バイバイハレー
作者:ススキドミノ


アサミ:社会人。半年前に彼氏と別れた。
イツキ:社会人。ひと月前に彼女と別れた。




※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)




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 <居酒屋・ビールを前にじっと座っているアサミとイツキ>

アサミ:……うん。

イツキ:……おう。

 間

アサミ:え?

イツキ:は?

アサミ:はぁ?

イツキ:え?

 間

アサミ:いやいやいやなになになに!?

イツキ:ビックリした……! いきなりデカイ声出すなよ……!

アサミ:ビックリしたのはこっちでしょ!
    何この大衆居酒屋らしからぬ妙な間は!

イツキ:いや、大衆居酒屋にも間はあるだろ。

アサミ:っていうか、あんたが呼んだんだから仕切りなさいよ。

イツキ:え。ああ、いや、まあ……それはそうなんだけどさ。

アサミ:……何よ。

イツキ:んー……なんていうかさ。
    始め方……わかんなくね?

アサミ:それは……まあ……うん。確かに。

イツキ:普通はとりあえず『乾杯〜』って感じだろ?
    乾杯を奪われたときの、飲み始めって……どうすんの?

アサミ:別に誰も奪ったりはしてないけど……まあ、言いたいことはわかる。

 <アサミは机に肘をつくと、手のひらに顔を乗せる>

アサミ:一旦整理しない?
    今回の飲み会に至るまでの経緯。

イツキ:……あー。去年までは俺達、普通に飲みに行ってたよな。

アサミ:そうね。

イツキ:で、半年前にアサミが……あー……そのーー

アサミ:あーもう、そういうのもういいから……。
    半年前に私が彼氏と別れて、それで、イツキが彼女と別れたときまで、一緒に飲まないって言った。
    で、イツキが彼女と別れたから、こうして飲みに来たわけだけど……。

イツキ:……そもそも、なんで俺が別れるまで飲まないって言い出したんだよ。

アサミ:は? いや……忘れたけど。
    そんとき私なんて言ってた?

イツキ:いや、聞けるわけないだろ。
    だってお前、すげえ落ち込んでたし。

アサミ:あー……うん。多分だけど、そういうところかも。

イツキ:そういうところって、どういうところだよ。

アサミ:気使われたくなかったんじゃない?

イツキ:なんで疑問形なんだよ。自分のことだろ?

アサミ:だって覚えてないんだもん。

 間

イツキ:……っていうかさ。いい加減、飲もうぜ。

アサミ:じゃあ……乾杯する?

イツキ:でさ……こういう場合、乾杯って……いいのか?

アサミ:誰がダメだっていうのよ。

イツキ:わかんねえよ。アサミも乾杯しなかったじゃん。

アサミ:それはーーまあ……そうだけど……。

イツキ:(頭を掻く)……あー! 世間一般的に、こういう時どうしてんだ!?

アサミ:んー……例えば、『独り身に乾杯〜』とか?

イツキ:はぁー、まあ、そうなるのか。

アサミ:でもそういう音頭って、元気な友達とかがやってくれるのが普通だよね。

イツキ:無理くり『元気だせー!』みたいな感じでな。
    この場合、俺達2人ともダメージ食らってる状態だしなぁ……。

アサミ:あーもう! いいよ! ほら! 乾杯乾杯!

 <アサミはグラスを掴むと、イツキのグラスに押し付ける>

イツキ:おう……。

アサミ:飲め飲め。

 <二人はグラスを煽る>

イツキ:……それで?

アサミ:それで? いや、それは私の台詞でしょ。
    イツキが別れたのっていつ?

イツキ:あー、まあ……ひと月前くらいか。

アサミ:同棲してたんでしょ。身辺整理とか済んだの?

イツキ:一応。

アサミ:イツキが借りてた部屋だったんだっけ。

イツキ:そう。実際、それもちょっと助かったと思ってたんだけどさ。

アサミ:助かった?

イツキ:向こうはほら、荷物もって部屋出ていくだろ。
    後で残ったものは取りに来るって感じで。

アサミ:うん。ちなみに私もそっちの立場だった。

イツキ:こっちはそのままの生活だろ?
    結構楽じゃんとか……思ってたわけよ。

アサミ:で……実際は?

