パラノーマンズ・ブギー外伝
『帽子を深くかぶると』
作者:domino



岩政 悟(いわまさ さとる):17歳。男性。高校生。

岩政 幸子(いわまさ さちこ):42歳。女性。悟の母。シングルマザー。

酒井 ロレイン(さかい ろれいん):23歳。女性。警察庁公安部特務超課、巡査。

佐野 俊夫(さの としお):67歳。男性。『サワダ学習塾』の職員。


女性:夜の公園を訪れた女性。幸子と被り役。





−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−







 ◆◇◆

N:少年は、帽子を目深にかぶりなおすと、駅の改札を出た。
  駅の南口を出ると、繁華街のあかりが帽子の唾の隙間から除いていた。
  少年は、駅前にある老舗のゲームセンターに入る。
  煙草の匂いに顔をしかめながら、騒音鳴り響く薄暗い店内を、奥の奥まで進んでいく。
  並んで置かれた対戦格闘ゲームの台の前までやってくると、少年はポケットから百円玉を取り出し、台についた。
  硬貨を入れてスタートボタンを押すと、画面には『挑戦者』を意味する英字が画面いっぱいに広がった。

悟:……とっととどけよな。

N:少年は口元に笑みを浮かべながら、コントローラーを握りこんだ。


 ◆◇◆


幸子:悟。今日は塾は、どうだったの?

N:少年ーー岩政悟は、帽子を玄関の帽子たてにかけると、リュックを下ろした。
  悟の母、幸子は少し寄れたTシャツで手をぬぐいながら微笑んでいた。

悟:別に。

幸子:そう。

悟:……何。

幸子:ううん。ならいいの。

悟:あっそ……。ご飯は?

幸子:ああ。ごめんね。母さん今日ちょっとパートが長引いちゃって。
   もう少しかかるのよ。

悟:いいよ。別に。

幸子:お風呂掃除、しといてもらえる。

悟:わかった……。

N:悟は母の横をすり抜けると、小さく呟く。

悟:母さん。

幸子:ん? なあに?

悟:……成績は、落とさないから。

 間

悟:心配しなくていい。

N:そして、逃げるように自室へ向かった。


 ◆◇◆


N:悟はその日も誰もいない家を出ると、電車に乗った。
  そして、駅に着くと、迷わず駅の東口へと向かった。
  いつもと違ったのは、隅に映った見知った顔だった。

佐野:岩政君。

悟:……佐野、先生。

N:悟の通う学習塾の講師、佐野俊夫は、困ったような笑みを浮かべてそこに立っていた。
  白髪混じりの頭と、大きめの眼鏡が印象的な男は、歳の割にしっかりとした足取りで悟に歩み寄った。

佐野:おかしいですねぇ。うちの塾は北口にあったと思いますが。
   反対ですよ? 迷いましたか?

悟:どうして……。

佐野:さて、問題です。どうして私はここにいるんでしょうか。

悟:いや……。

佐野:時間切れです。ええ。

N:佐野は悟の手を引くと、歩いていく。

悟:あの! すみません……自分で、歩きます……。

佐野:いやですよ。だってあなた、逃げてしまうかもしれない。
   私、見ての通り歳ですから。追いかけたら逝ってしまいますよ。
   ええ。それはもう、ぽっくりと。

悟:それ……笑えないです……!

佐野:失礼な人だ。

N:佐野は悟を連れて、近くのカフェに入った。
  悟は、戸惑うままに席に座らされる。

佐野:私は紅茶で。岩政くんは、何を飲みますか。

悟:え? あ……いや、俺は、別に……。

佐野:では同じものをもうひとつ。

N:居心地が悪そうに座る悟の顔を、佐野はじっと見つめていた。
  悟は、たまらずに口を開いた。

悟:授業は、ないんですか。

佐野:今日はお休みですよ。

悟:……そうですか。

佐野:岩政君こそ、授業はないんですか?

 間

佐野:お休みですか。おそろいですね。

悟:なんなんですか……!

N:悟は拳を握りしめた。

佐野:怒るなら、怒ればいいでしょう。ですか?

悟:……いや……。

佐野:別に怒りはしませんよ。
   だって私、ただの塾講師ですから。
   別に勉強を教える以外のことは、業務には関係ありませんし。

悟:じゃあどうしてわざわざ。

佐野:別に、偶然見つけたから話でもしようと思っただけです。
   ーーああ。ありがとうございます。

N:佐野は机に置かれた紅茶に口をつけた。

佐野:この歳になると、特にやることもやりたいこともないんですよ。
   私って趣味らしい趣味もなくて。ああ、いえ。音楽観賞は好きなんですけどね。
   日がな一日、音楽を聴いてるってのもあんまりじゃないですか。
   岩政君は趣味はありますか?

