君を殺すのに十秒もいらない
作者:domino




鈴木 千絵(すずき ちえ):16歳の女性。進学校に通うお嬢様。

吾妻 慎之介(あずま しんのすけ):27歳の男性。藝術大学を出てから画家として活動している。

牧 勇平(まき ゆうへい):22歳の男性。牧医院という開業医の家柄ながら、夢もなく日々過ごす放蕩者。千絵とは幼馴染である。

加藤 市子(かとう いちこ):21歳の女性。場末のホステスとして働く女性。ピアノを弾くのが趣味。勇平は高校の先輩にあたる。

鈴木 幸夫(すずき ゆきお):38歳の男性。千絵の父である。上場企業の社長をしている。

進行(1セリフ):市子役と被り。


本台本内の設定は1970年初頭の日本である。
背景を知らずとも問題なく進行することができることと思う。

また、多少エロティックな描写があるので、確認の事。





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 【1970年初頭・日本・関東の何処かで】


 <慎之介は一人で部屋の安楽椅子に座っている
 <室内には時計の針が触れる音だけが響いている
 <慎之介は時折、白湯に手を伸ばすが、口をつけることはない

 <慎之介はふと電話でどこかをコールする


慎之介:……慎之介です……。
    ……香織さん、夜分にすみません。
    ……いや、大丈夫です。
    ……ところで、今繋がっているこの電話ですが、外してしまってもよろしいでしょうか。
    ……ええ……。
    ……なんといいますか、とても集中して絵が描けそうもありません。
    ……鳴ったわけではないのですが、どうにも。
    ……ええ。 ……いえ。
    ……あとは、画材を買う金が尽きてしまったので、明日、お持ちしていただけますか。
    ……ええ。それでは。

  <慎之介は電話を切った

慎之介:放っておくんだ……。

 間

慎之介:放っておけ! 静かにしろ!
    ……静かに……。
    ……静かに……そう……静かに……。


 ◆


  <喫茶『アサノ』・店内
  <ビージーズの「メロディフェア」が流れている

勇平:(煙草を吸っている)

 間

千絵:ねえ。

勇平:何だ。

千絵:つまらないわ。どこか行きましょうよ。

勇平:珈琲代。

千絵:え?

勇平:俺が払うんだぞ。

千絵:……なあに、それ。(席を立とうとする)

勇平:オイ。どこに行く気だ。

千絵:もう帰ります。

勇平:座れ。

千絵:珈琲代ももったいないような安い女ですもの。

勇平:(煙を吐いて)千絵。

 間

勇平:いいから、座れ。

 間

千絵:……わかった。

 間

千絵:私、この間のテストの成績も良かったのよ。

勇平:そうか。

千絵:どうやら私には国語の才能があるようだって。
   村上センセが褒めてくださったのよ。
   感受性が素晴らしいって。

勇平:(煙を吐く)

 間

千絵:勇平さん、今度、ギターを弾いてよ。

勇平:んん?

千絵:ほら。フォークソング、最近歌ってないわ。

勇平:……ああ、今度な。

 間

千絵:やっぱり今日は帰ります。

勇平:(煙を吐く)そうかよ。

千絵:止めないのね。

勇平:帰りたいんだろ。

 間

千絵:(席を立つ)……そうですね。

勇平:千絵。次はいつ会う。

  <千重は店を出て行った

勇平:(煙を吐く)マスター。ラジオを貸してくれ。


 ◆


  <鈴木家の廊下。

千絵:(電話をしている)
   ……ええ、そうなのよ。
   ……すごくガッカリね。
   ……ああ、そう……ええ……。
   ……そうなの? 嫌だ、私、聞いてない。
   ……ええ……ええ……。

幸夫:千絵。いい加減にしなさい。

千絵:わかりました。
   ……うん……また学校で。
   (電話を切る)
   すみません、お父様。

幸夫:まったく、だらしがない。
   俺がいない時にはいつもこうして長電話をしているのか?

千絵:すみません……。

幸夫:お前のために、俺はいくらかければいいんだ?
   言ってみろ……。

千絵:……感謝、しています。

 間

幸夫:夕飯前に着替えて降りてこい。

千絵:え? どうして?

幸夫:今日は夕飯にゲストが来るんだ。
   言ってあったろう。

千絵:……聞いてないわ。

幸夫:俺が言ったと言ったら言ったんだ。
   薄いブルーのドレスがあっただろう。あれにしろ。

千絵:わかった。
   ……でも、聞いて、お父様。
   私ったらおかしいのよ。さっきも学校の村井さんに聞いたのだけど、
   文化祭のポスターを私が描くんですって。
   でも私、それ聞いてないのよ。
   最近、聞いてないことばかりーー

   <既に廊下に幸夫はいない。

千絵:……誰も私の言うことは聞こうともしないのね。
   みんな、最低よ。


 ◆


  <鈴木邸リビング
  <席に着く幸夫・慎之介・千絵

幸夫:吾妻先生。洋酒はどうですか?

慎之介:いただきます。

幸夫:いいワインがあるんだ。
   千絵、お酌して差し上げろ。

千絵:……はい。

慎之介:ありがとう。

  <千絵は慎之介のグラスに、ワインを注ぐ

慎之介:良い色ですね。

幸夫:そうですか? いや、そうですかね。
   しかし、まず色を褒めるというのが素晴らしい。
   才能を感じるというものですよ。

慎之介:いえ、そんな大層なものでは。

幸夫:謙遜なさらなくてもいい。
   見てください。リビングの真ん中に置いているんです。
   慎之介先生の作品、「揺れる男」

  <幸夫・リビングの壁にかけられている絵を差す。

幸夫:あなたの絵には、美しさの中に洗練されたテーマを感じる。

慎之介:ありがとうございます。

幸夫:「揺れる男」は、藝術大学在学中の作品だとか。
   どういった考えでお描きになられたんですか?

慎之介:(ワインを飲んで)初めて、銀座に行ったときのことです。

幸夫:ほう。
   私などは、たまに家族でいっていますよ。
   デパートがいいですね、あそこは。

慎之介:僕が初めて訪れた時、とても面白いものがありまして。
    一面のガラス窓の中に、商品がディスプレイされていまして、
    商品の背後にはですね、大きな鏡が置かれていたんですよ。

千絵:あ。

慎之介:ん?

