鈴の音のファンレター
作者:紫檀




下平 宗司(しもひら そうじ) ♂ ソージ。高校一年生。
山村 卓也(やまむら たくや) ♂ タク。高校一年生。
四十川 小夜 (あいかわ さよ) ♀ 20〜30代教員。担当は現国。台詞無し
後藤 ♂ 30〜40代教員。担当は古典。
作家 ♂ 30代〜自由。比較的新人の作家。
編集 ♂ 20代後半〜自由。作家の編集。
イシュマエル ♂ 物語の登場人物。
族長 ♂ 物語の登場人物。


※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)





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作家:物語の書き出しはどうあるべきか。
   今となっては幾度も繰り返された思考だけれど、それについて一端(いっぱし)に悩んだ時期もあったと思う。
   そんな時期よりもさらにさらに昔、当時の僕らにとっては何のこともない、ある夏の終わりの1日。
   特別何か意味を持たせるとしたら、それは僕らのひと夏の休みに終焉を告げる「終末の日(ラグナロク)」ではあるわけだけど
   あとから思い返してみると、あれが僕の人生の始まりだったかも知れない、なんて
   だから、これから綴る物語の書き出しは敢えてこうしよう。

   「それは、ある日のことであった。」




〈チャイムの音〉

〈夏休みが終わり、新学期初日の教室。生徒たちはざわめき、中々席に座ろうとしない者もいる〉




ソージ:(欠伸)……ねむい

〈チャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に教室に駆け込んで来るタク〉

タク:っぶねー!セーフ!

ソージ:…アウトだろ

タク:いや!先生来てねーし、セーフっしょ!

〈机の横にカバンを放り、ソージのひとつ前の席に座るタク。息が乱れている〉

タク:あー!しぬ…!

ソージ:江古田から走ってきたの?

タク:いや、西武線遅れてたから桜台から直接

ソージ:なるほど

〈タク、いつの間にかカバンから下敷きを出し、あおいでいる〉

〈タク、しばし息を整えている〉

タク:〈突然ニヤッとして〉でさ、結局どうなったの、読書感想文



〈ソージ、カバンから原稿用紙の束を取り出し、机の上に乗せる〉

ソージ:書いてきましたー

タク:マジかよ!昨日ゼロ文字って言ってたじゃん!

ソージ:そりゃもう一晩で書き上げましたよ、ええ

タク:てか多くね、何ページあんの

ソージ:30

タク:は!?沸いてるだろ!?

ソージ:それ

タク:マジかー…お前だけは俺の味方だと思ってたのに…

ソージ:え、結局書いてないの?

タク:いや今から書くわ、原稿用紙持ってきたし

ソージ:いやそっちのが沸いてるだろ

タク:まあまあまあ行けるって、昨日めっちゃ寝たし

ソージ:えー、大丈夫かよ

タク:提出5限だよね?

ソージ:うん、授業終わりだったはず

タク:…いけるな

ソージ:本は持ってきてるの?

タク:ある!

ソージ:…ワンチャン?

タク:そういえばさ、お前本決まらねぇとか言ってたよな。どうしたの?

ソージ:あー、それなんだけど――

〈四十川が教室に入ってくる。ざわめいていた教室が、スッと静かになる〉

ソージ:あとでな







作家:「それでは、ホームルームを始めます。」

作家:僕らの担任は、鈴の鳴るような声の女性だった。
   寡黙で必要以上に喋ることはなく、表情もあまり変わらなかったけれど、冷たいとは感じない不思議な雰囲気をまとっていて。
   授業は現代文の担当で、いつもチャイムの少し後に教室に入って来た。
   決して美人というわけではなかったけれど、新任の若い先生だったし、男子生徒からの人気は結構高かった、と思う。
   「サヨちゃん」なんて呼ばれて、親しまれていた。







<昼休み、付属大学の生協からの帰り道>

タク:はあ!?自分で考えた!?

ソージ:しっ、声でかい

タク:自分の小説に感想書いたってこと!?

ソージ:そういうこと

タク:え、ストーリーとか全部考えたの

ソージ:まぁざっくりだけど…あそこの伏線がここで生きてくるのがーとか、色々適当に書いた

タク:マジか、逆にすげぇわ。というかそれであの量書けんのがスゲェ

ソージ:筆がのるみたいな感覚って本当にあるのな…お陰で一睡も出来なかった

タク:2限の倫理でさ、後ろチラ見したらすげぇ眠そうにしてて笑いそうになったわ

ソージ:まじであの時キツかったからな

タク:毎回思うけどあのジイさん絶対眠らせに来てるよな

ソージ:ほんとそれな、呪文にしか聞こえなかったわ

タク:でもそれさ、実在の本かどうかサヨちゃんが調べたらまずくない?

