ラバーズケースB
ハートのじょうろ
作者:ススキドミノ


アスミ:島木 阿澄(しまき あすみ)二十二歳。大学生。教育実習生としての母校で研修中。
タクミ:森 拓巳(もり たくみ)十七歳。男子高校生。美術部部長。





※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)




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 <夕刻・高校の美術室>
 <タクミはアスミをモデルに絵を書いている>

アスミ:君。

タクミ:……ん。

アスミ:本当に、不思議な子よね。

タクミ:……何。

アスミ:んー? だって……普通、教育実習生にこんな風に声かける?

タクミ:は? 普通ってなんだよ。

アスミ:普通は普通よ。だってみんなからしたら、先生とか……まあ、私も学生だけど、年も随分違うように感じるじゃない。
    なのに、森君って平気で絵のモデルなんて頼んでくるし。
    (微笑んで)最初から私にタメ口なのも、失礼な話だけどね。

タクミ:……あんた、言ってたよな。

アスミ:何を?

タクミ:『同年代の友達のように、気軽に接してください』

アスミ:確かに言ったけど、そういうのってほら……お約束みたいなものでしょう。

タクミ:とどのつまりさ。

アスミ:何?

タクミ:あんた。普通だとか、お約束だとか、そういうものを意識しすぎてるんじゃないの。

 <タクミは筆を変えながら口元に笑みを浮かべる>

タクミ:あんた。美人だよ。

アスミ:……は?

タクミ:美人はさ、そんなの気にしないで、ただ座ってりゃいいんだ。

アスミ:……馬鹿にしてる?

タクミ:そう思うならそれでもいいけど。
    ……美しさってのは、才能なんだよ。
    基準や価値観はどうあれ、どの時代でもそいつの価値は普遍なんだ。
    頭がいい為政者、力が強い戦士。無敵だったそいつらを殺すのは、傾国の美女だった。

アスミ:私くらいの女なんて山ほどいるわよ。
    今はあなたの周りに居る高校生の子よりは、大人に見えるかもしれないけれどね。

タクミ:でも、俺が描いてる女はあんただけだろ。

アスミ:どういう意味?

タクミ:黙って座ってたら――俺があんたを世界一の美女にしてやる。

 <アスミは目を丸くした後、吹き出す>

アスミ:(吹き出して)ふふふ! 何よ、君!
    とんでもないこというわね! おっかしい……!

タクミ:おかしいか?

アスミ:うん、おかしい。
    ……だって、君。技術が伴ってない。

 <タクミは筆を置いた>

タクミ:技術……?

アスミ:そう。君の絵はね、確かにこの学校の中じゃ抜けてるかもしれない。
    でも、そうじゃない。
    君は――天才じゃない。

タクミ:天才。そんなもんがいるって?

アスミ:うん。居るわよ。もともと『持っている』人。
    そして――そのうえで努力もできてしまうような人。

 <アスミは目を細める>

アスミ:ムカつくわねぇーやっぱり……。
    高校生って、キラキラしてる!
    自分が世界の中心で、自分が主人公だって思っていて。
    なんでも思い通りになるでしょ……森君。
    君は周りの子よりも落ち着いていて、少し大人びていて、身長も高くて顔も良いし、頭だっていい。
    加えて、純粋な目で芸術に打ち込んでいる。
    ……きっとね、私が君と年が近かったら、君に夢中になって、君に身も心も捧げてると思う。
    (間)
    ……でもね、ダメ。
    私ね、そういう純粋な芸術なんて認めるの……やめたの。
    芸術なんてものはね、真剣に求めれば求めるほど、醜くおぞましい形に曲がっていくのよ。
    だから今の私には、君には才能なんてないのが、わかる。

タクミ:(ため息)……教師を目指してる人間のスピーチとは思えねえ。

アスミ:私まだ、先生じゃないし。
    それに、目上の人間を敬わない君にも、原因はあるでしょう。

タクミ:腐ってんな、あんた。

アスミ:これは私の最初の授業になるかもね。
    私だけが腐ってるわけじゃない。
    誰しもが君みたいな目で世界を見ていられるわけではないの。
    ……純粋な心っていうのはね、汚したくなるものなの。
    まっすぐな魂を折り曲げてやりたいって、そう思う人達がたくさんいるのよ。

 <アスミは微笑む>

アスミ:……これに懲りたら、無鉄砲に人を刺激するのはやめなさい。

 <タクミは立ち上がる>

タクミ:……安心したよ。

アスミ:安心……?

 <タクミはゆっくりとアスミに近づく>

タクミ:見た目が綺麗な女を描くだけなら、やりがいがないだろ。

アスミ:……この後に及んでまだ……。
    いいかな、森く
    ――んッ。

 <アスミの前に立ったタクミは身体を屈めると、強引にアスミの唇を奪う>

アスミ:は……何……今――

タクミ:……今は、無理に黙らせてやる。けど……。

アスミ:君……どうして、キスなんて――

タクミ:けどなセンセ……俺は決めたんだ。
    俺があんたを黙って座らせて――世界一の美女にしてやる。

 <不敵に笑うタクミと呆然と座っているアスミ・二人を夕暮れの赤い光が照らしている>


 ◆


 <昼休みの終わり・美術室前の廊下でアスミは弁当箱を片手に歩いている>

アスミ:……えっと……次の授業は――あれ、今日って……一回職員室だっけ。
    えっと……資料は――

タクミ:よう、センセ。

 <タクミは屋上へ繋がる階段に座り、アスミを見下ろしている>

アスミ:(ため息)……何? 森君。

タクミ:昨日は美術室に顔出さなかったな。忙しいのか?

アスミ:(笑顔で)そう思うなら、呼び止めないでくれるかな。

タクミ:なんだよ、イラついてんなぁ。

アスミ:……残念なことに、本当に君にかまってる時間はない――

タクミ:なあ、センセ。
    タバコ、吸いたくないか。

 間

アスミ:……何言ってるの?

タクミ:吸うだろ、センセ。

アスミ:吸わないわよ。

タクミ:へえ……。

 <タクミは微笑むと自らの唇を指指す>

タクミ:味が、したんだけどな。

アスミ:……え?

タクミ:キスした時。タバコの味。

 <アスミは目を見開いた後、目を細める>

アスミ:本当……君、どこでそういうの覚えるわけ。

タクミ:へえ、気になるんだ?

アスミ:気になるわよ。単純にどうしたら君みたいな問題児になるのかってことはね。

タクミ:時間、ないんだろ。
    屋上の鍵、持ってんだ。

アスミ:……屋上の、鍵?

タクミ:ああ。先輩から受け継いだって言えばわかりやすいか。

 間

アスミ:……他の教員は?