悟:……ゲーム。

佐野:ゲーム、ですか。いいですねえ。
   私はテレビゲームはどうにも疎くて。

悟:テレビゲームじゃなくて。ゲームセンターのゲームです。

佐野:ゲームセンター……そうですか。

 間

佐野:岩政君は、どうして塾に通っているんですか。

悟:……嫌味なことききますね。

佐野:いえいえ。そういう意図じゃあありませんよ。
   いや、そう聞こえるかもしれませんが。
   やりたくないことをやる理由なんて、君のような人にはないんじゃないかと思うんですよ。

悟:俺みたいな……それどういう意味ですか。

佐野:ん? いや。あなたって、優秀でしょう。

悟:別にそんなこと、ないでしょう。

佐野:優秀ですよ。私からすればね。

N:悟は、ゆっくりと紅茶を口をつける。

悟:別に、勉強ができたって優秀な人間だとは限らないですよ。

佐野:ほう……。

悟:俺の家、母子家庭なんで。母親は働いてます。
  そんな母が、わざわざ高い金を払ってまで……。
  なのにどうですか。ここでこうしてサボってるわけですから。

佐野:確かに。不良ですね。

悟:そういうことです。

N:悟は席を立った。

佐野:おや。どこにいかれるんですか?

悟:ゲーセンです。ここにいても、暇ですから。

N:悟は喫茶店を後にした。


  ◆◇◆


N:画面の中で屈強な男が拳を振るう。
  相手の少女は甲高い声をあげて地面に倒れ込んだ。
  『K.O(ケーオー)』という文字が画面いっぱいに広がると、悟はふっと息を吐いた。

悟:……またかよ。

N:再び間髪入れずに『挑戦者』という文字が画面を踊った。

悟:しつこいな……こいつ。

N:悟は再びコントローラーを握ると、男を操作して少女を打倒した。
  何度めかの挑戦の後、挑戦者の文字は画面から消えた。
  反対側の筐体の席から、誰かが立つ音が聴こえて、悟は身を固くした。
  対戦相手は、ゆっくりと筐体の影から身を乗り出した。

酒井:……あのさぁ。

悟:え?

N:顔をのぞかせた対戦相手は、肩口で髪を切り揃えた女だった。
  女は外国の血が入っているのか、日本人離れしたはっきりと整った顔をしていた。
  女は不機嫌そうに眉にしわを寄せながら悟を見下ろしていた。

酒井:なんでそんな強いんだよ。

悟:あ、いや……。

酒井:(ため息)煙草代までパーだわ……クソ。

N:女は見た目からは想像もつかない悪態をつきながら、筐体に身を預けた。
  悟はバツが悪そうに目を伏せた。

悟:すみません……。

酒井:ん……? あー、悪かった。別に謝らす気じゃなかったんだけどな。
   クソっつったのは私が下手だから。スーパークソだろってハナシ。

悟:……いや。別にそんなに悪くない、けど。

酒井:けど? 何。

悟:読みは悪くないし、攻撃の感はいいと思う。
  問題はタイミングっていうか……。

酒井:タイミングって、どういうことだよ。

悟:だから……攻撃には判定ってのがあって。
  飛び込んで来たときに、俺が打ってた攻撃がそれなんだけど。
  上半身に判定がないから、あなたの攻撃を全部潰したわけで。

酒井:あー、あのパンチみたいなやつ!
   なんで当たんねえんだよって思ってたわ!

悟:っていうか……相手の攻撃も覚えないと、こっからは勝てないと思う。

酒井:情報戦っかぁ……どこでもやんなきゃいけねえことって一緒だな、おい……。
   苦手なんだよなー。

悟:あとは、ちゃんとコンボとか練習した方がいいーー

酒井:あーもう! いっぺんに言っても無理だっつーの!

N:女は頭をかくと、ため息をついた。
  そして、口元に笑みを浮かべて、悟に歩み寄ると、頭をぽんと叩いた。

酒井:さんきゅー少年。やってみるわ。

悟:あ。いや……別に……。

N:女が歩き去るのを見つめていると、ゲームオーバーという声が画面から聴こえた。
  話しているうちに、コンピューターに負けてしまっていたらしい。
  そして、なんとなく叩かれた頭に手をやって、悟は気づいた。

悟:帽子……! 忘れた!


