ラバーズケースA
愛推理
作者:ススキドミノ


スミ:松乃 澄(まつの すみ)三十二歳。小説家。ペンネームは菊間周星(きくましゅうせい)
コースケ:森 公介(もり こうすけ)二十八歳。出版社勤務。澄の担当編集。





※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−










 <一年前・松乃の家の前に立っているスミとコースケ>

スミ:……え?

コースケ:ごめんなさい、こんなこと、急に言って……!
     困らせるってわかってますけど――でも……!

 間

コースケ:俺……好きなんです! 松乃さんのことが……。

 <松乃は視線を伏せる>

スミ:ごめんなさい。


 ◇


 <それから一年が経つ>
 <松乃家・書斎にて、真っ暗な中、パソコンに向かって呟くスミ>

スミ:(呟く)……薄暗がり。大口を開けたリビングの奥。
   村上の呟きは静寂に舐め取られる。視界が揺れ、喉の奥がチリチリとした痛みを訴えている。
   何かがちらついた。汗だ――気づけば背中はひんやりと濡れている。
   村上は震える足取りで、リビングの奥へと歩みを進めた。
   そこにあるものがなんなのかは、空気が教えてくれている。
   嗅いだことのない、例えようもない匂い。
   鼻が壊れそうで、身体に悪そうで、それでも呼吸をやめることはできなかった。
   村上は、それが死臭であることを頭のどこかで理解していたのだ――

コースケ:先生……。

スミ:ひっ!

 <スミは原稿を放り投げる>
 <コースケは部屋の電気を点ける>

コースケ:……また電気を消して……目が悪くなりますよ。

スミ:ご、ごめん……でも――

コースケ:それに、原稿を朗読する癖も。

スミ:それは……その……。

コースケ:途中で読み返してしまうと、筆が止まってしまうって言ってましたけど。

スミ:こ、今回は……! ちゃんと書き上がったんだよ……?

コースケ:え!? 本当ですか?

スミ:う、うん……。一応、最後まで……。

コースケ:もうできたんですね……! 本当に筆が乗ると早いですね。

スミ:コースケ君……今回は、その……来るの、早いね。

コースケ:え?

スミ:だってほら……3日後に来るって言ってたのに……。

コースケ:……ちゃんと3日後ですよ?

スミ:え?

コースケ:ですから、あれからもう3日経ってます。

スミ:嘘……(携帯を見て)本当だ……。

コースケ:集中、してたんですね。
     いや……カーテン締め切りっぱなしで、外が見えないってのもあるでしょうけど。

スミ:それは……ごめんなさい……。

コースケ:(微笑んで)……ご飯、買ってきましたから。
     食べましょう。

スミ:え? でも……原稿は?

コースケ:食事の後にしませんか。お疲れでしょう。

スミ:うん……お腹、空いた。

コースケ:……窓を開けて空気入れ替えるので、リビングで待っていてください。

スミ:……わかった。


 ◆


 <夕食後・リビングでコースケは数時間原稿を読んでいる>
 <スミはクッションを抱えたまま、その姿をじっと見ている>

コースケ:……先生。

スミ:……な、何……?

コースケ:第一稿、一度預からせていただきます。

スミ:は、はい……。

コースケ:いつもどおり数名で確認した後、改めてご相談をさせていただければ。

スミ:はい……お願い、します。

コースケ:(微笑んで)お疲れさまです。菊間先生。

スミ:……ありがとうございます。

コースケ:そうだ。今日仕上がってるとは思わなくて……激励のつもりだったんですけど。
     バナナクレープ、買ってきましたよ。

スミ:え? クレープ……!? いつもの……?

コースケ:はい。いつものです。食べますか?

スミ:うん……! 食べる……。

 <スミは手渡されたクレープを早速口に運ぶ>

スミ:(食べる)……んー! 美味しい……!

コースケ:良かった。もう一つあるので、早めに食べてくださいね。
     冷蔵庫に入れておきます。

スミ:あの……! コースケ君の分じゃ――

コースケ:いいんですよ。僕は甘いの、先生ほど好きじゃないので。

スミ:でも……。

コースケ:では、今度脱稿祝いにご飯でも行きましょう。
     領収書で落ちると思うので、好きなものを。

スミ:うん……わかった……。

コースケ:では、僕は帰りますね。

 <コースケは原稿を鞄に仕舞う>

スミ:……え? もう帰るの……?

コースケ:はい。原稿を社に持って帰らないと……。
     それと、寄るところもあるので。

 <スミはクッションの端を握りしめる>

スミ:それって……。

コースケ:はい?

スミ:あ、いや……それってその……。この間言ってた……?

