:いえいえ。私でよければ話に……あら?
   違うんですよ。ええ。すみません、掴みの話に失敗しました。
   いや、掴む髪はないんですがね。

麗奈:(たまらず吹き出す)

岩政:そうそう。笑ったほうが物事うまくいきますよ、ええ。
   安東さん、今日は、抜け毛みたいですよ。
   あ、抜け殻みたいです。

麗奈:……あの、岩政先生。

岩政:はい?

 間

麗奈:岩政先生って、どうしてこの塾で働いてるんですか?

岩政:え? まあ、そうですねえ。
   だって、雇っていただいたわけですからね。

麗奈:雇われたから、ですか。

岩政:安東さんは、高校2年生、でしたか。

麗奈:はい。

岩政:どうして今の高校に入ったんですか?

麗奈:小学校から今の私立学校で、そのまま上がっただけです。

岩政:気がついたら親に入れられていたと。

麗奈:……はい。

岩政:それに納得行かないから、大学は外部に行こうと?

麗奈:え?

岩政:問題集。

N:岩政は麗奈の鞄の中から覗く、名門大学の問題集を指差した。

麗奈:これは……。

岩政:一応、当塾には学力の維持を目的としていらっしゃってますが。
   本当は外部の学校に行きたい、ということですかね。

麗奈:本当に! 本当に、それだけが理由じゃないんです。
   お金のこととかも、あるので。

岩政:なるほど。



岩政:良いんじゃないですか?

麗奈:え?

岩政:理由を気にされているようですけど、実際理由なんて大した意味はないんですよ。
   さっき話したこと覚えてますか、私がハゲた理由。

麗奈:いえ、聞いてないですけど。

岩政:失礼失礼……私がこの塾で働く理由、でしたね。
   それは、この塾に雇っていただいているからです。
   私は10代の時から帽子を集めていました。
   なぜ集めていたのかといえば、まぁ単純に好きだったからですが……
   こうして私がハゲてしまった今、今の話を聴いてどう思います?
   (小さく笑って)いいですか、私は、ハゲるために帽子をかぶっていたわけじゃありません。
   結果的に後退をすすめる要因であったとしても、それは変わらない。
   そして今、私が外出するときに帽子をかぶっているのは、ハゲた頭を隠すためだったりするわけです。
   結果が先でも、理由が先でも、僕は結局帽子をかぶってきたわけです。

麗奈:……はぁ……。

岩政:だから、私は野望なんてなくても、希望なんてなくても、ここで働いています。
   理由がなければ行動できないことはあるかもしれません。
   しかし行動しさえすれば理由などあとからついてくるものです。
   あなたはどちらのタイプですか?

麗奈:私は……。

岩政:どちらでもいいんですよ。
   今は悪いと思っている生活でも、過ごしてみるとそう悪くない。
   私もハゲたくはないと思っていましたけど、それでもーー

 間

岩政:やっぱりハゲは嫌ですね。
   さて、次の授業に行きましょう。髪が抜ける前に。

N:岩政が席を立つと、奥に構えられた職員用スペースから大きな声が響いた。

塾長:棗さん、あなたはただでさえ遅れているんですよ?
   いえ、遅れているというレベルではないんです! はっきりいって問題外!
   そんなあなたが遅刻なんてもってのほかです……!

棗:はぁ。

塾長:はぁ!?

棗:い、いえ! わかりましたわ! 失礼いたしましたことよ!

塾長:(ため息)

麗奈:あ、棗ちゃんだ……。

岩政:そうだ、一つだけ。
   安藤さん、どんなに道に迷っても、ああなってはいけませんよ。

麗奈:(笑う)


 ◇◆◇


N:速水はコーヒーに砂糖を大量に入れ、パソコンの前に座った。

速水:……無遠慮だな。

N:速水が視線を上げると、デスクの数メートル先に、男が立っていた。

速水:しつけのなってない犬だ。

N:男は鬼の面を被ったまま微動だにもせずに立っていた。
  速水は苛つきを隠そうともせず男を睨みつけたる。

速水:振り込みは確認した。あれの扱いは貴様にまかせる。
   やつにはそう伝えろ。
   ……まだ何かあるのか?

N:男は一冊のファイルを速水に差し出した。

速水:……追加の報酬、ということでいいのか。
   ふん……あの銭ゲバにしては随分と気前がいい。
   ……いいだろう。受け取っておく。

N:男は速水のその言葉を合図にゆっくりと振り返った。
  入り口へと向かおうとする途中で、何かに気づいたかのように歩みを止めた。
  男が自らの身体を見下ろすと、腹部に深々と万年筆が突き刺さっていた。

速水:次からは、突然僕の前に現れていいなどとは思わないことだ。
   でなければその次すらないぞ。
   ……それは土産だ。教訓として持って行くといいよ。

N:男は事務所を後にした。
  速水は興味がなさそうにコーヒーに口をつけると、パソコンでメールソフトを起動した。

速水:まったく。なかなかどうして……。

N:キーボードを叩く速水の顔には、柄にもなく楽しげな笑みが浮かんでいた。


 ◆◇◆


N:学術ゼミナール前。
  甲州街道(こうしゅうかいどう)に面した道だけあって、夜9時を回っても無数の車がひっきりなしに走っていく。
  棗は心底疲れた様子で、這い出るようにビルから出た。
  ため息が漏れたばかりのその頬に、温かい感触が触れた。

棗:うわっ!? れ、麗奈!?

麗奈:ふふ、ごめんね。棗ちゃん。
   はいこれ、お疲れ様。

棗:あ、ああ。ありがとう、ございますわ……。

麗奈:好きだよね。おしるこ。
   良かったら、だけど。

棗:いただきましたわ。ありがとうございますの。
  今度はわたくしが買って返しますことよ。

麗奈:うん。
   ……ね、今日も駅まで一緒に帰ろうよ。

棗:あ……。

 間

棗:もちろん、ですわ。

麗奈:そっか……ありがとね。

 間

麗奈:……今日も怒られてたね。

棗:塾長、ですの? ああ、あれはその……。
  少しその、遅刻をしてしまいましたから。
  仕方がないことですわ?

麗奈:そっか(笑う)

棗:麗奈……なんで笑いますのよ。

麗奈:んー? ダメかな。

棗:ダメではないのですけれど……。

 間

棗:麗奈は不思議ですわ。

麗奈:どこが?

棗:みんな、わたくしなんかにはかまいませんことよ。
  それなのに、はじめて一緒に帰ってからずっと、こうやって待ってくれてますわ。

麗奈:確かに……ていうか、棗ちゃんのほうが不思議だよ。
   変な時期に塾に入ってきて……同い年なのに受験どころか中学校の問題もわからないし。

棗:それはその……。

麗奈:それなのに、別に気にしてる様子もないし。
   普通はさ、人と違うって結構怖いと思うものだよ。

棗:そうなんですの?

麗奈:そう。怖いよ。違うのは。
   自分だけじゃなくて、相手だって、きっと怖いと思っちゃうんだと思う。

棗:……怖い、か。
  そう……そうですわね。
  でも、なら尚更、麗奈は不思議ですわ。

 間

棗:わたくしと関わっても、ろくなことがないんですのに。

麗奈:ううん。そんなことないよ。

 間

麗奈:白状するとね。私、最初は棗ちゃんだったら大丈夫かなって。

棗:……何がですの?

麗奈:知らないもん、私の事。
   だから、もしかしたらって近づいたんだ。

棗:どういう意味ですことよ。

麗奈:棗ちゃん、『わたしなんかには誰もかまわない』っていったけど、違うんだ。
   嫌われてるのは、私。
   一緒にいてもろくなことがないのも、私なんだ。

 間

麗奈:きっと棗ちゃんと仲良くなりたい人、いっぱいいると思う。
   棗ちゃんの『不思議』は、刺激的で面白くて、一緒にいると自信が出てきて、まるで自分じゃなくなるみたい。
   だから一生懸命棗ちゃんに嫌われないようにしてた。
   だってまた、独りになるのが怖いから。

 間

棗:麗奈は、色々と怖いことがあるんですのね。

麗奈:え?

棗:だから、そうやっていつも笑っているのですのね。

麗奈:……あはは……。

棗:わたくし、自分が変だというのもわかっていますの。
  だからこそ、こうして塾に通わなくてはならないのですのよ。
  ……まぁ最初は命令……というか、行きなさいと言われて嫌々だったのですけど。

麗奈:へぇ、お母さんとかに言われて?