イツキ:……超きつかった。

アサミ:(ニヤついて)ねぇねぇ、具体的に何がきつかったわけ?

イツキ:つーか……お前今、補充しようとしてんだろ……!

アサミ:補充?

イツキ:他人の不幸を聞くことで、幸せを摂取しようとしてるって言ってんの!

アサミ:お互い様じゃんそれは!
    そもそもこういう飲みの時点で傷の舐め合い確定じゃん!
    そこはもう、ほら! どっちかが先かみたいな話でしょ!?
    第一、イツキの方が不幸が新鮮じゃん!?
    ジュースにするとしたら、絶対新鮮な方が美味しい!

イツキ:飲むなよ! 人の不幸を! 甘いか!?

アサミ:甘いっしょ! それは!

イツキ:おい……絶対俺もお前の不幸を飲むからな……!

アサミ:ほれほれ! もうサクサクいこうよ!
    四年付き合った彼女が出ていった時の心境! ハイ!

イツキ:だからぁ……! まあ、なんつーかさ……。
    普通の生活なんて戻れないってことだよ。
    ……当たり前がさ。たくさんあるんだよ。
    日常っていってもいいけどさ。

アサミ:……ま、そうだよね。

イツキ:物とかがきついのかなとか、最初は思うんだよ。
    洋服とか、コップとか……あとは生活用品とかさ。
    俺が使ってないもんとかはほら……全部相手の物だし。
    だからなんつーか、この胸のもやもやとかはさ……物を整理してないからだって思って。
    『あいつが取りに来るわけだし、まとめといたほうがいいよな』とか理由もつけて。
    とりあえず整理したわけ。

アサミ:うん。

イツキ:でも、そういうことじゃないんだよな。
    物が片付いて、少しはスッキリするかと思ったけどさ。
    一番きついのは……染み付いた……思い出とか。
    んー……あとは……なんつーかなぁ!

 <イツキはグラスを煽る>

イツキ:……あれだよ。癖とかさ。
    当たり前の日常とか、当たり前じゃなくなったこととか、かな。
    動画とかさ、テレビとか、音楽とか……好きだったんだよ。
    別に、一緒に住む前から好きだったはずなのに、なんか、違っちゃってんだよな。

 間

イツキ:……おい。甘いか? 俺の不幸。

アサミ:ううん。甘くないよ。

 <浅みは優しく微笑む>

アサミ:だって、わかるからさ。それ。

イツキ:……じゃあ、苦い?

アサミ:しんどいとかそういうのよりも、わかるなーって感じ。
    不思議な気分かも。

イツキ:俺も。口にする前は、これ言うのしんどいかもなーって思ったけど。
    言ってみると、ちょっと不思議だ。

 <二人は黙ってグラスを煽る>

イツキ:なぁ、アサミはどうだった。

アサミ:んー?

イツキ:だから、お前は俺と逆だったんだろ。

アサミ:出ていく側ってこと?

イツキ:そう。

アサミ:えー、どうだったかなぁ〜。

イツキ:……おい。暴れるぞ。

アサミ:別に隠してるわけじゃないって!
    単純に、言葉にしたことがなかったから、わかんないんだって。

イツキ:三年付き合った彼氏の部屋を出ていった時の心境。ハイ。

アサミ:……んー……どうだったかな。
    最初は結構冷静でさ。
    友達に連絡はしなかったけど……とりあえず家族に連絡して、パパに迎えに来てもらって。
    実家に帰って……。
    ママの顔見た瞬間に、色んなこと思い出して……。
    ママが私を抱きしめて……「大丈夫」って言ってくれた瞬間に、涙が止まらなくなった。

イツキ:……そっか。

アサミ:私はその時は仕事もしてなかったからさ。
    ずっと布団でボーッとしてて。友達にもちょくちょく連絡して。
    周りのみんなが優しくしてくれて。
    それこそ、連れ出そうとしてくれたりとかして……。
    でも、そういうのはしばらく断ってた。