コースケ:ああ、ええ。花藤葉(はなふじよう)先生のところに。

スミ:た、大変だね。その……二人も、担当って……。

コースケ:ええ、まあ。花藤先生は、菊間先生と違って筆が早いほうではないので、こまめに様子を見に行かないと。
     あ……この話、内緒ですよ? 怒られてしまうので。

スミ:……う、うん。

コースケ:それでは。お疲れさまです。菊間先生。
     あ。ゴミ、溜まってるみたいですね。出して帰ります。

スミ:あ。下まで、送ります。

コースケ:いいですよ! 先生、お疲れなんですから。
     今日はしっかり休んでください。
     それでは。

 <コースケはゴミ袋を掴むと部屋を出ていく>

スミ:あ……おつかれ、さま……です……。

 <スミはソファに背を預け、携帯電話を操作する>

スミ:(ため息)……そうか……。花藤先生の、とこに……。
   花藤先生……賞も取ってるし……映画にもなってる……恋愛小説家……。

 間

スミ:(ため息)……恋愛……小説……。


 ◆


 <数週間後・スミとコースケは個室の焼肉屋に来ている>

コースケ:美味しいー! この肉……! 本当に美味しいですね! 先生!

スミ:そ、そうだね……。

コースケ:あ、そうだ。先生って、一気に焼きます?

スミ:え?

コースケ:いえ。ほら、焼肉ってこう、作法があるって人もいるじゃないですか。
     一気に焼きたいとか、一枚ずつ育てるとか。

スミ:あ……いや、私は……その……。
   あまり、来たこと、ないから……。

コースケ:……じゃあ、自分で焼いてみます?

スミ:え?

コースケ:僕、勝手に焼いちゃってますけど、自分で焼くのも楽しいかもしれないので。

スミ:(微笑んで)……うん。焼いてみる。

 <スミは恐る恐る肉を焼き始める>

コースケ:……先生。

スミ:ん……なあに?

コースケ:いえ……その、ですね。
     ……そうだ! 出版枠が空きましたよ!

スミ:え?

コースケ:『抗生(こうせい)』の出版、来月すぐになりました。

スミ:そっか、早いね。

コースケ:はい! 菊間先生の人気も上がってきてますから、当然ですよ。

スミ:人気? なのかな……。

コースケ:それはもう! 雑誌の方のアンケートでも上位に入ってきてますから。
     問題なしです。

スミ:そう。

コースケ:ただ――

スミ:ただ?

 <網の上の肉がジュウと音を立てる>

コースケ:あ! 先生、焦げちゃいます!

スミ:あ! うん……!

 <スミは肉を上げる>

コースケ:すみません、口出してしまって……!

スミ:ううん。ありがとう……。
   ……まだ、生きてる。

コースケ:(微笑んで)生きてる、って……焦げてるようなら避けてくださいね。

スミ:うん。

 間

スミ:それで……。

コースケ:え?

スミ:抗生。本当はどう、思った?
   何か、言いたいんじゃないかなって。

コースケ:……いえ、言いたいというわけじゃ――

スミ:言って。それが貴方の仕事だと思う。

コースケ:そ、そうですよね……。
     ではあの……『人間』を掘り下げているのは、意図してのことですか?

スミ:人間?

コースケ:重厚で洗練された描写と奇抜なトリック。
     テンポがよく、かつ濃厚なミステリー。
     菊間周星の作品を、人はこう評します。先生自身も、賞を受賞した後にそう仰られていました。
     ですが『抗生』では、人間の心理の表現がとても目立ちました。
     感情的というのか――

スミ:駄目、でしたか。

コースケ:え?

スミ:やっぱり……! 駄目、でしたか……?
   私も! なんか不安で……! 自分でも、ここってどうなのかなって……!
   描写として、納得できるような、想像できるようなものなのかなって!
   すごく……不安で……!

コースケ:落ち着いてください先生!

スミ:ご、ごめんなさい……! でも……私、だから、言ってほしくて……。
   だって――

コースケ:わかってます。

スミ:え!?

コースケ:わかってるんです。先生が、やろうとしたこと。
     読んだ瞬間から、ちゃんとわかってますよ。

 間

コースケ:……それで、その。
     僕は嬉しかったんですよ。

スミ:嬉しい……?

コースケ:はい。新しいものに挑戦しようとしている先生の文章を読んで……僕はとても嬉しく思っています。
     菊間先生の昔からのファンの方は困惑される方もいるかも知れません。
     ですが『抗生』での挑戦は、作家菊間周星としての成長を感じさせるには十分なものでした。
     これは、嘘偽りない僕の本心です。

 間

スミ:うん……そう言ってくれるのは……嬉しいけど。

コースケ:……どうして、ですか?

スミ:どうして……?

コースケ:もちろん嬉しいのは本当ですし、なのですが……理由を知りたかったんです。
     何か、きっかけでも?