棗:母はいないんですの。

麗奈:そっか、うちもそうなんだ。お父さんだけ。

棗:うちはうるさい……兄が一人。

麗奈:へえ。どんな人なの?

棗:クズですわ。

麗奈:へ?

棗:いえ、クズというのも生ぬるい。
  人間の皮をかぶっているだけで、中身はどんなもんかわかったもんじゃないですの。
  馬鹿みたいに糖分ばかり摂取している砂糖中毒で、とてつもないナルシストで、
  とにかくもうーー

麗奈:(笑っている)仲良いんだね。

棗:そんなわけありませんわ。隙あらば殺そうとしているのですけれど、
  なかなか隙がありませんのよ……。

麗奈:(笑って)怖いよ、それ。

N:次の瞬間、棗は無邪気に、そして猟奇的に笑った。

棗:本当に、殺そうとしてるっていったら、どう思う?

麗奈:……え?

棗:一昨日は頭を狂わせようとしたけど失敗した。
  今日も砂糖の瓶に毒を混ぜたけど気づかれた。
  ああ、あいつを殺したい殺したい殺したい殺したい!
  今すぐに、あの済ました面に絶望を塗りつけてやりたい!

N:一般人が観るにはあまりにも非日常的な感情。
  薄暗く、ドロドロとした純粋さ。

棗:……なあ、麗奈。
  俺が、本当にあいつを殺そうとしてるっていったら、どう思うんだよ。

麗奈:……わかんない、想像できないよ……。

N:麗奈は呆然と棗を見つめ返し、そして、笑った。

麗奈:でも……でもそれで、棗ちゃんを怖いとは思わないかな。

棗:……やっぱりな。その程度なんだよ、麗奈にとっての『怖い』なんてのはさ。
  だから、やめりゃあいいじゃん。笑いときに笑えよ。

麗奈:(笑う)それが本当のしゃべり方なんだ。

棗:そこかよ……。

麗奈:(笑いながら)だって、変すぎるよ! 『なんとかですことよ』とか!
   そんな女子、いないもん!

棗:あのなぁ……俺は俺なりにーー

N:直後、正面からやってきた自転車に乗った少年が、麗奈に向けて野球ボールを投げつけた。

棗:なっ……!?

N:棗は慌てて麗奈の様子を確認するが、麗奈は困ったように立っているだけだった。

棗:麗奈! 大丈夫か!

麗奈:あはは、大丈夫だよ。本当に。いつものイタズラだし。

棗:イタズラの度を超してんだろ! ……あいつら!

N:棗は走り去る自転車を睨みつけると、地面に転がっている野球ボールを掴んだ。

棗:ふざけんじゃねえ……!

N:棗が投げたボールは、自転車に乗る少年の背中を捉え、少年は自転車を投げ出して転がるように倒れた。

棗:ぶっ飛ばしてやる!

N:駆け出そうとした棗を、麗奈が制した。

麗奈:大丈夫だよ。棗ちゃん。

棗:あ!? でもよーー

N:麗奈の顔を見た棗は、言葉を失った。

棗:麗奈……お前……。

麗奈:私はね、ラッキーだから。大丈夫なんだよ。

N:麗奈は色を失ったビー玉のような瞳で、棗を見つめていた。


 ◆◇◆


N:そこだけが何かに切り取られたかのような、長方形の空間だった。
  長身の若者ーー荒人は、膝をついて息を切らしていた。
  荒人が顔をあげると、田中新一郎が、腕を組んで立っていた。

荒人:(息を切らしながら)100回目……だぁー! しんどっ!

田中:気抜くなボケナス。次だ。

荒人:は? はぁ!? おい! 待て!

N:田中が腕を振るうと、見えない力に操られているかのように、周囲の障害物が荒人へと襲いかかった。

荒人:いち、にー、いち……。

N:荒人は小刻みに地面を蹴った。
  踊りを踊るように身体を揺らすと、飛来する障害物を紙一重で避けていく。

荒人:いち! にー! いち! にー!

N:障害物を避けるうち、荒人の身体は地面を滑るように加速していく。

田中:かなり安定してきた、が。もっと見せてみろ。

荒人:クソッ……!
   来い……!

N:荒人は宙を見つめた。
  その瞳が光を失っていく。
 
荒人:来いよ! コノヤロォ!

N:荒人の身体が、ブレた。
  爆音が鳴り響き、空間が、空気が、大きく震える。

田中:うん……やるじゃねえの。

N:田中はニヤリと笑いながら、後ろを振り向いた。
  荒人は、田中の背後で力尽きたように倒れこんでいた。

田中:ま、及第点か。

N:倒れた荒人の足元には、太く赤い線が伸びていた。


 ◇◆◇


N:中華街の灯りを遠くに眺める、暗い埠頭の一角だった。
  閃光が瞬くと、コンテナの外壁に人影が勢い良く叩きつけられた。
  人影の正体は壮年の男性。
  着込んでいたコートは無残にも切り裂かれ、呼吸をする度に『ひゅうひゅう』と苦しげな声を漏らしている。
  満身創痍の男に近づく者がいた。
  年若い女性であった。流れるような黒髪を揺らし、人懐っこそうな顔立ちに戸惑いを浮かべていた。

栄:あの、大丈夫ですか? もう……やりすぎですよ、春日(はるひ)さんったら。

N:壮年の男は苦しげに女性ーー栄を睨みつけた。

栄:えっと……西嶋紀文(にしじまのりふみ)さんですね。
  手荒な真似をして申し訳ありません。
  きっと戸惑ったことでしょう……急に自分に起こったことに。
  しかし、だからこそ、その力を持つ意味を理解しなくてはなりません。
  改めて宣言させていただきます。
  我々には、貴方のような野良さんに教える義務があります。
  あなた達、超能力者のことを。

N:栄は腕を上げた。
  黒装束に身を包んだ男たちは西嶋の身体を抱えると、頭に黒い布をかぶせた。
  西嶋は恐怖のあまり激しく暴れたが、男たちは気にした様子も見せずに西嶋の身体を運んでいく。

栄:ご協力、ありがとうございます。
  ……あの、できるだけ、優しくしてあげてくださいね?

N:栄は困ったような笑顔で男たちを見送った。
  そして一呼吸をおくと、携帯電話を取り出して、番号をコールする。

栄:(携帯に向かって)所長ですか? ええ……西嶋紀文の確保は完了しました。
  ええ……春日(はるひ)さん? えっと……あ、さっきまでは一緒にいたのですが……。
  は? ああ、はい。手配は済んでいます。後片付けの方は、ええ。
  ……はい? 政府の……ってどういうことですか?
  あ。

N:栄が顔をあげると、目の前にキャップを被った男が立っていた。
  男は人の良さそうな笑顔を浮かべると、眼鏡の端を指先で持ち上げた。

栄:あなたが……?

岩政:ええ、ハゲているかどうかは内緒ですよ。

栄:(携帯に向かって)あ、はい……所長。いま目の前に……
  わかりました。それでは。

N:栄は携帯電話を仕舞うと、男に向き直った。

栄:あの、話はいま伺いました。
  速見興信所の栄 友美です。

岩政:貴女があの大藤 一(だいとうはじめ)の代わりを務めている……。
   いやぁ、随分お若い。それに、いい髪をお持ちだ。
   拝んでもよろしいですか?

栄:え……? あの、お断りします……。

岩政:きっぱりと断られるとスッキリしますね。
   いや、スッキリといっても決してハゲているからではないんですがね。
   申し遅れました。
   私、公安特務所属の超能力者で、岩政 悟と申します。
   以後、ハゲしり置きを。いやお見知り置きを。

栄:公安……特務、ですか。

 間

岩政:ああ……うっかりしていました。栄さんは”うちの狂犬”が暴れた現場にいたんでしたね。
   そのうえ、大藤さんがあのようなことになったのを目の前で観たのでは、無理もありませんか。

栄:……いえ。別に……。
  ーーえ?

N:岩政は帽子を取り、勢い良く頭を下げた。

岩政:その節は、公安特務が大変なご迷惑をおかけいたしました!
   どうかこの頭に免じて、怒りをお納めいただきたい!

栄:あ、いや! 頭をあげてください!

岩政:頭をハゲてください!? これ以上でしょうか!?

栄:違います! もういいですから! ほら!
  まったく……なんなんですか一体!