イツキ:俺の飲みの誘いもそうだったわけだ。

アサミ:でも、イツキの誘いは行こうって思ってたんだよ、最初は。

イツキ:そういえば……あんとき一回「行く」って言ってたよな。
    結局「あんたが彼女と別れるまで飲まない」って言ってたけど。

アサミ:うん。あんときはドタキャンしてごめん。

イツキ:別にいいよ。俺だって今はちょっとわかるし。

アサミ:怖かったんだ。それこそさっきイツキが言ってたようなことがさ。

イツキ:うん。

アサミ:電車とか……街とか。
    どこがとかじゃなくてさ、空気とか、そういうので、彼との時間を感じるのが怖かった。

イツキ:肌に触れる四季とかな。

アサミ:そうそう! 思い出ってさ、もはや暴力なのよ。
    ……花の匂いひとつとっても、心に突き刺さる気がして。

 <イツキはグラスを煽る>

イツキ:あー……酒がにげぇ……。
    ちょっと身につまされるわ……。

アサミ:今日はとことん苦い酒飲もうじゃない。

イツキ:……今はどうなんだよ。

アサミ:何が?

イツキ:半年経ったら、楽になったか?

 <アサミは目を丸くしてイツキを見つめる>

アサミ:……あー……うん。

イツキ:いや、どっちよ。

アサミ:楽には――なってるのかな。

イツキ:やっぱそうなんかー……。

アサミ:やっぱり?

イツキ:別れてから、周りの人にさんざん言われたんだよ。
    心の傷を癒せるのは、時間だけだってさ。

アサミ:……時間が経てば、傷は塞がっていくって?

イツキ:まあ、そんな感じかな。

アサミ:……そうだね。うん。きっとそうなのかも。
    毎日過ごしているうちに、少しずつ……薄まってくものなんだと思う。

イツキ:そっか……俺にはまだ実感ねぇなぁ。

アサミ:でも、私もまだ、夢に見るよ。

イツキ:夢って……一緒に居た頃のこと?

アサミ:そう。それでね、起きてからしばらく……泣くの。

イツキ:……悲しくて?

アサミ:寂しくて?

 間

イツキ:(吹き出す)おい……何でお前も疑問形……?

アサミ:(吹き出す)ふ、ふふふ……! わかんない……!

イツキ:あのさぁ……もっと前向きな話題にしないか?

アサミ:サンセーかも!
    お酒も回ってきたし、ネガティブなのも飽きてきちゃったー。

 <アサミはグラスを煽る>

アサミ:じゃあ! なんかこう……付き合ってたころの、印象に残ってること!

イツキ:うげ……! なんかやばそう……。

アサミ:ほらほら! なんか思い出プリーズ!

イツキ:別にそんな特別なことはねえけど……。

 間

イツキ:悪い。ちょっと時間くれ。

アサミ:じゃあ、私からね!
    んとね……深夜に海までドライブ。

イツキ:おおう……! 重いパンチ打ってくんなぁ……。

アサミ:しかもね、最初はロマンチックな理由とかじゃなかったのよ。
    彼が出張から帰ってきた日の夜、出張先のホテルに財布を忘れたって騒ぎ出して。
    帰ってくるなり「明日仕事なのに」とか「最悪だよ」とか、グチグチうるさいからさ……
    「じゃあ今から車で取りに行くわよ!」って、私も一緒に取りに行くことにしたの。
    それで、二人でホテル寄って、財布を受け取って――

 <アサミは机に肘をつく>

アサミ:車中ではお互いイラついてて、ずっと二人で口喧嘩してて……。
    ホテルで財布受け取ったあとに、彼がため息ついて車のエンジン入れた瞬間――私、キレちゃってさ。

イツキ:キレた?

アサミ:そう! 「なんでそんなに『自分の人生クソです』みたいな顔してんの!?」って!

イツキ:いや、そうな……。出張明けの深夜、財布忘れてホテルにとんぼ返り。
    長時間運転した挙げ句、数時間後には仕事――クソみたいな一日とは言えるだろうけど。

アサミ:それはわかってるよ! でも思うわけ! 私、こんなに可愛くておもしれー女なんだよ!?
    隣でそんな顔されるような筋合いないじゃんって!

