ヒポクラテスかく誓ひき
作者:紫檀
※ この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。また、「安楽死」及び「自殺幇助」はいずれも日本国内では違法行為であり、それを推奨・助長するものではありません。
アイリーン・キヴォーキアン:二十代女性。キヴォーキアン社所属の安楽死コンサルタント。淡々とした口調で話す。アンドロイドや機械の類ではなく生身の人間である。
ジェーン・アドキンズ:二十代女性。身体的には健康と判断されているが精神的にはいくつかの疾患を抱えている。
キャスター:テレビのニュースキャスター。一セリフのみ。兼ね役を推奨します。
※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)
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耽美な装飾が施された部屋。中央にはベッドが備えられており、その上に一人の老婆が横たわっている。
老婆の傍らに一人、質素なドレスを纏った女性。名をアイリーン・キヴォーキアン。
アイリーン、二人が写るように設置されたビデオカメラの録画ボタンを押す。
アイリーン:それでは、誓約書を読み上げます。肯定を示す場合には瞬(まばた)きを一度、否定を示す場合には瞬(まばた)きを二度行ってください
老婆、瞬きを一度行う。衰弱しきった様子ではあるものの、そうの双眸はしたたかにアイリーンを見つめている。
アイリーン:「死の宣言書」
アイリーン:「私は、私自身の尊厳ある死を望みます。それにあたり、以下に示す事項が事実に相違ないことを誓います。」
老婆、瞬きを一度。
アイリーン:「一、この宣言書を書いた時点において、私の精神は健全であり、正常な判断能力を有しています。」
老婆、瞬きを一度。
アイリーン:「二、この宣言書は、私を除く何人(なんびと)の意思も圧力も受けておらず、ただ私自らの意思によってのみ書かれています。」
老婆、瞬きを一度。
アイリーン:「三、複数人の医師の診断により、私の傷病は現在の医学では不治の状態であり、好転の見込みがないことが証(あか)されています。」
老婆、瞬きを一度。
アイリーン:「四、私は私が持つ傷病によって、耐え難い苦痛と苦しみを受けています。」
老婆、瞬きを一度。
アイリーン:「以上に示す事項の確約とともに、深く長い思慮の結果、私は自らの命を終わらせる権利を行使することを願います。」
老婆、瞬きを一度。
間
アイリーン:…では、こちらに拇印(ぼいん)を
アイリーン、老婆の手を持ち、親指朱肉に付ける。誓約書に触れさせる直前、老婆の眼に視線を向ける。
老婆、瞬きを一度。
間
アイリーン:こちらがタナトロンのスイッチです
アイリーン、老婆の手に「死の機械(タナトロン)」のスイッチを握らせる。
アイリーン:…よろしいのですね
老婆、瞬きを、一度。
アイリーン、老婆の親指の上から、スイッチを押す。
§
街はずれ、寂れたアパートの一室。
ソワソワと、何かを待つように時計を見やる女。
チャイムの音。
ジェーン:来たっ!
ジェーン、玄関に駆け寄り、扉を開く。
正面に佇むアイリーンと目が合う。
アイリーン:こんにち――
ジェーン:……!
アイリーンが頭を下げるよりも早く、ジェーンがアイリーンに抱きつく。
アイリーン:あの――
ジェーン:来た! やっと来てくれたっ!
ジェーン、感激した目でアイリーンを見つめる。
アイリーン:お伺いしますが、ジェーン・アドキンズさまご本人で間違いありませんでしょうか
ジェーン、アイリーンの顔をまじまじと見つめる。
ジェーン:へぇー、本当によくできてる……ハッ! それってもしかして、「マーシトロン」!?
