刃の裏に
作者:紫檀




胡蝶(こちょう):元くノ一。現在は女郎屋で格子太夫として世を忍んでいる。二十代後半
椿(つばき):元くノ一。胡蝶に拾われ育てられた。二十歳弱
鳶蔵(とびぞう):公儀の忍び
町人:瓦版売り


※2019年1月18日 台本使用規約改定(必読)





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町人:さあさあ瓦版だよ! なんと隣町いちばんの呉服屋、美濃(みのう)屋が夜盗の押し込みにあったそうだ! 詳しく知りたきゃ十文だよ!



胡蝶:………

椿:何見てるんですか? 胡蝶姉さん

胡蝶:…椿

椿:へ〜、姉さんでも瓦版とか見るんですねぇ

胡蝶:お客の置いてったものさ

椿:何々…呉服屋に押し込み。またいやに物騒な話ですねぇ

胡蝶:主人から番頭(ばんとう)、娘さんまで殺されたそうだ。可哀想にね

椿:まったく、お上(かみ)の仰る天下泰平は何処へやら

胡蝶:それよりも椿、あんた稽古はどうしたんだい

椿:げっ

胡蝶:げじゃないよ。また抜け出して来たのかい

椿:だって退屈なんですもーん

 椿、さっと空中で手をひと振りする 羽をもがれた羽虫が、ひらひらと畳の上に舞い落ちる

椿:座りっぱなしでお琴やら三味線やら、足がしびれてかないませんよ

胡蝶:その様子じゃ、まだ指先は鈍(なま)ってないみたいだね

椿:えへへ。少なくとも稽古なんかしなくたって、そこいらの芸妓(げいこ)にも遅れをとったりしませんよ

胡蝶:やれやれ、あんまりお絹(きぬ)さんを困らせるんじゃないよ

椿:はーい

胡蝶:それと椿

椿:はい?

胡蝶:今やアタシらはただの遊女だ。もう爪は研がなくたっていいんだよ

椿:………

胡蝶:アンタほどの器量があれば、年季を待たずとも身請けしてくれる男が見つかるだろうさ。立派な玉の輿に乗って、一人の女として幸せを全うすることだって出来るんだ――

椿:姉さん

 間

椿:姉さんに貰った″これ″が、私の全てなんです。…捨てたりなんて出来ませんよ

胡蝶:………

 椿、顔を上げる

椿:なーんてね! あ、それに、私は姉さんより先に身請けされるつもりはないので! それを言うならまず胡蝶姉さんがイイ人を見つけて下さいな

 椿、軽い身のこなしで部屋の外に飛び出す

胡蝶:あっ、こら椿!

椿:そろそろお絹さんがカンカンになって駆け込んでくると思うんで〜、ここいらで失礼しま〜す

 椿、去る

胡蝶:まったく…バカだねあの子は…

 間

胡蝶:この気配……鳶蔵だね――…

鳶蔵:………ああ

 暗闇から鳶蔵が姿を現す

胡蝶:今日は何の用だい

鳶蔵:任務(しごと)の下知(げじ)だ

胡蝶:……聞こうか

鳶蔵:美濃屋という呉服問屋が押し込みにあった話、聞き及んでいるか

胡蝶:…吉原(ここ)じゃその手の噂は早いよ

鳶蔵:ならば話は早い。奉行所の調べでは、徒党を組んだ忍び崩れである可能性が高いとのことだ

胡蝶:忍び崩れ、ねぇ…

鳶蔵:戦が終わってからというもの、そういった輩による被害が増えている

胡蝶:ふぅん、気の毒にね…

 間

 胡蝶の持つ煙管が紫煙をくゆらせる

胡蝶:それでアンタの所に話が回ってきたわけかい

鳶蔵:そうだ。…胡蝶、お前の腕は御上も認めている。今回の件で下手人(げしゅにん)を突き止める事が出来れば、公儀(こうぎ)に取り立てられるとの事だ

胡蝶:興味無いね…

鳶蔵:胡蝶

胡蝶:お役目に興味なんて無いさ。ただ……道を踏み外した忍びを野放しにしておくわけにも行かないねぇ

鳶蔵:頼めるか

胡蝶:下手人(げしゅにん)は…突き止めるだけでいいのかい

鳶蔵:………始末を付けろとの御達しだ

胡蝶:…わかったよ

鳶蔵:では、期待している

 鳶蔵、姿を消す

胡蝶:………時代に置き去られた野良犬どもかい、あんたらもさ



 §



椿:姉さん。胡蝶姉さん

胡蝶:椿……入りな

椿:えへへ、どうも

胡蝶:また夜這いかい。お絹さんに大目玉を食らったばかりじゃないか

椿:まあまあ、いいじゃないですか

胡蝶:自分で言うんじゃないよ。今日はなんだい?