ソージ:そこね、実はちゃんと考えてあるんだよ

タク:なに

ソージ:従兄弟に新人の作家がいて、その人の書いた未出版の本って事にした

タク:天才じゃん

ソージ:だろ

タク:あ、サヨちゃんだ

ソージ:えぇ!?うそこけ

タク:いや本当だって、向こう向こう

ソージ、振り向くと確かに四十川が逆方向へ歩いている。距離は遠い

タク:サヨちゃーーーん!!今日も可愛いよーーー!!!

ソージ:おい馬鹿やめろって

<四十川、気付いて振り向き、軽く会釈をし去ってゆく>

タク:サヨちゃんも生協行くんだな

ソージ:大学の方でも講義持ってるらしいし、それもあるんじゃない

タク:ふーん



タク:なあソージ、実際サヨちゃんって有り?無し?

ソージ:は?

タク:ヤれる?

ソージ:いやいや、無いだろ流石に

タク:えー、俺は全然ありだな

ソージ:そういう目で見ないから

タク:むっつり

ソージ:お前殴るぞ

タク:この前同じこと山崎に聞いたらさ、俺はロリにしか興味無いとか言い出すの

ソージ:あいつ絶対いつか捕まるって

タク:パコりたいから歌い手になるんだってな

ソージ:くそ面白いなそれ







作家:いつも通りの昼休みに、いつも通りの下らない会話。
   思春期特有の「ちょっと周りと違うことをしてみたい感」。…独創欲求とでも名付けようか。そんな若々しい衝動から生まれたちょっとした悪ふざけ。
   だから、読書感想文を提出した翌日にサヨちゃんに呼び出された時、僕は正直言って反省もしていたし後悔もしていた。
   独創欲求を後押しした深夜テンションは熟睡を経て跡形もなく消え去っていた。

作家:「しかし物語は、思わぬ展開を見せることとなる。」







<教室へ戻ってくるソージ>

タク:おっ、おかえり。どうだった?

ソージ:やばい

タク:やっぱバレた感じ?

ソージ:いや…わからん

タク:どういうこと

ソージ:本のことすげぇ聞かれてさ、従兄弟のことも

タク:めっちゃ疑われてんじゃん

ソージ:って言うより…その本を読みたいって言われた

タク:は?

ソージ:貸してくれって

タク:まじで、なんて答えたの



ソージ:…本は出てないから原稿を持ってきますって言っちゃった

タク:お前、まさか

ソージ:これから書くわ

タク:うっそだろ

ソージ:次に従兄弟に会うまでの期間って事で一週間ある、それまでに書く

タク:やばすぎんだろ

ソージ:もうここまで来たらやるしかないって

タク:えぇ…もう正直に言って謝りゃいいのに

ソージ:いや、行ける気がする。俺多分そういう才能あるから







作家:「私もこの本を読んでみたいんです。」
   澄んだ声の現国教師からそう伝えられた時、なんというか…焦燥感とか羞恥心よりも先に、えも言われぬ高揚感が胸を締め上げるのを感じた。
   嘘がバレるとか、国語の成績とか、そんなのはどうでもよかった。
   ただこの人に、読ませてあげたいって思った。

作家:そこから僕は原稿用紙を大量に買い込み、ひたすらに文字を書きなぐった。
   白い鯨の姿をした悪魔に海底奥深くまで連れ去られた親友クイーク。彼を救うために海底世界を旅する少年、イシュマエルの物語。

作家:推敲(すいこう)なんて言葉は知らなかったし、読書感想文を見ながら元の小説を創りあげるなんてのも、恐らくは人生で一度きりの経験だろう。
   そういえばネットで「小説の書き方」なんてのを調べてみたけど、結局あまり役に立たなかったのも覚えている。

作家:そうして、元から帰宅部で時間の有り余っていた僕はその全てをつぎ込んでイシュマエルと旅をしていた、わけなんだが…
   一週間という制約を舐めきっていた彼は、結局親友を救い出すどころか、竜宮城に住む白鯨の手先である竜王を討伐するだけで時間を使い潰してしまった。







<学校、中休み>

タク:ソージ、生協いかね

ソージ:え、昼でよくない

タク:喉乾いたわ

ソージ:じゃ自販機にしよ

タク:おっけ

<席から立ち上がり教室を出る二人>

タク:そういやさ、あれどうなったの

ソージ:どれ?