ジェーン、アイリーンの持つ革製のアタッシュケースを指さす。
アイリーン:それは――
ジェーン:ギリシャ語で「慈悲の機械」……良い名前だよね……。さあ、上がって。お茶も用意してるよ
ジェーン、アイリーンを室内へ案内する。
ジェーン:それで――
ジェーン、アイリーンの方を振り向く。ケースを手に持ち、佇むアイリーン
ジェーン:そうだ、あんたの名前、聞いてなかったね
アイリーン:はい――
アイリーン、両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、カーテシーの所作で礼を行う。
アイリーン:ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。お初にお目にかかります。死亡カウンセリングサービス、安楽死コンサルタント、アイリーン・キヴォーキアンと申します
§
机に向かい合って座るアイリーンとジェーン。
アイリーン、ジェーンから出された紅茶に一度口をつけたところで、ふとカップの中を見つめるが、再び口をつけ飲み始める。
ジェーン:やっぱり、間近で見ても私たちと全然かわらないのね
アイリーン:はい。外見から判断に至ることは、難しいと思われます
ジェーン:ふーん。……美味しい?
間
アイリーン:はい
ジェーン:でしょー? 今日のためにね、フンパツして高いの買ったんだー。あんた味もわかるのね
ジェーン、アイリーンの瞳を見つめる。
ジェーン:それで――
間
ジェーン:どうすればいいの?
間
アイリーン:というと、どういった意味でしょうか
ジェーン:つまりその、できれば早めがいいというか。もう今日中か、今すぐにでもっていう
間
アイリーン:今すぐにでも、安楽死を受けたいということでしょうか
ジェーン:そう! 死にたいの、今すぐ
間
ジェーン:お願い、できるのよね?
アイリーン、アタッシュケースを開き、いくつかの封筒や文書を取り出す。
アイリーン:こちら、アドキンズ様から弊サービスに申し込まれた際に頂いた、州倫理委員会の審査資料ですが
ジェーン:え……
アイリーン:ご自身の方で、内容の確認はされましたでしょうか?
ジェーン:いや……その……
ジェーン、狼狽する。
ジェーン:あたし……最近……文章とか読んでなくて……
アイリーン:簡潔に内容を申し上げます
間
アイリーン:州倫理委員会での審査の結果、アドキンズ様の安楽死申請は受理されるに至りませんでした
ジェーン:…………
アイリーン:よって、本日今ここでアドキンズ様の自殺幇助を行うことは叶いません。申し訳ありません
ジェーン:嘘……なんで……
アイリーン:こちらで内容を確認させて頂いたところ、アドキンズ様は身体的には通常の生活を送るに差し障りはなく、積極的安楽死の対象としては適格でないと――
ジェーン:嘘!
ジェーン、アイリーンのアタッシュケースに飛びつく
アイリーン:アドキンズ様
アイリーン、ジェーンを落ち着かせようとするがもみ合う形となる。アタッシュケースがひっくり返り、中の書類が散らばる。
ジェーン:なんで……なんで無いのよ……!
アイリーン:落ち着いてください、アドキンズ様
ジェーン:触らないで! 人形の分際で!
間
ジェーン:……マーシトロンはどこ
アイリーン:州倫理委員会での審査通過後、州裁判所による許可を得ない限り、マーシトロンを携行しての外出は禁止されています
ジェーン:なにそれ……
ジェーン、椅子に座りこみ、項垂れる。
ジェーン:バカみたいじゃん……あたし
アイリーン:アドキンズ様……
ジェーン:ていうか、それじゃあんたは何しに来たのよ
アイリーン:はじめは書面での連絡を試みたのですが、明確な返答が得られなかったため、対面での確認が必要と判断し参上いたしました
ジェーン、多少目線を上げ、チラリと部屋の奥の棚に目をやる。
何かを通知する封筒や書類が雑に積み上げられている。
ジェーン:ごめん……あたし、そういうの出来なくて……
アイリーン:……失礼を承知でお伺いしますが、申し込みを受けた当初の段階では、書面を用いたやり取りが成立しているように見受けられました。その際は、どのように?