タクミ:知らない。

 間

アスミ:……あなたには吸わせないわよ。

タクミ:吸わねえよ。興味もねえし。
    ……まぁ、味は嫌いじゃないかもしれねえけどな。

アスミ:(ため息)……人が来る前にさっさと案内してくれるかしら。

タクミ:(笑顔で)いち名様ごあんなーい。


 ◆


 <扉の鍵を開けて、二人は屋上へ入る>
 <生ぬるい風が二人を出迎える>

アスミ:本当に入れるなんて……。

タクミ:この合鍵無しじゃ入れないからな。
    マスターキーは職員室だろうし。

アスミ:……本当に誰も来ないのよね?

タクミ:しつこい。誰も来やしねえよ。

アスミ:……鍵、かけて。

タクミ:はいはい。

 <タクミは鍵をかける>
 <アスミはそれを確認すると、壁にもたれかかる>

アスミ:(ため息)……疲れた。

タクミ:だろうな。

アスミ:知ったような口を――って、貴方に言ったって今更か……。

タクミ:そうそう。それでいいんだよ。
    相手の見た目や年齢、立場やなんかだけで相手のことを判断するのは、考えることをやめた馬鹿のやることだ。

 <アスミは鞄からタバコの入った袋を取り出すと、一本口に咥えて火をつける>

アスミ:(煙を吐き出す)

タクミ:……匂いはいいのか。

アスミ:香水とスプレー。

タクミ:周到だな。……別に、吸ってたっていいんじゃねえの。

アスミ:年齢を考えればね。他にも吸ってる先生はいらっしゃるから。
    でも……良い顔されないのよ。たかだか教育実習生が偉そうだってね。
    特に若い女がっていうと、そりゃあもう。

タクミ:……ほらな。見た目や年齢、立場で判断するのは馬鹿だって言ったろ。

アスミ:(煙を吐いて)否定はしてないでしょ。
    君が背伸びでちょっかいかけて来る子かどうかくらいはわかってるわよ。
    でもなきゃ、こんな風に弱点は見せない。

タクミ:ふうん。

アスミ:一人の人間として、君のことを対等に扱うとして……森タクミ君。
    君は私をどうしたいわけ。

タクミ:……どうしたい、ねえ。

 間

タクミ:なあ、センセ。

アスミ:(煙を吐いて)何?

タクミ:肩身、狭いだろ。ここは生徒も教師も、檻の中の動物みたいな精神で動いてる。

アスミ:私もここの卒業生だから、慣れてるわよそんなもの。
    うちは県内でも有数の進学高。教員も皆優秀。本当……ここにまた戻ってくるなんてね。
    ま、自分で決めたことなんだけどさ。

 <アスミは煙草を携帯灰皿に押し込む>

アスミ:……そろそろ行かないと。

タクミ:そうか。時間、ないんだったな。

アスミ:ええ。……あ、お礼なんて言わないわよ。
    (笑みを浮かべて)……勝手に女の唇を奪うような悪い子にはね。

タクミ:(笑みを浮かべて)そうかよ。

 <タクミは鍵をポケットにしまう>

アスミ:……鍵、開けてくれるかしら。

タクミ:んー? 閉めろって言ったのはあんたじゃなかったか?

アスミ:は?

タクミ:ここの扉は、鍵が無いと開かないんだよなあ。
    いやはや……困った困った。

アスミ:開けて、くれるかしら……。

タクミ:そうしたいのはやまやまだが……こっちにも事情があるんだよな。

アスミ:脅す気なの……! 君、本当に悪党ね……!

タクミ:人聞きの悪いことをいうなよ。
    俺は、ちょっとしたお願いを聞いてほしいだけだ。

 <タクミはアスミに近づいていく>

アスミ:この変態……! 大声、出すわよ!

タクミ:別に。俺は困んねえ。

アスミ:ふざけるんじゃないわよ! どうして私が――

タクミ:何勘違いしてんだよ……溜まってんのか?

アスミ:このッ!

 <アスミはタクミの頬を叩く>

タクミ:痛ッてえ……おい、だから――

アスミ:近寄るなッ!

 <アスミはもう一度手を振りかぶる>
 <その手をタクミは掴む>

アスミ:キャッ! ……離して!

タクミ:手、怪我すんだろ……! 落ち着け。

 <アスミは視線を伏せて震える>

アスミ:何、する気よ……。やめて……!
    私、好きな人もいるの! この間のキスだって――嫌だったんだから!

 間

タクミ:……それは、悪かったよ。

アスミ:……え?

タクミ:急にキスして、悪かった。ごめん。

 <タクミは真剣な顔でアスミを見つめている>

アスミ:……何……?

タクミ:だから……今度のは別に、そういうのじゃないんだ。

アスミ:だから――

タクミ:あのさ。あんた、言ったろ。
    技術が伴ってないって。
    ……俺の絵には、技術が伴ってないって、言っただろ。

アスミ:……それが?

タクミ:あんたの絵。うちの美術部に置いてある。
    大会で入選した、『生命ノ律動』ってタイトルの油絵。

 <タクミは視線を反らす>

タクミ:上手かった……確かに。センスもそうだけど、間違いなく技術があった。
    ……俺は今、二年で、あの作品を描いた頃のあんたと同い年だ。

アスミ:……それで……?

タクミ:あれは……ずっと描き続けてきた人間の絵だって、わかるんだ。

アスミ:描き続けて、きた?

タクミ:ああ。俺は……絵を初めたのは遅かったんだ。
    小学生の終わり頃に、初めて筆を握った。
    だからわかるんだ……。あんたが言ったみたいに、同い年でも絵の上手いやつは山ほどいて、その中のほとんどが今まで数え切れないほどの枚数の絵を描いてきたってことがさ。

アスミ:(ため息)……それで?

 <タクミは真剣にアスミの瞳を見つめる>

タクミ:……俺に、絵を教えてくれ。

アスミ:……それを言うためだけに、こんなやり方をしたっていうの?
    私は、美術教師の資格を取るために、教育実習でここに来ているのよ?
    そもそも美術を教えるのは、私のするべきことなんだから――

タクミ:教師に教わりたいんじゃない。俺は……あんたに教わりたいんだ。

アスミ:どうして……? 美術の杉本先生は、私よりも――

タクミ:あんたじゃなきゃ、嫌なんだ。
    杉本先生は確かに技術もあるし、教育熱心だよ。
    でも先生は、そうじゃないんだ。

アスミ:そうじゃない……?

タクミ:あんた、言ったろ。
    純粋な芸術は認めないって。

 間

アスミ:……言ったかもね。

タクミ:それが俺に、足りないものかもしれない。

アスミ:はぁ? わざわざ、純粋さを捨てたいって……?

タクミ:わからない。でも、描きたいものを描けとか、絵を愛せとか、自分の内面をとか――
    俺にはそういうの、わかんねえし、興味もないんだよ。
    俺はただ、あんたみたいな絵が描きたい。
    だから……お願いします。センセ。

 <タクミは頭を下げる>

アスミ:どうして……。

 <アスミはしばらく俯いたあと、ため息をつく>

アスミ:(ため息)……明後日、振替休日よね。
    時間、有る?