イツキ:うわ。なんか言ってるわ。

アサミ:とにかくキレてさ! 「明日、仕事安め! 今から海観に行くぞ!」って怒鳴ったの。
    そしたら彼もキレた感じで、「わかったよ! お前が言ったんだからな!」みたいな感じで運転し始めて。
    私は腕組みしながら助手席でさ、じっと前睨んで、二人とも無言で。

イツキ:なんかシュールだな。

アサミ:いざ海が見えてきて、車停めて、海岸向かって……。
    丁度さ、水平線から朝焼けが登ってくるところで……。
    気がついたら、二人で、手を繋いで……。

 <アサミは自分の手のひらを見つめる>

アサミ:横を見たら……彼がね、泣いてたの。
    「どうしたの?」って聞いたら、「一緒にこの景色が見れて良かった」って。
    ああ……そっかって……なんか色々、腑に落ちた気がして……。

イツキ:……うん。

アサミ:それでね……私、言ったんだ。
    「私達、別れようか」って。

 間

アサミ:ふー……ごめん。前向きな話題って言ってたのにね。

イツキ:いいって。場の空気とか気にすんな。
    俺らしか居ないんだし。

アサミ:それもそだね……。

イツキ:それに、そういうことも話さなきゃ、前向きにもなれないだろ。

アサミ:ふふふ、そうかもね……。

イツキ:……でも、意外だった。

アサミ:んー? 何が?

イツキ:アサミから別れようって言ったんだなって。

アサミ:じゃあ、私がフラれたと思ってたってこと?

イツキ:いや……それもなんか、イメージ沸かないかも。

アサミ:(吹き出す)じゃあなんで別れんのよ!

イツキ:わかんねえよ! なんかこう……しゅわっと?
    とにかく! ……なんかアサミが振るのも振られるのも、なんかイメージ沸かなかっただけ。

アサミ:何それ、褒められてる?

イツキ:わからん。

アサミ:なんじゃそりゃ……。

 <イツキはグラスを煽る>

イツキ:……っし。じゃあ、次は俺の番な。

アサミ:お、聞かせてよ。

イツキ:俺さ、彼女と付き合い始めの頃に、科学博物館に行ったんだよ。

アサミ:それって、学校の遠足で行くようなとこ?

イツキ:そうそう。なんでだったか忘れたけど……休みの日に。
    科学博物館ってさ、プラネタリウムとかあったりするだろ。
    ちょっと興味あったのもあるんだけど……一番はそれ目当てで行ったんだよ。

アサミ:ロマンチックじゃん。

イツキ:でも、実際お目当てのプラネタリウムはあんまピンと来なくてさ。
    個人的には展示の方に目惹かれちゃって、気づいたら俺、真剣に展示見て回ってて。
    ふと気づいたら彼女が、少し離れたところでじっと立ってるのが見えたんだ。
    何見てるんかなーって隣に並んだら――ハレー彗星の展示だった。

アサミ:ハレー彗星……?

イツキ:そう。七十五年周期で見れる彗星でさ。
    近づいた時は、地球から肉眼で観れるんだ。

アサミ:へー、詳しいね。

イツキ:ちゃんと展示の説明も覚えてんのよ。

アサミ:偉い偉い。

イツキ:あー、それでさ。その彗星が前に来たのが、俺達の産まれる前だったんだけど。
    次に地球に近づくのは、2061年だって書いてあって。

アサミ:結構先だね。

イツキ:それでも、他の彗星よりはずっと短い期間で観れるらしいんだけど――まあ、それは置いといて。
    そのとき彼女と……ハレー彗星って、人間みたいだなって話をしたんだ。

アサミ:人間?