ジェーン:……そういうのは前の彼氏がやってくれてて。……一か月前に別れたけど
アイリーン:そうでしたか……
ジェーン:テレビ見てたらそういうのがあるって知って、彼氏は初めから乗り気じゃなかったけど、ネットで調べるのとか手伝ってくれて、自分でも頑張ってアンケートとか答えて……それで――
間
ジェーン:そっか。彼氏はもう分かってたのかも。でもあたしが暴れたりしたせいで、愛想尽かして出てっちゃったんだ。そんな気がする。あんまり覚えてないけど
アイリーン:……
ジェーン:なんか、この日に安楽死の人が来るってだけ覚えてて、まあ、それならこの日までは頑張ろうかなって、勝手に思い込んでたんだ、あたし
アイリーン:…………
ジェーン:バッカみたい……
間
ジェーン:ねえ……あんた、人の死に方とか、そういうのに詳しいんでしょ
間
ジェーン:教えてよ。どうやったら死ねるの。教えてくれたら自分でやるから
アイリーン:それは――
アイリーン、しばし考えて。
アイリーン:自死の方法を教えろ、ということでしょうか
ジェーン:そうよ。あんたもその方がいいでしょ。人殺すのを仕事にしてるんだからさ。人が死ぬところ、見たいんじゃないの
アイリーン:弊社ではお客様ご自身による自死を推奨しておりません
ジェーン:……なんでよ
アイリーン:一番の要因はその成功率の低さです。特にアドキンズ様のような歳若い女性の場合、自死にまで至るのは百件のうち一件あるかどうか、といったところです
ジェーン:…………
アイリーン:バリウムやベンゾジアゼピン系薬品はしばしば用いられますが、おしなべて十分な量を服用することが難しいため、死亡まで至ることはまずありません。たいていの場合、知能指数がおよそ半分になった状態で意識を回復されます
ジェーン:…………
アイリーン:湯につかりながら手首を切り、その出血によって死に至るという方法もよく知られていますが、決して容易ではありません。切ること自体が痛みを伴う上に、的確な場所を非常に深く切り込む必要があるからです。また、無意識になってから死に至るまでのあいだに腕が湯から出てしまい、血液が凝固することもあるため確実でもありません。多くの場合その努力の結果として――
ジェーン:うるさい! もういい!
アイリーン:……アドキンズ様
ジェーン:死なせる気がないならもう帰って! 人殺しのくせに!
間
アイリーン:本日のところは失礼いたします。貴重なお時間を頂きありがとうございました
アイリーン、立ち上がり、礼をする。
アイリーン:明日(あす)、また同じ時間にお伺いいたします
アイリーン、去る。
ジェーン:…………意味わかんない
間
ジェーン、ふと淹れたままになっていた紅茶を口につける
ジェーン:(唐突に笑い出し)なにこれ…………まっず
§
チャイムの音
ジェーン:…………
チャイムの音
ジェーン:んん……
チャイムの音
ジェーン:……もう!
ジェーン、けだるそうに起き上がり、玄関に向かう。
扉を開けると、また前日のようにアイリーンが佇んでいる。
アイリーン:ご機嫌麗しゅうございます、アドキンズ様。死亡カウンセリングサービス、安楽死コンサルタント、アイリーン・キヴォーキアンです
ジェーン:……あのさ
アイリーン:はい
ジェーン:何しにきたの
アイリーン:この場でご説明した方がよろしいでしょうか
ジェーン:…………上がって
アイリーン:恐縮です
ジェーン:――で、なに
アイリーン:はい、この度アドキンズ様の安楽死申請は受理されなかったため、本来であれば当サービスへの申し込みの際に入金は成立しないはずなのですが、どうやら当方の不手際により諸手続きが進行してしまったため過払い金の発生が――
ジェーン:(遮って)ねえ
アイリーン:はい
ジェーン:どうにかなんないの、そのまどろっこしい話し方。よくわかんないんだけど
アイリーン:……そうでしょうか
アイリーン、なにやら真剣な表情で悩み始める
アイリーン:なるべく誤解のない表現に努めていたのですが、失礼いたしました
ジェーン:……まあいいや。で、結局何が言いたいわけ
アイリーン:つまり……我が社が不当な料金をアドキンズ様から頂いてしまった、ということです
ジェーン:ふーん……で、そのお金を返してくれるって?