岩政:いやはや、面目次第もございません。
   ですが……これで仕事のお話ができそうですね。
   でしょう? 栄さん。

栄:(笑って)……ええ。そうですね。岩政さん。

岩政:やはり、女性は笑顔が一番です。
   ハゲて良かったと思う唯一のことですよ。

栄:あの、そんなにその……頭、気にされることありませんよ。

岩政:そういうことおっしゃいますと私、惚れてしまいますよ?

栄:ごめんなさい。

岩政:ええ、ハゲは惚れやすいですから。
   防御力が弱い? 頭部のことはお気になさらず。

栄:アハハ……。
  あのそれで……協力関係というのは?

岩政:そうでしたそうでした。
   速見所長がお伝えしたかどうかはわかりませんが……。
   この度、政府主導で『とある能力者』を保護することになりまして。
   そのための露払いを速見興信所さんにお願いしたわけでございます。

N:岩政が手元のキーを押すと、栄の背後に止まったスポーツカーがヘッドライトを点灯させた。

岩政:続きはドロシーの中でーードロシーとはこの車の名前ですが。
   どうぞ、マドモアゼル。

N:恭しく腰を折る岩政に促され、栄は助手席に乗り込んだ。


 ◆◇◆


N:殺風景なロビーのような部屋だった。
  どこか窮屈で、どこか安心感のある濃紺の壁には、『STUDIO(スタジオ)』と書かれたプレートが下げられている。

田中:あー、あんた。悪かったな。運ばしちまって。

N:田中がソファに腰掛けたまま缶コーヒーを飲んでいると、部屋の奥から、寝台に乗せられた荒人が運ばれてきた。

管理人:いえ、仕事ですから。

田中:後片付けも……ほら、だいぶ暴れちまったからな。

管理人:それも込みで使用料は頂いております。お気になさらず。
    ただ少し、驚きはしましたが……。

田中:あん?

管理人:あそこまでの傷を……流石は”巨人(ジャイアント)”といったところですね。

田中:あー、それな……まぁいいや。そういうことにしといて。

管理人:それでは、お好きなお時間に退出してください。

 間

田中:……おい。いい加減起きろボケ弟子。

荒人:……頭、いてぇ……吐きそう……。

田中:わかったわかった。
   ……で、どうだ。つかめたか?

荒人:つかめたかって言われれば……まあ……。
   つってもまだまだ使いこなせる気はしないけど。

田中:あったりまえだろ。 
   お前の持つ力の最大値が25mプールだとする。
   その中で、もともとお前が使いこなしてた力はーー

N:田中は空き缶を握りつぶすと頭上に放り投げた。
  田中の瞳が光を失い、超念動能力が発動される。
  空き缶は空中で一瞬静止すると、奇妙な放物線を描いてゴミ箱に飛び込んでいった。

田中:この缶コーヒーくらいなもんだ。

荒人:それ、笑えねえ……。
   言ってる意味は……まあわかるけどさ……。

田中:……実際どーなのよ。
   強くなるって感覚は。

荒人:いいたくねえ……。

田中:いえよ。

荒人:(ため息)……すげえ……楽しい。

田中:そーかそーか! いや、師匠がいいからなぁ!
   ダァーッハッハッハ!

荒人:……チョーシ乗んなよ。
   俺の能力の改善案だしたのは速水所長だろ。

田中:そういうこというかね!

荒人:でもま……なんだかんだ、強い能力者に教わってるからな。

田中:(笑って)最強、な。

荒人:だー、うるせえな……。
   つーか、ここ、なんなんだよ。

田中:あれ? ……説明してなかったっけか。

荒人:してねえよ! いつもの訓練かと思えば急に連れてきやがって……。
   それから……あれ? 何時間やらされてたんだ……?

田中:ざっと40時間だな。

荒人:マジかよ!? そんなに居んの!?

田中:まぁ、気絶してた時間を差し引いて、15時間くらいはやってたんじゃないか。

荒人:(ため息)……で、なんなんだよ。ここ。

田中:スタジオ。

荒人:スタジオ?

田中:ここはスタジオというレンタルスペースだ。
   スタジオ内の壁は、“Sarcophagus(サルコファグス)”っつー物質で作られていてーー

荒人:ちょっと待った。もうわかんねえ。

田中:ったく……なんつーか……ま、ちょっとやそっとの能力じゃ傷もつかない、
   超やべー物質で作られてる部屋、それがさっきまでいた場所な。

荒人:おう。

田中:つまり、あの部屋は超能力の訓練のための、レンタルスペースだ。

荒人:ほぉー。

田中:俺たちはいつでもどこでも自由に能力をつかえるわけじゃないからな。ここなら使い放題、暴れ放題。
   ま、単純な話、このスタジオ自体が“超常的物品(アンノウン)”そのものみたいなものだ。

荒人:っていうか、こんなすげえとこがあるなら、いつものボロ道場使う必要ないんじゃないすか?

田中:バーカ……。たけえんだよ!

荒人:たかい……って、レンタル料が、的な?

田中:そう……一時間で……あー、言いたくねえ。

荒人:そこまでいったなら教えてくれよ。

N:田中は2本指を荒人の前に差し出した。
  荒人は唾を飲み込むと、緊張した面持ちでその指を見つめる。

荒人:……2万?

田中:上。

荒人:に、20万……?

田中;上。

荒人:あ、だめだわ新一郎さん。俺これ以上は言えない……。

田中:つまりだ! 1時間200万以上もかかるようなバカ高いレンタル料を40時間分も払ってる。
   これは、速水探偵事務所からの先行投資だ。

荒人:先行、投資……。

田中:言うのは気が乗らないが……お前の戦力を強化することが、価値が産むと判断したってことだよ。

荒人:俺が……価値を。

田中:それにだ! どうやって手に入れたかはしらねえが、事務所に相当な金が入ったみたいでな
   なんと……! なんとだなぁ! 俺にも相当量の給料が入ってきている!

荒人:それは良かったな……って、うわっ! 泣くほどのことかよ!

田中:(泣きながら)バカお前! 俺が今までどれだけ苦労してきたか!
   本当に……本当にあのクソ野郎を見捨てないできてよかったと数ミリだけ思えたぜ……!
   これで! 友美ちゃんに美味いものを食わしてあげられる……!
   すまなかったなぁ……友美ちゃーん、貧乏な彼氏で……!

荒人:そういや栄さんの方が稼ぎ良かったもんな……。

田中:うるさいバーカ! もはやそれは過去のことよ!
   ヒモ理論は素粒子の彼方へと消え去った! わーっはっはっは!

荒人:栄さん……なんでこんなんと……。

田中:ってなわけで、楽しいお喋りはおしまいだ!
   いくぞー。

荒人:行くって……どこへだよ。

田中:お前をこんな短時間で扱き上げたのには訳があるんだよ。
   これから、とある超能力者を捕縛しにいくわけだがーー

荒人:は? いつものことじゃん。

田中:そいつは2つ名持ちだ。

 間

荒人:……2つ名持ち……それでか。

田中:簡単に死んでくれるなよ。

荒人:こんなボロボロのやつ目の前にして何言ってんだよ。
   もう2,3度死んだ気分だっての。

田中:時は満ちた。行くぞ。若き弟子(パダワン)よ。

荒人:……オフコース マイ マスター。

N:荒人と田中は傷だらけの手でハイタッチを交わすと、無邪気な笑顔を浮かべた。


 ◆◇◆


N:車は薄暗い埠頭を離れ、大通りへと入っていく。

岩政:いや、緊張しますね。ドライブというものは。
   お恥ずかしながら、女性を助手席に乗せる機会は多くないんですよ。
   ええ、先日母を病院に送って以来ですかね。

栄:……お母様、お身体お悪いんですか?

岩政:ええ……それが、急に胸が苦しいなんていうから慌てて病院にいったらですね。
   「食べ過ぎだ」って。
 
栄:(笑って)あら、大変。

岩政:いやはや、お恥ずかしい。

栄:お母様……今でもあっていらっしゃるんですね。

岩政:超能力者の癖に、って?