イツキ:そう。日本人って平均で、だいたい八十年くらい生きるだろ?
    七十五年周期の彗星って、そのまま人生と照らし合わせることができるよなって。
    人間がどれくらい生きるかなんてわからないけどさ、七十五年生きたら一度は観ることができるし……もっと生きたら、二度観れるかもしれない。
    そうやって人生の中で数度だけ出会える人間――っていうかまあ、彗星だなってさ。
    そんな話をしながらさ……その時、彼女と約束したんだ。
    「2061年。一緒に、ハレー彗星、観よう」って。

アサミ:うん。

イツキ:俺さ。その時のこと、すっぽり抜け落ちてて……。
    彼女から、「別れよう」って言われて、俺が「わかった」って返した後……。
    彼女がさ……泣きながら言うんだ――

 間

アサミ:イツキ……?

 間

 <イツキの目から涙が溢れる>

イツキ:……「私達、ハレー彗星、誰と観るのかな」……ってさ。
    その瞬間……なんていうか……。俺さ……。

アサミ:……うん。

イツキ:……人生の中で……一度だったんだって……。
    彼女と過ごした時間が……ハレー彗星みたいに……宇宙のどこかに飛んで行ったんだってさ……。
    あー……なんつーか俺……。もっと伝えたいこととか、あったんじゃないか、とか……。

アサミ:……うん。

 <イツキは溢れ出る涙を服の袖で拭う>

イツキ:いや、本当、単純にさ……。
    彼氏とか、彼女とか、男女とか、そういうことはどうでもよくて……。
    ただ……ハレー彗星、一緒に観たかったなって思ったんだ。

アサミ:うん。

 <イツキはグラスを煽る>

イツキ:……あー……泣くとか、いつぶりだよ。

アサミ:……泣いとけ泣いとけ。

イツキ:アサミも泣いてもいいんだぞ?

アサミ:泣くかっての。

 <アサミは微笑むと、グラスをイツキのグラスにぶつける>

アサミ:乾杯。

イツキ:今度は何に?

アサミ:ハレー彗星に?

イツキ:なんだそれ……。さっきまで知らんかったくせに。

アサミ:うふふー。
    そっかぁ、七十五年周期の彗星か。

イツキ:あーあ……観れんのかなー。

アサミ:観れるでしょ。
    しかもそのときには、「ほへー。これかー」なんてボーッと観てるかもよ?

イツキ:時間が忘れさせるって?
    そりゃ薄情すぎんじゃね。

アサミ:でも、忘れないって保証もないじゃん。

イツキ:確かに……。
    っていうかこういう思い出、さっきまでは忘れたいって思ってたはずなんだけどな。

アサミ:本当だ、確かに。

 間

アサミ:私が、夜明けの海でさ。
    彼に「別れよう」って言った時ね。

イツキ:うん。

アサミ:……私、彼のこと、愛してるなーって、思ったんだ。

イツキ:……え?

アサミ:愛してるから、別れようって、思ったんだよ。

イツキ:……愛してるから。

アサミ:そう。愛してなきゃ、別れるなんて言えないよ。
    矛盾してるかもしれないけど……そういうことも、あるんだ。
    恋人と別れる理由なんて色々あるし、言葉にできるほど単純なことばかりじゃないけど。
    だから、彼女もきっと、イツキを愛してたんだと思う。
    ハレー彗星はきっと、その愛の象徴だったりしてさ。

イツキ:(ため息)……やっぱ、忘れらんねえよ。

アサミ:(クスリと笑って)男は引きずるって言いますもんねぇ。

イツキ:それもそうだけど。
    ……ハレー彗星。絶対、観ようって、決めた。

アサミ:元彼女とよりを戻してってこと?

イツキ:そういう意味じゃなくて……!
    今後の人生どうなるかはわからないけど……絶対観る。
    白髪頭でも、禿げてても、観るって決めた。

アサミ:お。本日初の前向きな台詞。

イツキ:アサミも言っとけ。前向きな台詞。

アサミ:……私はもうわりと前向きだしなぁ。

イツキ:いまだに夢に観るんだろ。

アサミ:……うん。それは、まあ。

 <イツキはじっとアサミの目を見つめる>

イツキ:……観ちゃったのかよ。

アサミ:は? 何を?