タクミ:え? ……ああ、あるけど。

アスミ:教えてあげるから、電話番号、教えて。


 ◆


 <二日後・アスミのアトリエ>

タクミ:……なあ。

 <タクミは部屋を見渡す>
 <一面に画材とキャンバスが乱雑に散らかったワンルーム>

アスミ:……何?

タクミ:あんた、ここに住んでるのか?

アスミ:そんなわけないでしょ……アトリエとして借りてるのよ。

タクミ:……大学生だろ? そんな金あるのか?

アスミ:遠慮ってものがないのね……。
    私の実家はね、金持ちなの。だから、高校に入った頃からこういう場所が与えられてきた。

タクミ:へえ。金はあるとこにはあるもんだな。
    俺は画材を揃えるのにも一苦労なんだが。

アスミ:……そう。まあ、そういうこと。
    環境っていうのは、自分じゃ選べないから。

タクミ:気にしちゃいねえよ。

アスミ:そう? 羨ましいと思ったんじゃない?

タクミ:環境だって、才能だろ。それに、見合うだけの努力をしないんじゃ、宝の持ち腐れだ。
    あんたは与えられた場所で、何枚もの絵を描いてきた。
    俺だってそうだ。量は足りないかもしれないけど……それは変わんねえよ。

アスミ:……生意気。

 <アスミはコートをかけると、やかんに火をかける>

アスミ:荷物、そのへんに置いて。

タクミ:ああ。

アスミ:前提として、技術というのは回数を重ねなければ磨かれていかないものだというのはわかるわよね。
    だから教えるといっても、私が君に与えてあげられるのは――環境と、技術的なアドバイス。
    後は、対話。

タクミ:対話?

アスミ:ええ。これは私も――

 <アスミはコップを拭きながら黙り込む>

タクミ:……私も?

アスミ:ううん。私も昔、教わったこと。
    ……自分が描いているもの、描きたいものについて、必ずしも誰かに説明する必要はない。
    でも、自分の中には説明できる何かを持っておくべきなのよ。
    何をもってその構図を決め、色彩がそこをある理由だったりをね。

 <アスミは丸机の上にコップを置く>

アスミ:このコップには、お湯が入っているわ。これをデッサンして。

タクミ:……わかった。

アスミ:二枚描いて。一枚は等倍。もう一枚は二倍に拡大すること。
    先に等倍で描くこと。
    そこにデッサン用紙があるから……森君、鉛筆は硬いのを使うわよね。

タクミ:良くわかったな。

アスミ:美術部の生徒の作品は見させてもらったもの。
    美術部で使ってる用紙って、厚めよね。
    君のデッサン、線が細かいから、用紙も目が細い方が滑らかに描けていいと思う。
    そっちのやつね。

タクミ:……ああ。描いてみる。


 ◆


 <数時間後、書き上がった何枚かのスケッチを見ながら、二人は顔を突き合わせている>

アスミ:――つまり……君は、目が良いのよ。
    だからそこに頼ってる。見たままで描く分には文句はないけど、縮尺が変わるととたんに線にためらいがある。
    ほら……ここと、ここ。曲線にはためらいが強く出るのよ。

タクミ:……確かに。

アスミ:想像力ばかりはね、持って産まれたものも大いに関係している。
    持っている人間は最初から持っているものなのよ。
    でも、それだって筋肉と同じ。

 <アスミは立ち上がると小物入れに歩み寄る>

アスミ:……これ。持っていきなさい。

タクミ:デジタルカメラ……?

アスミ:そう。持っていきなさい。
    使い方はわかるわよね。

タクミ:……なんとなく。

アスミ:自分が描きたいと思う風景があったら、写真を取るの。
    それから、後で写真を見ずにスケッチをする。
    スケッチをしたら、その写真と照らし合わせてみる。

タクミ:頭の中で見たものを、書き出す練習ってことか。

アスミ:まあ、そうね。自分が一体どこを中心に見ているのかわかるきっかけにもなるわ。
    貸してあげるから、やってみるといいわ。

 <タクミは嬉しそうにカメラを見つめる>

タクミ:ありがとう。有り難く、借りさせてもらう。

アスミ:使ってないから、別にいいわよ。

 間

タクミ:……あのさ。

アスミ:何?

タクミ:俺、さんざん失礼なこと言ったろ。
    それに……脅すみたいなことで、あんたに無理やり教えろなんていったのに。
    どうしてこんなに良くしてくれるんだ?

 <アスミは目を丸くした後、吹き出す>

アスミ:(吹き出して)ふふふ……! 君がそれ、言う……?

タクミ:ああ……なんつーか……わかんねえなって。

アスミ:そっかそっか……。素直なところもあるんだ。
    ……なんていうのかな。ちょっとだけ、お礼かな。

タクミ:……お礼?

アスミ:うん、そう。許せないけどね。
    タメ口だったり、生意気なことばっかり言っていくることも――それに……。
    まあ、いきなりキスしてくるなんて……君がイケメン高校生じゃなかったら許さない。絶対。

タクミ:まぁ……俺もイケメン高校生じゃなかったらしてねえだろうしな。

アスミ:そういうとこ! 本当に腹が立つけど――でも、そんなことはどうでもいいのよ。
    白雪姫って、いるでしょ? そんな気持ちなの。

タクミ:王子様のキスで目覚めるって?
    (ニヤついて)あー、そっか、俺が王子様ってこと?

アスミ:ううん。君はそういうタイプじゃないかな。どっちかっていうと、悪役って感じ。

タクミ:はぁ?

アスミ:報われたくても報われない。手にほしいものは手に入らない。
    そんな苛立ちをどうして良いかわからずに、周囲を傷つけて、手に入れようとする。
    まさに、君って感じ。
    森深くに住む、孤独な少年。

 <タクミは一瞬驚いた後、口元に笑みを浮かべる>

タクミ:……あんたも大概はっきり言うよな。

アスミ:……でもね、そんな少年に無理やりされたキスで、私は取り戻したりするのよ。
    自尊心とか、情熱とか、ね……。

 <アスミはイーゼルに手を触れる>

アスミ:あ、嘘ついた。
    私、白雪姫ってガラじゃないんだ。
    だからかな。君を見てると思うのよ。
    ……私もたぶん……同じ、悪役ってやつだから。

 間

タクミ:また……来てもいいんだよな。

アスミ:え? ええ。でも使うときには私も呼ぶこと。
    まあ……そうね。次は来週の連休なら、大学も無いし……いいわよ。

タクミ:ああ。わかった。

 <タクミは片手にスケッチブックを入れると荷物を拾い上げる>

タクミ:バイトがあるから、行くわ。
    ありがとう、センセ。

アスミ:帰り道はわかる?