スミ:きっかけ……。

 間

スミ:(微笑んで)……少しだけ。

コースケ:少し、ですか。

スミ:……うん。
   ほら、コースケくんも、食べよう。

コースケ:……はい。
     よおし! 今日は出版記念も含めて、たらふく食べましょう。


 ◆


 <数日後・スミの部屋のリビング・携帯電話を見つめるスミ>
 <コースケは洗い物をしている>

スミ:……人を想う。

コースケ:え?

 間

コースケ:先生? 何か言いました?

スミ:……あの。コースケ君。

コースケ:はい。

スミ:少し、お話してもいいですか。

コースケ:ええ。なんでしょう。

 <コースケはハンカチで手を拭きながらスミの元へ歩いていく>

スミ:コースケ君は、恋愛をしたことはありますか?

コースケ:え!? 何の話ですか、急に。

スミ:いえ、その……今まで彼女とか。

コースケ:あー、いや……まあ。今はそういう人はいないですけど。
     昔は、それは。

スミ:初めての恋って、どういう感じだった?

コースケ:どういう……と言われても……。

スミ:きっかけ、とか。

コースケ:そ、そうですねえ……。
     最初は中学生の頃でした。僕は陸上部だったんですけど、その人は、陸上部の先輩で。
     先輩は高跳びの選手で、部の中でも一番の実力者でした。
     とても綺麗な人で、いつも周囲を盛り上げている人で。
     僕だけじゃなくてみんなからも好かれていて……その、憧れ、みたいな感じでしたね。

スミ:その憧れが、恋愛?

コースケ:いえ、そうかと言われたらそうでもなかったかも知れないです。
     でも……そうだなぁ。今思い返すと……。うーん……。
     ……あー、思い出しました。先輩が三年生の時、最後の県大会でしたね。
     その時、先輩はすごく調子を落としていて。練習でも記録が出なくて。
     誰がどうみたって文句を言えないくらい練習してたんですよ。
     でも……スポーツって、そういうこともあるものなんでしょうけど……。

スミ:うん……。

コースケ:駄目だったんですよ。最後の大会。やっぱり、記録出なくて。
     先輩はこう……僕らの心配をはねのけるみたいに、なんでもない風で、逆に周囲を盛り上げていて。
     ……でも、大会が終わった後、校舎裏で……。

 間

スミ:校舎裏で?

コースケ:え? ああ、すみません。そうですね……。
     泣いてたんですよ、先輩。一緒に居た男の先輩に抱きつきながら。
     もともと、噂はあったんですけどね。その二人。
     でも、その時……なんでしょう。先輩が弱さを見せるのは、その人になんだなって。
     そう思ったら、なんかこう……。多分、その瞬間に、僕は先輩のこと、好きだったのかもって。

 間

コースケ:初恋っていうと、そんな感じですね。
     もちろん実ったりとかしてないんですけど……いい思い出ではあるかもしれません。

スミ:もし……もっと早く気づいていたらって……思ったり、した?

コースケ:え? あ、えっと……どうなんでしょう。嫉妬したかってことですよね。
     自分では釣り合わないって思っていたのは、ありますね。

 <スミは立ち上がる・口調も興奮して早くなっていく>

スミ:じゃあ、コースケ君は、自覚していなかった感情に蓋をしていたのか。
   それとも、その瞬間に初めてその先輩に恋をしたのか。
   知りたい。

コースケ:む、難しいですね。……でも、たしかに先輩のことは憧れで見ていたかも知れないですけど……。
     あれ……どうなんでしょう。明確に何かが起こってって気もするし……積み上げてきた気持ちみたいなものも――

 <スミは机の上にあったチラシを裏返すとメモを始める>

スミ:どっちかでは、ないんだ。

コースケ:はい。曖昧で、すみません。

スミ:曖昧だってことがわかれば、いい。
   コースケ君はその後、先輩とはどうしてたの?

コースケ:その後は、先輩は部活を引退して、学校ではすれ違う程度で。

スミ:寂しかった? 悲しいとか。話しかけたいとか。

コースケ:……いえ、そういうのは、なかったですね。
     先輩は僕とは、住む世界が違うって――

スミ:住む世界って、何?

コースケ:あ、いや……だから。
     僕は、本当に目立たないただの男子で、先輩は――僕のことなんて眼中にはないのはわかりきっていたので。

スミ:恋って、そんなもの?

コースケ:……え?

 <スミは立ち上がってコースケに近づく>

スミ:住む世界が違ったら、流れていってしまうのが、恋?

コースケ:ちょ、先生!?

 <コースケは壁際に追い込まれる・スミは尚もコースケににじり寄る>

スミ:教えて、コースケ君。そういう、もの?