幸夫:(ため息)千絵、先生のお話の最中だぞ。

千絵:……すみません。

慎之介:いえ。千絵さん、どうされました?

千絵:あの……私、見たことがあって。
   きっと、駅の少し外れにあるお洋服屋さんじゃないかな、と。

慎之介:ええ。ええ、その通りです。
   今の話だけでよくわかりましたね。

千絵:とても、印象的だったので。

慎之介:なるほど……どういったところが、印象に残りました?

千絵:……お父様?

幸夫:聞かれたことには答えなさい。

千絵:……お洋服が透明なマネキンに着せられて、通りの方じゃなくて鏡の方を向いているものだから、
   なぜなのか気になって鏡を覗き込んでみるでしょう?
   そうしたら、自分がその服を着て、街に立っているようにみえるの。
   まるで、キャンバスに風景ごと描き込まれたみたいに。
   3つの服があって、私、30分もその場で見ていたのよ。
   お母様に肩を掴まれるまでずっと。
   だって街の風景は変わるでしょう? 歩く人が変わればそれだけでまったく違う見え方をするものーー

幸夫:千絵。
   ……すみませんね、先生。
   見た目と違っておしゃべりな娘で。

千絵:……すみません。

慎之介:お名前の通りですね。

幸夫:え?

慎之介:お話を聞いていて思いました。
    まるで千の絵を見ているように、表情が変わっていく。

千絵:そんな……。

幸夫:お上手ですな。

慎之介:僕もまさに、あそこの店で同じようなことを思ったものです。
    そこに映る自分の中で、揺れ動いた感性をまさに、あの絵に込めたのです。

幸夫:そうでしたか。
   実のところ、これにも絵をやらせておりましてね。

慎之介:そうでしたか。

幸夫:そうだ。千絵、先生に見ていただくといい。

千絵:そんな! いいです、そんな! 恥ずかしいわ、お父様!

幸夫:こんな機会、滅多にあるもんじゃないぞ。
   食事が終わったら案内なさい。

慎之介:ぜひ、お願いします。

千絵:……はい。

 間

幸夫:それで、吾妻先生。
   ひとつ、相談事なのですがね。

慎之介:ええ。なんでしょうか。

幸夫:肖像画をひとつ、お願いできないでしょうか。

慎之介:肖像画、ですか。

幸夫:ええ。うちの妻をぜひ、先生に描いていただきたいのです。

慎之介:そういえば、奥様の姿が見えませんが。

幸夫:今は療養で京都の実家に帰っておりまして、
   あと2週もしたら戻って参りますから、どうでしょう。
   これが写真です。(写真を手渡す)

慎之介:なるほど……。2週後ですと、予定がどうかわかりませんが……。

 間

慎之介:他ならぬ、鈴木さんの頼みなら。

幸夫:そうですか! 良かった!
   いや、本当にありがとうございます!
   さあ、どんどんワインをーー私もいただきます。


 ◆


  <千絵はアトリエ兼自室に慎之介を招いた

千絵:嫌だわ……! 散らかっていて恥ずかしい……。

慎之介:いいアトリエですね。

千絵:ありがとうございます。

慎之介:窓が大きい。昼間はさぞ良い陽が入るでしょうね。

千絵:ええ、陽の光はとてもよく入ります。

 間

慎之介:それでは、見せていただいても?

千絵:ええ。

  <千絵は机の端から何枚か絵を取り出す

慎之介:(絵を観ていく)なるほど。

 間

慎之介:これは、描いた順番になっていますか。

千絵:ええ、そうです。

 間

慎之介:この水彩画以降の作品はこれがすべてですか?

千絵:え? あ……いや。

慎之介:あるならぜひ、見てみたい。

千絵:あるには……あるのですけど。

  <千絵は迷いながら、机の引き出しを開けると、3枚の絵を取り出す。

慎之介:もし気分が乗らないなら結構ですよ。

 間

千絵:いえ。

 間

千絵:吾妻先生になら、見ていただきたいです。
   (絵を渡して)どうぞ……。

  <千絵から渡された絵には、裸の女が水彩で描かれている。

慎之介:……これは。

千絵:違うんです! あの……!
   きっかけは、吾妻先生の絵、なんです。
   「揺れる男」もそうですけれど、喫茶店に寄贈されていた「絡み合う腕」
   あれをはじめて見てから、どうしても描きたくなって……!
   銀座のお話! さきほどの……! あのお洋服屋さんで、大きな鏡をみて、それから、
   アイデアが、湧いて、それでーー

  <千絵は恥ずかしそうに顔を覆った

千絵:自分の……ヌードを……。

 間

慎之介:手鏡。

千絵:え?

慎之介:手鏡を使いましたね。

千絵:ええ、私が持っている鏡で、一番大きいものを……。

慎之介:千絵さんは、今は学校に?

千絵:はい。高校に、通っています。

慎之介:終わって、そのあと、僕のアトリエに来るというのはどうですか?

 間

千絵:いきます……!

慎之介:机をお借りします。
    (メモに書く)これが住所です。それとーー

  <慎之介はポケットから札束を取り出して、千絵に手渡す

慎之介:これで、この3枚を譲っていただけませんか。

千絵:吾妻さん、そんなこと……!

慎之介:足りないようなら、また用だてます。

千絵:でも、そんな。私はただの学生ですし!
   それに、この絵にそこまでの価値があるとは……

 間

慎之介:わかりました……。
    無理にお譲りいただくというのも可笑しな話ですから。

千絵:いえ、そんな……。

慎之介:では、そろそろお暇しますね。
    鈴木さんが車を待たせてくださっているそうなので。


 ◆


  <夜・ボウリング場の隅でタバコを吸っている勇平。
  <市子が近づいてくる。

市子:勇平じゃないの。

勇平:(煙を吐く)

市子:一人でボウリング?
   (レーンを見て)予約もないんじゃできっこないわよ。

勇平:アサノを閉め出された。

市子:私は女子ボウリングチームの大会なの。
   24チームも出るのよ、嫌になっちゃう。
   始まるのなんて何時になるか。

 間

市子:髪、伸びたわね。

勇平:ああ。

市子:正直に言おうか。

勇平:なんだよ。

市子:フォークシンガーっぽくて素敵よ。

勇平:(煙を吐く)

市子:弾きにいらっしゃいよ。
   私も最近は西口の茶店(サテン)で弾いてるのよ。

勇平:吸うか?