タクミ:は? 道は忘れねえよ。普段は……森に住んでるんだからな。

 <タクミがアトリエを後にするのを見届けると、アスミは小さく微笑む>

アスミ:本当……生意気。

 <アスミはイーゼルに近づくと空のキャンバスを置く>

アスミ:……また、描く……? 本当に……?

 <鉛筆を手に取ると、携帯電話が震える>

アスミ:……電話……誰かしら――

 <着信画面を見て、固まる>

アスミ:……ヤダ……。
    (自嘲気味に微笑む)ま、そうよね。そうなるわ。
    そう簡単に……目が覚めたりは、しないものなのよ。馬鹿……。

 <アスミは一呼吸を置いてから、携帯の応答ボタンをタップする>

アスミ:……もしもし。……ええ。……はい。……わかりました。
    すぐに行きますね。


 ◆


 <数日後・放課後、屋上にて>

アスミ:(煙草の煙を吐いて)……慣れちゃったわね。
    ここに忍び込んで煙草吸うのも。

タクミ:気に入ったみたいで嬉しいよ。

アスミ:……まぁ、悪いことってのは気持ちよかったりするものなのよ。

タクミ:悪役が板についてるな。

アスミ:(煙を吐いて)君もね。

タクミ:そうだ……これ、課題。何枚か描いたけど、これが一番新しいの。

アスミ:課題、ではないけど……まあ、いいわ。
    見せて。

 <タクミはスケッチを手渡す>

アスミ:……河川敷。うん、いい感じ。前より随分線に迷いがなくなってる。
    っていうか――成長著しいわね、森君……。
    今まで、どうしてあんなに雑だったのかが不思議なくらい。

タクミ:言っただろ。俺は描き始めたのが遅かったんだ。

アスミ:……ううん。そうじゃない。
    多分君は――絵が好きじゃなかったのよ。

 間

アスミ:当たり、かしら。

タクミ:……さあな。

アスミ:ねえ……どうして、絵なの?

タクミ:それ、関係あるか?

アスミ:対話。言ったでしょう?
    創作をする以上、自己と向き合うことは必要な作業なのよ。

タクミ:言葉にできなくていいとも言ったよな。
    それに、あんたはカウンセラー志望でもないだろ。

アスミ:そうやって茶化すのもいい。でも、それを口にできないのは君の弱点かもしれない。
    誰にだって、理由はあるものなのよ。そして、それが続けていく理由にもなる。
    ……最も、好きだったからって理由がすっと出ない辺り、なんとなくはわかるけど。

 <タクミは少し迷った後に壁に寄り掛かる>

タクミ:……俺には、兄貴がいるんだよ。

アスミ:お兄さん?

タクミ:ああ。年の離れた兄貴で……俺が物心ついたときから、ずっと絵を描いてた。
    兄貴はとにかく絵が好きで、俺が小学生の頃に美術の大学に入った。
    絵描きになるのが夢だって言ってさ。
    でも、兄貴は大学やめて、就職したんだ。
    そんときに兄貴は自分の画材や筆なんかを全部俺にくれて――俺はそれで、絵を始めた。

アスミ:お兄さんの代わりに、絵を……とか?

タクミ:兄貴が言ってたんだ。
    『お前は自分の気持ちを口に出せる方じゃないから、絵を描くといい』ってさ。

アスミ:……へえ、そうなの。
    意外ね。自分の気持ちに正直すぎる人に見えるけれど。

タクミ:俺だってそう思うよ。
    だから……あんたの言う通り。そんなに絵なんて好きじゃなかったんだ。

アスミ:だとしたら、これからね……君の絵は。

タクミ:俺の、絵?

アスミ:そう。君は間違いなく……絵に執着し始めてるもの。
    この数日で今までの何倍も早く、鉛筆が短くなっていったはずよ。

タクミ:……まあ、確かにそうかもな。

アスミ:あ、そうだ。このデッサンって写真にも撮ってるのよね。
    写真も見せてくれる?

タクミ:ああ。……この写真だ。

 <タクミはデジタルカメラの画面を見せる>

アスミ:うん。いいわね。
    記憶の中でちゃんと関係性を想像できてる。
    縮尺の差は多少ズレがあっても、これなら――って、ちょっと待って。

タクミ:なんだ……どこかおかしいか?

アスミ:おかしいっていうか……スケッチの方に写っている女性は……?

 <スケッチのデッサンの中心には女性が立っている>

タクミ:……これは、あんただよ。

アスミ:私……?

タクミ:ああ。

アスミ:どうして、私を描いたの?

タクミ:自然に、だよ。自然に、思い浮かんだんだ。

 <アスミは視線を落とす>

アスミ:もう、やめなさい。そういうの。

タクミ:そういうのって。

アスミ:私にアプローチするの、やめなさい。
    君には、興味ないから。

 間

アスミ:でもね……森君。君の絵のことは別。
    私、意地悪を――君に絵の才能がないって、前に言ったことがあったわね。
    ……謝るわ。森君には絵を描く才能がある。
    だから、もうこういうのはやめて、絵を描くのに集中しなさい。

タクミ:んだよ……それ。
    普通の教師みたいなこというなよ……すげえ、冷める。

アスミ:ごめんね。でも、私も普通の教師を目指してるのよ。
    だから変な意地やプライドで、君のことを潰すなんて本意じゃない。
    わかったら、もうこういうのやめて……私がいる間は、絵の相談には乗ってあげるから。
    普通に同年代の女の子と付き合いなさいよ。

タクミ:付き合うって……ああ、彼女ならいるけど。

アスミ:……は?

タクミ:いや……でもあれは彼女っていうのか……?

 <タクミは頭を掻く>

タクミ:わかんないんだ。そういうの。

アスミ:好きだから付き合ってるんじゃないの?
    それに……彼女が居るのに私にちょっかいかけてって……どういうこと?

タクミ:ダメなのか? そういうの。
    そうか……付き合ってる女がいたら、他の女を口説いたらダメなのか。

アスミ:本気で言ってるの、君。

タクミ:俺はいつだって本気だよ。
    ダメだったら、別れる。後で。

アスミ:チョット待って……! どうしてそうなるの……!?

タクミ:どうでもいいんだよ。そういうの。
    そいつのさ、スタイルが好みだったんだ。
    だから、抱きたいと思った。でも、向こうは俺と付き合いたいんだと。
    向こうは俺と付き合いたい、俺は抱きたい。
    互いの利害が一致する一つ方法として、とりあえず俺は付き合うことにした。

アスミ:……最低ね……君……。
    絵に夢中になって、素直なところもあるって思ってたけど……!
    最低な男ってだけじゃない……!

タクミ:否定はしねえよ。
    でも、そいつにもそう言ってあるし、迷惑もかけるわけでもない。

アスミ:迷惑なのよ。そういう面倒くさいものに私を巻き込まないでくれない……?
    たかだか一月の教育実習だってのに……!