栄:いえ……。まぁ、はい。

岩政:公安に所属している超能力者は、政府のサポートを受けています。
   それによって超能力者となることで失うであろうものを取り戻すことができるのですよ。
   もちろん条件はありますし、それ相応の代償を支払う必要はありますがね。

栄:……そう、なんですか。

岩政:ええ。私の場合は、年老いた母と共に暮らす権利を。
   その代わりに差し出したものはーー

 間

岩政:(笑って)髪の毛だけではないとだけいっておきます。

栄:手に入れるために失う。
  人間的じゃありませんか。

岩政:話に聞いていた通り、お優しい方だ。
   私達のようなものには勿体無いお言葉ですよ。

栄:そんな寂しい言い方、やめてください。

岩政:……申し訳ない。
   こうハゲておりますと、自虐が板についてしまうもので、ええ。

 間

栄:なぜそんなにその……ネタにされたりするんでしょうか。
  その……お頭の、その、お髪の……。

岩政:いってください栄さん。ひと思いに、H・A・G・Eと。

栄:い……いや、無理です!

岩政:その反応はなかなかどうして!
   ぐっと来るものがありますね。新たなるハゲの使い道でしょうか。

栄:からかってるだけなんですか? もう……。

岩政:失敬失敬……。笑ってもらえたりすると、嬉しいじゃないですか。
   でもその反面、少し傷ついたりもするんです。
   やっぱりハゲだと思ってるんだな!とね。

栄:だと、思いますけど……。
  自分で言うのはやめたらいいんじゃ?

岩政:きっとね、寂しいんです。

栄:寂しい、ですか。

岩政:感情が揺れ動くなら。衝動に揺り動かされるまま。
   そう、ありたいのです。

栄:……難しいですね。

岩政:ええ、人間、ですから。

 間

栄:こんな……。
  こんな世界を守り続けられるとしたら。

 間

栄:あなたは、誰かを殺すでしょうか?

 間

岩政:その質問は少し、時間をいただきたい。
   ……その間に仕事の話をしましょう。

栄:……能力者の保護、でしたか。

岩政:そうですね。
   ……栄さん。能力者における“2つ名”のことはご存知ですよね。

栄:うちにも数人所属していますから。

岩政:速見興信所でいうと、”狂王(ベルセルク)“と”泣き虫(クライベイビー)”がそうですね。
   そして栄さんと最も親しいところにも1人。

栄:ええ、まあ。
   
岩政:彼らが何故、大層な2つ名で呼ばれるのか。
   これには単純な答えが一つ、『強い力の持ち主であること』
   そしてそれは、『並大抵の力の強さではないということ』
   これが答えだと言い切ることができるとすれば、何故だと思いますか?

栄:えっと……?

岩政:ああ、すみません。こうみえて普段は塾講師の仕事をさせていただいているものですから。
   質問をするのが癖になってしまっていまして。

栄:そうなんですか。いいですよ。せっかくですから、生徒役でも。
  はい! 先生。

岩政:ちょっとドキドキしてしまいますね。
   はい、栄さん。

栄:……超能力者同士の戦いとは、情報戦です。

岩政:その心は。

栄:超能力者が持つ超能力は基本的には1つ。
  その1つの能力がいったいどういったものなのかを事前に知っていれば、
  どんなに強い能力であったとしても対処することができる。
  つまり、格上であっても、格下であっても、多く情報を持っている方が勝つ。
  だから、そんなセオリーを無視した存在、
  能力の詳細が周知し、かつ相手の能力がわからなかったとしても、
  勝ち、生き残り続けている能力者はーー

岩政:規格外に強い、と。非常に鋭い考察です。

栄:(笑って)受け売りなんですけどね。

岩政:いえ、素晴らしい生徒だと思いますよ。

栄:つまり……今回の保護対象も、そんな2つ名持ち、ということですね。

岩政:それに、理解もお早い。

N:信号が赤に変わり、滑るように停車する。
  岩政は脇にあるファイルを取り出すと、栄に手渡した。

栄:”幸運少女(エンジェル)”
  安東 麗奈(あんどう れな)……高校生……。こんな子が、2つ名を?

岩政:14人。

栄:え?

岩政:そこには”複数”と書いてあるでしょうが、正確な数字は14人です。

栄:……エンジェルが殺害したと思われる超能力者の、数。

N:車は東京の西へと進んでいく。


 ◆◇◆


N:荒人はバイクを止めて、ヘルメットを外した。
  汗に濡れた髪をかき上げ、目の前の家の門の『安東』という表札を見つめた。
  時刻は23時。閑静な住宅街は、眠りにつこうとしていた。

七原:お兄さん。そのお宅に何か用ですか。

荒人:(舌打ち)

N:荒人が振り返ると、若い男が立っていた。
  人懐っこそうな笑顔を浮かべて近づいてくる男を、荒人は緊張した面持ちで睨みつける。

七原:あなたは、えっと、どちらの人なんですか。

荒人:なるほどな。
   ……その質問で、あんたがどっちなのかはわかったぜ。

七原:一本取られたな。
   でも、本当に俺のことは知らないみたいですね。

荒人:あん?

七原:簡単に”手の届くところ”まで入れさせてくれたんで。

N:荒人は跳躍し、男との距離を取った。

七原:速っ! 何すか今の!

荒人:いち……にー……。

七原:ちょっ、ちょい待ちちょい待ち!
   戦うのとか勘弁! 俺、一瞬で死にますって本当!

荒人:……なんだよ、ヤルんじゃねえのか?

七原:違いますよ! 俺、非戦闘員なんで!
   ……勘弁してくださいよ……。

荒人:わりぃが、説明次第だ。

七原:あはは……怖ぇ……。
   
 間

七原:えっと……俺は七原 裕介。一応、あなたと同じです。

荒人:所属は?

七原:所属? ああ……なんていうか、フリーランスって言えばいいんですかね。

荒人:ハッ、ここにいるやつのいうことかよ。

七原:本当に! 本当にただのフリーの根無し草なんですって。

荒人:俺は頭の良いほうじゃないけどよ。
   フリーの超能力者が、”ここにいるはずない”ことくらいわかるぜ。

 間

荒人:もう一度聞く。どこの所属だ。

七原:……本当、なんだけどなぁ。

荒人:そいつを信じろっていうのかよ。

七原:うん。あなたは正直な人だ。
   ……そうだな。

N:七原の瞳が光を失っていく。次の瞬間、荒人は膝から崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。

荒人:う、あ……。

七原:あらら、精神感応方面はノーガードだったのか。

荒人:な、んだ、今の……! 何しやがった!

七原:頭のなかに直接記憶をぶち込んだだけですよ。
   でも、大丈夫。痛みはすぐひきますんで。

荒人:これが……お前の能力か。

田中:一端、だけどな。

N:荒人の後方から現れた田中は、不機嫌そうに腕を組んでいた。

七原:久しぶり。新一郎。

田中:気安く呼ぶんじゃない。

七原:つれないなぁ……中学来の親友だったじゃないか。

田中:仮にそうだったとしても……。
   その記憶は『お前が盗んだ』だろ。

七原:あはは。それ、朔が?
   やっぱり……彼はすごいやつだな……。

荒人:新一郎さん。

田中:うん? ああ、俺も顔写真でしか観たことないが……どうやら昔は知り合いだったらしい。

荒人:らしい?

田中:こいつは”記憶泥棒”。都市伝説とされている超能力者だ。

 間

田中:こいつは、記憶を操ることができる。
   それも、直接、自由自在に……。

荒人:自分の痕跡を消すこともってことか?
   それで都市伝説、ね。

七原:伝説と呼ばれるほど謎めいた存在ではないですけどね。
   大したことのないただの20代の男でーー
   そして、君らとも、人間ともそう変わらない。

 間

七原:そう、僕らは変わりなかったはずだ。
   新一郎。君がそうしてそこにいることのほうがよっぽど信じられないほどにね。

田中:ああ、そうかよ。

七原:今でも良く観る記憶だよ。
   最高に素晴らしい記憶だ。
   新一郎と朔と、僕とは同じ中学、高校に通っていたんだ。
   いつも一緒だったよ。例えば女の子のことで喧嘩したり。
   テストの点で競いあったり……もちろん朔には勝てなかったけど。
   俺と新一郎は結構良い勝負だったしね。

田中:気色悪いな……何度も何度も新一郎と……。気安く呼ぶなと言っただろ。

七原:だけどあるとき、俺達の関係は終わった。
   新一郎が能力に目覚めた、その瞬間にね。

 間

七原:能力の有り無し。人間で有り無し。
   そんな寂しいこと、今でも冗談じゃないかって思ってる。

田中:……記憶泥棒。お前の目的はなんだ。

七原:あの時にしようとしたことと同じさ、新一郎。

田中:知ったこっちゃないな。

七原:くだらない人情派だからさ、俺は。

 間

七原:……こんな俺にもできることがあるんだ。
   君らがどういう理由で彼女に近づこうとしているかは知らない。
   だが、“幸運少女(エンジェル)”は自由であるべきだ。