イツキ:だから。明け方の海でさ。
    彼と観たかったもの、全部観ちゃったとか、思ったんじゃないの。

 <アサミはグラスを一気に飲み干す>

アサミ:ふぅー……鋭いなぁ。

イツキ:まあ……色々腑に落ちたって言ってたし。
    なんとなくな。

 間

アサミ:ごめん。
    ……本当はさ。先に別れようって言ったの、彼なんだ。

イツキ:……え?

アサミ:海に行く途中の車の中でさ。
    彼が先に、別れようって言ったの。
    それから二人で、ずっと黙ってて……。
    海についてからの話は、さっきの通り。
    日の出を観ながら……私も別れようって言った。
    ……さっきは偉そうに言ったけどさぁ、私、先に振られてるんだ。

イツキ:別に、どっちが先とか関係ないだろ。

アサミ:うん……。うん。わかってるけど……。
    やっぱりちょっと、こびりついちゃってるんだ。
    あの車の中の時間が……。
    指先が冷えていって、頭の中では色んなことがぐるぐる回ってさ。
    隣りにいる恋人が……誰か知らない人に見えていって。
    すごく、怖かった。

 <アサミは両手で顔を覆う>

アサミ:朝焼けを観た時に、「ああ、終わったんだ」ってわかった。
    さっきも言ったけどさ、全部、納得できちゃったんだよね。
    お互い口にしてこなかった言葉とか、感情とか、そういうのが、ああ、そうだったんだって。
    たださ……その時の海が、すごく綺麗で……。
    仕事のこととか、家のこととか、そういうのをすべて放り出して、海を観てるっていうのが……。
    付き合い始めた頃みたいだなって思えた。
    もう一回……ちゃんと彼を愛せたから、だから「別れよう」って言えたんだと思う。

イツキ:……ちゃんと愛だよ、それ。

アサミ:うん……。

イツキ:……後悔はしてないんだよな。

アサミ:それはしてないよ。絶対。
    別れるべきだったし、別れて良かった。

イツキ:アサミには無いの。
    彼とやり残したこととか。

アサミ:(吹き出して)無いよぉ。
    私達はイツキ達みたいにロマンチストじゃないもん。

イツキ:海で別れたカップルが良く言うよ。

アサミ:タイミングだよ。タイミング。

イツキ:……さて、いい加減アサミから、前向きな台詞を聞かせてもらいたいもんだが。

アサミ:え、嘘。私、前向きじゃない?

イツキ:うん。ない。

アサミ:っていっても……あんまり思いつかないな。
    今は仕事を頑張る、とか?

イツキ:んー……3点。

アサミ:ひっく! ってか前向きって何!
    今生きてるだけでもう前向きでしょ!

イツキ:よし、わかった。

 <イツキは笑みを浮かべる>

イツキ:アサミ……バイバイしよう。

アサミ:バイバイ……?

イツキ:恋愛ってさ……人生で一度――運が良ければ二度観れる彗星みたいなもんなわけだ。
    地球から離れて行ったんなら、しっかり見送ってやることが、前向きなスタートってやつだろ?

アサミ:(吹き出す)……はぁ? 何それ! だっさ……!

イツキ:いいから試しに! な!

アサミ:イツキ、酔ってる……!?

イツキ:今日はもう、恥ずかしいものないんだって!
    だから、言おうぜ! ほら!

アサミ:わかった、わかったって……!

 <二人はじっとお互いを見つめる>

イツキ:バイバイ。

アサミ:(吹き出す)……ちょ、無理……!

イツキ:恥ずかしがんなって! ……バイバイ。ほら。

アサミ:わかった……。えっと……バイバイ。

 間

イツキ:バイバイ。

 間

アサミ:バイバイ。

 間

イツキ:バイバイ。

 <アサミの目から涙が溢れてくる>

アサミ:……バイバイ。

 間

イツキ:……バイバイ。

 間

アサミ:うっそ……なにこれ……!
    涙……! 止まんない……!

イツキ:(笑顔で)……バイバイ。またいつか。

 間

アサミ:(笑顔で)バイバイ……私の、ハレー彗星。



 完


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