タクミ:は? あんただって、俺で遊んでたくせに。

アスミ:遊んでなんかないわよ……! 君が勝手に近づいてきてたんでしょ!?

タクミ:んなわけあるか。誘ったのはあんただ。
    ちょっとちょっかいかけてやろうって……そういうの、わかるんだよ。
    初めてじゃねえから。

アスミ:そんなつもりないって言ってるでしょ。勘違いのナルシスト君……。
    君みたいなクソガキに、私は興味ない。

タクミ:俺のことばっか言ってるけどさぁ……。

 <タクミは一歩歩みを進めると、アスミを見下ろす>

タクミ:……あんたも、そうだろ。

アスミ:何――

タクミ:俺の働いてるバイト先。
    あんたの通ってる大学近いんだよ。駅前の本屋なんだけどさ。

アスミ:……駅前……?

タクミ:あんた、よく店の前で待ち合わせするだろ。
    大学の教授と。

 間

アスミ:どうして……知ってるの……。

タクミ:何度か予約の受付してるから、話すことがあるんだよ。
    あの教授、家も近いみたいでさ。

アスミ:……やめて……!

タクミ:奥さんと子供も、よく来るぜ。
    だから気になったんだ。あの女――いつも教授と待ち合わせて、腕くんで裏通りに消えていく女は誰なんだってな。
    俺が最低な男なら、あんたは――

 <アスミはタクミの頬を叩く>

アスミ:ふざけるんじゃないわよ……!

タクミ:……なんだよ。

アスミ:知ってて! ……知ってて、近づいてきたわけ……!

タクミ:……うちはさ、親父がクズだったんだよ。

アスミ:お父さん……?

タクミ:俺が物心ついたころには、親父はイカれちまってたんだわ。
    母さんとの仲は冷え切ってて、家になんか全然帰ってきやしなかった。
    母さんが我慢できなくなって、大喧嘩になって……親父は母さんを殴った。
    母さんは強い人でさ。しっかりと裁判を起こして、その後は離婚も成立した。
    親父は金も使い込んでたみたいでさ、慰謝料と養育費も未払いが続いてる。
    兄貴が大学辞めて就職したのはそのせいだよ。

アスミ:ねえ! 何の話……!?

タクミ:母さんも、兄さんも、すげえ優しい。
    親父も……俺が小さい頃は、すげえ優しかった。
    だから興味があったんだ。ずっと。
    ……親父がイカれたのは、他に女ができたからだ。

 <アスミは唇を噛み締める>

タクミ:あんな優しい親父が壊れちまったんだ。いい女だったんだろう。
    きっと、俺達と暮らすよりも、その女を抱く方が幸せだったんだろう。
    でもなきゃ、俺達の――裏切られた母さんの立つ瀬がねえよ。

アスミ:やめて!

 間

アスミ:復讐の、つもり? 私をその女の人に重ねて、私を傷つけたい?
    そうならそうでいいわよ……! ええ!
    でもね! どうでもいいわそんなこと! あんたの家庭のことなんて知らないわよ!

タクミ:違う。そうじゃない……!

アスミ:なら何よ! 気持ち悪いのよあんた!

タクミ:言葉にできないけど……そうじゃない。
    そうじゃないんだよ。……ただ、本当のあんたが知りたかっただけなんだ。
    ……あんたを傷つけるつもりなんて、なかった。
    だから、そんな顔しないでくれ……。

 <タクミはアスミの頬に手を添える>

タクミ:なあ……また、アトリエ行ってもいいよな。

 間

アスミ:どうして……この状況でそんなこと言えるわけ……?

タクミ:諦めてないから……。
    俺は――あんたを世界一美人に描かなきゃいけないんだよ。

アスミ:何よ……それ……。おかしいんじゃないの……?
    どうして私なの……! どうしたら諦めてくれるのよ……!

タクミ:あんたから……俺にキスしたら、かな。

 <タクミはアスミから離れると、屋上の入り口に向かう>

タクミ:カメラ、まだ借りてる。


 <タクミが屋上から去るのを見届けると、アスミはその場に座り込む>


アスミ:……ダメ……。ダメよ……! ダメ……!
    向き合えない……! 向き合えないよ……そんなの……。


 <アスミは両手で顔を覆いながら俯く>


 ◆


 <翌日・休日>


タクミ:ありがとうございましたー。


 <タクミは駅前の書店でバイトをしている>


タクミ:……店長。雨降ってるの、気づいてます?
    ……『のぼり』は出しっぱなしですけど、風も出てきそうですし危ないんで――
    (微笑んで)ですよね。俺、そのまま裏に持ってってから、あがります。
    ……うす。


 <タクミは表にでるとのぼり旗を持ち上げる>

タクミ:うっし……。

 <そのまま書店の裏に行こうとした瞬間だった>

タクミ:……え?

 <スーパーの影で、ずぶ濡れで座り込んでいるアスミを見つける>

タクミ:……何してんの。あんた。

アスミ:……放っておいて……。

タクミ:……ふうん……。

 <タクミはのぼり旗をその場に置くと、エプロンのポケットからタオルを取り出す>

タクミ:髪、拭いとけよ。

アスミ:……いらないわよ……。

タクミ:せっかく綺麗なんだ。痛むぞ。

 <タクミはアスミの頭にタオルを乗せるとのぼり旗を持ち上げる>

タクミ:バイト、もう上がるんだ。そこにいろよ。


 ◆


 <アスミのアトリエ・二人は部屋の中に入る>

タクミ:このアトリエ、シャワーあるだろ。さっさと浴びろよ。

アスミ:どうして君は……って……(苦笑して)まぁ、下心なんでしょうけどね……。

タクミ:あんたさ……俺を何だと思ってんの。

アスミ:別に……。
    そもそも……連れ込んだ私の言えたことじゃないか……。

タクミ:まぁ、ついてきたのは俺だし。共犯だろ。

アスミ:……で、何。セックスしたいの?

 <アスミは視線を伏せて自嘲の笑みを浮かべる>

アスミ:別にいいわよ……それならそれで――

タクミ:良くない。

アスミ:……え?

タクミ:セックスは好きだけどさ。
    傷ついた女を抱くのは、趣味じゃねえ。

 間

アスミ:……あっそ……。
    でも……ちょっと安心した……。

タクミ:……はぁ? いや……キレるとこだろ。

アスミ:わかってていってるわけ……? 救えないわね、君。

タクミ:キレる気力もねえなら尚更。今のあんた、魅力ゼロ。

アスミ:ふふ……そうね。君なら、そう言うんじゃないかって……なんとなく思ってたから。
    シャワー、浴びてくるわ。


 ◆


 <数分後・アスミはソファに寝そべりながら目にタオルを当てている>
 <タクミは椅子に座って水を飲んでいる>

アスミ:……ねえ、聞いてる?