コースケ:……あ、いや……だから……。

 間

スミ:ご、ごめんなさい。私……!

コースケ:い、いえ……!

スミ:また……こう。

コースケ:先生は……小説のことになるとスイッチが入るのは知ってますから。
     気にしなくてもいいんですよ。

 <スミはソファに仰向けに倒れ込む>

コースケ:(微笑んで)先生は、どうだったんですか?

スミ:え?

コースケ:初恋。僕にだけ言わせるってのはなしですよ。

スミ:私は――わからない。

コースケ:わからない……ですか。

スミ:ごめん……。

コースケ:どうして謝るんですか。

 <コースケの携帯電話が鳴る>

コースケ:あー……すみません。電話、出ますね。
     (電話口に)はい。どうされました? ……ええ。はい、わかりました。
     は? なんでですか……! わかりましたよ……買っていきます。ええ。
     でしたら……ええ……はい。
     (電話を切って)……先生、すみません。続きはまた今度、ゆっくり。

スミ:……また?

コースケ:え? ああ、はい。花藤先生です。
     締め切り前になると集中が切れてナーバスになってしまうみたいで……。
     すみません、話の途中に……!

スミ:うん。わかってるよ、行って。

コースケ:……はい。すみません。

 <コースケは荷物をまとめて玄関へ向かう>
 <スミはコースケの後ろをゆっくり着いていく>

コースケ:それじゃあ、また連絡を。

スミ:……うん。

 <コースケは玄関のドアに右手をかける>
 <スミは無意識に、コースケの左手の袖を掴む>

コースケ:あの……先生……?

スミ:……何?

コースケ:えっと……袖を掴まれたままだと、出れないんですけど……。

 間

スミ:あ! ごめん!

コースケ:(苦笑して)いえ。

スミ:……あの、あのね。

コースケ:はい。どうしました?

スミ:今度、でかけて欲しいの。

コースケ:出かける……っていうのは、その――

スミ:取材! みたいな、もの。

コースケ:取材……。

スミ:あのね。私、もっと知りたい、というか……知らなくちゃ、いけないと思って。
   だから、分析して、研究したい。それを……だからね……。

 <スミは視線を伏せる>

スミ:だから……私と、デートしてください。

 <コースケは顔を上げる。真剣な顔つきでスミを見つめる>

コースケ:……デート、でいいんですね。

スミ:え?

コースケ:じゃあ俺も……そういうつもりでいますけど、いいんですね。

スミ:あ、え……うん。

コースケ:(微笑んで)それじゃあ、また日にちは連絡――
     って……スケジュールは共有してましたね。
     それについては、俺の方からお誘いします。
     それでは。おやすみなさい。

 <コースケは部屋を出ていく>
 <スミはしばらく閉じた扉を見つめている>

スミ:ふあ……。

 <その後、スミはその場に座り込んで顔を覆う>

スミ:……息が……出来ない……。

 間

スミ:……これ、何? どう書けば、いいの。


 ◆


 <デート当日・駅前>
 <駅前のロータリーの前に松乃が立っている>
 <コースケが、小走りでやってくる>

コースケ:松乃さん!

スミ:あ、コースケ君。

コースケ:あの! す、すみません……!
     っていうか……まだ待ち合わせの三十分前、ですよね……?
     何時からいらっしゃったんですか……?

スミ:え? えっと……何時だろう。

コースケ:もう……! 暑くなかったですか?

スミ:うん……帽子、あったから。

コースケ:それでも、今日は日差しも強いですし……。
     少し、そこの喫茶店で飲み物でも飲んで休みませんか?     

スミ:う、うん。わかった。

 <二人は喫茶店へ歩みを進める>
 <コースケは前を歩きながら言う>

コースケ:……忘れてた。

スミ:何?

コースケ:その……今日のお洋服、とても良くお似合いです……。

 間

スミ:(微笑んで)……ありがとう。


 ◆


 <二人は大きな公園を歩いている>

スミ:久しぶりかも。

コースケ:公園をゆっくり、ですか?

スミ:というより、陽の光の下を歩くのもっていうか……。
   ほら、私って……暗いでしょ……?

コースケ:暗いのは書斎です。
     別に、松乃さん自体が暗いだなんて思わないですよ、俺は。

スミ:……前から気になってたんだけど。

コースケ:はい。

スミ:今日は……先生って、呼ばないんだね。

コースケ:はい。

スミ:あと、自分のこと、俺って呼ぶのも、なんだか新鮮……。

コースケ:はい。そうですね。
     ……だって、デートの時まで仕事のこと考えるのも、変じゃないですか。

スミ:……デート。そういうもの……?