椿:んー、大した話じゃないんですけど…

 間

椿:昼間話してたこと、覚えてますか

胡蝶:どうしたんだい。急に改まって

椿:姉さんもいつか、身請けされちゃうんですかね

 間

胡蝶:あんたが言ったんじゃないか。あたしが身請けされるまで、自分も離れる気は無いってさ

椿:そうなんですけど、考えてたらなんだか……寂しくなっちゃって

胡蝶:……困った子だねえ

 胡蝶、帯を緩める

胡蝶:ほうら、こっちへおいで

椿:………

 胡蝶、そっと椿を抱き寄せる

胡蝶:椿、あんたはとっくに一人前さ。あたしがついてなくとも、じゅうぶん一人でだってやっていける

椿:でも姉さん。私、怖い

胡蝶:………それにね、椿

 胡蝶、ゆっくりと椿の胸元へ右手を差し入れる 椿、抵抗しない

椿:んっ………

胡蝶:今となっちゃアタシたちは、こんな血なまぐさいものは必要ないんだよ……

 胡蝶が手を引き出すと、右手には鋭利な針状の鋼が握られている

椿:……!

胡蝶:戦(いくさ)の時代は終わったのさ

椿:イヤです…!

胡蝶:………

 椿、苦無を握った胡蝶の右手を胸に抱きしめる

椿:全部姉さんから貰ったものなんです!

胡蝶:椿……

椿:戦いの術(すべ)も、伽(とぎ)の致し方もすべて姉さんが教えてくださいました!