荒人:自由、ね。都合のいい言葉使うじゃねえか。

七原:君らがたとえどんなつもりだとしてもーー

N:七原はそこで言葉を切った。
  荒人と田中が肩を並べて笑顔を浮かべているのに気づいたのだ。

田中:確かに天使が囚われてちゃ様にならないだろうな。

荒人:だけどさ、天使の行き先を”自称人間”が決めるってのも、どうなのかね。

七原:……なるほど……目的は”彼女”じゃなくて、僕か。

田中:『同窓会のお誘い』だ。記憶泥棒。

七原:……嬉しいけど、お断りしようかな。

田中:この状況で何をーー

七原:後は君達に任せるよ。

N:七原の身体が、淡い光に包まれ、軽くぶれる。

七原:これでいいんだろ? 朔……。

N:七原の瞳が光を失ったかと思うと、荒人と田中の眼前に、1人の少女の記憶が映像(ビジョン)となって投影されていた。
  少女に向けられる悪意、敵意、そして恐怖。彼女の孤独と、研ぎ澄まされていく純粋さ。
  少女の半生ともいえるほどの膨大な情報が2人の前を駆け巡っていく。

田中:(舌打ち)

荒人:安東、麗奈……。

七原:この記憶をどうするかは、君達次第だ。
   彼女を……麗奈を、どうかよろしく頼むよ。
   ……会えて嬉しかった……それじゃあ、また。

N:次の瞬間、七原の姿は消え去り、つい先程まで七原が立っていたはずの空間には、膨大な量の紙の束が舞い上がっていた。
  田中は舞い散る紙を一枚手に取ると、ポケットから携帯電話を取り出した。
  荒人は、呆然とその場に立ち尽くしていた。

荒人:……くだらない……。
   俺らは、何のためにーー

N:天使の羽音が聴こえるまで、後数分。


 ◆◇◆


N:麗奈は自宅の玄関を開ける。
  廊下から流れる、ひんやりとした空気が、家の中に誰も居ないことを主張していた。

麗奈:……入って、誰もいないから。

棗:ああ……。

N:麗奈は棗を2階の自室に案内する。
  勉強机とベッドだけがある、シンプルな部屋だった。
  麗奈は棗に椅子を差し出すと、自分はベッドの端に腰を下ろした。

麗奈:……良かったの? 家、帰らなくて。

棗:別に……。

麗奈:何か飲む? お腹とか空いてるーー

棗:麗奈。

 間

棗:さっきの、どういうことだよ。

麗奈:さっきの?

棗:あいつらの投げたボールは、麗奈に当たる軌道だったんだ。間違いない。
  なのにーー

麗奈:ボールは、当たらなかった?

 間

麗奈:……6歳くらいの頃だったかな。クラスの女の子と喧嘩したんだ。
   最初はただの口論だったと思う。給食袋の柄がどうとか、そんな感じ。
   それで、私、その子にひどいこといっちゃったんだ。と、思う。
   そうしたらね、その子が泣きながら私に向かってコンパスを投げてきたんだ。
   それで、コンパスが私を『避けて』ね……。

 間

麗奈:よく覚えてる。悲鳴が聞こえて、振り向いたら血が流れてて、それで……。
   それで、私の後ろの席にいた子の頬に当たってたの。

棗:……避けた。

麗奈:偶然だってことになったんだけど、当然だけど、クラスメイトからは気味悪がられるようになって、
   そうしたら、ほら、気になるからさ、だんだんと、みんながものを投げてくるようになって。
   問題になったりして、両親も呼び出されて。
   ……何度も呼び出されているうちに、お母さんも疲れちゃって、出て行っちゃった。

 間

麗奈:お父さんだけは、私を守ってくれた。
   でも、わかるんだ。
   地震で棚の物が落ちてきたときとか、大丈夫か、って近寄ってくるんだけど、
   その目を見ればわかるんだよ。
   怖いんだ、って。それはそうだよ! わたしだって、きっと怖いと思うもん。
   だから、ここ数年は家にあまり帰ってこないけど、きっとお父さん、そうすることで耐えてくれてるんだ。
   私のこと、見捨てないように、距離を置いてるんだって……あーー

 間

麗奈:ア、アハハ、ごめんね。気持ち悪い話しちゃって。
   こんな話、信じないよね。

 間

麗奈:棗、ちゃん?

棗:クソッタレ。

N:棗は強く、強く拳を握りしめていた。

棗:麗奈、俺も隠してたこと、あるんだ。

N:棗にとってそれは、晴天の霹靂だった。
  自らがこんなことを口にするとは、数ヶ月前までは思いもしなかったのだ。

棗:俺は……。
  俺は、モノに宿った記憶を読むことができる。

N:しかし、考えは変わる。それは、今の棗にとって、とても自然なことだった。

棗:俺は、『超能力者』なんだ。

麗奈:……超? 何? 何言ってるの?

棗:麗奈、俺はお前と同じ。クソッタレた世界に気まぐれで落とされた玩具なのさ。

N:棗は眼前にぶら下がった、室内灯の紐に手を伸ばした。
  紐に手が触れた瞬間、能力が発動する。
  棗はビクリと身体を震わせ、椅子に座り込んだ。
  彼女は何を観たのかは知れずとも、彼女が今、何を思うのかは明白だった。
  棗は、怒っていた。
  服の端をちぎれるほどに握りしめて、怒っていた。

棗:人間なんて……大嫌いだ。大嫌いだ!
  大っ嫌いだ!
  1人で、耐えてたんだ……こんなことってあるか。
  俺たちが人間と同じだっていうならッ! 失うものも当価値だと言えるのか!
  麗奈が! お前が自ら命を絶つほど理由が、どこにあるっていうんだよ!

 間

麗奈:アは……な、なんで? なんでなんで?
   なんで知ってるの? 棗ちゃんがなんで知ってるの?

棗:言ったろ、俺は、ミれるんだ。
  麗奈、お前が昨日の夕方、ここで首を吊ろうとしたことも。
  首をに紐が食い込む瞬間、紐が解けてここに倒れこんだことも。
  そのまま朝まで泣きじゃくっていたことも!
  俺には! ……目の前で起きたことのように観えるんだ。

麗奈:アハハ、変な棗ちゃん。怖いこと言わないでよ。

棗:俺が怖いか。麗奈。

 間

棗:俺が怖いかッ!

麗奈:怖いよ。怖いよ! 近付かないで!
   やめてよ! 気持ち悪い!
   だめ……だめだよ。棗ちゃんにだけは知られたくなかったのに!
 
棗:本当の恐怖はな、麗奈。そういうことなんだよ。

麗奈:どうして!? どうしてこうなるの!
   やだ! もう殺して! 殺してよ!

 間

麗奈:お願い、棗ちゃん。私を、殺して?

棗:バカ……誰が殺してやるもんかよ。
  逃がしてやるもんか。

麗奈:ひどいよ……どうしてこんなことするの?
   やだよ。なんで今さら私の前に現れたの?
   救われたくなんてない……苦しいだけなのに……。

棗:ッ!

 間

棗:静かにしろ!

麗奈:誰か来たの? ……お父さん?

棗:じゃ、なさそうだな。
  足音がしねえ……動くな……そこにいろ。


 ◆◇◆


N:岩政と栄は、駐車場の入り口に立っていた。

岩政:人払いは、ええ、済んでいます。
   印象操作も正常に機能しています。地域一帯の一般人はあらかた……ええ……。
   はい……了解致しました。(携帯電話を切る)

N:岩政の横で、栄は思いつめたように俯いていた。

岩政:……栄さん?

栄:……あ、はい。

岩政:どうやら。面倒なことになりそうです。
   ストレスで髪が抜ける程度に。

栄:……面倒、ですか?

岩政:第三勢力、というやつですよ。

栄:第三、勢力。他にもエンジェルへのアプローチを?

岩政:そのようです。

栄:……情報が漏れていた、と。

岩政:面目次第もございません。
   何分、急に決まったものですから。情報の統制もとれていなかったのでしょう。

栄:そういうことでは、困ります。

岩政:そうはおっしゃいますが……。

 間

岩政:ひょっとして……栄さん、思うところがおありですか?