コースケ:嫌ですか? だったら、やめますけど。

スミ:ううん……! 言い出したのは私だから。

 間

コースケ:この後はどうしましょうか。

スミ:私は、どこでも――

コースケ:わかってます。俺もそうですけど……でも、せっかくなら何かしましょう。
     松乃さんが知りたいものが何かはわからないですけど、それが何にしても、いつものままなら駄目だってことです。

スミ:確かに……そうかも知れない。恋愛とか、わからないけど、普通はどうするのか、考えたこともなかった。

コースケ:今俺たちが、ミステリー小説の登場人物だったら、どうです?

スミ:え? そうだな……ミステリーには必ず、謎があるから。
   謎には明確な答えが存在していて、読者は探偵と共にその事件の謎を推理して、答えを探す。
   私は……すべてをわかっていて、それを書いていく。
   ルールに則って、動機を、証拠を、根拠を……だから、多くのことはパズルのように頭の中にある。
   でも、人間のことは、よくわからないから。わからないことは、書いてこなかった。

コースケ:普通というのが何かはわかりませんけど、でも……目の前にあるものを選択していくことで、生まれるものもあるんだと思います。

スミ:目の前にあるもの?

コースケ:例えばですけど! この公園の中にはいくつかの美術館や博物館、後は動物園があります。
     このどれかに行くとして、どうします?

スミ:ど、どうするって……どこでも――

コースケ:これが、殺人事件なら……行くべき場所が決まっている。ですよね?
     犯行の証拠をつかめる場所が、美術館か博物館、動物園のどこかにあるなら、
     探偵はきっとその場所へと向かう。

スミ:う、うん。そうだと思う。

コースケ:でも、僕たちはこの事件について、目星がついていないんです。
     だとしたら……どこから行くのが正解ですか?

スミ:……うーん……もう一度推理し直すか……。
   しらみつぶしに、探す……。

コースケ:じゃあ、しらみつぶしに行きましょう。

スミ:え?

コースケ:時間はあるんですから、順番に回りましょう。
     そうですね、近いところで美術館から回りましょうか。

スミ:……うん。わかった。そうしよう。


 ◆


 <動物園を出て、公園を歩く二人>

コースケ:これで一通り、回りましたね。

スミ:うん……! すごい楽しかった……。

コースケ:人、多かったですけど、疲れました?

スミ:ううん。そんなには……。
   でも、博物館のファラオは、人多くてちゃんと見れなかったね。

コースケ:まあみんな写真撮ってましたし。
     でも、少しは見れたので、よしとしましょう。
     それに、見たくなったらまたくればいいんですから。

スミ:今の特別展示、来月までだって書いてあったよ。

コースケ:え? 本当ですか!? じゃあ、もうちょっとちゃんと見ておけば良かったな……!

スミ:(微笑んで)少しは見れたから、いいよ。

コースケ:そ、そうですね。そうでした。

スミ:……コースケ君って、美術をやっていたの?

コースケ:え?

スミ:ほら、美術館でもそうだったけど……詳しかったし。
   解説とかしてくれたから。

コースケ:ええと……そうですね。俺、実は芸術大学志望だったんですよ。

スミ:そうなんだ……初耳。

コースケ:結局、普通に文系の大学を受験したんですけどね。

スミ:すごいね、でも。私、絵なんて全然だし。

コースケ:松乃さんは、芸術に関してはプロじゃないですか。

スミ:芸術だなんて……。私、まだまだだよ。

コースケ:向上心があるのは、良いことです――あ、担当としての意見なので、今のはなしで。

スミ:(笑う)ふふふ……。
   そうだ……! 動物園の、あの鳥すごかったね……! 羽、広げて!

コースケ:あの鳥、全然動かないって説明書きに書いて有りましたから、周りの人も驚いてましたね。

スミ:動物園って、本当に久しぶりだった……。

コースケ:俺もです。学生以来じゃないかなぁ。

スミ:それって、美術をやっていたころのこと?

コースケ:え?

スミ:動物の身体とか……デッサンとかするのかなって。

コースケ:あ、そう……そうですね。

 間

コースケ:えっと……少し、座りますか。そこの噴水の前にでも。

スミ:うん。

 間

コースケ:……俺はね、松乃さん。
     陸上も、美術も、他にもたくさんのことを辞めてきたんです。

スミ:え?

コースケ:俺は、不思議なんですよ。どうして松乃さんはそんなに……仕事にするくらいに、好きなのかなって。

スミ:好き……?

コースケ:小説を書くこと、ですか。
     ほら、今日のこともそうですけど……作家として成功して、でも前に進むのをやめないじゃないですか。
     他の作家先生方もそうです。生き方にまで影響を与えるほど好きなものって、見つかるものなんですね。
     俺は、あんなに好きだった美術も、辞めてしまったから。本当に……なんていうか――

スミ:あのね、コースケ君。

コースケ:はい?