市子:もらうわ。

  <市子・勇平からタバコを受け取る。

市子:(煙を吐く)……くだらないことだったのね。

勇平:何が。

市子:学生運動なんて。

 間

勇平:(笑って)後からならなんだっていえるさ。

市子:その時は重要だったって?

勇平:ああ、そのときは。

市子:持ち上げられて、良い気になるなんて、バカのすることよ。

勇平:後からなら、なんだっていえる。

市子:大学だって、本当は行けたっていうのに。

勇平:(煙を吐く)いいんだよ。どうせ向いてない。

市子:後からはなんでも言えるものね。

勇平:アメリカ人だったら良かった。

市子:(吹き出す)何よ、それ。

勇平:大義がある。

市子:わかりゃしないわよ。そんなもの。

勇平:最近じゃ、どうにもわからなくなった。

市子:(煙を吐く)働きなさいよ。

勇平:働いてる。西川さんの工場で、毎日、毎日。

市子:そう。働くしかないの。毎日、毎日ね。

勇平:思想というのはそう簡単に変わらん。
   だが、世間は簡単に変わるよ。

市子:(笑う)そうよね。

 間

市子:今日ね、部屋に誰もいないの。

勇平:んん? 来いって?

市子:ええ。(煙を吐く)……そういえば、あの女の子は最近どうしているの?
   いかにも箱入りって感じの子。

勇平:最近はうまくいってないな。

市子:ああいう子、やめた方がいいわよ。
   かわいそうだもの。

勇平:俺が騙してるって?

市子:そうじゃないわ。アンタがかわいそうだって言ってるの。

勇平:(煙を吐く)どういう意味だ。

市子:ああいう子にはね、未来があるのよ。
   あんたみたいに腐って、日がな一日サテンでタバコ吸いながら、
   ディランを聴いてるようなやつとは住む世界が違う。

勇平:……そうだろうな。

市子:興味本位なんだから。
   ちょっとした不良に憧れるようなもんよ。
   期待するだけバカをみるだけ。

 間

市子:友達が呼んでるわ。部屋に来る時、いつものところに鍵置いてるから。

勇平:ああ……。

市子:タバコ、ごちそうさま。


 ◆


  <翌日・慎之介のアトリエに招き入れられる千絵。

慎之介:どうぞ。

千絵:お邪魔、します。

慎之介:……お好きなところに座ってください。

千絵:すごい……。

  <千絵・置かれている絵に歩み寄る。

千絵:これは、どこの景色ですか?

慎之介:僕の住んでいた街です。
    あまり風景画は評判が良くないのですが、写真代わりに置いています。

  <千絵・イーゼルに乗ったスケッチブックに釘付けになる。

千絵:これは……。

慎之介:今描いているものです。

千絵:自画像、ですか?

慎之介 ええ。

千絵 でも、これは……その……。

慎之介 ええ、 自分のヌードです。

 間

慎之介:……全身鏡を使います。

千絵:全身鏡……?

慎之介:ええ。自分をモデルにするときは全身鏡を……これです。

千絵:大きい……。

慎之介:特注のものです。

 間

慎之介:驚きましたよ。

千絵:え?

慎之介:まさか、千絵さんが僕と同じ発想に至るとは。

千絵:いえ! そんな……同じだなんてこと……。
   偶然です。

慎之介:偶然では3枚も描きません。

千絵:……光栄だわ……。

 間

慎之介:折り入って、お願いしたいことがあります。

千絵:……なにをですか?

 間

慎之介:……モデルを。


 ◆


  <その日の晩・鈴木邸食卓

幸夫:今日も、随分と遅かったそうだな。

千絵:……ええ。

幸夫:また喫茶店なんぞへ出入りしてるんじゃないだろうな。

千絵:そんなことないわ! だれがそんなこというのよ。

幸夫:ウエダが言っていたぞ。洗濯物がタバコくさい日があると。

千絵:……そう。ええ、友達と少しだけ。

幸夫:素行の悪いやつとは付き合うな。

千絵:わかっているわ。

 間

千絵:吾妻先生よ。

幸夫:先生? 先生がどうした?

千絵:我妻先生がね、私の絵を気に入ってくださって、それでアトリエにお呼ばれしたの。

幸夫:……本当か! いや! そうか!
   そうかそうか! ははは! いや、それならいい!
   いいか。あの人はきっと後世に名を残すような画家になる。
   私の眼に間違いはない。いや……そうか! そうならそうと早く言え!
   それでいうと色々と考えなくてはいけないな。
   お前ももっとーー


 ◆


   <慎之介のアトリエ

慎之介:では、お願いします。

千絵:……はい。

 間

慎之介:あまり躊躇すると良くない。
    いつもの……あの絵を描いたときのように。

 間

千絵:……はい。

   <千絵・自分の身体を覆っていたタオルを地面へと落とす。
   <千絵は全裸で慎之介の前に立っている。

慎之介:……少し、深呼吸をして。

千絵:深呼吸、ですか?

慎之介:そう。肌が赤くなってしまっているから。

千絵:嫌だわ……! やっぱり恥ずかしい……!

慎之介:(笑って)一度座って。

千絵:(椅子に座る)……はい。

慎之介:僕の方は観なくていいから、そうだな。
    少し話をして。

千絵:話を……?

慎之介:そう。例えば学校は、どうですか。

千絵:学校は……進学高なので、勉強ばかりです。
   成績は良い方なので、ついていくのは難しくはないです。

慎之介:友達は? 多いですか?