N:栄は強く拳を握りしめた。

栄:……もちろん。あります。

岩政:いいでしょう。聞かせて下さい。

栄:資料によれば、エンジェルは能力を外的要因に対する自衛目的で使っています。
  彼女が自らの意思で誰かを傷つけた事実はない。
  このまま監視状態を続ければ問題はないではないですか。

岩政:浅慮がすぎますね。彼女が今後、民間人を、我々……公安を傷つけないとなぜ言い切れるのですか?
   彼女自身が望まなくても、我々以外の組織に身柄を拘束されたら?
   身の振り方も知らない少女が、あれほどの力を持つ意味を、しっかりとお考えですか。
   彼女は力を制御できない。あまりにも危険な存在です。

栄:今のお答えをきいてはっきりしました。

岩政:なんでしょう。

栄:部隊の編成を見ておかしいと思いました。
  鎮圧のための陣形にしてはあまりにも攻撃的すぎます。
  ……あなた達、エンジェルを……安東麗奈の命を奪うつもりですね。

岩政:……栄友美さん。貴方の指揮能力からすれば気づいても当然でしょう。
   ええ、まったくもってそのとおりです。
   私の髪が抜け落ちるように自然な答えです。
   私は……彼女を、生かすつもりはありません。

栄:あっさりと言うじゃないですか。

岩政:だったらなんだというんでしょうか?

栄:我々に、保護が目的だと言ったのは嘘ですか?

岩政:もう一度いいましょう。だったらなんだというんでしょうか?

N:岩政は、指で眼鏡を持ち上げた。

岩政:目的と行動理由が違う、それだけのことでしょう。
   あくまでも、公安主導のこの任務の目的は、“幸運少女(エンジェル)”の保護です。
   過程での現場判断による結果の違いなど、蓋を開けてみなければわからない。

 間

栄:……ただの屁理屈です……!
  殺すつもりで全員が行動するというのなら、これは立派な殺人計画です!

岩政:殺人計画! 大いに結構!
   いいですか、私は目の前で同僚がエンジェルに殺害されるのを目撃しました。
   ええ、何度も!

栄:その上での結論だから間違ってはいないと!?

岩政:そうです! 保護を目的とした戦闘では、明らかに我々の力は及ばなかった!
   その上で、何人もの同僚が死んでいった!
   あなた方、人間がいうところの『尊い犠牲』というやつですよ! ええ!
   『超能力者(パラノーマンズ)』と呼ばれて蔑まれる者達の、尊い犠牲です。

栄:その言葉を今使うのは……ずるい。

岩政:承知しています。
   栄さんがどんな思いで超能力者と向き合っているのかなんていうことは。
   ですが、悲しいかなあの愚かしい上層部の人間達と言っていることは変わらない。
   『あんな強い力を持った超能力者を殺すなどとんでもない』
   『あんな可哀想な少女を殺すなどとんでもない』
   ですが、結果は変わらない!
   尊い犠牲という名の、死体が積み上がるだけです。

栄:そこまでわかっているのなら……!

岩政:車の中での質問を、いまここで返しましょう。
   こんな世界を守り続けられるとしたらーー
   私は、誰かを殺すでしょう。

栄:……あなたは……。

岩政:栄さん。我々には貴女の指揮能力が必要です。
   衝動を抱えた我々は、長期的な戦闘行動中に冷静な状況分析が行えない。
   貴女の、貴女の力で、今日ばかりは! どうか今日ばかりはーー
   我々の命を、救っていただきたい。

N:栄は、力なく手元のファイルに目を落とした。
  一瞬の葛藤。向けられた感情に揺れ動くように、フラフラとその上半身が揺れていた。
  しかし、そんな彼女の肩を支えるように、ヒーローの声は響いた。

田中:おいおい、ちょっと会わないうちに浮気かな。

N:駐車場の入口で、田中は笑顔を浮かべていた。

栄:……え? どうして……。

田中:ユミちゃん、どうしてメール返してくれないわけ?
   俺、そういうの結構気にするんだけどさ。

栄:……ごめんなさい、仕事で……って!
  そうじゃなくて! なんで新一郎君がここに!?

岩政:……あなたが、そうか。
   会えて光栄ですよ、”巨人(ジャイアント)”さん。
   私は公安特務所属、岩政さーー

N:刹那、岩政の身体は吹き飛ぶ。

田中:あ゛? どいつもこいつも、馴れ馴れしいんだよ。
   気安く話しかけてくんじゃねえ。

N:田中は光を失った瞳に明確な怒りを滲ませていた。

栄:ちょ……何してるんですか!?

田中:何してる、じゃねえ。
   お前こそ何してんだ。

栄:馬鹿なんですか!?
  浮気とかそういうので怒ってるんだったらお門違いーー

N:田中は栄の身体を強く抱きしめた。

栄:え?

田中:俺のいないところで、なに勝手に傷ついてるんだよ。

栄:傷、つく?

田中:顔、泣きそうだ。

栄:そんな……こと……。

田中:ほら。俺を見ろ。ユミ。

栄:新一郎君……。

田中:俺は……強い。
   お前は? ……どうなんだ。

 間

栄:ううん……そう。私、傷ついてた。
  ごめんね。自分勝手に傷ついてたんだ。

N:栄は唇を噛みしめながら、首を振った。

栄:……ブレるくらいなら、最初からここに立ってはいなかった。
  誰かを尊重できるほど、私は強くなかったじゃない……。
  同情して、同調して、それで何が変わるっていうの……!

 間

栄:(大きく息を吸って)あああああ!

N:何かを絞り出すような叫び声は、人気のない住宅街の空に吸い込まれていった。
  顔を上げた栄の瞳には、すでに迷いはなかった。

栄:……ごめんなさい。私の事、嫌いに、なりました?

田中:バーカ、惚れなおしたに決まってるだろ。

栄:本当、軽口ばっかり……でも、本当にありがとう。
  私のヒーローさん。

田中:……うわっ、攻撃力高すぎるでしょそれは……。

栄:そうだ! 岩政さんは?

田中:ん? ああ……あのハゲか。
   俺がぶっ飛ばした時点で、ここから逃げたみたいだな。

栄:……ねえ、私のお願い。聴いてくれますか? 

田中:(笑って)なんなりと、お姫様。

N:栄は胸ポケットから小型の音声レコーダーを取り出した。

栄:事項1033、時刻0043。速見興信所、栄友美。
  公安特務、岩政悟を含めた攻撃班は、保護を目的とした作戦行動を破棄。
  安東麗奈の殺害を目的とし、行動を開始した模様。
  協力関係にある速水探偵事務所に支援を要請。
  私は……速見興信所は、当初の予定通り。
  『安東麗奈さんを保護します』
  ーーさ、行きましょう。

田中:お気に召すまま。

栄:戦力の把握を。荒人君は一緒ですか?

田中:ああ。それに、弟子も一緒だーー


 ◇◆◇


N:棗はゆっくりと階段を下りながら胸元のポケットを探り、5センチ程の仕込み針を取り出す。
  それは非力な棗が、自営の手段として訓練していた暗器だった。
  棗は階段の下に人影を見つけると針をゆっくりと振りかぶったーー

荒人:死にたくないなら、おとなしくしとけ。

棗:ッ!

荒人:それじゃ俺は倒せないーーあ?

N:人影ーー荒人は棗を見て目を丸くした。

棗:……先輩?

荒人:あ? 後輩か?

棗:……は? なんでここにいんだ!

荒人:あー、それなんだが。説明しようにも、色々ごちゃごちゃしててさ……。

棗:(ため息)いいから、言ってみろよ。

荒人:……そうな。えっと、あれだ。
   安東麗奈は、無事か。

棗:なんで名前……。
  いや、いい。それでなんとなく推理できた。

荒人:推理?

棗:俺は麗奈……超能力者と同じ塾に通ってた。
  恐らくはクソ速水朔の野郎は知ってて通わせてたんだろう。
  塾を『やめてもいい』と言ったのはブラフか……もしくは今日のことを見越していたか……。
  どちらにしろ、今ここに先輩と俺が揃っている理由は一つ。
  ーー麗奈を狙ってるやつがいる、だろ。

荒人:お、おう。

棗:ついでに先輩が、俺の今の話を聴いてその反応ってことは、先輩もここら辺の事情は知ってるわけだ。
  ふぅん……。

荒人:……なんかお前、変わったか。

棗:あン? 何がだよ。

荒人:手のひらの上っての? 前までだったらキレてるだろ。

棗:は? あいつと四六時中一緒にいんだぞ。
  こんなんでいちいちキレてられっかよ。
  第一な……。

N:棗はつまらなそうに手のひらで針を弄んだ。
  その瞳に映るのは自嘲か、自戒かーー

棗:弱いやつが利用されんのは、当たり前だろうが。

荒人:……お前ーー

棗:っつーか、今回ばかりはあのクソ野郎に感謝してるんだぜ?
  あいつは真実に執着している。
  そんなやつが言ったんだ、『1週間やる』ってな。

荒人:……わりぃ。なんか難しくてわかんねえんだけど……。

棗:ハハ、だから好きだぜ。先輩。

荒人:なんかお前、馬鹿にしてねえか?