 ◆◇◆


幸子:……悟。来なさい。

 間

幸子:塾。最近来てないって、連絡、あった。

悟:……そう。

幸子:どうしていかなかったの。

 間

幸子:どうして嘘ついたの。

悟:別に、嘘はついてない。
  行ってるとは……言ってない。

幸子:(ため息)

 間

幸子:お母さんね。悟には色々と大変な思いさせてると思う。

悟:なんだよ……それ……。

幸子:あんまり話しする時間もないし。

悟:母さんが!

 間

悟:母さんが……悪いわけじゃないだろ。
  悪いのは俺じゃん。ダメなのも俺じゃん。
  怒ればいいだろ……!

 間

幸子:怒れないわよ。

悟:どうしてだよ。

幸子:だって、悟はいい子だもの。

悟:ッ!

幸子:悟。

悟:もういい……塾もちゃんといくわ。

幸子:悟。

悟:いいって! ……俺、いい子なんだし……。


 ◆◇◆


N:翌日、『サワダ学習塾』
  集団授業のため、同年代の生徒達が談笑しているなか、悟は1人、机の上に置かれた教科書を眺めていた。

佐野:はい。授業をはじめますよー。

N:教室に入ってきた佐野は、ゆったりとした動きでホワイトボードに向かった。


 ◆◇◆


N:授業後。悟は佐野の元を訪れていた。

悟:佐野先生……。

佐野:はい? なんでしょうか。

悟:あの。俺の帽子、持ってますよね。

佐野:はい。持っていますよ。

N:佐野は、紙袋の中からヨレヨレの野球帽を取り出すと、悟に手渡した。

佐野:先日、喫茶店に忘れていたのを預かっていました。

悟:知ってます……喫茶店、行ったんで。

佐野:そうでしたか。

悟:……どうも。ありがとうございます。

N:佐野は、頬を掻きながら微笑んだ。

佐野:大事なんですね。その帽子。

悟:いや……別にそういうわけじゃないですけど。

佐野:そうですか。

N:悟は、少し考えた後、顔をあげた。

悟:あの。佐野先生。

佐野:はい。なんですか?

悟:……あの。なんで先生は、ここで働いているんですか?

佐野:ん? ええと……そうですね。
   雇っていただいているから、ですかね。

悟:……それだけ?

佐野:ええ。私、家族も居ないんですよ。
   若い頃からこう、遊んでばかりいるうちに、いつの間にかここまできてしまって。
   前職を退職してから、やることも、やるべきこともないものですから。
   だから、流れ流れてここにいます。ええ。

N:あっけらかんと言う佐野に、悟は思わず拳を握りしめた。

悟:楽しいですか、そんなふうに生きるのって。

佐野:楽しい? それって、大切なことですか?

悟:大切なんじゃないんですか。

佐野:どうなんでしょうね。何事も選べるのは若者の特権だ、なんていいますが。
   私はどんな理由や希望があったとしても、何かを始めることに意味なんてないと考えています。
   理由なんて始めた後からついてくるものですから。ええ。

悟:……後から。

佐野:少なくとも私は、今、楽しいかと言われれば、なんとなく楽しいんじゃないかと答えられます。
   まあ、年寄りの戯言ですから。参考になるかわかりませんがね。
   でもまあ、今のうちにね。死人に口無しですから。

悟:いや、それ。笑えないです。

佐野:失礼なひとだ。

N:佐野は笑顔を浮かべながら眼鏡を押し上げた。



 ◆◇◆


酒井:今日はいない、か……。

N:女ーー酒井ロレインは、ゲームセンターの裏口に置かれた灰皿に、煙草を落とした。
  そして、公衆電話に歩み寄ると、カードを入れずに番号を押す。

酒井:……ハロー。あー、はいはい……こちら酒井巡査です、
   ……いや。今日はゲームセンターには現れなかった。
   っていうか、私の方はガセなんじゃねえの?

N:酒井は胸ポケットから警察手帳を取り出す。

酒井:私らみたいなのって、突然変異体なわけだろ。
   事前にそれを予知できるなんて、信じられないっつーか……。
   あの少年も見た感じふっつーだし。
   力場……だっけ? あれも出してみたけど、反応もねえし。

N:手帳には、数人の子供達の名前が記載されていた。

酒井:はぁ!? んだよ! 結局こっちは薄い線だっての!?
   ちょっとまて警部……セオドアのクソインポ野郎に本線探らせてるんじゃないだろうな!
   ……オイ! もしもし! ッ! 切りやがった!