アイリーン:いいえ、返金はほぼ不可能です
ジェーン:そんなの適当に振り込んでもらえれば…………へ?
間
ジェーン:不可能?
アイリーン:はい
ジェーン:なんで
アイリーン:煩雑な手続きの中で使用されたアドキンズ様の名義と入金の際に使用された口座名義が一致せず、返金に際して必要な書類の有効期日が――
ジェーン:…………
アイリーン:つまり――端的に申し上げれば、詰みました
ジェーン:……詰んだ?
アイリーン:はい、手続き上の過誤により、詰んでしまいました
間
ジェーン:(溜息)……なるほどね
間
ジェーン:まあいいわ、どうせあたしには関係ないお金だから、それ
アイリーン:というと、どういう意味でしょうか
ジェーン:そういうの、親がどうにかしてくれてるから。名義がどうっていうのもそのせいでしょ、多分
アイリーン:ご両親は……
ジェーン:いない方がいいのよ
間
ジェーン:勉強の出来る弟がいてね。あたしは、多少生活費はかかるけど、いないのと一緒
アイリーン:…………
ジェーン:だから、別にお金が返ってこないとかどうでもいいから。気にしないでいいよ
アイリーン:…………
ジェーン:昨日はごめんね。ひどいこと言って
間
アイリーン、微動だにしない。
ジェーン:えっと……
間
ジェーン:大丈夫……? もういいよ、帰っても
アイリーン:いいえ、帰れません
ジェーン:……は?
アイリーン:アドキンズ様、これは我が社の信用に関わる問題です
ジェーン:問題ですって言われても……あたしにどうしろと……
アイリーン:過払い頂いた金額に相当するサービスを受けて頂きたく思います
ジェーン:サービス?
アイリーン:はい
ジェーン:でも、安楽死は出来ないんでしょ。何すんのよ……
アイリーン:自死の幇助(ほうじょ)は我々の任務における最終プロセスではありますが、その全てではありません
アイリーン、ジェーンの手を取り、優しく包み込む。
アイリーン:お客様それぞれが自らの終わりを見据え、それぞれの望む形で死を迎える。その過程に寄り添い、時によき共感者となり、時によき理解者となる。それが我々に与えられた任務かつ使命であります
ジェーン:……
アイリーン:これは事前の調査、加えてここ二日のあいだにアドキンズ様よりお聞きした情報の中での、私の個人的な推測ではありますが……
アイリーン、ジェーンの目をまっすぐと見つめる。
アイリーン:アドキンズ様にはご自身のお考えを整理する時間及び過程、そしてそれを傾聴する周囲の人間関係が十分ではない、と考えられます
ジェーン:……
アイリーン:ですから、今のままではアドキンズ様は、仮に死を迎えることが出来たとして、きっと――満足なされない
間
アイリーン:――可能性が高いです
ジェーン:……つまり、何が言いたいのよ
アイリーン:考えましょう、死に方を。探しましょう、死に場所を
ジェーン:(息をのむ)
アイリーン:そのお手伝いをさせて頂くために、私はここにおります
間
ジェーン:やっぱり――
ジェーン、アイリーンの手をほどき、目を逸らす
ジェーン:ごめん、よくわかんない
アイリーン:……
間
アイリーン:もちろん、これは強制ではありません。サービスの提供を拒否されるということであれば、そのように――
ジェーン:でも、いいよ、分かった
間
ジェーン:難しいことはわかんないし、考えるのとか苦手だけど――でも、どうせ毎日やることもないし
ジェーン、アイリーンに向き直る。
ジェーン:付き合ってあげる、それ
アイリーン:アドキンズ様……
ジェーン:あとそれ、やめて
アイリーン:はい、何でしょうか?