スミ:生き方なんて、誰も決めてはいないんだと思う。

コースケ:え……。

スミ:だって、ご飯を食べて、寝て。それだけで生きていけてしまう。
   何もしなくても、何かをしても、時間は過ぎていく。
   でもね……きっとみんな、何かをせずには居られないんだよ。
   何かを好きにならずには居られないと、思うの。

 間

スミ:私は、小さい頃から本ばかり読んでいたし……自分も書くようになってからは、ずっとそれだけは続いていて。
   でもね、それだけじゃないよ。辞めたことだってあるし、別のことがしたくなるときもあるんだ。
   実際今、少し……迷ってる。私が書きたいものがわからなくなって、そのためにはもっともっと――って。

コースケ:松乃、さん。

スミ:生き方なんて選んでない。好きなものだって、永遠じゃない。
   だから迷ってるの。だから……わからない。
   人間の感情って、トリックがないから。わからないと思う。

コースケ:そう、ですね……。

 間

コースケ:ごめんなさい……俺の話ばっかり聞いてもらっちゃって。

スミ:そんなこと、ない。だって、今日はその……デート、なんだよ。
   デートは、別にどっちが喋ったって、いいと思う……。

コースケ:そう、ですね。

 間

 <コースケは空気を振り払うかのように明るく振る舞う>

コースケ:どうですか、少しは取材になりましたか?

スミ:え? ああ、そう……そうだね。

コースケ:頼みますよぉ! ここでまた作家としての実力を――

スミ:ねえ。

コースケ:はい?

 間

スミ:……コースケ君は、諦めてしまうひとなんだよね。

コースケ:は? え、っと、何を、ですか?

スミ:昔好きだった先輩のことも、諦めてしまった。
   でも、そういうものなのかもしれない。

コースケ:あの……松乃さん、それは中学の頃の話で――

スミ:今日も、楽しかった。いつも、楽しい。コースケ君は、楽しいし、優しい。
   でも、そういうものなんだって……。証拠が、そう言ってる……!

コースケ:証拠……?

スミ:恋愛って。

 <スミは立ち上がる>

スミ:恋愛って……そういうものなんだよね? コースケ君。
   わからないの……! 自分のしたいこと、してほしいことはわかってもね……!
   相手がどうしたいとか、どうしたらいいとか! わかんない!

コースケ:……そんなの、俺にもわかんないですよ……。

スミ:じゃあなんで?

 間

スミ:じゃあなんで……私なんかに付き合ってくれるの……?

コースケ:なんか、だなんて……やめてください。

スミ:だって私……一年前……コースケ君の告白、断った……!

 間

スミ:断ったじゃない……ごめんなさいって……!

コースケ:……そうですよ。

スミ:だったら! 駄目だよ! そんな女とデート、なんて……!

コースケ:どうしてですか……。
     何がいけないっていうんですか……!

スミ:駄目なんだよ! だって! コースケ君、傷ついたよ!
   絶対、ぜったい傷ついた……! なのに、私にはわかんないんだよ!
   私みたいなバカが今になってそれを知りたいって言ったって……付き合ったら、ダメだよ……!

コースケ:ッ! 意味わかんねえ!

 間

コースケ:誘ったの……! 松乃さんじゃないですか!

スミ:でも! でも、それは――

コースケ:気がないなら、ないでもいいって! そういうつもりじゃなくてもいいって!
     担当として、側にいるだけの男として付き合おうって……!
     そう思ってたのに! なんでそんなこと言われなくちゃなんないんですか!

 間

コースケ:いい加減にしてくださいよ……! ようやく忘れられそうだってのに――

スミ:ほら!

コースケ:何が!

スミ:忘れられるんだ……! そうなんだよ!

コースケ:何が言いたいんだよ……あなたは……!

スミ:推理は、そこにある証拠でしか出来ないんだ……!
   でも、人の心には、証拠がない……! 動機がない!
   私には、見つけられない……! だって、消えてしまうから……!

コースケ:推理ってなんなんですか……! わかんねえんですって! そういうの!

スミ:だって――ん――

 <コースケはスミを抱き寄せると強引にキスをする>

スミ:……あ……。

 <唇が離れると、スミは涙を流しながら口を抑える>

コースケ:あ……俺……、すみません、松乃さ――

 <スミはコースケの頬を叩く>

スミ:……考えてよ……!

コースケ:……え?

スミ:……読んで……! 私を……貴方を!

 <スミは走り去って行く>

コースケ:おい! 松乃さん!

 間

コースケ:読むって……なんだよ……!