千絵:友達は……ええ。そう呼べる人は数人。
   皆忙しいので、遊びに行ったりはあまり。
   でも、先月初めて、みんなでボウリングに行きました。

慎之介:そのときはどうでした。

千絵:あまり身体を動かすのは得意じゃないので、点数は高くなかったと思います。
   恥ずかしいって思ったけれどーー
   ボウルが、帰ってくるでしょう? なんだか健気に見えてきてしまって。
   ボウルを持って帰りたいなんて、思ってしまいました。
   それで、家に帰ってから、そのときのボウルをスケッチしたりして。

慎之介:……そのまま、こちらを向いて。

千絵:え? ああ、はい。

  <吾妻・スケッチをしていく

慎之介:……家はどうですか?

千絵:家……。

 間

千絵:家は……いい生活をしているって、友達はいいます。
   けどーーごめんなさい、あまり話すことが面白くないのは知っているんです。

慎之介:いいえ、十分に楽しんでいますよ。
    それに、お宅にお邪魔したときに感じたことの答えも、聞きたかったところです。

千絵:聞きたかった?

慎之介:あの家には鈴木さんと2人だけでお住まいですか?

千絵:いえ。夕方まではウエダさんというお手伝いさんがいらっしゃいます。
   ウエダさんが家事を。

慎之介:なるほど。

千絵:……ええ。

 間

千絵:絵を描いている時、吾妻先生は、どうなのですか。

慎之介:どう、とは?

千絵:自分の目に映るものを、ただ形にして、それが出来上がった時、お父様も、お母様も褒めてくださって。
   でも、いつからか、それだけではダメになっていくではないですか。
   技術や、より高尚なテーマを求められて、そしていつからかーー

慎之介:孤独。

 間

千絵:ええ……そうです。

慎之介:鈴木さんのお宅はまるで、公園で吹きさらしのベンチのようだ。

 間

慎之介:あるいはーー

千絵:やめてください。

 間

千絵:……そうして、見透かすのは。やめてください。

 間

慎之介:奥様は、本当に療養中ですか。

 間

千絵:いえ。

慎之介:なるほど。

千絵:私がいったことはーー

慎之介:いいませんよ。

 間

千絵:お母様は……出ていきました。
   お父様が、その……お母様は、愛想をつかしてしまって。

慎之介:他の女性と不倫を?

 間

慎之介:いえ、そうですか。
    ……では、僕に自画像を頼んできたのも?

千絵:ご機嫌取りです……。
   本当に、お恥ずかしい話ですが。

 間

慎之介:(笑う)……本当に、良い顔をする。

  <慎之介は立ち上がると、スケッチを千絵に手渡す

千絵:え?

慎之介:ありがとうございます。
    僕は出ていますので、ゆっくりお着替えをしてください。

千絵:あの!

 間

千絵:何故! ……顔だけしかお描きになられないのですか?
   何か、私ーー

慎之介:いえ……もったいなくて。

千絵:それは、どういう……。

慎之介:貴女を描くなら、もっと大きなキャンバスがいいと思いました。

  <慎之介は部屋を出て行く
  <千絵はスケッチを見ながら口に手を当てる

千絵:嘘……私、先生の前で、こんな顔をしていたの……?

 間

千絵:(ため息)どうしよう……。


 ◆


  <翌日・バス停で立ちすくむ勇平
  <そこに心ここにあらずといった様子の千絵が通りかかる。

勇平:……千絵!

千絵:(気付かず通り過ぎようとする)

勇平:千絵? 千絵!

千絵:え?

 間

千絵:ああ、勇平さん。

勇平:……あの。

 間

勇平:この間は、すまなかった。
   喫茶店で。

千絵:ああ。そう……。

 間

勇平:今日の夕方、西口の『フロウラ』という店で、ギターを弾く。

千絵:そうなの。

勇平:レコード会社の人もよく来るんだ。
   うまくすれば、契約とか、そういうこともあるといわれた。

 間

勇平:5時からだ。もしーー

千絵:ええ。わかった。5時、西口の『フロウラ』。

勇平:そうか……。

 間

勇平:千絵。何か様子がおかしくないか?

千絵:そう? 別に何も変わらないわ。

勇平:……そうか。

千絵:私、もう行くわね。

勇平:ああ。待ち伏せて、すまない。

千絵:……それじゃあ。


 ◆


  <慎之介のアトリエ

千絵:吾妻先生。千絵です。
   お邪魔いたします。

 間

千絵:先生……?

  <吾妻・朦朧とした様子でキャンバスの前に座っている

慎之介:ああ……千絵さん。

千絵:どうか、されましたか?

慎之介:いいや……それよりも……。

千絵:はい。

慎之介:少しーー

  <慎之介・椅子から倒れる

千絵:キャア! 先生! 大丈夫ですか! 先生!

慎之介:……大丈夫。

千絵:お怪我はありませんか!?

慎之介:……ベッドの上に……。

千絵:はい……!

  <千絵は慎之介に肩を貸して、ベッドに座らせる

慎之介:水を……。

千絵:はい。

  <千絵は水道から水を汲んで持ってくる

慎之介:(水を飲んで、息を吐く)

千絵:……お加減はいかがですか。

慎之介:ええ……。

千絵:どうされたんですか。

慎之介:驚かせて、すみません。
    集中すると、たまに……。

千絵:ええ……。

慎之介:どうにも、昨日から……。

千絵:ええ……。

 間

慎之介:イメージが……止まらず……。

千絵:ええ……。

  <2人はベッドの端に座っている。
  <沈黙の中、自然と視線が絡み合っていく。

千絵:……吾妻、先生。

 間

慎之介:……慎之介でいい。

 間

千絵:慎之介、さん。

  <ゆっくりと、2人の顔が近づき、そのまま唇が重なる
  <口づけを交わしながら2人は抱き合う

千絵:あ……だめ……。

慎之介:千絵さん……。

千絵:……もっと……呼んで。

慎之介:千絵……。

千絵:慎之介……さん。


 ◆


  <その日の晩・フロウラの裏口にて

市子:ここがわからないのだけど。
   Cコードでいいのかしら。
   (間)
   ……勇平?

勇平:ああ。Cコードでいい。

 間

市子:……意外だった。

勇平:何が。

市子:この曲、流行りそう。

勇平:別にそういうつもりで作ったわけじゃないけどな、

市子:別に悪い決めつけで言ってるわけじゃないの。
   私は、好きよ。歌詞が特に。
   『愛だとかいう言葉を繰り返し 時間の流れに取り残されて
    死んでいくのはごめんだと 涙を流したやつは街を出たのさ

勇平:読みあげるなよ。趣味が悪い。

市子:受けるわよ。絶対。

 間

市子:……そうだ今日、何人か友達に声をかけたから。

勇平:声?