ジェーン:名字で呼ばれるの、あんまり好きじゃない
アイリーン:では、なんとお呼びすれば
ジェーン:そりゃ、名字じゃなかったら名前でしょ
アイリーン:……ジェーン様
ジェーン: “様” もいらない。なんかくすぐったい
アイリーン:では……ジェーン、と……
ジェーン:(笑って)よろしくね。えっと……アイリーン?
アイリーン:(微笑んで)はい。よろしくお願いいたします、ジェーン
アイリーン、深々と頭を下げる。
§
アイリーン:昨日、ジェーンの幼少期の担当医と連絡が取れましたので、特別に許可を頂き、当時のカルテを送って頂きました
ジェーン:ああ、ハンフリーさんね
アイリーン:覚えておいでですか
ジェーン:うん、まあ……子供の頃に優しくしてもらったの、あの人だけだったから
アイリーン:そうでしたか……
ジェーン:で、カルテがどうしたって
アイリーン:はい……先天性の識字障害(ディスクレシア)、厳しい家庭環境に起因したパニック障害及び心的外傷後ストレス障害……そして現在に至っても、連日常容量の二倍の睡眠薬、鎮静剤を服用されていますね?
ジェーン:…………
アイリーン:正直なところ、私の想像を遥かに超えた内容でした。私から見たお姿からは、とても……
ジェーン:なーに暗くなってんのよ
ジェーン、アイリーンの両頬を指でひっぱる
アイリーン:……ふぇーん(ジェーン)
ジェーン:(笑って)いいよ、アイリーンといる間は結構楽だし。それに同情なんかより、もっとやるべきことがあるんでしょ
アイリーン:はい
ジェーン:それで?
アイリーン:まず――
アイリーン、まっすぐジェーンを見つめる
アイリーン:州を訴えます
間
ジェーン:はい?
アイリーン:州倫理委員会での審査結果を不当なものとして、訴えるのです
ジェーン:えっと……そうなの?
アイリーン:はい。ジェーンの現在の状態は、2021年に我が国の医師会によって示された安楽死及び自殺幇助についてのガイドラインに則った場合――非常に際どい領域ではありますが、解釈の次第によっては安楽死の適用要件を満たすと考えられます。そこで、州を相手取り訴訟を起こすことで、ジェーン自らが証言台に立ち、自らが自らの苦痛を終わらせる権利を持てぬことの不条理さ、社会から抑圧され、隔離された理不尽に対し抵抗する姿を世間へ示すのです
ジェーン:つまり、悲劇のヒロインを演じてでも認めさせるってことね
アイリーン:はい、ただ問題は――(言葉を切る)
ジェーン:問題は?
アイリーン:……我が国においては殆ど初の事例となるため、ソーシャルメディアを通じて伝播し、謂れの無い誹謗を受ける可能性もあります
ジェーン:ああね
アイリーン:不要なストレスを無関係な第三者から受けるといった事態は、本来はジェーンの病状にあって望ましいことではありません
ジェーン:まあ、それは確かに
アイリーン:しかしこの点において、ジェーンには特別な才能があります
ジェーン:才能?
アイリーン:はい、文字が読めません
間
アイリーン:そのため、文字媒体を介した誹謗中傷は、ジェーンには一切通用しません。一方でテレビを含むマスメディアの報道姿勢は、我々にとって都合よく作用する可能性の方が高く、近年の安楽死に対する世論の動向から考えても――
間
アイリーン:ジェーン? どうかなされましたか?
ジェーン:ぷっ……あっはっはっはっは!
アイリーン、キョトンとしている
ジェーン:あっはっは! あたしのこれが才能って! アイリーン、やっぱりあんたって最高!