タク:感想文の

ソージ:あー

タク:書けたん?

ソージ:結構書けたけど、結局途中までしか行かなかった

タク:マジか。それでどうしたの

ソージ:書いたとこまで渡した。従兄弟からここまでしか貰えませんでしたって言って

タク:よくやるなほんとに

ソージ:天才だろ

タク:はいはい



タク:それで、続きは書いてんの?

ソージ:え?

タク:いやだって、サヨちゃんが続きも読みたいって言ったらどうすんの

ソージ:…それは



ソージ:いや、多分思ったよりもつまんなくて読みたいとも思わないでしょ

タク:(噴き出して)なんでそこは自信ないんだよ

ソージ:そんなもんだよ

<自販機の前に着く二人>

ソージ:自分でそういうの書いてみて、初めて分かることって色々あってさ

タク:おう

ソージ:俺らが普段読んでる小説とかラノベとか。なんていうのかな…めっちゃありがてぇ

タク:なにそれ

ソージ:絵描けるやつとか楽器出来るやつってカッコイイじゃん

タク:うん

ソージ:でも文字って誰でも書けるって思うじゃん

タク:確かに

ソージ:…書けないんですわぁ!

タク:え、どういうこと

ソージ:書けない。ぜんっぜん書けない

タク:いや意味わかんねぇよ

ソージ:文字書けるやつは神ってこと

タク:ふーん



タク:でもお前も途中まで書いたんだろ

ソージ:え?

タク:それもちょっとは凄い事なんじゃねーの、分からんけど

ソージ:……まぁな

タク:(笑って)うっざ

<その時、自販機横のガラス戸を開けて四十川が現れる>

ソージ:あ

タク:あ、サヨちゃん

<四十川、二人と挨拶を交わし一言二言告げる>

ソージ:え、俺っすか。大丈夫ですけど…

タク:ちょっとちょっとぉ、秘密の密会!?

ソージ:なんだよ秘密の密会って、頭痛が痛いぞ

タク:じゃあ俺は先に教室戻ってるわ。サヨちゃんもバイバーイ

<タク、走り去る>







作家:「そういえば自販機は国語科のすぐ近くだった、やっちまったな。」と、微妙な気まずさを感じながら担任に連行された僕は、
   彼女の机に到着すると見覚えのある原稿用紙の束、そして一通の手紙を手渡された。

作家:「浜先生にお渡し下さい。」と、鈴の鳴る声がした。
   手紙を見ると「浜 まるみ 先生へ」との宛名書きがある。
   従兄弟のペンネームと称した、架空の作家の名前。

作家:つまりそれは、僕の人生初のファンレターだった。







イシュマエル:それでは族長、お世話になりました

族長:もう行ってしまうのか

イシュマエル:ええ、皆様の歓待に甘えて、少し長居してしまった

族長:…イシュマエルよ、我が娘のヒバナを娶(めと)り、この村に残る気は無いか

イシュマエル:族長…

族長:ヒバナもきっと喜ぶ

イシュマエル:彼女は素晴らしい女性です。僕にはとても…勿体無い

族長:何を言う、お前は村の救世主なんだぞ

イシュマエル:僕はただの不器用な男です。竜王を倒せたのは、村の皆さんの協力があってこそだ

族長:………

イシュマエル:それに…僕にはやらねばならぬ事があるのです

族長:白鯨のことか…

イシュマエル:唯一無二の親友が、僕の助けを待っている

族長:………決意は硬いようだな

イシュマエル:申し訳ありません

族長:いや、気にするな。思えば、お前のその真っ直ぐな心に俺達は救われたんだ。−−東を目指すといい。日の出ずる国ならば、何か手掛かりが掴めるやも知れぬ

イシュマエル:はい、ありがとうございます

族長:…その友人とやらも連れて、またここに来い。その時は村人総出で饗(もてな)そう

イシュマエル:はい、必ず

族長:ああ、達者でな



ソージ:村の皆さんも、どうかお元気で

ソージ:こんなもんか…どうなんだろ

<座椅子にもたれかかるソージ>

ソージ:わっかんねー



<ふと机の上の折りたたまれた紙を手に取り、中を開き見る>

ソージ:(溜息)…書くか



ソージ:「続きが楽しみです。」って…

<ソージ、心なしかニヤつく>







作家:それ以降、物語を書き進めては担任に渡す、不思議な連載が始まった。
   口数の少ない国語教師は毎回原稿を返す度に、質素な便箋に入った手紙を添えてきた。手紙の中で彼女は、豊富な語彙と美しい言い回しで物語の感想を綴っていた。