棗:んなことより。どの程度知ってるか、だが。

荒人:……麗奈のことか。

棗:呼び捨てにすんな、イラつく。

荒人:仕方ないだろ……安藤麗奈の記憶を頭にぶち込まれたんだからな。

棗:記憶を、頭に……?

麗奈:……棗ちゃん?

N:麗奈は恐る恐る階段を覗き込んだ。

棗:麗奈……。

麗奈:……その人は?

棗:こいつは荒人。

荒人:おう。よろしく。

麗奈:あの……この人も……そうなの?

棗:ああ。超能力者だ。

麗奈:そう、なんだ。それで、その……。

 間

麗奈:その人は、その、悪い人?

棗:……今、確認するところだ。
  先輩、お前、味方か?

荒人:あ? 変なこと聞くな、お前……。
   俺は、お前の先輩だぞ。

棗:(ため息)そういうことじゃねえって。

荒人:それよりーー

麗奈:キャッ!

N:何かが弾けるような音に、麗奈の身体が震えた。

麗奈:な、何!? 今の音!

荒人:後輩……!

棗:ああ……!

荒人:おい! こっちにこい!

麗奈:え!?

棗:いいから麗奈! 早く!

N:荒人は2人の身体を両脇に抱えると、窓を蹴破って外に飛び出した。

麗奈:(息切れをしながら)なんなの!? これ!

棗:落ち着け麗奈! 後で説明してやる!

荒人:いいから掴まってろ! 舌噛むぞ!

N:荒人は2人を抱え直すと、人気のない路地裏を疾走する。

荒人:どっか人のいない場所、ないか!

棗:麗奈!

麗奈:は、はい! そこをまっすぐいくと、小学校がーー


 ◆


N:3人は荒い息を整えながら、小学校の校舎裏に座り込んだ。

麗奈:アハハ……変なの……。
   さっきまで吐き気がするくらい考えてたのに、もう、ぐちゃぐちゃになっちゃった。

棗:ハッ、いったろ。麗奈が怖いと思うことなんて、その程度のことなんだよ。

麗奈:それ、うん、そうだね。

棗・麗奈:(吹き出して笑う)

荒人:おうおう……楽しそうでいいなぁおい。

麗奈:あ、すみません……えっと、何からきけばいいんだろ……。
   私も、その、超能力者、でいいんですよね?

棗:本人が知覚していないにも関わらず自動的に発動する『受け流し』と『反射』
  ……これだけが能力の詳細じゃないだろうな。

荒人:さあな。ただ……無意識でも発動する能力なんて、俺は聞いたことがない。

 間

棗:……麗奈。お前は無意識に超能力を使ってる。
  いままで投げつけられたものが身体を避けていったってのもそのせいだ。
  お前は身体に触れた物質が持っている『力』を操作できるんじゃないかと、俺は考えてる。

麗奈:力を、操作。

棗:俺の予想どおりの力なんだとしたら、あいつらに追いかけられてるのも納得だ。
  聞いたこともない、とんでもない能力だと思う。

麗奈:……えっと、あいつらっていうのは、さっきの……?

棗:そう。あれがお前のことを狙ってる……おい、先輩。あいつらどこの組織だ。

荒人:公安特務。

麗奈:……公安、特務?

荒人:超能力者専用の警察みたいなもんだ。

麗奈:警察……? 警察が、どうして

棗:……ハハ、なるほどな。
  超能力者の二つ名は、超能力者を複数人殺さなきゃつかねえ。
  麗奈は今までに公安をーー

荒人:やめろ。

 間

荒人:麗奈は、覚えてないんだよ。

麗奈:何……? なんの話、ですか?

荒人:記憶、ないんだ。

棗:……どういうことだ?

荒人:麗奈の側には精神感応系の能力者がいたんだ。
   そいつが、麗奈のその辺の記憶を盗んでいた。

棗:その辺の、記憶?
  どういうことだ……麗奈を、守っていた……?
  違うか。どうして、何が目的で……。
  おい、先輩! そいつは、いったい誰だ?

荒人:ああ、そいつはーー

 間

荒人:あれは……誰だ? クソッ、俺は誰に記憶をみせられた!?

 間

荒人:ダメだ……思い出せない。

棗:……盗まれたのか、そいつに。そいつ自身の記憶も。

麗奈:その人が、私の記憶も……?

N:突然、麗奈の瞳が光を失って、能力が発動された。

棗:……え?

麗奈:あ。

棗:麗奈? どうした!?

麗奈:あれぇ……アハ、なんでかな?
   見守って……な、なはら? 
   七原、さん? いつも話しかけてくれた、近所の……。

荒人:おい……どういうことだよ? 無くした記憶を取り戻してるってのか!?

棗:……俺が間違ってた……力の操作なんてもんじゃねえ。
  麗奈の能力はーー

麗奈:う、うあああああああああああああ!

棗:……なっ! おい! 何してんだ麗奈!

N:麗奈は立ち上がると校舎の壁に頭を打ち付けた。
  しかし、麗奈の額には傷一つつかず、代わりに凄まじい勢いで壁が削り取られていく。

麗奈:アハ、アハハハハ! アハハハハ!
   そうだ! そうだったんだ!
   七原さんが、記憶を奪っていっちゃったから、私、忘れてたんだね!
   あんなに! あんなにあんなにあんなに私!

N:黒いビー玉のような麗奈の瞳から、一筋の涙が流れていった。

麗奈:……あんなにたくさんコロしたのに……!

棗:やめろ! 麗奈!

荒人:……駄目だ、近づけねえ!

岩政:”衝動”ですよ。

N:そのときには既に、戦闘服を着た男たちが、3人の周囲を取り囲んでいた。
  中心に立つのは、超能力者、岩政悟。
  棗は岩政を一瞥すると、総てを理解した。

棗:岩政、公安特務。そうか……そういうことかよ!

岩政:棗さん……あなたが速水探偵事務所の職員だとは知りませんでした。
   ですが! もはやそんなことは些事にすぎない。
   どんなに素晴らしい喜劇でも、幕は閉じるものです。

棗:相変わらずくだらねえ言葉遊びが好きだな、だせえやつ!

岩政:総員! 攻撃準備!
   目標は“衝動”を起こしている!
   総ての能力は反射されることを前提で動け!

麗奈:あ、れ? 誰? あれ? 岩政先生?

岩政:安東さん……死んでください。

棗:岩政ァ! やめろ!

岩政:総員! 撃てェ!

麗奈:あ、アハ。

N:超能力者達は一斉に能力を発動する。
  しかしーー

荒人:落ち着けよ、あんたら。

N:それらの攻撃が麗奈に届くことはなかった。
  代わりに、大地が震えるような轟音が響き渡った。

岩政:……なんだ。何をした?

荒人:お前ら。死にたいのか?

岩政:ええ……そう見えるかもしれません。
   ですが、私たちには準備と用意がある! 邪魔をしないでいただきたい!

荒人:だから、俺がいいたいのはそこだッ!

N:荒人が地面を蹴ると、その姿が消えた。
  否、その動きが速すぎるが故に、誰の目にも消えたように映っただろう。
  荒人が次に姿を現したときには、すでに公安能力者の身体は吹き飛んでいた。

棗:な……はやっ!

N:荒人は、岩政を睨みつけると、人差し指をまっすぐに突きつけた。

荒人:お前ら! その程度の力で、こいつを殺せんのかってきいてんだ!

岩政:いったい……何者だ! 何故、そんなにーー

荒人:はっきりいっとくぞ、お前らは、弱い!

岩政:貴様は! なんの権利があって、我々の邪魔をする!

荒人:弱いやつが、強いやつに立ち向かおうなんて、見た目としちゃあ悪くねえかもしんねえ!
   でもなーーお前が思っているよりも安東麗奈ってやつはつええんだよ!