N:酒井は叩きつけるように受話器を置くと、煙草を咥えて火をつけた。

酒井:(煙を吐く)……あぁクッソ……貧乏クジかよ。だりぃな……。
   『第2世代(セカンド・ジェネレーション)』が狙われる……か。
   ま、あの少年が無事ならそれに越したことはねえけど……。

N:酒井はゲームセンターを見つめた。

酒井:……次は勝てっかなー……ちょっと練習して帰るか……。


 ◆◇◆


N:数日後。学習塾に着くなり、悟は佐野の元へ歩み寄った。

悟:佐野先生。

佐野:ん? ああ、岩政君。
   最近よく会いますね。

悟:まあ……ちゃんと塾にいくって、親と約束したので。

佐野;そうでしたか。

 間

悟:あの。

佐野:なんですか?

N:悟は気恥ずかしそうに視線を反らした。

悟:……なんていうか。
  少し、参考になりました。

佐野:何がですか?

悟:いえ……。この間の先生の話。

佐野:何か、話しましたっけ。

悟:ボケてきましたか?

佐野:……失礼なひとだ。

N:佐野は座っていた椅子を回転させると、悟に向き直った。

佐野:で、なんでしたっけ。

悟:いえ……。なんていうか、俺。今の生活が楽しくなくて。

佐野:ふむ。

悟:なんていうか、俺、別に、やりたいこともないし。
  でも、周りの人間は、どこか充実しているっていうか……。
  なんか、俺ってつまんない人間だなって、思ってたんですよ。

佐野:……つまんない。ですか。

悟:優秀だ、とか。いい子だ、とか。
  そんな風にまとめられて、なんていうか、それって結局誰も俺を気にしてないってことじゃないですか。

佐野:まあ……ある意味ではそうかもしれませんね。

悟:気にされないことに焦ってたっていうか……。
  なにかしないと、このまま流れていってしまいそうだったっていうか。

佐野:はい。

悟:でも、それでもいいかなって……そう思ってるんです。

佐野:なるほど……。

N:佐野は、白髪を軽いて目を瞑った。

佐野:ひとついえることがあるとしたら。

悟:はい。

佐野:自分の価値を知ることのできる人間なんて、本当はどこにもいないんですよ。
   あなたの価値は、誰か別の人間が決めること。
   あなたが思うあなたなんて、別にどうだっていいんですよ。
   善行を積みたいと思わなくても、ゴミを拾う人間がいるように。
   悪行を積みたいと思わなくても、他人を傷つける人間がいるように。
   あなたはあなた。岩政悟には変わりありません。

悟:……俺は……俺。

佐野:そうです。私、あなたは優秀だといいましたよね。
   それこそが岩政悟です。
   優秀だと周囲に言わせることができるということ。
   それがあなたにとって良いことでも、悪いことでもね。ええ。

N:悟はその言葉を噛みしめるように、そっと帽子のつばを持ち上げた。

悟:まあ、じゃあ優秀な生徒をやってればいいってことですかね。

佐野:ええ。別に片意地を張る必要もなく、大人しく優秀でいてくれれば、私の仕事も楽ですから。ええ。

悟:じゃあ授業のじゅん……びをーー

N:悟は、一瞬自分の視界が暗くなるのを感じた。
  頭に響くような高音を聴きながら、少しふらついたあと、すぐに視界が戻ってくる。

佐野:岩政君? 大丈夫ですか?

悟:え? ああ、いや。
  少し、立ちくらみ、ですかね。

N:悟は一瞬感じた違和感を振り払うように、眼前で手を振った。


 ◆◇◆


幸子:悟。

悟:何? 母さん。

幸子:いや……なんだか……。

悟:ん?

幸子:何か、良いことでもあった?

悟:いや。別にないよ。

幸子:そう。

N:悟は端を置くと、手を合わせた。

悟:ごちそうさまでした。

幸子:あ! そうだ悟。
   ちょっと。

N:幸子は、隣の椅子から袋を手に取る。

幸子:これ。プレゼント。

悟:え?