市子:そう。最初はね、サクラのつもりで。

勇平:おいーー

市子:怒らないで!
   でも、本当よ。これを聴いたらきっとみんな感動するわ。

勇平:……そうか。

市子:才能、あるもの。

 間

市子:あの子は来るの?

勇平:……あの子?

市子:さっきから面(おもて)を見てる。

 間

勇平:こない、みたいだな。

市子:……そう。

勇平:いいんだ。俺のせいだから。

市子:……そう。

 間

市子:緊張してきちゃった。
   中で、タバコを吸いましょう。

勇平:……ああ。そうだな。


 ◆


  <慎之介は千絵をベッド上で抱きしめている
  <全身鏡に映った全裸の自分たちを見ながら、慎之介はスケッチをしている

千絵:慎之介さん……。

慎之介:何かな。

千絵:私、幸せです。

慎之介:そんな顔をしているね。

千絵:ええ……? いやだわ……恥ずかしい……。

慎之介:それが、いいんです。
    千絵さんの顔はとても感情に正直だから。
    初めて会った時から、心から美しいと思っていた。

千絵:……そんな……やめてください……。

 間

慎之介:そういえばもうすぐですね、千絵さんのお母さんを描きに行くのは。

千絵:(笑って)大変……知らない顔をしなくちゃいけないわ。

慎之介:どうして? 僕が恥ずかしいですか?

千絵:そうではなくて、お父様はとても厳しい人だから……。
   誰だってきっと許しはしないわ。

慎之介:……バレやしないですよ。
    だって、あの人にはあまり感情の機微を感じ取る力はないようだから。

千絵:どうして……?

慎之介:『揺れる男』

千絵:ええ……お父様のお気にいり。

慎之介:(千絵の耳元で)……僕の自慰行為を描いたものなんです。

千絵:……ええ!?

慎之介:(笑って)当時、教授とはソリが合わなくて。
    当てつけで描いてやったらあの通り。

千絵:(吹き出して)ふ、ふふふふふ!
   嫌だわ……! 慎之介さんったら……!

  <2人はじゃれあいながら笑い続ける


 ◆


  <鈴木邸前・幸夫が車から降りてくる
  <家の前で勇平が立っている

勇平:あ……。

幸夫:……誰だ。

勇平:いえ、あの。

 間

幸夫:勇平君か?

勇平:……はい。

幸夫:……そうか。
   どうした。随分と急じゃないか。

勇平:すみません、突然。

幸夫:もしかして、千絵に会いに来たわけじゃないだろう。

勇平:いえ……。

 間

勇平:はい。そうです。

幸夫:(ため息)君の父上、牧先生には大変世話になっているし、
   君のことも小さい時から知っている。

勇平:はい。

幸夫:大学にも行かずにフラフラしているそうだね。
   聞くと、学生運動なんぞに傾倒して、入学を取り消されたとか。
   その身なりをみれば、私などには手に取るようにわかる。
   まるでヒッピーのようだ。

勇平:……はい。

幸夫:はっきり言おう。千絵には近づくな。
   私が言えるのはそれだけだ。
   早く帰りなさい。

勇平:あの!

 間

勇平:伝言を。

幸夫:断る。

勇平:俺! すみません……!
   確かに日がな一日茶店(サテン)に入り浸るような生活をしていました!
   でも、今日、産まれ変わりました。

幸夫:なんだって……?

勇平:レコードを……出します。

幸夫:……歌手になると?

勇平:はい。今日、決まりました。
   今日、決まったんです。

 間

幸夫:それで、何が言いたい。

勇平:これを。

  <勇平は幸夫に楽譜を手渡す

勇平:これを、千絵さんに、どうか。

幸夫:……それだけかな。

勇平:はい……お時間を取っていただいてーー

幸夫:まったくだ。

  <幸夫は門へと歩いていく

幸夫:……いいかい、勇平君。

勇平:はい。

幸夫:人は、産まれ変わることなどできないんだ。

  <幸夫は家へと入っていく
  <それを見送った勇平は、ゆっくりと鈴木邸を後にする

勇平:愛だとかいう言葉を繰り返し……時間の流れに取り残されて……。
   死んでいくのはごめんだと……涙を流したやつは街を出たのさ……。


 ◆


  <その日の晩・鈴木邸リビング
  <千絵はゆっくりと入る
  <幸夫は酔っ払っている

幸夫:……遅いぞ。

千絵:あ……吾妻先生のところで絵をーー

幸夫:非常識だ!

 間

千絵:私が悪いの。

幸夫:そういう問題じゃない……!
   まったく……年頃の娘を持つ親の気持ちがお前にはわかるのか。

千絵:……すみません。

幸夫:あの吾妻も、もう少し分別があると思っていたが……。
   芸術家には常識というものはないようだな。

千絵:……何か、あったの?

幸夫:くだらないことだ。お前がこんな夜中に帰るのもそうだ。
   ……夕飯はない。すぐに部屋に戻れ。

千絵:はい……。

  <千絵はゴミ箱に丸めて捨てられている楽譜を見つける。

千絵:お父様、これは……?

幸夫:お前には関係ない! 部屋に戻れ!

千絵:はい……わかりました。

  <千絵は階段を上がる前にふと立ち止まる

千絵:5時……フロウラ……。

 間

千絵:私ったら……おかしいわ……。


 ◆


  <翌日・牧医院の入口前、千絵は勇平を待っている
  <医院から、慎之介が出てくる

市子:……あら。すみません、お邪魔ですか。

慎之介:……いえ。

市子:あなた、どこかで。

慎之介:いえ……気のせいでは。

市子:……そう。

  <慎之介は頭を押さえながら歩いていく

勇平:待たせた。

市子:ううん。

 間

勇平:……今のは?