胡蝶:………

椿:この苦無(くない)の扱い一つに至るまで、すべて姉さんが与えてくださいました

 間

椿:戦(いくさ)で何もかもを失った幼い女子(おなご)を、姉さんが拾い育ててくださったのです。戦(いくさ)の中に在っても生きて行けるように……

胡蝶:………

椿:それを捨てるのが、椿は怖くてかないません。胡蝶姉さん

胡蝶:……悪かったよ。それはちゃんと仕舞っておおき

椿:いいえ…ごめんなさい、姉さん

胡蝶:いいんだよ。妹分の泣き言を聞いてやるのも、姉分の役目さ

椿:……はい

 間

椿:姉さん

胡蝶:なんだい

椿:怒らないで聞いてもらえませんか

胡蝶:今更なにを聞いても怒りやしないよ、言ってごらん

椿:私と、足抜けしてほしいんです



 §



胡蝶:………

 数日後の夕暮れ、美濃(みのう)屋の邸宅の庭園で、忍び装束に身を包んだ胡蝶が物陰に潜んでいる

 回想

胡蝶:あんた…自分が何を口走ってるか分かってるのかい

椿:………

胡蝶:……あんた疲れてるのさ。今日はもう床(とこ)に戻って休みな――

椿:姉さん

胡蝶:………

椿:私はふざけてなんかいません、胡蝶姉さん

胡蝶:足抜けをすればすぐにでも追手がかかる。そのくらいあんただって知ってるだろう

椿:私と姉さんなら、亡八(ぼうはち)の追手を撒(ま)くくらいわけないはずです

胡蝶:買いかぶりすぎだよ。あたしの身体はとうに鈍(なま)ってる

椿:そんな…

胡蝶:酷だけどね、椿

 間

胡蝶:あたしもあんたも、もう忍びじゃないんだ

 間

椿:私は…姉さんの教えを忘れるつもりはありません

胡蝶:………

椿:姉さん、身請けさせてください

胡蝶:なんだって? 遊女が遊女を身請けするってのかい

椿:外にいる見知りの男に、姉さんの身請けをさせます。私は後から楼(ろう)を抜けて会いに行きますから、姉さんは先に外に――

胡蝶:ちょっと待ちなよ椿。あたしはこう見えても格子太夫(こうしたゆう)だよ。身請けする金子(きんす)なんてどこにあるんだい

椿:………金子(きんす)なら、あります

 間

椿:外でちょっとした仕事をしたんです。だから姉さんは心配しないで下さい

 回想終わり

 胡蝶、憂いのきく侘しい目つきで沈みゆく陽を見つめている

胡蝶:……椿、アンタは――

 鳶蔵、暗がりから姿を現す

鳶蔵:胡蝶、待たせた

胡蝶:いいよ……まだ時間はある

鳶蔵:しかし一体…こんな場所へ何の用だ

胡蝶:………

鳶蔵:自分の目で現場を検(あらた)めたいとでも言うのか

胡蝶:……金子は見つかったのかい

鳶蔵:何?

胡蝶:呉服屋から盗られた金子さ

鳶蔵:いや…

胡蝶:金目の物もあらかた盗られちまったそうじゃないか。隠すにしたって結構な荷物だろう

鳶蔵:………

胡蝶:そんな大荷物が江戸から運び出された、なんて話は

鳶蔵:聞かんな

胡蝶:質屋に流された、なんてのも

鳶蔵:無い

胡蝶:じゃあ盗んだお宝の隠し場所があるってことかい。この江戸のどこかに

鳶蔵:ああ、それを今奉行所が血眼(ちまなこ)で探している

胡蝶:……隠し事はまつ毛の如し、ってかい

鳶蔵:何だと

胡蝶:隠し場所なら、目の前にあるじゃないか

鳶蔵:胡蝶……よもや……

胡蝶:ついておいで



 §



鳶蔵:ここは……

胡蝶:美濃屋さんの蔵さ。今となっちゃあ蛻(もぬけ)の殻だね

鳶蔵:既に同心によって検(あらた)められたはずだが

胡蝶:美濃屋さんはさる置屋(おきや)のお得意様だったそうだよ

 胡蝶、蔵内の壁や床を探り始める

鳶蔵:それがどうした

胡蝶:娼妓(しょうぎ)の間で前々から噂されていたのさ。美濃屋の主人が宝物庫を隠し持って、金銀財宝を溜め込んでるってね。大方、馴染みの敵娼(あいかた)に漏らしていたんだろうさね

鳶蔵:胡蝶、何をしている

胡蝶:ここだね

 胡蝶が床の隙間に指を差し込み力強く引くと、錠前の付いた物々しい鉄扉が姿を現す

鳶蔵:これは…!

胡蝶:この錠前の鍵の持ち主が現れたら、そいつが下手人(げしゅにん)ということだろうさ

鳶蔵:そういう事か…つまりこの蔵を見張っておけばいずれ姿を現すはず。すぐに奉行所に報告を――

胡蝶:まあ待っておくれよ。この日この刻(とき)にアンタを呼び出したのはね、奴(やっこ)さんが丁度金子を回収しに来ると踏んだからさ

鳶蔵:馬鹿な! ならば尚更増援を呼ばなければ…! いくら忍び崩れとて奴らは徒党を組んでいる。胡蝶、おぬしが手練れと言えど我ら二人では手に余るぞ!

胡蝶:…徒党を組んでるなら、お宝なんてとっくに運び出されてるさ

鳶蔵:何?

胡蝶:でもそうしなかった。いや、出来なかったのさ

鳶蔵:まさか…

胡蝶:言っただろう。その美濃屋の宝物庫は、前々から "娼妓の間で噂されてた" って

鳶蔵:だが胡蝶…それでは…

胡蝶:(ふふふと笑って)そんな目で見ないでおくれよ、鳶蔵さん

 間

胡蝶:あたしだってこんな勘…当たって欲しくなかったさ

 蔵の扉がゆっくりと開く

胡蝶:あんたもそうだろう……椿

椿:………

 扉の向こうから、忍び装束に身を包んだ椿が姿を現す

鳶蔵:なるほど………くノ一が一人で、か………

椿:姉さん……どうして……

胡蝶:鳶蔵さん、あんたは立ち合い人として呼ばせてもらったんだ。ここは一旦、あたしに預けてもらえやしないかい

鳶蔵:分かった………抜かるなよ

椿:どうして………

胡蝶:椿……

椿:どうしてそんな恰好をしているんですか…! 姉さん!