幸子:開けてみて。

N:悟が袋を開けると、そこには新品のキャップ帽が入っていた。

幸子:ほら。帽子、いつもかぶってるから。
   一応、若い人向けのお店でどんなのがいいか聞いたんだけど、なんか流行ってるっていうやつなの。

 間

幸子:……ずっとほら、お父さんの帽子かぶってるから……。
   それはそれでいいんだけど、ね。古くもなってきたしーー

悟:ありがとう。

N:悟は、帽子をかぶってみせた。

悟:大切にかぶるよ。

幸子:……ううん。たくさんかぶって、ボロボロにして。

悟:なんだよ、それ。

N:悟は帽子のつばを伏せた。

悟:鏡で、見てくる。

幸子:はいはい。どうぞ。似合ってるけどね。

N:悟は小走りで洗面所の鏡台へ向かった。
  そして、鏡の前で帽子をかぶり直す。

悟:俺は……俺でいい……か。

N:そして悟は自己を肯定した。
  思えば、いままで鏡の中の自分としっかりと目を合わせたこともなかった。
  普遍的で、刺激のない生活の中で、それでも自分は自分であると認識した瞬間だった。

悟:ーーえ?

N:自分の瞳が黒くなっていくのがみえた。
  そして、視界が暗転する。

悟:な、んだ。これ。

N:視界はすぐにもどった。
  しかし、いつも通りではない。
  いつもよりもしっかりと、周囲のことがわかる。
  感覚がより鋭敏になっているのがわかる。
  洗面所だけではない。この小さな家の中にある、ありとあらゆることが理解できるような気がした。

悟:こ、れ、なんだ……!

N:次に訪れたのは感情の波。
  自己の中にある声なき声が、悟に話しかけてくる。

悟:本当は何を感じている。

N:鏡の中の悟が、自らに語りかける。

悟:お前の本質は、何をどこまで捉えている。

N:悟は後ずさった。

悟:ゲームで相手を叩きのめすのは楽しい。
  自分が優秀であることの証明だ。
  分析し、計算し、そしてお前はーー

N:悟は洗面所を飛び出した。

幸子:悟? どうしたの?

悟:ごめん母さん! でかけてくる!

幸子:え!? ちょっとーー

N:悟は靴を履いて外に飛び出した。


 ◆◇◆


N:悟は無我夢中で走った。
  自分の内なる声から逃れるように。
  そしてたどり着いた先の公園の滑り台に、倒れ込むように座った。

悟:なんだ……! なんだ、これ!

N:心臓が畝るように暴れている。
  頭が沸騰しそうなほど熱い。
  悟が息をつこうとしたその瞬間ーー声が聴こえた。

佐野:おや、岩政君じゃないですか。

悟:……え?

佐野:どうしたんですか。こんな時間に。
   迷ったんですか?

N:佐野は、ブランコに座りながら悟を見つめていた。

悟:ま、って、どうして、ここに。

佐野:……あなた、目覚めかけてますね。

悟:は? めざ、め?

N:佐野は眼鏡を押し上げながらブランコから立ち上がった。

佐野:やはりあなた、優秀でしたね。
   私の睨んだとおりです。ええ。

悟:なんの、はなし、ですか。

佐野:目で見たことは受け入れられるタイプでしょう。
   でしたら実践したほうが早いーー所謂、私は”超能力者”というやつでしてね。

N:子供達が遊んでいるうちに忘れたのだろうーー足元に落ちていたゾウの玩具に、佐野は手をかざした。
  すると、玩具はふわりと宙に浮き上がった。

佐野:ほら。こんな感じです。

悟:な、それーー

佐野:いや、まあ、別にだからといって大したものでもないんですがね。

悟:その、瞳……!

N:佐野の瞳は深淵のように光を失っていた。
  そして、佐野を中心として、目に見えないゆらぎがあるのを、悟は感じ取っていた。

佐野:私、若い頃から研究に没頭していまして、今はそうでもないんですがね。ええ。
   そんな折にほら、こんな超能力が目覚めてしまいまして。
   退屈していたところに転がり込んできたもので、今はちょっとこっち方面の研究をね。
   やってたりするんですよ。

悟:なんだよ……!

佐野:第二世代型の超能力者は色々と面白くてですね。
   ただほら、被検体が少ないものですから、こうして自分の足で探していたところにあなたを見つけましてね。
   私の研究では能力を目覚めさせるには、体内の衝動を呼び起こす必要があるんですよ。ええ。
   トリガーとなるのは現実と自己の乖離と、歪んだ充足感、まあ仮説ですが、良いデータがとれました。

悟:なんなんだよ! あんた!

佐野:申し遅れました。私、『ハイドラ』という組織に所属する超能力者。佐野敏夫と申します。
   ええ。

N:悟は、佐野の言葉をききながら、自分の中にある感情の波が溢れ出そうとしているのを感じていた。
  超能力者、佐野敏夫は口元に穏やかな笑みを浮かべたまま悟に歩み寄る。

佐野:あなたの身体は、大切に研究に使わせていただきます。

悟:俺を、最初から、そのつもりでーー

佐野:それって、重要なことですか?