市子:いや、どこかであったと思って。

勇平:それで、待ち合わせはどこだって。

市子:ええ、駅前まで車でお迎えに来てくれるそうよ。
   すごい扱いよね。

勇平:……少し、時間をもらえないかーー

市子:ないわ。

勇平:市子ーー

市子:ない。

 間

市子:一緒に、行くの。

勇平:……ああ。

  <そこに千絵が現れる

千絵:あ……。

勇平:千絵。

千絵:あの、ごめんなさい。

勇平:違うんだ! 彼女はそのーー

千絵:行けなくて。昨日。

 間

勇平:ああ……そうか。

千絵:ごめんなさい。本当に。
   私……これからは忙しいの。だから。

勇平:ああ……。

 間

千絵:それじゃあ。

勇平:千絵! どう思った!

 間

千絵:ええと……何を、どうって?

勇平:いや、俺の曲……!

 間

勇平:みて……ないのか?

千絵:あの……なんのこと?

勇平:俺、昨日楽譜をーー

市子:はいはい。わかったから。
   ごめんなさいね、千絵さん。引き止めて。

千絵:……はい。

   <千絵は去る

市子:いきましょう。

勇平:見てないんだ……。

市子:いくわよ。

勇平:渡してくれって言ったんだ……!

市子:ほら。

勇平:俺は千絵に!

市子:(勇平の顔を張る)

勇平:……市子。

市子:いい加減にして。

 間

市子:行くわよ。

勇平:……いかないーー

   <市子は勇平に口づけをする

市子:……叩いて、ごめんね。

勇平:市子……。

市子:いきましょう。勇平。


 ◆


  <慎之介はキャンバスに絵を描いている

千絵:お紅茶を……。

慎之介:ありがとう、千絵さん。

 間

千絵:そういえば。

慎之介:どうしました?

千絵:……女性が。

 間

慎之介:はい?

千絵:いえ。なんでもないです。

慎之介:言って。

千絵:……ここのアトリエは、女性が借りていらっしゃるんですね。
   郵便物を見てしまって……。

 間

慎之介:(吹き出す)ああ、そんなこと……。

千絵:そんなことだなんて……!

慎之介:僕はとある芸術評論団体の支援を受けていて、
    野際香織(のぎわかおり)さんはその団体の代表です。

千絵:……そうですか。

慎之介:嫉妬してくれましたか?

千絵:だって!

  <千絵は慎之介に抱きつく

千絵:嫌です……。

慎之介:そうはっきりと言われると。

千絵:この腕に誰か別の方が抱かれていると想像しているだけで、おかしくなってしまうわ。

慎之介:……僕は、そんなに信用できませんか?

千絵:信じて、いいんですか。

  <慎之介は千絵を抱きしめて微笑んだ


 ◆


  <数日後・鈴木邸のリビング

慎之介:それでは、今日から宜しくお願いします。

幸夫:ええ! 宜しくお願いします。
   腕を壊されても良くない。
   何日かけていただいてもいいので。

慎之介:ええ。奥様はお身体がよくないそうですから、ほどほどで。

幸夫:宜しくお願いいたします。先生。

慎之介:……それでは、千絵さん。
    アトリエをしばらくお借りしますね。

 間

幸夫:千絵。

千絵:え? ああ、はい。
   どうぞ、好きにお使いください。

  <鈴木邸の前・騒がしい

幸夫:……なんだ?

慎之介:この音は……楽器?

千絵:ギター……?

  <鈴木邸の前・ギターを掻き鳴らしている

幸夫:勇平くん!

勇平:千絵!

幸夫:勇平くん! 何をしている!
   早くやめろ!

勇平:千絵! 出てこい!

幸夫:糞ッ! 警察を呼んでくる!

  <幸夫・家へと駆け込んでいく
  <玄関から千絵と慎之介が顔を出す

千絵:勇平さん……!

勇平:千絵……! 頼む、一緒に来てくれ!

千絵:何をしているの!

勇平:俺、変わったんだ!
   レコードも出す! だからーー

千絵:帰って!

 間

勇平:千絵……!

千絵:帰って……! もう来ないで!

勇平:千絵……俺は……!

慎之介:千絵さん……中に戻ろう。

千絵:ええ……。

 間

勇平:クソッ……!
   クソ! ちくしょう! ちくしょおおお!


 ◆


  <その日の晩・鈴木邸前

慎之介:大体、今日で下書きといったところです。

千絵:……ええ。

慎之介:奥様は、千絵さんに似ていますね。

千絵:そうですか?

慎之介:ええ。笑った姿などが特に。

千絵:そうですか……。

 間

慎之介:車が来るそうですね。

千絵:ええ……。

 間

慎之介:千絵さん……昼間の男性はーー

  <千絵は慎之介に口づけをする

慎之介:千絵さーー

千絵:黙ってーー

慎之介:ここはーー

  <2人は何度か口づけを交わす

慎之介:お宅の前ですよ……千絵さん。

千絵:ごめんなさい……。

慎之介:いえ……僕はーー

千絵:昼間の人は、私の幼馴染です。
   なんでもありません。

慎之介:そうですか。それでーー

千絵:いいんです! そんなこと、どうでも……!
   それより……私……。

 間

慎之介:言って。

千絵:嫌だわ……私、お母様が肖像画を描かれているのに、嫉妬してる。

 間

慎之介:僕だって、千絵さんを描きたい。

千絵:描いて……お願い。

慎之介:ああ……約束する。

幸夫:(玄関から)先生! もう数分で車が着きますので!

慎之介:はい! ありがとうございます!

幸夫:明日もお願いします!


 ◆


  <市子の部屋・酒を飲んでいる勇平

市子:バンドが決まったそうよ。
   新宿でやっている「クロームス」ですって。

勇平:……ああ。

市子:……心、ここにあらず。ね。

 間

市子:知ってるわよ。警察騒ぎだったって。

勇平:別に、ストリートで歌ってただけだ。

市子:ものは言いようね。
   ……あなた、おかしくなってるのよ。
   思春期の女の子みたい。

勇平:うるさい!

市子:当たらないで。うっとおしい。

 間

市子:あの子は諦めて。

勇平:……わかってる。もう、行かない。

市子:本当かしらね……。
   でもまあ、安心した。

 間

市子:これからよ。私たち。
   私はマネージャーとしても、女としてもあんたを支えてあげられる。

勇平:……ああ。

市子:幸せになるのよ。

勇平:幸せか……。

 間

勇平:俺には、よくわからない……。

市子:おとなしく医者の息子ができなかった時に、気づけばよかったわね。
   ……あんたも私も、幸せになんてなれやしないわ。

勇平:医者の息子……そうだな。

市子:部屋、借りれそうなの?