タクミ:ん……? あー、なんだっけ。

アスミ:だから……言ったの。それで。
    教授に……もう、会わないって。

タクミ:ああ……そうだったな。

アスミ:そしたらさぁ。妻とは別れるって。
    だから僕と一緒になってくれってさ。
    ……笑える。本当、そんな漫画で聞いたようなセリフ、言われることなんてあるもんだね。

タクミ:確かに、大人の教科書に載ってそうだな。

アスミ:何よ……他人事みたいな面して……。

タクミ:まあ、他人事だからな。

 <アスミの肩が震える>

アスミ:……他人事じゃ、ないわよ。
    (次第に涙が溢れてくる)……そのときねえ! どんなこと思ったと思う?
    選んでもらえて嬉しい? それともムカつく? どうせ別れる気なんてないくせにって?
    ……違うんだよなぁ……! 思い出したのはね……君の顔!

 <アスミはタオルを強く握りしめる>

アスミ:君のせい! 君が……! 聞く気もない身の上話ぺらぺら話してくれたせい……!
    私はね……! 悪役で良かったはずなの! 自分のしたいことなんだから――って……!
    ちらつくのよ……! 私がしたかったのって、それ?
    もしこれで本当に教授が私を選んだらって……!

タクミ:(微笑んで)泣くなよ。また、眼腫れるぞ。

アスミ:(笑って)うるさいなあもう! 本当に口が減らないわね……!

 <アスミは深呼吸をする。口元には笑みが浮かんでいる>

アスミ:……なれるわけ、ないじゃない。

タクミ:……何に。

アスミ:傾国の美女。

 間

アスミ:君が私をどう思っていたのかは知らないけどね……。
    私は、君が思っているような、若さや美しさで国を滅ぼせるような、カッコいい女じゃなかったってこと。
    だってさぁ! そりゃあそうじゃない……。
    私がしたことで、誰かが美術をやめなきゃならないなんて、私には――無理だよ。

タクミ:それ……俺の兄貴のこと?

アスミ:うん。そうかもしれないし……そうじゃないかもしれない。
    だって、君も――私にそういうことを求めているような気がするから。

タクミ:俺は……。

 間

タクミ:いや……そうかもしれないな。

アスミ:……当たってた?

 間

タクミ:……俺は、わからないんだ。
    どうして絵を描いているのかも……あんたのいう『純粋な芸術』ってやつもさ。
    でも、あんたの描いた絵を美術部で見た瞬間……思ったんだ。
    これを描いたやつは――本当に絵を描くのが好きなんだって。

アスミ:それで?

タクミ:それから二年して……あんたが現れた。
    駅前でよく見かける女だ。美人で、若くて、男はみんな夢中さ。
    繋がらないんだよ……。
    あの絵を描いた人間と、目の前にいるあんたが同一人物だって。
    実際、教育実習で来てからあんたは一度も筆を握ろうとしない。
    身体からは絵の具の匂いどころか、甘い香水の匂いを漂わせてやがる。
    思ったんだよ――俺が観た絵、『生命ノ律動』を描いた『島木阿澄』は、もう居ないのかもってな。

 間

アスミ:正解……かな。もう、あの頃の私じゃない。

タクミ:あー……だから。
    ……あんたに教われば、描けると思った。
    最後の絵が。

アスミ:……最後?

タクミ:わからないんだよ。何度もいうけどさ……。
    兄貴が辞めたから描いてるのか。それとも俺自身が望んでいるのか。
    だから……あんたから学べると思った。
    あんたは――望んで芸術を遠ざけた人間だと思ってたから。

  <タクミは頭を描いた>

タクミ:でも違ったんだな。
    ……だってあんた、絵、好きなんだもんな。

アスミ:……何よ……それ……。

タクミ:俺は思ってること、素直に口に出せないって兄貴が言ってた。
    多分、自分の感じていることすら自分でわかってないんだって。
    それがわかるならって、とりあえず絵を描いてた。
    絵だって、そんなに好きじゃないんだよ。あんたの言ったとおりな……。
    だから俺……初めて思ったんだ。

    ――あんたの絵を描きたい。誰よりも上手く、美しく描きたいって。


 <タクミは恥ずかしげに笑った>


タクミ:俺は――あんたのこと、好きだよ。

アスミ:……正気……? 出会ってたかだか数週間よ……?
    それに……(笑って)こんなボロッボロのスウェット姿見てるのに?

タクミ:今まで見たあんたの姿で、一番燃えるかもな。

アスミ:変態ね……君。

 <アスミはソファに起き上がる>

アスミ:初めて、教授とセックスしたあと……すごく舞い上がってた。
    ホテルを出た後、すごく幸せだって気がした。
    好きだったから。だから……でもね。
    それからここに……ここに帰って来た時、私。
    すぐに今の気持ちのまま、絵に残そうって思った。
    でも――

 <アスミは笑みを浮かべたまま、自分の手を見つめる>

アスミ:描けないの……。全然。
    それでもいいかって、思ってた。
    でもそれから、教授と過ごすたびに――どんどん……。

 <アスミの眼から涙が溢れてくる>

アスミ:描けないのよ。ダメなの。何かが、無くなっちゃってたの。
    今まで使えてた魔法が、無くなっちゃったみたいに。
    絵の具の色がわからなくなって……!
    あんなに好きだったのに……! あんなに……!
    どこかでわかってた……! それを芸術に昇華できる人もいる……!
    芸術家として優れていれば、歪んだモラリズムや人間性の欠如すらも個性になる……!
    それって何? 意味わかんない! なんで許されるの!? 芸術って何!?
    何が違うの? なんで? どうして? わからない……!
    だって私は――怖いもの……!
    してはいけないことだとわかっていて……それで――
    それで! それで……純粋に、変わらずに絵を描いていることなんて、できない……!
    私は――才能が、ないんだもの……!

タクミ:どうして、泣くんだ。

アスミ:泣いて、ない……!

タクミ:あんたは結局、何が悲しいんだ。

アスミ:わかんないわよ……!

タクミ:……だってあんたは、絵を選んだんじゃないのか。

アスミ:違う……! 私は……何も選んでなんて……選ぶことなんてできない!

タクミ:できる。

アスミ:できない!

タクミ:できる!

 <タクミはアスミを抱きしめる>

タクミ:できるよ……! アスミなら……できる。

アスミ:下の名前で呼ばないで……! クソ生意気よ……!