アイリーン:すみません、何か不適切な発言をしてしまったでしょうか
ジェーン:(首を横に振る)……ただそんなこと初めて言われたから、なんかおかしくって
ジェーン、笑い涙を拭きアイリーンの手を取る
ジェーン:分かった。やるよ、アイリーン。あたし、貴方を信じる
§
アイリーン:まず、安楽死や自殺幇助についての基本的知識、そしてしばしば議題に上がる本邦の憲法及び関連司法について、過去の裁判判例も用いて理解して頂きます
ジェーン:だ、大丈夫かな
アイリーン:文字を読む必要はありません。文献は全て私が口頭で読み上げ、適宜(てきぎ)説明を加えさせて頂きます。今後目指す手続きにおいては、ご自身のサインを書けるようになって頂ければ、それで十分です
ジェーン:……頑張ります
アイリーン:次は発声の改善、そして簡単な雄弁術を身につけて頂きます。美しく話す必要はありません、一語一語を焦らず、聞き取りやすいように、はっきりと発音するのです。私の後に続いて、どうぞ真似してください。ラダレデロド ダラデレドロ ダゾデザドゼ ゼドザデゾダ(ゆっくりと、しっかり発音)
ジェーン:(途中でつっかえながら)ラダレデロド ダラデレドロ ダゾデザドゼ ゼドザデゾダ……
アイリーン:本日は、裁判の傍聴に参ります
ジェーン:えぇ、外出るの?
アイリーン:はい、実際の民事訴訟の様相を体験することも重要です
ジェーン:まあ、アイリーンがそういうなら……。でも、途中で寝ちゃわないかな
ジェーン:なにあの男!? 自分が痴漢しといてあの態度っておかしくない!?
アイリーン:はい、陪審員の心象もかなり悪かったのではと思います
ジェーン:むかついたわー! 超女の敵野郎って感じ!
アイリーン:しかし、全方向からあれだけの険しい視線を受けながら、あの不遜な態度を貫けるという精神力に限って言えば、大いに参考にすべきものだと思います
ジェーン:そう言われれば確かに、まあ……
アイリーン:いずれにせよ、いざひとたび証言台へ立ってしまえば、指定の時刻が来るまでは何があろうと弁論を妨害されることはありません。それを体験できただけでも収穫ではないでしょうか
ジェーン:そうね。思ったより全然面白かったし、何なら、また来たいかも
アイリーン:でしたら、また何度でも。お供いたします、ジェーン
§
ジェーン:ふー、今日も疲れたー
アイリーン:お疲れ様でした。本日はこのくらいで充分でしょう。よく頑張りました、ジェーン
ジェーン:ねえ、アイリーン
アイリーン:なんでしょうか
ジェーン:初めてウチに来た時に、飲んだ紅茶の味、覚えてる?
アイリーン:ああ――
アイリーン、微笑む
アイリーン:確かに、印象に残っております
ジェーン:不味かったでしょ、アレ
アイリーン:それは
ジェーン:正直に言って
間
アイリーン:はい
ジェーン:(笑って)ねえ、アイリーンが教えてよ、紅茶の淹れ方
アイリーン:紅茶、ですか
ジェーン:そ。あーそれとも……そういうのは別料金だったりする?
アイリーン、微笑む
アイリーン:いいえ、構いませんよ
ジェーン:…………おいしい
アイリーン:良かったです、お口にあったようで
ジェーン:なんかコツとかあるの?