作家:気付けばイシュマエルはジパングで謎のサムライと出会い、共に旅をするうち白鯨の棲(す)む海溝へと至る道を見つけ、
   美しい人魚をリヴァイアサンから救い、しかし白鯨に辿り着く一歩手前で罠にかかり太平洋に浮上したアトランティスに飛ばされ、
   課せられた七つの試練を突破しつつ再び沈みゆくアトランティスから間一髪で逃れ、水面下1万メートル、マリアナ海溝の奥底でついに彼(か)の白鯨と対峙していた。

作家:「そんな頃合の事だった。」







後藤:えー、四十川(あいかわ)先生が事情で授業に来られなくなったので、現国の授業はしばらく古典の後藤が担当します。
   年末が近いから皆も浮かれてると思うが、冬休みが開けてすぐに試験があるので、ちゃんと授業に集中するように







<昼休み、授業終了と共に賑やかになる教室>

タク:ソージ、今日昼弁当?

ソージ:いや、生協かな

タク:久しぶりに食堂行こうぜ、カツカレー食いてぇ

ソージ:おー、いいね

<席を立ち、教室を出る>

タク:うわさっむ

ソージ:もう12月だもんなぁ

タク:そういやサヨちゃんどうしたんだろうな、突然

ソージ:さぁ

タク:なんか聞いてなかったん?国語科行ってたりしてたじゃん

ソージ:いや何も。最後に行ったのも連休前だし

タク:そっかァ…。もう後藤とか顔見飽きてるわぁ

ソージ:お前去年担任だったもんな

タク:アイツの補講、多分俺が一番受けてるわ

ソージ:まったく自慢にならねぇ

タク:ほんとにな…サヨちゃん!戻ってきてくれ!







作家:年が明けて、期末試験が始まる頃には戻ってくるだろう、なんて考えていた。
   前回渡した原稿も返されてないし、物語の続きも戻ってきてからまた書き進めればいい。試験勉強もしなくちゃならない。

作家:そんな言い訳の下で、イシュマエルの旅は擱(お)かれた。

作家:クリスマスが通り過ぎた。

作家:正月が来て、去った。

作家:冬休みの課題に追い詰められた。

作家:期末試験が、無垢な学生達を襲った。

作家:十年に一度の大雪が、東京の街を襲った。

作家:気付けば雪は溶けてなくなった。

作家:国語科の窓の外にある小さな梅の木が、花をつけた。




作家:サヨちゃんは、戻って来なかった。







<国語科前で、ソージが誰かを待っている>

後藤:おお下平、悪いな急に呼び出して

ソージ:あ、いえ

後藤:ちょっと、入って話そう

<国語科の扉を開ける後藤>

後藤:こっちだ、座って待ってて貰えるか

<奥のソファを指す後藤、ソージは向かう途中で四十川の机にちらりと目をやる。誰も座っておらず、備品は残っているが綺麗に整頓されている。>
<ソファに座り、様子を伺うソージ>

後藤:あったあった。これだ

<目的のものを見つけた後藤がソージの向かいに座る。手には原稿用紙の束と、一通の便箋>

ソージ:…これって

後藤:今朝、四十川先生から送られて来たんだ。俺宛てのメモに、下平に渡すように書いてあった

ソージ:………



後藤:…大切な生原稿だから、ってな





ソージ:四十川先生は…どうしてらっしゃるんですか

後藤:………お前には、話しておいた方がいいかもな







<校門をくぐるソージ、周囲はもう暗くなっている>

ソージ:………

タク:あれ、ソージじゃん。まだ学校いたの

ソージ:おお、部活終わり?

タク:そ。丁度いいや、一緒に行こうぜ

ソージ:…おう

タク:テンション低いな。なんかあった?

ソージ:いや…

タク:サヨちゃんのこと?

ソージ:え、なんで

タク:飛ばしたボール拾いに行ったらさ、ソージが国語科の方に行くの見えたんだわ

ソージ:………

タク:なんかあったの

ソージ:……誰にも言わないって誓える?