N:佐野の身体から力場が揺らぐ。
  悟はそれに触れた瞬間に全身を震わせた。

悟:う、ああーー

佐野:私の力場に感応しているようですね。
   しかし……その様子をみると、覚醒には段階があるとみえる……。
   あなたの力場が弱いせいですかね。

N:悟の中で声がした。
  『証明しろ』

悟:ああああああああ!

N:悟は初めて自分のもつ力を理解した。
  自らの身体から、力場を伝って『超音波(スーパーソニック)』が解き放たれる。
  音波の波が周囲の電灯を揺らし、公園中の電灯が大きな音をだして破裂した。

悟:あ、俺はああああ……!

佐野:クッ……! なるほど!
   それがあなたの力、ということですか!
   やはり第二世代は面白い!

N:佐野は、耳を抑えながら立ち上がった。

佐野:覚醒前にーーおや。

N:暗闇に包まれた公園内。
  利用者が少ないとはいえ、2人以外の人間がいたとしてもおかしくはなかった。
  悟の能力に驚いたのだろう、公園の茂みに潜んでイチャついていたであろう男女が、悲鳴をあげて立ち上がっていた。

佐野:誰かいたんですか。気づきませんでした。

N:佐野は眼鏡を押し上げると、カップルに手のひらを向けた。

佐野:……いや、嘘ですけどね。ええ。

悟:何をーー

N:佐野の服の裾から、ナイフのようなものが放たれる。
  ナイフはカップルの男性の額に吸い込まれた。
  男性は、壊れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

悟:嘘、だろ。

佐野:見られたからには、逃がせないんです。

N:悲鳴をあげて逃げ出す女性の背に向けて、佐野は再び手のひらを向ける。

悟:やめろ! やめろ先生!

佐野:これは、あなたのためでもあるんですから。

悟:やめろおおおおおおおおお!

N:悟の静止も虚しく、女性が倒れるのが見えた。

悟:なんだよ……なんだよ! なんなんだよ!

佐野:おや、感情が昂ぶっていますね。

悟:ふざけるなよ! なんだって! なんだってそんなことするんですか! 先生!

佐野:なんでって、私にとってこれは、普通のことだからですよ。

悟:普通!? そんなわけあるかよ!
  こんなーーこんなことが普通でいいわけないだろ!

女性:きゃあああああ!

N:悟は弾かれたように振り向いた。
  そこには、1人の女性が立っていた。
  女性は、倒れた男性の遺体を見ながら、その場に崩れ落ちるように座り込んでいた。

佐野:これはこれはーー

N:悟は想像した。もしかしたら、あのエプロン姿の女性は、ここに落ちているゾウの玩具を拾いに来たんじゃないのか。

女性:いや……! なんでそんな! 警察ッ……!

N:それは子供へのプレゼントで、悲しむ子供のために家を出て、探しに来たんじゃないのか。

佐野:困りますので、死んでください。ええ。

N:女性の姿が、自分の母と重なった。

幸子:『悟は、いい子だから。

N:悟の頭に声が響いた。

悟:理想はあるか。

悟:理想なんてない。

悟:希望はあるか。

悟:希望なんてない。

悟:ただ優秀であるために。

悟:ただいい子であるために。

悟:選べ。

N:悟は呟いた。

悟:ダメだ。そんなの。

N:そして悟は、衝動に身を任せた。


 ◆◇◆


酒井:チィッ! クソが! クソッタレが!
   出遅れちまった……! まさか本当にーー

N:酒井は能力を使って地面を蹴ると、冊を飛び越して公園へ転がり込んだ。
  すぐに視界の先に倒れる人影に気づくと唇を噛み締めた。

酒井:クソが……! 自分を責めんのはあとだこのアバズレ!

女性:ひ、あ……!

酒井:っ! まだ生きてたか!

N:酒井は倒れこんでいる女性に駆け寄った。

酒井:おいあんた……! もう大丈夫だ!

女性:あ、ひーー

N:女性が気を失うのを見届けると、酒井は女性を公園の入口に寝かせた。

酒井:……ふざけやがってえ!

N:酒井は公園の中心へと駆けだす。
  そこではーー


 ◆◇◆


酒井:ーーなんだ、そりゃ。

悟:アハハハははは!

N:悟は、佐野の上に馬乗りになって、その顔面に拳を叩きつけていた。

悟:へヒャ!

N:何度も。

悟:フハハハ!

N:何度も。

悟:フヒヒは!