アイリーン:何も難しいことはありません。ポイントは湯の温度と茶葉を蒸らすのを忘れないことです。あとは茶葉の量と時間さえ正確に計れば、誰でも美味しく紅茶を淹れられます
ジェーン:……すごいねアイリーンは、何でも知ってて
アイリーン:何でもは知りません、知っていることだけです
間
ジェーン:ねぇ
間
ジェーン:アイリーンは、本当に――
ジェーン、アイリーンの瞳と目が合う。
アイリーン:何でしょうか
ジェーン:……ううん、何でもない
ジェーン、にっこりと笑う。
ジェーン:(呟く)そんなこと、どうでもよかった
アイリーン:……いよいよ明日ですね
ジェーン:うん
アイリーン:緊張されていますか
ジェーン:(首を横に振る)……あたし、頑張るよ、必ず勝つ
間
ジェーン:それで、もし死ねる事になったらさ――
間
ジェーン:それを助けて貰うのは、やっぱりあなたがいいわ、アイリーン
静かに、時が流れる
§
キャスター:国内で初めて、余命宣告を受けていない患者の安楽死が認可されました。昨年十二月、自身の安楽死申請を認可しなかった審査内容を不当として、二十代女性が州倫理委員会に対して起こした訴訟について、連邦最高裁判所は今朝、女性側の訴えを認める判決を下しました。医師による余命宣告を受けていない、重度の精神的疾患を理由とした積極的安楽死が認可された事例は国内では初で、安楽死推進派、慎重派の双方に波紋を呼んでいます――
§
チャイムの音。
ジェーン:来たっ!
ジェーン、玄関に駆け寄り、扉を開く。
正面に佇むアイリーンと目が合う。
アイリーン:こんにち――
ジェーン:アイリーン! 会いたかった
アイリーンが頭を下げるよりも早く、ジェーンがアイリーンに抱きつく。
アイリーン:……ええ、私もです、ジェーン
ジェーン:さあ上がって、積もる話が沢山あるんだから
ジェーン:どう? 紅茶
アイリーン:はい、とても美味しいです。腕を上げられましたね
ジェーン:でしょ? 先生が良いからね
ジェーン、アイリーンの向かいに座る。ちょうど、二人が初めて出会った日と同じ構図。
ジェーン:この1ヶ月ね、本当に大変だったんだから
アイリーン:はい、存じております
ジェーン:取材やら何やらではじめのうちは電話も鳴り止まないし、まったく見せもんじゃないっての
アイリーン:はい
ジェーン:あと、親にも縁を切られてさ。まあ別に何の思い入れもないしいいんだけど
アイリーン:はい
ジェーン:あと、別れた彼氏からもまた連絡が来てさ
アイリーン:はい
ジェーン:よりを戻さないかって言われたんだけど
アイリーン:はい
ジェーン:フッたわ。そしたらなんか急に怒り出して、電話切られた
アイリーン:はい
ジェーン:あ、一番大事なやつ忘れてた
ジェーン、奥の部屋に入り、封筒に入った書類を持ってくる。
ジェーン:じゃん! えっと、なんだっけ、これ……なんて書いてあるんだっけ
アイリーン:安楽死認可証
ジェーン:そうそれ! 認可証!
ジェーン、封筒を大事そうに抱える
ジェーン:アイリーンのお陰で手に入れられた、私の、死ぬ権利
間
ジェーン:これがあれば、マーシトロンも持って来られるんでしょ?
アイリーン:はい、所定の手続きはございますが、申し付けられれば、いつでも
ジェーン:てことは……今は持ってないの?
アイリーン:はい、申し付けられませんでしたので
ジェーン:ふーん
間
アイリーン:如何致しますか
間
ジェーン:(クスクスと笑い出す)
アイリーン、表情を変えない
ジェーン:なんかね、コレが来てからさ
アイリーン:はい
ジェーン:あたし、いつでも死ねるんだーって思ったら、なんか、ちょっとだけ楽になってさ
アイリーン:はい
ジェーン:最近、薬も減ってきてるんだよね
アイリーン:はい
ジェーン:だから、そうね
間
ジェーン:今は、いいや
アイリーン:……はい
ジェーン:死ぬ時は、また呼ぶね。アイリーン
アイリーン:はい
ジェーンM:初めから、こうなることも全部、分かっていたのかもしれない。だって彼女は――
アイリーン、立ち上がり、礼をする。
アイリーン:いつでも、どこでも、お客様の安らかな死のために。死亡カウンセリングサービス、安楽死コンサルタント、アイリーン・キヴォーキアンです
Fin.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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