 ◆


 <コースケは部屋の中で一人で酒を飲んでいる>

コースケ:……だせえ……。ダサすぎる!
     何怒鳴ってんだ……それにあんなこと……俺……。

 間

コースケ:泣かせて……一人で帰らせて……。
     最低だな……本当……。何してんだ……。

 間

コースケ:期待……してたのかな。

 間

コースケ:……諦めたんじゃ、なかったのかよ。
     だせえ……。

 <コースケは机に突っ伏す>

コースケ:読むって……何をだよ。
     本当……そういう抽象的なこと言われたって、俺みたいな凡人にはわかんねえって……。

 間

コースケ:……読む……。

 間

コースケ:『抗生』……菊間周星……。
     感情的……確か……。

 <コースケは飛び起きると、原稿のコピーを引っ張り出す>

コースケ:違和感……第二の殺人……。
     恋人を殺人で失った女との邂逅……。
     「愛だなんて、一時の気の迷いに過ぎない」そういった藤崎探偵の言葉に、女は返す――
     「証明出来ないものばかりを追いかけていても、足が縺れてしまう。だから彼は死んでしまった」



スミ:(声だけ)……人を想う。


コースケ:……これだ……。これ……! すごく……らしくないと思ったんだ……!
     菊間周星らしくない! でも、これが――この言葉が、後の推理に――!


スミ:(声だけ)コースケ君。初めての恋って、どういう感じだった?


コースケ:推理……証拠……彼女は、何を――


スミ:(声だけ)住む世界が違ったら、流れていってしまうのが、恋?


コースケ:どうして、俺は……彼女に――


スミ:(声だけ)私には、見つけられない……! だって、消えてしまうから……!


コースケ:愛の――証明……?

 <コースケは原稿を机の上に広げる>

コースケ:彼女が藤崎に求めたのは愛の証明……! 藤崎は彼女を説得するために愛の言葉を囁くが……。
     藤崎の言葉はひどく薄っぺらい。女は藤崎の不器用な生き様に心を惹かれてはいるが、心の奥底では信じられない。
   
  
スミ:(声だけ)私には――わからない。


コースケ:彼女はそうだ。愛を信じられなかった彼女は――……自ら、命を――
     嘘だろ!?

 <コースケはかばんを掴むと、部屋を飛び出す>


 ◆

 
 <松乃の部屋が勢いよく開く>

コースケ:(息を切らして)松乃さん!

 <コースケは息を切らしながら、真っ暗な玄関を土足であがる>

コースケ:松乃さん! 居るんですか!

 <震える手でリビングのドアを開ける>

コースケ:……松乃、さん……!

 <リビングも暗いまま、コースケは書斎に目をやる>

コースケ:嘘だろ……! 松乃さん……!
     そんなわけ――

 <コースケは書斎を勢いよく開く>

コースケ:松乃、さん。

 <スミは、机に突っ伏している>

コースケ:(駆け寄って)松乃さん! 澄さん!
     嘘でしょ……! そんなわけないでしょ――

スミ:……え?

 間

スミ:コースケ、くん? どうして――

 <コースケはスミを抱きしめる>

スミ:ひゃっ!? な、何!? どうしたの!?

コースケ:……ふざけんなよ……マジで……!

スミ:こ、コースケ君!? 何!? どうして――

コースケ:マジで心配したんだぞ……!

スミ:……どうしたの……?

コースケ:わかんないんだよ……! 俺だって!
     俺だってわかんないんだ……! 人をどうして好きになるのかとか!
     愛の証明とか! そんなのわかんないんだよ!

スミ:……うん。

コースケ:でもさぁ……! 普通そうだろ!?
     告白して断られたらさぁ! そりゃあ諦めたほうがいいだろうって!
     そうなるって! だって……! 迷惑かけたくねえもん!

スミ:私……わからないの……。

コースケ:読んだよ……! 読んで、推理してみたよ!
     あなたが書いた言葉を、証拠を、探してみたよ!
     でもどうしてだよ……! どうして、彼女は愛を知らないままで死んじまうんだよ……!
     俺は――あなたにどう伝えたらいいんだよ……!

 <スミは涙を流しながらコースケを抱き返す>

スミ:じゃあ、告白なんて……しないでよ……!

コースケ:俺が悪かったですって……! でも、しょうがないじゃないですか……!

スミ:仕事の取引相手なんだよ……? 私……!
   それなのに……! 告白してきて……! 断ったのに! 甲斐甲斐しくお世話してくれて……!
   駄目だよ……! 駄目編集だよ!

コースケ:わかんないですよ……! 今もわかんないです……!
     でも! 諦めるとか……住む世界がどうとかって……!
     頭ではわかっててもさ……! でも、嬉しいんだよ……あなたの側に居られて……。

スミ:どうして……!

コースケ:好きなんだよ……! 松乃澄が……!
     人見知りで、口下手で、だらしないところが好きだ……!
     集中したときときの目が好きだ! 甘いものを食べたときの顔が好きだ!
     その一挙手一投足が! 好きなんだ……! 俺は……!