タクミ:……俺の言葉じゃ、足りないんだな。

アスミ:ええ……足りない。だって、君には……才能があるもの。

 <アスミは悲しげに笑う>

アスミ:私とは違うの。ねえ……森君。
    君は人とは違う価値観を持ってる。そして自分の中に確固たる意思があるの……。
    それはね……本当に、すごいことなんだよ……。
    私とは違うの――君は、優れた芸術家になれる。

タクミ:俺は……そんなものに興味はないんだ。
    俺は――

アスミ:嘘つき。

 <アスミはタクミの唇に指を触れる>

アスミ:君は、好きだよ。絵を描くことが。
    私にはわかる……。だから、だからね……。
    私みたいな人を好きになるのは――ダメなの。
    君はもっともっと……絵に向き合って。ね――

 <アスミはタクミにキスをする>

タクミ:……アスミ……。

アスミ:前に言ったよね……。私からキスをしたら、諦めるって。

タクミ:それは――

アスミ:帰って。もう……ここには来ないで。
    絵を描いて。たくさんたくさん絵を描くの。
    自分が絵を好きなんだって、自分で気づくまで……。

 間

アスミ:帰って。終電があるうちに。

 間

タクミ:……わかった。

 <タクミはアスミに背を向ける>

アスミ:……ありがとう。
    本当はね……君みたいな子、絵を描けないようにしてやろうって思ってた。

タクミ:(笑って)……ほらな。あんたから俺にちょっかいだしてきたって言ったろ?

アスミ:うん。ごめんなさい、悪女で、ごめん。

 <タクミは椅子の上の鞄を肩にかける>

タクミ:……『生命ノ律動』

アスミ:え?

タクミ:灰の鉢植え。くすんだ緑の芽。青い光に反射するグラデーションの赤い葉。
    才能っていうのが何かはわからねえけど……島木阿澄の絵は、一度たりとも俺の頭から離れたことはねえよ。

 <タクミは笑って部屋を出ていく>

アスミ:……馬鹿。なんでそんなこというかな……。


 ◆


 <数日後・アスミは部屋で電話をしている>

アスミ:……うん……あと5日で終わり。
    ……うん、そう。普通に大学に戻るのよ。
    ……そういうものなの。そのまま教師になんて、ありえないでしょ……あくまで実習なんだから。
    あんた、本当に私と同じ大学受かったわけ……? 学部は違うけど、心配になるわ。
    ……本当……色々あった。ありすぎたくらい。
    ……(吹き出して)まあね。ようやく……関係も切れたし……。
    とはいっても……私自身の選択じゃないっていうか……自分だけじゃできなかったけどさ。
    ……え? ああ……うん。彼は……あれから、学校、来てないの。
    ……多分っていうか、間違いなくその時の会話のせいだと思う。
    ……本当、最低な気分。……だけど、彼なら大丈夫だとも、思ったりするの。
    ……ええ。私が出会ってきた中で、一番いい男だから。(笑って)なんてね。
    ……しょうがないのよ。うん……しょうがない……。
    ……だって――

 <アスミはベッドに仰向けに横たわる>

アスミ:だって……相手は高校生だよ?
    してしまったことはどうにもならないけど……彼にはもう、関わらない。
    それにもう……そういうことは、やらないって決めたの。
    ……せっかく、それに気づかせてもらったんだしね。

 <アスミは一瞬、唇を強く結んだあと、笑顔を浮かべる>

アスミ:寂しい? ないない! 全然、ないわよ。


 ◆


 <数日後・高校の全校集会>
 <壇上に上がって挨拶をするアスミ>

アスミ:……みなさんと過ごしたこの時間。
    長いようで本当に短かったです。そして、短いようでとても濃密で、忘れられない時間でした。
    私も数年前はこの学校でみなさんの隣に立っていました。
    その時の私はよくわかっていませんでしたが、今なら少しだけわかることがあります。
    皆さんは今、とても強く強く光っているということ。眩しいくらいです。
    そして卒業した後も、その光は失われることなく光っていくんだと思います。
    だから、その光が消えてしまわないように、一生懸命勉強をして、部活動に取り組んで、
    友達と仲良く、先生方を尊敬して――またいつか、再会できる日を楽しみにしています。
    私も、この学校の先生方のように、立派な先生になって、みなさんのような素晴らしい生徒さんと過ごせるように、頑張りたいと思います。
    未熟な私を受け入れてくれて、本当にありがとうございました……!

 <アスミは礼をする>
 <拍手に包まれてアスミは壇上を後にする>


 ◆


 <アスミは手に花束を持ったまま、廊下で伸びをする>

アスミ:(伸びをして)……あーあ!
    終わった終わったぁ……。
    本当固いのよ……ここの校風……。
    絶対こんなとこで働きたくなーい……。
    (間)
    ……せいせいする。ようやくこんな牢獄から――

 間

アスミ:牢獄……ね。

 間

アスミ:君は……どんな風にこれから過ごすのかしらね。

 <アスミはなんとなく階段を登る>

アスミ:この屋上だけは、悪くはなかった――

 <アスミが屋上の扉に手をかけると、ノブが回る>

アスミ:え……? 鍵、開いてる……? どうして――

 <アスミがドアを開けると、生ぬるい風が吹き込んでくる>
 <髪を押さえて顔を上げると、屋上にタクミが立っている>

アスミ:森、君?

 間

アスミ:どうして……? 君――

タクミ:ああ、来たのか。センセ。
    煙草、吸いに来たのかよ。

アスミ:……学校、どうして来なかったの。

タクミ:……寂しかったか? なら嬉しいね。

アスミ:(ため息)相変わらずね……ああいえばこういう……。

 <アスミは少し嬉しそうに歩みを進める>

アスミ:ええ。寂しいかったわ、少しね。煙草も吸えないし。

タクミ:ああいえばこういう。

アスミ:でも、私は今日で、この牢獄を出れるわけ。

タクミ:そりゃあ羨ましいこって。

アスミ:そうでしょ? 見てよ、これ。
    みんなが花束まで用意してくれたの。

タクミ:ああそうか……本性をしらないやつからすると人気だったりするんだもんな。

アスミ:ええ、そう。人気者なの、私。

 <タクミは振り返って笑う>

タクミ:実習期間の終了……おめでとう。

アスミ:……たまに素直なのよね。そういうところも嫌い。

タクミ:だけど、あんたに花を送るのはクラスの連中、センスねえよ。

アスミ:あら。女は花をもらうのが一番うれしいのよ?
    君、まだまだね。

タクミ:あんた相手じゃ、花が可哀相だ。
    美人だからな、あんた。

アスミ:(笑って)……そう? ありがとう。

 <タクミはアスミに歩み寄る>

タクミ:俺は、絵を描いてた。

アスミ:……そう。どうだった?

タクミ:好きかどうかはわからない。
    自分がどうして描いているのかも、わからない。

アスミ:そうねえ……たかだか一週間とちょっとじゃわからないわよ。
    それに、学校をサボってまで描くのは関心しないわ。
    私が居なくなったあとは……もう、そういうのはやめなさいね。

タクミ:おいおい……もう先生面かよ。
    ……まあでも、正しいよ。
    時間がなかったから、少し無茶したと思ってる。
    家族にも散々怒られたしな。

アスミ:時間がなかったって……なんの?

タクミ:あんたが昔送った賞。

 <タクミは頭を掻く>

タクミ:出版社がやってる学生文芸コンクール。
    締め切り、明日までなんだ。

アスミ:あの賞に応募する絵を描いていたの……?