N:涙を流しながら、血に濡れた拳を振り上げていた。
  佐野は朦朧とした瞳で悟を見上げていた。

酒井:やめろ! オイ!

N:酒井は悟を羽交い締めにすると、地面に倒れ込んだ。

悟:ひ、は。

酒井:やめろ……! もう、いい! もうーー

悟:は、なぜえええ!

酒井:落ち着け! ゆっくりと目を閉じろ! そうしたら深呼吸だ!

N:悟は酒井の腕の中でしばらく暴れたあと、ゆっくりと全身の力を抜いた。
  開かれたその瞳には、もう衝動は映っていなかった。

酒井:……大丈夫か。オイ。

 間

悟:せんせえ。

N:悟は絞り出すように呟いた。

悟:……尊敬……してたんだ。

酒井:お前……。

悟:初めて……俺のこと……わかってくれるって……。
  そう思ってたんだ……!

酒井:……そいつは、お前を研究体とするために狙っていた、犯罪組織の構成員だ……。

悟:うるさいなあ! 黙ってろよ!

N:悟は、倒れたまま動かない佐野に這い寄った。

悟:……なあ、せんせえ。
  俺さぁ……せんせえがどうしてこんなことするのか、わかるよ。

佐野:ひゅ……。

N:辛うじて佐野の口の隙間から声が漏れた。
  既に鼓膜は悟の超音波によって破壊されており、聴覚はないようではあったが、悟の声に反応するように、唇を震わせた。

悟:せんせえは、そこにいるから、そうなっただけなんだろ。
  わかってるよ。だって、せんせえはせんせえだろ。

 間

悟:……俺もきっとそうだ。
  あなたみたいに、人形みたいにただ動いているだけだ。
  
 間

悟:だけどさ、せんせえ。
  俺は、すこしだけ……選べるかもしれないよ。

 間

悟:あなたと違って、俺は、優秀だから……だろ……?

N:佐野は、小さく呟いた。

佐野:しつれいな……ひと、だ……。

N:そして、佐野は息を引き取った。

悟:死人に……口無し……か。
  ふざけんなよ……本当。

N:呆然と横たわる悟の視界に、血に濡れた帽子が見えた。

悟:せっかく、買ってくれたのに……。

N:悟の瞳に涙が溢れた。

悟:洗ったら……落ちるかなぁ……。

N:それはきっと、別れの涙だった。

悟:母さん……ごめん……! 俺、いい子じゃなくなった……!
  母さん! 俺……! 人を、殺しました……!
  ごめんなさい! ごめん! ごめんなさい……!

N:泣きじゃくる悟と、それを見守る酒井の耳に、パトカーのサイレンが近づいていた。


 ◆◇◆


幸子:悟ッ!

悟:母さん。

幸子:悟! もう……! 本当に! 本当に心配したんだから!

悟:ごめん。でも、俺はもう大丈夫。

幸子:事故に巻き込まれたって聞いたときは、本当に心臓が止まるかと思ったんだからね!

悟:うん……ごめん。

幸子:そういえば悟。服はどうしたの?

悟:事故で汚れたから。これ、着て帰っていいって。

幸子:そう……そうなの。

悟:でも、帽子だけは洗って返してもらうから。

幸子:そんなのいいのに……また買えばいいんだから。

悟:ううん。あれがいいんだ。

幸子:それじゃ、お母さん少し、警察の人に、お話聞いてくるから。
   大人しく待ってるのよ。

悟:わかってるよ。

 間

悟:ごめんなさい。母さん。


 ◆◇◆


N:数日後。
  悟は、ゲームセンターで、今日何度目かの挑戦者を倒したところだった。
  対戦相手が舌打ちをして歩き去るのを見届けた後、悟はコントローラーを握った。
  画面の中では屈強な男が相手を掴んで投げ飛ばしているところだった。
  しばらくして、悟の頭に何かがかぶされた。

酒井:待たせたな。

N:警察庁公安部特務超課、酒井ロレイン巡査は、棒キャンディを転がしながら悟の隣に座った。
  悟は、自分の頭にかぶせられた帽子をまじまじと見つめた。

悟:……綺麗になったんですね。

酒井:まあな。警察だぜ。血痕の扱いは慣れてんだよ。

悟:そうですか。

 間

悟:……外にいきますか。

N:悟はそういって立ち上がる。
  酒井は、いまだに画面の中で続いているゲームを指さした。

酒井:オイ、まだ続いてんじゃん。
   いいのかよ?