勇平:ああ、まあ。

市子:医院から引き上げるの、手伝うわよ。
   また朝に迎えばいい?

 間

勇平:そうだ、あの男……。

市子:え?

勇平:あの男! 朝にいたやつだ……!

市子:何よ、一体。

勇平:この間、レコード会社に行く前!
   うちの前でお前が話しかけていた男だ。

市子:ああ……それがどうしたの?

勇平:お前、見たっていってたな。
   あいつ、誰だ。

市子:知らないわよ。狭い街なんだから、どこかですれ違ったとかじゃないの。
   それに、お宅の医院に通っていたみたいだし、お父さんにでも聞けば?

勇平:……患者なのか……。

市子:それ、あの子のことじゃないでしょうね。

勇平:ああ?

市子:(立ち上がって)……いい加減にしてよね。

 間

勇平:なんだよ。

市子:出てって。

勇平:ああ? なんだと?

市子:いいから! 今日は、出てって。

勇平:……わかった。


 ◆


  <翌日・アトリエから慎之介が出てくる

幸夫:どうですか、先生。

慎之介:ええ。完成です。

幸夫:そうですか! いや! そうですか!

慎之介:絵の方は、もう布をかぶせてあります。

幸夫:……本当に……ありがとうございます。
   妻に、会っても?

慎之介:私に許可がいるようなことでは。

幸夫:それもそうですね。
   では……。

  <幸夫はアトリエへ

慎之介:……千絵さん。

千絵:慎之介さん……。

  <2人は抱きしめ合う

千絵:すごいわ、慎之介さんは。

慎之介:何が、ですか。

千絵:お母様、戻ってくるって。

慎之介:……そうですか。

千絵:ええ。描いているときに、お母様のお話をいろいろ聴いてくださって、気持ちが変わったって……。
   また少し、嫉妬してしまいました。

慎之介:嫉妬させてばかりですね。

千絵:いえ……私ってば、子供ね。嫌になってしまう。

 間

千絵:お父様が、披露パーティを催すって。

慎之介:パーティ、ですか?

千絵:ええ。信じられないくらい浮かれていたわ。
   慎之介さん……いらっしゃるって言って。
   私、あなたがいないとーー

慎之介:もちろん。

千絵:……ええ。


 ◆


  <数日後・アトリエの入口をノックする音

慎之介:……はい。

勇平:……朝早くにすみません。

 間

慎之介:あなたは……。

勇平:俺は、牧勇平といいます。

慎之介:……なんの用でしょうか。

勇平:……これを。

  <勇平は慎之介に薬の入った袋を手渡す

慎之介:……病院に行った覚えはありませんが。

勇平:もう10日来てないと聞いた。

慎之介:忙しくてね。

 間

勇平:はっきり聞きたい。
   あなたは千絵とどういう関係なんだ。

慎之介:僕は千絵さんを愛しています。
    彼女がどう思っているかは、聞いてみないことには。

勇平:(笑って)……そうか。

 間

勇平:あなたの絵を、見たよ。

慎之介:……そうですか。

勇平:よく行く喫茶店に、かかってた。

 間

勇平:笑えるよな……。あの店で、一番好きな絵だった。
   まさか、恋敵が描いてるとは思わなかった。

慎之介:……ありがとう。

勇平:(頭を下げて)本当に、急に来て、すまなかった。
   俺は勝手だな。

慎之介:頭を上げてください……。
    こうして、薬まで届けてくれた人に、それは申し訳ない。

 間

勇平:もう一つ勝手なことを聞いてもいいか。
   ……千絵は、あなたの身体のことは、知っているのか。

 間

慎之介:いや。

勇平:伝えないのか。

 間

勇平:もういつ死んでもおかしくないと、父に聞いた。

慎之介:わかっているよ。
    もう、波が来たとしても、強い薬を飲んで痛みを和らげるくらいしかできていない。
    幻覚と痛みに耐えるだけ。腐りかけている気分だ。

勇平:なら、なおさら。千絵に伝えるべきじゃないのか。

慎之介:彼女は、芸術家だ。まぎれもなく。
    美しく、感性に恵まれ、頭もよく、情熱も持ち合わせている。
    そんな彼女に感じさせるわけにはいかない。
    僕という、死にかけた芸術を。

勇平:わけ、わからねえ。

慎之介:そう、思っていました。

 間

慎之介:あなたを見ていたら、それこそわからなくなりました。

勇平:……言えよ。

 間

勇平:言えよ……! 愛してんなら!
   伝わらない気持ちを伝えるなら、芸術でもいい……!
   でも、言葉にできるうちから、逃げてるんじゃねえ!

 間

勇平:(ため息)……行くよ。

慎之介:……はい。

  <勇平は踵を返す

慎之介:そうだ。牧勇平さん。
    僕は、吾妻慎之介といいます。

勇平:え? いやーー

慎之介:(笑って)レコード、出たら。サインをください。

  <勇平はアトリエを後にする
  <市子はアトリエの前で車を止めて待っている
  <勇平は助手席に乗り込む

市子:……どうだった?

  <座るなり、勇平は涙を流す

勇平:……クソッ。

  <市子もまた、涙を流していた

市子:……ゆうへい、どうだったのよ。

勇平:レコードにサインくれってさ。

市子:へぇー。

勇平:意味、わかんねえよ。

市子:ファンになってくれたんじゃないの?

勇平:(吹き出して)あのギターでか?

市子:警察に捕まるなんてイカしてるし。

勇平:ああ……そうか……。

市子:そうねえ……。

勇平:そうかぁ……。

市子:ゆうへい……大好きよぉ……。

勇平:……ああ……。

市子:ゆうへい……がんばって……。

勇平:ああ……。

市子:もう……負けちゃダメよ……!

勇平:ああ……!

市子:頑張って……頑張って……!

勇平:ああ! 負けねえ! もう……!