 椿、懐から苦無を引き抜き、胡蝶へ飛び掛かる。同様に胡蝶も得物を抜き、応戦する

胡蝶:……ッ!

椿:私には得物を捨てろと言いながら…! 忍びを捨てろと言いながら…! 何故嘘を吐いたんですか…胡蝶姉さん!!

胡蝶:椿……あんた……!

椿:お前は誰だ! 男ッ!

 鳶蔵が視界に映るやいなや飛び掛かる椿。それを胡蝶が阻止する

胡蝶:ぐっ…!!

椿:姉さん……

胡蝶:させないよ…椿…

椿:姉さん……何故ですか……姉さん……

胡蝶:聞きたいのはアタシの方だよ……堅気(かたぎ)の人間を手に掛けるなんて……

椿:違います…私はただ、姉さんと…

胡蝶:………

椿:少しの金子があればよかったんです、姉さんを身請けできるだけの金子が……。それを運悪く娘に見られてしまって…声を上げたから…だから…

胡蝶:椿、あんたはあたしの一番大事な教えを忘れてしまったのさ

椿:あ、ああ……

胡蝶:今のあんたは……もう忍びじゃない

椿:違う……

胡蝶:ただの……化け物さ

椿:違うッ!!!

胡蝶:…ッ!!

椿:違う、違う、違う!! 悪いのは私じゃない…! 時代が、時代が悪いんだッ! 散々私を使い潰したクセに! 散々殺させたクセにッ! 騙して! 取り入って! 殺して! それで今更、天下泰平だなんて糞喰らえだッ!! 

 得物を打ち合い立ち回る椿と胡蝶

椿:それでも姉さんさえいてくれればよかったんだ…! あんな狭い籠(かご)の中なんか飛び出して! 私と一緒に舞ってくれれば、それだけで…それだけでッ!!

胡蝶:椿……そいつはね……!

椿:……!

 一瞬の隙をつき、胡蝶は椿の喉を掻っ切る

胡蝶:胡蝶の夢ってやつだよ

椿:あ…がっ…げほ…

 椿、首元をおさえ膝をつく

胡蝶:悪い夢から早く醒めな、椿

椿:くっ……う……ああ……!

鳶蔵:ッ! 胡蝶! 気を抜くな!!

椿:胡蝶ぉぉぉおおおッ!!!

胡蝶:……ッ!!

 椿の持つ苦無の切っ先が胡蝶を捉える

 間

椿:………なーんて、ね

 椿、力なく苦無を取り落とす

胡蝶:椿…!

 胡蝶、崩れ落ちる椿を抱き留める

椿:えへへ……姉さんのこと、呼び捨てちゃった……

胡蝶:椿……馬鹿だねあんたは……ひと思いに突けばいいものを……!

椿:………思い出したんです

胡蝶:………

椿:刃(やいば)の裏に心があるから……忍(しのび)……

胡蝶:……!

椿:私ったら……一番大事なこと……忘れて、ゲホッゲホッ!!

胡蝶:もういい! もういいんだよ! あんたは立派な忍びさ……椿……

椿:あはは……姉さん、あったかい……

胡蝶:………

椿:胡蝶……姉さん……

胡蝶:なんだい、椿

椿:(何かを言うように口が動く)

胡蝶:………

 間

鳶蔵:……こと切れたか

胡蝶:ああ

鳶蔵:……涙を流したとて、俺は責めんぞ

胡蝶:(ふっと笑って)……何言ってんだい

 胡蝶、そっと椿を寝かせ、立ち上がる

胡蝶:これがあたしの任務(しごと)さ……そうだろう?

鳶蔵:……胡蝶

胡蝶:あたしが道を踏み外したら、あんたも同じように斬ってくれるかい?

鳶蔵:………

胡蝶:……なーんてね。後始末は任せたよ

 胡蝶、その場を去る

鳶蔵:冗談は似合わんぞ……胡蝶



町人:さあさあ瓦版だよ! なんと先日の美濃(みのう)屋押し込み強盗の下手人があえなくお縄になったそうだ! 詳しく知りたきゃ十文だよ!





刃の裏に 了












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