スミ:……どうして……そうなっちゃうのかなぁ……!

コースケ:わかんないんだよ……! そんなの……!
     でも、諦めるとか……忘れるとか……出来なかった。

スミ:でも、私は――わかんないんだよ……? そういうの……!

コースケ:嘘だ……! そんなの嘘に決まってる……。
     あなたのことは、誰よりも知ってる……。
     あなただって、俺のことを――好きな、はずなんだ。

スミ:証拠もないのに……! そんな推理、意味ないよ……。

コースケ:証拠ならあります……。だって、あなたは……俺の胸で泣いているじゃないですか……。
     あの時は――見ているだけだった。
     泣いていた先輩を、見ているだけだったあの時、俺は――きっと恋に憧れていただけの子供だった!
     でも今ならわかるんです……!
     これが、この気持ちが……! 人を愛するってことなんだって……。

スミ:……恋愛小説、みたいなセリフだ……。

 <スミはコースケの頬に手を触れる>

スミ:ねえ……コースケ君。

コースケ:はい。

スミ:私は……本当に本を書くしか能が無い女だよ。

コースケ:はい、知ってます。

スミ:自分の気持ちだってわからない女だよ。
   君のことを、また傷つけてしまうかもしれない。

コースケ:はい、百も承知ですよ。

スミ:でもね……あなたが居ないとダメな女なんだよ。
   あなたが帰る時、胸が痛くなるような女なんだよ。
   一人の部屋が好きだったのに! 泣きたくなって! 寝れなくて!
   でも何も上手く求められなくて……! ダメ女なんだよ!
   それでも……! そんな私でいても、いいの……?

コースケ:そんなあなたで、居てください……。
     俺が側に、居てあげますから……!

スミ:コースケ君……教えて……。

コースケ:……何をですか?

スミ:証明。愛の、証明。

 <スミは微笑んでコースケに顔を寄せる>

スミ:私はきっと――好きなの、あなたが――

 <コースケはスミの唇に唇を重ねる>



 ◆


 <数カ月後・スミは暗い書斎の隅で、原稿を読んでいる>

スミ:(呟く)……「崩れましたね、アリバイが」
   金井は指先で本を倒した。
   「それで、何が言いたいのかな。君もそれだけではどうしようもないことはわかっているだろう」
   篠原は、倒れた本を手に取ると、本棚に差し込んだ。
   「いい加減にわかってもらえないか、金井君。これが、ただの殺人事件などではないことに」
   「殺人事件にそれ以上も以下もありませんよ、ドクター篠原」
   「君は根本的に理解をしていない。人間の感情ほど複雑で、証明が出来ないものはないんだ。だから君は重要な証拠を見逃す」
   「そんな世迷い言で僕を説き伏せようとは……残念です。貴方は優秀な研究者であると信じていましたから」
   「だが、それもいい。君が自分の愚かさに気づかないのなら――

コースケ:スミさん……。

スミ:ひっ!

 <スミは原稿を放り投げる>
 <コースケは部屋の電気を点ける>

コースケ:……また電気を消して……目が悪くなるよ。

スミ:こ、コースケくん……。仕事は?

コースケ:途中ですよ。この後、花藤先生のとこ行くんで、寄ったんです。

スミ:また……花藤先生……。

コースケ:は? いや……この間の会食で会ったでしょう?
     列記とした男性ですよ。花藤葉先生は。

スミ:そういう問題じゃないの……!
   やっぱり……そういうのって、ちょっと気になる。

コースケ:そうはいいますけど……言ってきちゃいましたよ? 担当変えてくださいって。

スミ:え?

コースケ:二人で話したじゃないですか。
     それに、担当作家の関係性のままだと気まずいって言ったのはスミさんでしょう。

スミ:そ、そうだけど……!

コースケ:実際、編集長も賛成だって。
     ただ、人見知りの菊間周星の担当は、今の所俺しか居ないって話になって。

スミ:じゃ、じゃあ、変わらないの?

コースケ:でも! 今のままだと駄目だってことで、条件をつけられました。

スミ:条件って、何……? もしかして、別れろ、とか?

コースケ:あー、ちょっと近いですね。

スミ:う、嘘! コースケ君! 私のこと捨てるの!?

コースケ:(笑って)違います違います。

 間

コースケ:あの……結婚。

スミ:……へ?

コースケ:編集長に、ちゃんと結婚を考えろって、言われました。

 間

コースケ:……考えます?

 間

スミ:……う、うん……。

コースケ:……え? 本気で言ってます……?

スミ:す、すぐじゃないよ! でも……。すぐじゃないけど……。

 間

スミ:(微笑んで)……証明してみよう。
   これから、二人で。









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