岩政:何を知ったような口を……!

荒人:じゃあお前が何を知ってんだよ!
   お前も超能力者だろうが……! どうやって目覚めた!
   どうしてそこにいる! 知ってるはずだろ! 俺たちは!

棗:クソッ! 麗奈、待て!

N:麗奈は笑いながらふらふらと校庭へと歩いて行く。

棗:え?

N:麗奈の元へ走り出そうとした棗の目の前に、指輪が一つ浮かんでいた。

棗:……ハハ、懐かしいなあ、おい。

N:それは、栄友美の指輪。
  かつて、栄と棗が出会った日に、棗が借りた品だった。
  棗は躊躇なく指輪を掴むと、能力を使う。
  指輪に刻まれた記憶ーー栄友美の立てた作戦が、棗の頭のなかに入り込んでいく。
  
棗:(吹き出す)アンタ、すげえギャンブラーだな……。

N:棗は指輪を指にはめると、笑った。

棗:でも、最高だよ……ありがとう、栄さん……。
  先輩! 俺に従え!

荒人:あ? なんだ!

棗:麗奈を校庭から逃がすな!
  麗奈に能力を、限界ギリギリまで使わせろ!

荒人:(笑って)……了解ッ!

N:荒人は麗奈のもとへ駆け出した。
  岩政はその光景を呆然と見つめていた。

棗:岩政……。

岩政:どう、して……あなた達は。諦めない……!

棗:……お前、監視してきたんだろ? どんな事情があれ、安東麗奈を観てきたんだろうが。
  だったらわかんねえのかよ。
  あいつは! ずっと戦ってきたんだ、独りで!

 間

棗:お前には、わかんねえのか!
  正論や、モラルや、そんなくだらねえもんで、お前の中の"真実”は邪魔されちまうのか!

岩政:私は……。

棗:岩政ァ!

岩政:私は!

 間

岩政:知っている……知っているさ!
   彼女はどうしようもなく自嘲的で、作り笑顔の似合う……
   情けなく、卑劣だが、人間的で、だれよりも純粋な、そんな!
   ーー私の、教え子なんです!
   公安に身柄を拘束されれば、私のようなブリキの兵隊になってしまう!
   何かを手に入れるために支配されるような、そんな人間の紛い物になど、なって欲しくはないんです!

棗:それが本音か……くそったれた人情派のデクの棒が!
  だが、そっちのほうがマシだぜ!

岩政:ええ! ならば問いましょう!
   どうするつもりですか、あなた方は!

棗:お前らが束になって、麗奈を殺せるとしよう。
  だけどな! それじゃあ麗奈は救えない!
  あいつを助けられるのは、あいつより強いやつだけだ!
  あいつを救えるのは、あいつより強いやつだけだ!

岩政:田中新一郎ですか?
   それでも彼女の力を押さえこめるかどうかーー

棗:当たり前だろ。あんな優男に麗奈が倒せるかよ。
  あいつを救えるのはーー


 ◆


N:荒人は陸上のクラウチングスタートの態勢をとった。

荒人:いち、にー……サンッ!

N:轟音。校舎の端にヒビが入る。
  荒人の姿は掻き消え、校庭の地面が削れていく。

麗奈:アハ?

荒人:シッ!

N:荒人が麗奈に向けて超高速で腕を振るうと、無数の衝撃波が麗奈を襲う。
  不可視の刃が麗奈の身体に触れた瞬間、総ての力が反射した。
  荒人はそれらを受け流しながら、何度も衝撃波を打ち込んでいく。

荒人:麗奈! 聞こえるか!

麗奈:アハハ……何かな、この風……。

荒人:俺達はしつけえだろ!

麗奈:気持ち、良いーーアハハハハ!

荒人:覚悟しろォ! 絶対に諦めねえからな!


 ◆


N:岩政は棗を背に庇いながら、2人へとゆっくりと近づいていく。
  激しい震動と風を受けながら、岩政は笑顔を浮かべていた。

岩政:私は、弱かったのですね!

棗:アン!? 何を今更!

岩政:保守的で! 悲観的で! なんとも情けない!
   なんとあなたの……彼の強いことか!

棗:甘ったれんな! 死ぬ気で前進だ! このハゲ!

岩政:(笑って)棗さん!

棗:あ? なんだよ!

岩政:”鉄靴(ヴィーザル)”

棗:なんだ、そりゃ!

岩政:あそこで戦う彼の二つ名! それでお願いします!

棗:嫌だ! んなだっせえ名前、口に出したくもねえ!

岩政:そう言わないでください!
   髪と一緒に、センスも抜け落ちてしまった男の、一生のお願いですから!

棗:自分で言えッての!


 ◆


N:栄と田中は屋上から校庭の様子を見下ろしていた。

栄:荒人君、強くなりましたね。

田中:んー……まぁまぁじゃないの。

栄:そんなこといって……そのうち新一郎君でもかなわなくなるかもしれないですよ?

田中:(笑って)そうなったら、慰めてくれるのかな?

栄:(笑って)それじゃあ……新一郎君。

田中:……ああ、任せとけ。

栄:……神がいようがいまいが!
  彼女をいくら天使と呼ぼうが!
  このまま連れて行くことは、絶対に許しません……!

 間

栄:(大きく息を吸って)救えーーッ!


 ◆


N:田中は屋上から飛び降りた。
  その体は重力に逆らってゆっくりと浮き上がった。

田中:準備オーケーだ! 棗!

棗:よし! 聞こえるか先輩! 一度離れろ!

N:荒人はその声を聞いて、麗奈から距離を置いた。
  しかし、その身体は無数の裂傷に引き裂かれており、
  荒人はその場に崩れ落ちるように倒れた。

棗:せんぱーー

荒人:来んなァ! 救えぇッ!

棗:ッ! わかってる!

N:棗は麗奈へ向けて駆け出す。
  それと同時に、田中は両手を頭上へと掲げた。

田中:う、おおおおおおお! 

麗奈:あ、あれ? ナニ、コレーー

N:麗奈の身体がぐらりとゆれる。

岩政:まさか……力技……。
   力場で押しつぶしているんですか!

田中:救ええええええ! この、くっそったらああああああ!

麗奈:お、あ、なに、これ、アハハ……。

棗:麗奈ッ!

 間

棗:捕まえた……。

N:棗は麗奈の身体を抱きしめた。
  麗奈は色を失った瞳で呆然と宙を眺めていた。

棗:聴こえるか……! いや、いい! 聴こえていなくても!

麗奈:アハ、ハ。

棗:お前はいつも独りだった! 間違いねえさ!
  だからお前は求めてたんだろ!
  誰かが助けにきてくれんのを!
  ……だったら! だったら甘ったれてんじゃねえ!
  誰かと交わる人生ってのはな! お前がそれだけ誰かに責任を持つってことだ!
  自分自身に責任をもつってことだ!
  死んで終わりになるんなら、どいつもこいつもしんじまってるってんだ!
  お前はこれから色んな物と向き合うんだ!
  苦しくて、怖くて、地獄のようなーーこの素晴らしい世界で!

麗奈:……棗、ちゃん……。

棗:いいか! お前に勝てんのは、お前だけだ!

麗奈:棗、ちゃん……!

棗:お前を救えんのは、お前だけだ!

麗奈:棗ちゃん! 私、

 間

麗奈:生きたいよぉ!

棗:生きるぞ! 今だ! 俺ごと転送しろおおおおお!

 間

麗奈:ありがとう。


 ◆◇◆


N:荒人は、朦朧とする意識のまま天井を見つめていた。
  ふと視界の端に、笑顔の女性が見えた。

荒人:……あ? 栄さん?

栄:調子はどう?

 間

栄:安心して。ここは、スタジオの医療施設だから。

荒人:(ため息)俺最近こればっか……。
   ……で、俺、どんぐらい?

栄:手術が終わってから10時間くらい、かな。

荒人:そっか……棗と麗奈は?

 間

荒人:おい……棗と麗奈はどうしたって聞いてんだよ!

田中:瞳孔開いてんぞ、バカ弟子。

N:田中は荒人の胸に缶ジュースを投げつけた。

田中:頭、冷やせ。

栄:……賭け、だったの。

荒人:どういう、ことだよ。

田中:あいつらは、消えた。

 間

田中:消えちまったんだよ。どこかへ。







 パラノーマンズ・ブギーA
 『幸運少女』 了


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