タク:ったりめぇだ、ダチだろ







作家:普段はおちゃらけてて、成績も良くはないこのサッカー部の青年が、この時ばかりは異常に頼もしく思えたのを未だに覚えている。

作家:駅前のファストフード店に入り、僕は事の顛末(てんまつ)をタクに打ち明けた。
   あの後も物語を書き進めては渡していたこと。まだ物語は完結出来ていない事。そして恐らく、当の担任に原稿を手渡す事はもう出来ないであろうという事も。







タク:ふぅん、病気で入院のために実家の岡山に帰っちゃったと

ソージ:そういうことらしい

タク:それで、お前どうすんの

ソージ:は?どうするって何を

タク:その小説は最後まで書けたの?

ソージ:いや…

タク:でもあと少しなんだろ?

ソージ:そうだけど

タク:じゃ書こうぜ、最後まで

ソージ:…なんで

タク:いやだって勿体ねぇよ!ずっとソージとサヨちゃんで作り上げて来たんだろ!

ソージ:っ…

タク:勿体ねぇって!

ソージ:………でも、書いてどうすんだよ



タク:行くか、岡山

ソージ:は?

タク:岡山行こうぜ。そんでサヨちゃんを探そう。どうせお前春休み暇だろ

ソージ:いや何言ってんだよ、無理だろ

タク:やってみなきゃ分かんねぇだろ

ソージ:宿とかどうすんの…

タク:親戚のおばさんが岡山に住んでんだ。何度か行った事もある。自転車とかもそこで借りられるし

ソージ:………

タク:あんまり考えたくねぇけど、仕事辞めて実家の近くに入院するぐらい重い病気って事は治療出来る大きい病院も限られてくる。しらみ潰しに探していきゃ見つかるって

ソージ:そんな都合よく行くわけ…

タク:ソージ

<ニヤっと笑うタク>

タク:運命を信じろ



ソージ:<噴き出しながら笑って>なんじゃそりゃ







作家:日を置いて1ヶ月後、春休み開始直後から僕とタクの共同作戦は始まった。
   タクの叔母は大歓迎だったらしいが、タクの部活との折り合いや両親との相談の上で取れた時間は1週間。
   対して岡山県内で入院施設のある病院は約70件。ギリギリではあるが、不可能な数字では無かった。

作家:それまでに、僕は全ての時間を投げ打って物語を書き進めた。久しぶりに出会ったイシュマエルは初めこそ少し動きがぎこちなかったが、波に乗ってからはこれまでに無いほど生き生きとしていた。


作家:そして最後の結末は、人生で一番悩んだと思う。


作家:作戦初日、昼間に岡山市に着き次第まず最寄りの病院を当たった。当然ハズレ。
   その後タクの叔母の家に荷物を置き、自転車を借りて半日かけて六件回った。

作家:作戦二日目、三日目そして四日目をかけて瀬戸内海側の病院をあたっていった。その数五十数件。どこにも四十川、という名字の患者はいなかった。

作家:でも、男二人であっちこっち行って道に迷ったり、昼ご飯を食べられる場所が中々見つからなかったり、予想外のトラブルをなんとか乗り越えたりして、凄く楽しかった。
   なかなか見付からないのもタクは帰り道で「流石サヨちゃんは手強いな」なんて茶化してくれた。

作家:五日目からは内陸部を二人で手分けをして探した。タクは東へ、僕は西へ。ケータイで情報を交換しながら、お互いの地図にバツ印を増やして行った。

作家:六日目、実質的な最終日だ。タクの顔にも、朝起きて顔を洗った直後の鏡にうつる自分の顔にも、目に見えて疲れが浮かんできていた。もしかしたら見付からないんじゃないか。そんな考えが何度も脳裏をよぎった。


作家:午後六時を回った頃、僕らは調べた限りの全ての病院を回り切った。




作家:サヨちゃんは、見つからなかった。







<小さな公園、ブランコに腰掛けたソージがケータイを耳にあてている>

タク:見つかんなかった

ソージ:…そっか

タク:いないはず無いって思ってさ、こっそり病棟に忍び込んだら看護師に見つかってつまみ出されたわ

<電話の向こうで響く笑い声>



タク:わるい

ソージ:なんでお前が謝るんだよ



ソージ:ありがとな

タク:おう、そろそろ電池無いし切るな。また後で

<電話、切れる>
<ソージ、俯く>







作家:僕は…駅に向かう道を歩きながら静かに泣いた。悔し涙だった。あまりにも自分がちっぽけに思えて、死ぬほど悔しくて涙を流した。

作家:…その時だった。


作家:鈴の鳴る声が、聞こえた気がした。


作家:涙をぬぐって晴れた視界は、次の瞬間ある一点に吸い込まれた。道向かいの一軒家の表札。黒い大理石に、「四十川」という文字が刻まれている。

作家:全身の神経が逆立つ感覚。「そんな事があるわけない」「ただの偶然だ」そんな考えが滝のように頭の中に流れてくる。

作家:でも僕は、インターホンを押した。

作家:物語のラストでクイークがイシュマエルに叫ぶんだ。「運命を信じろ」って。







<タクの叔母の家で、タクが心配そうに23時を回った時計を見ている。>
<突如鳴り響く電話。タクの叔母が受話器を取り何言か交わすと、急いでタクに取り次ぐ>

タク:ソージ!大丈夫か!