タクミ:ああ。そうだ。

アスミ:どうして、急に……。
    賞なんて興味なかったようにみえたけど……。

タクミ:アスミに俺の言葉を届けるには、同じ景色を見なきゃいけない。
    それに……賞も取れないようなら、アスミを世界一の美女に描くなんて無理かもしれねえし。

アスミ:私……? ねえ、まだ、私なの……?

タクミ:別に、アスミに俺をどう思って欲しいとかは、ない。
    迷惑だっていうなら、もうつきまとったりしない。
    ……でも、今日はまだ。ギリギリだ。
    アスミは、俺に絵を教えてくれるっていったよな。
    だったら……最後に、俺の絵を見て欲しい。

 <タクミは身体を避ける>
 <タクミの背後には、黒い布がかけられたイーゼルが置かれている>

タクミ:いいかな。

 間

アスミ:うん……。

 間

アスミ:チョット待って……!

 <アスミは深呼吸をする>

タクミ:……なんだよ。別に絵を見るだけだろ。

アスミ:そうだけど……! なんだろう……緊張しちゃって……!

タクミ:……大丈夫。自信作だよ。

 <タクミは不敵に笑う>

タクミ:初めての、自信作だ。だから、少し怖い。

 <アスミはタクミの手が震えているのに気づく>

アスミ:手、震えてるわよ。

タクミ:ああ……俺だって、ちゃんと緊張してるよ。

アスミ:自信作なんでしょ。胸を張りなさい。
    ……タイトルは。

タクミ:タイトルは――あ。


 <風が吹く――と、黒い布が宙に舞う>


アスミ:――え。


 <アスミは目の前の絵を見て――目を見開く>


タクミ:ったく……自分で紹介させろよな。
    あー……えっと、タイトルは――

 間

タクミ:……アスミ?


 <アスミは涙を流して絵を見ている>


タクミ:おい、なんで泣いてるんだよ……!

アスミ:うん……!

タクミ:そんなにひどくはないだろ……?

アスミ:うん……!

 <アスミは口に手を当てる>

アスミ:……綺麗……。

タクミ:……そうか。

アスミ:あのね……! 色が……見えるの……!

 間

アスミ:鮮やかに……見える……!

タクミ:ここで出会ってから……ずっとアスミのことを考えてた。
    ……アスミが描いた『生命ノ律動』は、心だと思ってた。
    繊細で、美しく……枯れかけていく儚さを感じさせるあの絵は、アスミの心だって。

アスミ:ちゃんと……! 感じる……!

タクミ:だから、絵を描かなくなったアスミと繋がらなかったんだ。

アスミ:絵が……ちゃんと見える……!

タクミ:描いたよ。寝ずにずっと、デッサンをして、描いて、描いて。
    それで……絵を描いてたら、繋がったんだ。
    どんな芽も……水や陽の光がなきゃ咲かないんだって。
    俺、変だな……。でも、ちゃんと絵を描いたら、わかったんだよ。
    アスミは――島木阿澄は、ちゃんといるんだ。そこに、最初からさ。

アスミ:……うん。

 <タクミは頬を掻く>

タクミ:それでさ……俺がアスミのこと、どう思ってるかって、わかった。
    ちゃんと言葉に、できるって思う。

アスミ:……うん……!

タクミ:……もう一度、咲いて欲しいんだ。俺は……!
    俺は……アスミにもう一度絵を描いて欲しいんだ!
    だって……島木阿澄は俺に……絵を好きになることを教えてくれたから……!
    アスミの心は! 綺麗だよ!
    俺の目には、この絵みたいにずっと鮮やかに見える……!
    俺はそれをアスミにわかってほしくて、これを描いた――うわ!

 <アスミはタクミに抱きつく>

タクミ:お、おい……どうした? ついに俺に惚れたか――

アスミ:責任。

タクミ:……ん?

アスミ:責任……! とってよね……!
    咲かせた、責任……!

 間

タクミ:(吹き出して)そりゃあいいけど……何をどうしたらいいんだ?

アスミ:一刻も早く高校を卒業して、私にふさわしい男になりなさい!

タクミ:だからそりゃいったい――

アスミ:女とも別れろ。他の女とも触れるな。

タクミ:いや……彼女は別れたけど――

アスミ:君はクズなんだから、蜂蜜全身に塗ったくって森に突っ立ってるようなもんなのよ。

タクミ:は? んだよ、蜂蜜って。

アスミ:クズはモテんのよ馬鹿。
    ……あ〜〜。

 <アスミはその場に座り込む>

タクミ:忙しいやつだな……今度はなんだよ。

アスミ:ううん……本当、沼って一度落ちたら抜けられないんだなって……。

タクミ:安心しろよ。俺の沼は住みやすいぞ。

アスミ:うるさいわね! 本当……!
    アスミのバカ……! バカ! 大馬鹿……!

 <タクミはニヤついてアスミの頭を撫でる>

タクミ:つまり……アスミは俺が好きだってことでいいのか?

アスミ:は? キープよ、キープ。

タクミ:(ため息)……あのさぁ……あんた本当、どういうスタンスでいたいわけ?

アスミ:うるさいわね……! いいのよ、今はそれで。
    第一……君はまだ高校生だしね。

タクミ:ふうん……別に、二年もしないうちに卒業だけどな。

アスミ:その一年と半年が大事なの!
    私はもう……絵を捨てたくないのよ。
    だから、流されない。ちゃんとした大人に――ちゃんとした私になってみせるの。

タクミ:……そうか。

アスミ:だから……君も黙って私いうことを聞きなさい。
    ちゃんと高校でて、大学行きなさい。
    私もその頃には……君に描かれても恥ずかしくないような女になっているから。ね?

タクミ:あんたは十分綺麗だが……まあ、そうだな。
    (微笑んで)……いいよ。俺は、今いる場所でできることをやってみる。

アスミ:(微笑んで)ええ……そうしなさい。

タクミ:あ……諸々我慢するからさぁ……。交換条件、いいか。

アスミ:何よ……面倒くさいわね……。

 <タクミは少年らしい屈託のない笑みを浮かべる>

タクミ:アスミが次に描く絵……俺に見せてくれよ。

 間

アスミ:(ため息)……描くことは、決定なのね。

タクミ:ああ。俺は、描いてほしいんだよ。アスミに。

アスミ:……わかったわよ。
    自信、失ってもしらないからね?

タクミ:(笑顔で)へえ……ブランク、あんだろ?
    凹むのはあんただ。

アスミ:まったく……。

 <アスミは立ち上がると絵に近づいて微笑む>

アスミ:……そうだ。忘れてた。

タクミ:何を?

アスミ:この絵のタイトル……教えて。

タクミ:……ああ、これは――


 <その絵には鮮やかに草木を濡らす、じょうろが描かれていた>









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