 ◆


  <その日の夕方・慎之介のアトリエ

慎之介:……千絵さん。

千絵:起こしてしまいました……?

慎之介:すみません……。

千絵:そのままで。

  <千絵は椅子に座る慎之介を描いている

千絵:……本当に、慎之介さんは美男ですね。

慎之介:(吹き出す)そんなことをいわれたのは初めてだ。

千絵:あら、見る目がないのですね。
   私の絵を誰かにみせたらいけませんね。

慎之介:どうして?

千絵:慎之介さんの美男ぷりが、バレてしまうから。

慎之介:おかしなことを……。

 間

慎之介:千絵さん。

千絵:なんですか?

慎之介:僕は、病気です。

 間

千絵:それは、風邪という意味、ですか。

 間

千絵:慎之介さん。

 間

慎之介:不治の病です。

千絵:慎之介さん……。

慎之介:余命はもう、幾ばくもないと言われています。

千絵:慎之介さん……!

慎之介:黙っていて、ごめんなさい。

千絵:慎之介さん!

  <千絵は泣きながら、慎之介を抱きしめる

千絵:……私、ずっとそばにいます。

慎之介:いつだって、そばにいてくれてるじゃないですか。

 間

千絵:薬を、見ました。

慎之介:ええ。痛みを和らげるものです。

千絵:血の付いたタオルも。

慎之介:洗ってくれて、ありがとう。

千絵:……辛そうな顔も、全部全部、見てきました。

慎之介:見て見ぬふりをしてくれましたね。

 間

千絵:慎之介さん。

慎之介:はい。

千絵:約束、覚えてますか。

慎之介:……もちろんです。

  <千絵はゆっくりと服を脱いだ

千絵:描いて、ください。

慎之介:……本当に、綺麗だ。

千絵:私は……慎之介さんのものです。


 ◆


  <3日後・慎之介のアトリエ
  <慎之介はベットの端に座っているが、憔悴しきっている
  <その横で、千絵がキャンバスに向かっている

千絵:次は、どこに色を乗せますか……?

慎之介:では……頬に朱色を……そう……そこです。

千絵:……どうですか。

慎之介:いいですね……すごく。
    僕の好きな、千絵さんの顔です。

 間

千絵:ここまでにしましょう……。
   慎之介さん……さあ、横になってください。

慎之介:いや、それよりも、もっと側に……。

千絵:……え?

  <慎之介は千絵の手を握った

慎之介:……千絵さん……愛してる……。

 間

千絵:……私も、愛しています。慎之介さん。

慎之介:愛して……います……。

 間

慎之介:愛してーー

千絵:もう黙ってください。

  <千絵と慎之介は口づけを交わす
  <長い長い口づけだった

慎之介:千絵さん……。

千絵:ちょっと……。

  <慎之介は千絵を押し倒した

千絵:もう……熱があがりますよ……?

 間

千絵:慎之介さん?

 間

千絵:慎之介さん……?

 間

千絵:慎之介さん……!

  <慎之介は、息絶えている

千絵:嘘。嘘ッ! 嘘!
   やだ! いやだわ! 慎之介さん!
   目を開けて! お願い! お願いよ!
   慎之介さんったら!
   慎之介さんーー

  <夕焼けが差し込む室内
  <風が悪戯に、絵の端にかかった布を剥がした

千絵:慎之介ーーさん。


 ◆


  <一月後・都内ホテルにて
  <吾妻慎之介を偲ぶ会
  <多数の芸術関係者たちが席に座っている

進行(市子役)
  :それでは、ここで吾妻慎之介、生前最後の作品を皆さまにご覧いただきたいと思います。
   お願いいたします。

幸夫:僭越ながら。
   私の方からご紹介させていただきます。
   ええ……吾妻先生にはですね、家族ぐるみで大変よくしていただきまして。
   お亡くなりなる、1ヶ月ほど前にですね、私の家内の、肖像画を描いていただきました。
   ええ……5日もかけて、毎日、通ってくださいまして……娘のアトリエを使って、描いていただきました。
   それが、ですね……こちらに、なります。
   (舞台袖に)……千絵。持ってきなさい。

 間

幸夫:ええと……娘は吾妻先生に絵の指導を受けておりまして……。
   すみません、少し、ショックが大きくて……。
   千絵、大丈夫かい?

千絵:ええ……。

   <黒いドレスに身を包んだ千絵は、布がかけられた大きなキャンバスを持って入ってくる

幸夫:本当は、先生と一緒に……お披露目するはずでした。
   本当に……本当に、残念です。
   これが、鈴木紫穂(すずきしほ)の肖像になります。

千絵:違います。

幸夫:千絵?

千絵:これが本当の、慎之介さんの最後の作品です。

  <千絵が布をはずす

幸夫:これは……!

  <その絵の中で、慎之介と千絵が裸で抱き合っていた

幸夫:千絵……どういうことだ!
   この絵はどうした! 千絵! 千絵ーー

千絵:慎之介さんが私を、私が慎之介さんを描きました。
   2人で、描きました。
   題は私が決めました。
   『愛の鏡』

幸夫:お前はいったいーー







慎之介:いい題ですね。愛の鏡。

千絵:そうでしょう? 初めて慎之介さんの部屋を訪れた時、とても驚いたの。

慎之介:僕だってそうだ。
    いまにも死にそうだというのに、君と会った瞬間に思った。
    死んでいたのは今までの人生の方だったのかもしれないってーー

千絵:見えますか? 鏡の中の私たち。

慎之介:見えるよ。鏡の中の僕たち。

千絵:幸せよ。

慎之介:ああ、幸せだ。

千絵:慎之介さん。

慎之介:千絵さん。

千絵:愛しているわ。

慎之介:愛しているよ。

千絵:愛しすぎて困るくらい……。

慎之介:初めて君の瞳を見た時に、思ったんだ。

千絵:なにを……?

慎之介:君を愛するまで、十秒もいらないってーー

千絵:……私も同じことを思ったのよ。
   ねえ、慎之介さん……。


  <喧騒に包まれる会場の中で、千絵は一人、涙を流している
  <滲む視界の中、千絵は慎之介と2人、手を繋いでいた





「君を殺すのに十秒もいらない」

 完




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