悟:いいんです。

N:悟は困ったように微笑んだ。

悟:実はもう、あまり楽しくなくなったので。

酒井:……そうか。

悟:はい。引退です。

N:2人はゲームセンターの裏口を出た。

酒井:あー、身体は、どうだよ。

悟:はい。少しずつですが、感情をコントロールできるようになりました。
  能力についても、少しずつですが理解できています。

酒井:……ゲームんときも思ったけど、器用なやつだな。

悟:そうですか?

酒井:目覚めたあとは、大抵の人間が衝動に引っ張られて、ガキみたいになっちまうもんなんだぜ。

悟:貴女はそうでもないようにみえますけど。

酒井:いや……違うか。
   お前、変わったな。

N:酒井は噛み砕いた棒キャンディの棒を、ポケットに突っ込んだ。

酒井:お前の場合、冷静すぎる。

N:悟は、帽子の鍔を掴むと、軽く下に下げた。

悟:確かに。以前よりも思考が合理的になった気がします。
  とはいっても、以前の自分を正確に思い出せるわけではないですけどね。

酒井:……なんにせよ。ちゃんと話せるようなやつで楽っちゃ楽だけどな。

N:酒井は悟に向き直った。

酒井:で、本題だが……。
   岩政悟ーー本当にいいんだな。

悟:ええ。例の取引、お受けしました。

N:悟は、笑みを浮かべて酒井を見つめ返した。

悟:俺が公安特務という組織に入ることで、佐野俊夫殺害の罪を不問とする。
  そして、必要に際し私の母に護衛をつけ、安全を保証する。

酒井:そうやって改めて聞くと、もはや取引じゃなくて脅しだな……。
   そもそもこんなことになったのは、こっちの不手際だってのによ……。
   クソゴミすぎて反吐が出る……。

悟:まあまあ。俺としても、給料までいただけるなら願ったりかなったりですから。

酒井:なんで被害者本人が慰めてくんだよウゼエ……。

N:酒井はため息混じりに煙草の箱を取り出した。

酒井:……はっきりいって、公安特務ってのは奴隷契約に近いってわかってるか。
   当然、一度入っちまえばやめられねえし、逃げたとしても監視される。

悟:無所属超能力者という道を選択したとしても、デメリットはそう変わらないでしょう。
  同じように監視され、管理される立場に置かれるわけですから。

酒井:……当然、死ぬリスクだってバカにならねえぜ。
   実際、私の同僚も超能力者に殺されちまってる。

悟:ええ。わかってますよ。

N:岩政は、帽子のつばを持ち上げた。

悟:今はそれでいいとおもってます。
  やってみなくては何事も良くも悪くもなりませんから。
  ーー俺には意思も、希望もありません。
  格闘ゲームのキャラクターのように、ただ操作されるがまま……。
  ですが、そうして過ごしていくうちに、何か感じることができるかもしれませんから。

 間

酒井:そうか……。

N:酒井は観念したかのようにうなだれると、煙草を口に咥えた。

酒井:まぁよろしくな。後輩。

悟:こちらこそ。先輩。。

N:悟は酒井がつけたばかりの煙草を掴むと、灰皿に放り込んだ。

酒井:なあああああ!? 何すんだこの童貞野郎!

悟:実は”私”、煙草の匂い、苦手なんですよ。

酒井:っざけんな! 煙草代、経費じゃ落ちねえんだぞ!?

N:酒井は苛立たしげにカバンから棒キャンディを取り出すと、袋を向いて口に放り込んだ。

酒井:ていうかお前なんだよ……その喋り方。

悟:何かおかしいですか?

N:悟は買ったばかりの伊達眼鏡を指先で押し上げた。

酒井:その眼鏡もそうだ。今の異常な視力なら必要ねえだろ。

悟:……オシャレに目覚めた、ってことにしておいてください。

 間

酒井:あーそー。なんかもうどうでもいいわ。
   ……正式な手続きが済んだら署の方に来てもらうぜ。
   それまでは、テキトーに大人しくしてろよ。

悟:はい。わかりました。

酒井:ったく……ようやく部下ができたと思ったらクソ面倒くせえーー

N :ボヤきながら歩き去る酒井を見送った後、悟はゆっくりと眼鏡を持ち上げた。

悟:さて……果たしてあなたの生き方は、世界にどう映ったのでしょうか。

N :夕方の繁華街に、だんだんと灯りが灯っていく。

悟:少なくとも、俺はーー私なりに、それを見届けようと思います。
  ねえ、先生。

N:少年は帽子を深くかぶると、ただあるがまま、そこに立っていた。








パラノーマンズ・ブギー外伝
「帽子を深くかぶると」 了


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