ソージ:ごめん、ケータイの電池切れてて、公衆電話も全然見つかんなくてさ。なんとか大きめの駅まで歩いてネカフェ見付けて今充電してる

タク:(溜息)マジで心配したぞお前。警察に届ける一歩手前だったからな

ソージ:いやほんとにごめん。もう電車もないからネカフェ泊まって、明日の朝戻るわ

タク:死んだかと思ったわマジで。何してたん

ソージ:見つかった

タク:へ?

ソージ:見つかったんだ、サヨちゃん



タク:お前今ちゃんと起きてるよな?寝言とかじゃないよな?いや、俺が夢見てんのか

ソージ:ばーか、現実だよ



ソージ:見つかったんだ、マジで







作家:結論から言うと、彼女はもう退院していた。もっと正確に言えば、「彼女はもう入院していなかった」。
   自宅のベッドの上で本を読みながら、天寿を全うするその時を待っていた。

作家:彼女の父親であるという壮年の男性に部屋まで案内された時、その元国語教師は全く予想していなかったであろう来客に心底驚いた表情をしていた。

作家:同時に、せいぜい半年の期間の間にやせ細り肉の削げ落ちたその顔を見て、僕も心底驚いた。
   確実に彼女の身体を蝕(むしば)む病理がそこにはあった。


作家:「下平くん」
   鈴の鳴るような声に僕は我に帰る。
   そうだ、伝えなくてはならない。自分がここに来た理由を。

作家:僕はカバンの中からシワの付いてしまった原稿用紙の束を取り出す。彼女は手をゆっくりと差し出し、それを受け取る。

作家:「今、読んで貰えますか。時間は気にしないで大丈夫です。それで…感想を聞かせて下さい」

作家:彼女は原稿用紙に視線を落とし、一枚、また一枚とゆっくりめくって行った。一分にも、一年にも思える時間が、そこには流れていた。

作家:永遠にも思えた時間を越えて、彼女は物語から目を上げた。


作家:「ありがとう。最後まで読めて、本当に嬉しいです。」


作家:それが、鈴の音にのせられた、僕への最期のファンレター。







<扉をノックする音>

編集:先生!浜先生!いらっしゃいますか?

作家:入ってどうぞ

編集:先生!戻ったなら言ってくださいよ!

作家:いやぁごめんごめん、考え事してたら忘れちゃって

編集:はぁー全く…書類と、今月届いたファンレターここに置いときますね

作家:はいよ

編集:もう先生もかなり名前が売れて来てるんですから、そろそろ自覚持って下さいよ

作家:ハイハーイ

編集:ハイは一回!

作家:はーい

編集:あ、付箋の付いてる書類は今日中に出さなきゃいけない奴なんで大至急サインとハンコお願いしますね。後でまた取りにくるんで

<部屋からそそくさと出て行く編集。苦笑いする作家>

作家:相変わらず慌ただしいな

<手元のファンレターを一つ手に取る作家>


作家:あれから数年経ち、僕が新人賞を取った小説が初めて出版されてからしばらく後、一通の手紙が届いた。差出人の名前は「四十川 小夜」。
   手紙の内容は浜 まるみのデビュー、第一作の出版に対する賛辞が、相変わらず美しい日本語で書かれていた。


作家:そして、この手紙が送られる頃、自分はもうこの世にいないだろうという事も綴られていた。





作家:さて…少し長くなってしまったが、僕の人生の分岐点にあたる物語はこれで終わりだ。
   ここにはすでに新しい物語が始まっている。
   それは、一人の人間が新たな世界に踏み込む物語であったり、そびえ立つ壁に打ちひしがれる物語、
   そして己なりの答えを見つける物語である。それもまたきっと、新しい物語のテーマとなりうるものだろう。

作家:しかし、いまわれわれの物語、一輪の鈴蘭が咲かせた花の物語は、これで終わりとしよう。















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